2/28/2023

この日も主と共に【832】最後の一週間(2)

エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。」(ルカによる福音書19章41、42節)

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神の御子であるイエス・キリストが涙を流されました。人々の信仰の支えるはずのエルサレムが、神の御心から離れている状況を見ておられたからでした。その涙と言葉は、かつて預言者たちが告げた神の呼びかけに重なります。《わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ。》(エゼキエル18書32節)《わたしを求めよ、そして生きよ。》(アモス書5章4節)イエス・キリストの涙とまなざしは、わたしたちにも向けられています。

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天の父なる神さま、わたしたちのために流された御子イエスの涙を大切に受けとめるものとならせてください。そして、《平和への道》をたどるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/27/2023

この日も主と共に【831】最後の一週間(1)

ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。(マルコによる福音書11章9~10節)

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イエス・キリストは《子ろば》に乗り、都エルサレムに入られました(7節)。その姿はかつて預言者が告げた平和