5/10/2024

この日も主と共に【1011】

イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。・・・わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28章18、19節)

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『マタイによる福音書』は、『ルカによる福音書』や『使徒言行録』とは違い、復活されたイエス様が天に昇られた次第を直接には記録していません。それよりも前に起きた、ガリラヤの山で十一人の弟子たちとお会いになった出来事に注目し、記録を残しています(16節)。かつてイエス様は、悪魔を拝むことによって地上の繁栄を手にするようにと誘惑をお受けになり、それを退けられました(4章8~10節)。そして今や、イエス様は十字架の死からの復活によって、《天と地の一切の権能》を持つお方となられました。そのイエス様が《世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる》と弟子たちに約束されました。それはまた今の教会・小隊、そして私たちのための約束でもあります。イエス様と共に生きるということは、たとえ今の私たちの目によってはすべてが見通せないとしても、神によって勢力図がまったく新しく書き換えられた世界を生きるということです。

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天の父なる神様、《天と地の一切の権能》を持っておられるイエス様によって私たちの霊と心体をお守りください。イエス様が共にいてくださることを覚え、平安と力を得させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/09/2024

この日も主と共に【1010】

イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。(ルカによる福音書24章50、51節)

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イエス様は復活された後、四十日間、弟子たちと過ごされました。そして、エルサレムから約3キロメートル離れたベタニアという村にある「オリーブ畑」と呼ばれる山から天に上げられました(参照ヨハネ11章18節、使徒1章12節)。復活されたイエス様が神様のもとに昇られた出来事は、十字架の死と復活によって地上におけるイエス様のお働きが完了したこと、すなわち神の救いの御心が成就したことを表しています。イエス様が天に昇られたことによって、弟子たちはもはやこれまでと同じようにイエス様と共に過ごすことはできなくなりました。しかし、自分たちを《祝福》してくださるイエス様が天におられることを心に留め、いつでもどこでも心を天に向けることによって、イエス様と共に生きるものとなりました。キリスト教会はこの日を「昇天日」(Ascension(アセンション) Day(デイ))として記念しています。私たちもイエス様の祝福を見上げて生きてよいのです。

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復活され、天に昇られた主イエス様、あなたが今も教会・小隊を愛し、私たちを祝福してくださることを感謝します。地上において様々なことが起こるとしても、天において変わらないあなたの祝福を仰いで歩むものとならせてください。アーメン


5/07/2024

この日も主と共に【1009】

永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。(ヘブライ人への手紙13章20、21節)

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イエス様は復活されてから四十日間、弟子たちと共に過ごされ、天に昇られました(参照使徒言行録1章3~11節)。私たちから遠ざかられたのではありません。神のもとに昇られ、私たちのために執り成してくださり、私たちが救いの完成に至るように私たちの信仰と人生を助けてくださいます(参照8章1、2節、10章12節)。イエス様は《永遠の契約の血》、すなわちご自分の十字架の死によって私たちを救うという一度きりの、完全で、永遠に有効な約束をなし遂げてくださいました。そして、《羊の大牧者》として、ご自分を信じる者たちを導き続けておられます。教会・小隊は、またそこに連なる私たちは今この時も、イエス様の約束と守りのうちにあります。

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天の父なる神様、私たちの側ではすべてを知ることができないとしても、イエス様が私を支え、導いてくださることを感謝します。イエス様と共に歩む勇気と力をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/02/2024

この日も主と共に【1008】

あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。(ペトロの手紙一2章25節)

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イエス様はペトロに《わたしの羊の世話をしなさい》と語られ、ご自分の働きを託されました(ヨハネ21章15~17節)。

ペトロはイエス様の言葉に従い、イエス様が天に昇られた後に人々に福音を宣べ伝えるため、またイエス様を信じた人々のために生涯をかけました。ペトロにとってイエス様を愛することと教会を愛することは一つになりました。

ペトロが願ったことは、何が本当に自分を支え、救ってくれるのかを知らずにさまよう私たち人間が、《魂の牧者であり、監督者》であるイエス様のもとに戻ってきて、イエス様と共に生きるようになることでした。

その願いと働きが今日の教会・小隊に続いています。私たちは、イエス様との関係においては自分自身が羊であり、また人々との関係においてはお互いが羊飼いでもあります。

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天の父なる神様、神であるあなたを愛することと、あなたが作られたこの世界を愛することはつながっていることを、イエス様によって教えてくださいました。イエス様の《足跡》をたどるために(21節)、イエス様に導かれる羊の群れである教会・小隊また私たち一人一人を守り、力づけてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

4/30/2024

この日も主と共に【1007】

イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。(ヨハネによる福音書21章15節)

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イエス様はご自分が《良い羊飼い》であるだけでなく(10章11節)、弟子たちにも《羊飼い》になるようにと望まれました。《羊》とはイエス様を通して天の父である神様を知った人々を意味しています。

ただしイエス様が望まれる《羊》の世話とは、考えや気持ちの合う人同士で親切にし、安心安全に暮らすという意味ではありません。イエス様はペトロに、望まないところに連れて行かれ、その延長で死を迎えるとも告げられました(18、19節)。

イエス様は、『あなたが私を愛するなら、私が自分の命をかけた人々のためにあなたも命をかけてほしい』と言われます。

たいへん重い言葉です。それは愛の重さです。それほどまで私たちを重く受けとめてくださったイエス様の愛と言葉によって今の教会・小隊は集められ、導かれています。

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天の父なる神様、イエス様に愛される群れのうちに受け入れられていることを感謝します。互いに愛し合いなさいとのイエス様の招きを大切に受けとり、応答するものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/25/2024

この日も主と共に【1006】

わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。(ヨハネによる福音書10章16節)

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イエス様は、人々に対してご自分を《良い羊飼い》として示されました(10章11節)。

ここで注目したいことは、歴史上においては、イエス様は紀元一世紀のパレスチナにおいて、ユダヤ人として生きたお方であるということです。それですからイエス様が《羊》としてまず見ておられるのは、紀元一世紀のユダヤの人々です。

しかし、イエス様は当時の同じ民族だけがまとまり、幸せになることだけを考えておられませんでした。すでに《ほかの羊》がいることを見ておられ、導こうとされました。そのようなイエス様に従い、また聖霊の力を受けて、弟子たちは福音を広く宣べ伝え始めました(参照使徒1章8節)。

それですから今、私たちは教会・小隊につながるときに、イエス様のもとに集まっていると言うことができ、またイエス様の御言葉を伝える働きに参加しています。

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天の父なる神様、イエス様が見ておられ、またそのためにご自身を捧げられた、大きな神の民に私も受け入れられていることを心に留めて、イエス様に従い歩みむものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/24/2024

この日も主と共に【1005】

わたし〔イエス〕は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。(ヨハネによる福音書10章11節)

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《主は羊飼い》と歌われた神様のもとから(詩編23:1)、独り子であるイエス様が私たちの世界に来られました。そして、イエス様ご自身も私たちに《良い羊飼い》として向かい合われます。そして、私たちのために《命を捨てる》と言われます。

良い羊飼いは自分の都合で一方的に羊を操(あやつ)ろうとはせず、羊の状態に注意を払い、むしろ羊が生きる調子に寄り添います。イエス様は私たちを愛されますが、ご自分の愛を押し付けたり、愛を大義名分にして従わせることはなさいません。どこまでも私たちの命に寄り添い、私たちの生きる速さに合わせて歩もうと望まれます。

しかしそれだけではなく、私たちのためにこれからの道のりを見つめてくださり、私たちに先立って道を切り開いてくださいます。死から復活されたお方として、死を越えてもなお新しく生きる道があることを私たちに教え、一緒に進もうと呼んでくださっています。

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天の父なる神様、イエス様が《良い羊飼い》とし今も私たちと共にいてくださることを感謝します。さまざまな出来事の中で、自分が自分自身に寄り添うことが難しい場合もあります。その時にすらイエス様が共におられることを教え、支えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

4/19/2024

この日も主と共に【1004】

見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。・・・わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。(エゼキエル書34章11、15節)

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イスラエルの民が政治、社会、宗教のいずれにおいても混迷を深めた時、神様は嘆きを隠されませんでした。そして預言者エゼキエルを通して、当時の責任ある人々に厳しく語られました。《まことに、わたしの群れは略奪にさらされ、わたしの群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌食になろうとしているのに、わたしの牧者たちは群れを探しもしない。牧者は群れを養わず、自分自身を養っている。》(8節)そしてついに神様は、自らが羊飼いとして立つと宣言されました。《わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。》(16節)このお言葉の成就として、神の御子イエス・キリストがこの世に来られました。そして、旧約聖書のイスラエルの民や新約聖書の信仰者たちだけでもなく、今の私たちをも神様の群れに入れてくださいます。

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天の父なる神様、あなたの養いと憩いをお与えください。神の群れの一つとして小隊につながる一人ひとりをお守りください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/17/2024

この日も主と共に【1003】

主は羊飼い、
わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
(詩編23編1~3節)

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神様は私たちの《主》であり、《羊飼い》です。どこか遠いところで、私たちとは無関係に存在しておられるのではありません。《羊飼い》が羊に一日中付き添い、養い、守るように、神様は責任をもって私たちに関わり続けてくださり、力と愛を注ぎ、私たちを生きたものとして存在させてくださいます。神様が私たちを《正しい道に導かれる》のは、私たちが神様の要求される要件を満たしているからではなりません。あるいは、これまでの功績を認められたり、将来有望であると期待されたからでもありません。ただ神様が私たちに対して《主》であろうとご自分を定めてくださったがゆえに、私たちを導いてくださいます。愛する独り子を犠牲にしても、私たちを救い、導かれます。

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天の父なる神様、あなたは今日も私の《羊飼い》です。あなたを信頼し、《正しい道》を指し示す導きによって歩むものとならせてください。《わたしは何も欠けることがない》という喜びの歌に加わらせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/16/2024

この日も主と共に【1002】

キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。・・・つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。(コリントの信徒への手紙一15章20、22節)

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イエス・キリストが死から復活されたことが、なぜ私たちにとって大切なのか。伝道者パウロは、イエス様の復活が《初穂》であり、イエス様を信じる者たちも《キリストによってすべての人が生かされる》からだと語ります。イエス様の復活によって、イエス様を信じる者たちもみな死から復活するものとしていただいたのです。その復活の次第はパウロ自身も言葉にし尽くせない《神秘》ですが、たしかなことは《朽ちないもの・・・死なないもの》を着ることであり、《死は勝利に飲み込まれた》と言えることです(51、54節)。復活されたイエス様によって、私たちはまるごと神様の愛に飲み込まれ、生かされています。

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天の父なる神様、復活されたイエス様によって示された、あなたの愛と救いをもって私たちを覆ってください。私のすべてがあなたの愛のうちにあるという平安と力をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/12/2024

この日も主と共に【1001】

イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。・・・」(ルカによる福音書24章38、39節)

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復活されたイエス様が弟子たちに姿を現された時、弟子たちは《亡霊》を見ていると思い、恐れました(37節)。

イエス様は、
①十字架の傷がついた手と足を見せて、十字架で息を引き取る以前のご自分と同じであることを示されました(38~40節)。
それと同時に、②弟子たちの食べ物を食べてみせられ、イエス様が霊のように生き返ったのではなく、新しい体をもって復活されたことも示されました(41~43節)。
また、③弟子たちの《心の目を開いて》聖書を教えられ(45節)、ご自分の復活によって、聖書に約束されていた神様の御心が成就したことを教えられました(44~49節)。

復活されたイエス様のお姿は、まったく神様の御心に調和したお姿であり、神様の御言葉と力を体現されたお姿でした。そのような新しい姿を、イエス様を信じる時に私たちも新しくいただくことができます。

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天の父なる神様、あなたの御言葉と力を受け入れて歩むものとならせてください。復活されたイエス様が説き明かされた神の言葉の恵みを私たちにも新しくお与えください。そのために聖書を共に読む小隊・教会の歩みを励ましてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/10/2024

この日も主と共に【1000】

十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。・・・」(マルコによる福音書16章14、15節)

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十一人の弟子たちはイエス様から特別に選ばれた人々でしたが、他の弟子たちが復活されたイエス様にお会いしたと伝えても、なかなか信じようとしませんでした(11、13節)。後悔や恐れや不安に身も心も縛り上げられていました。そのような弟子たちの前に復活されたイエス様が現れ、彼らの《不信仰とかたくなな心をおとがめに》なりました。ただし、弟子たちとの関係を終わりにされたのではありませんでした。むしろ、彼らがふたたび信じる者となるように、そして神に対して開かれた心を持つことができるように、復活されたイエス様は戦われました。そして、十一人を《全世界》へと遣わされました。復活されたイエス様は私たちのために戦い、私たちを新しい歩みへと押し出してくださいます。

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復活された主であるイエス様、あなたの力強い愛を受け入れて歩むものとならせてください。あなたと向かい合うことを妨げるものが私たちの心や生活にあるならば、それらを明らかにし、取り除いてください。アーメン

4/09/2024

この日も主と共に【999】

イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。・・・わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28章18~20節)

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復活されたイエス様はガリラヤの山で弟子たちとお会いになり、天へと引き上げられました(16節、参照ルカ24章52節)。弟子たちの中には、その場においてもなお《疑う者》がいました。イエス様の復活が自分とどのような関わりがあるのか、まだよくわからなかったのです。しかし、イエス様は弟子たちに《近寄って来て》、お話になりました(18節)。そして、①ご自分の権能によって彼らを弟子としてふたたびお立てになり、②世界に福音を伝える使命を託し、③世の終わりまで共にいると約束されました。復活されたイエス様は、後悔、恐れ、無力、絶望で閉ざされそうになっていた弟子たちに、新しい力、目的、役割、将来を、与えてくださいました。

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復活された主イエス様、あなたは弟子たちに《世の終わりまで、いつもあなたがた共にいる》と約束されました。その約束の下に今の小隊・教会も、私たち一人一人もあることを感謝します。あなたが私たちを新しい道のりに押し出してくださることを覚え、あなたに信頼して歩むものとならせてください。アーメン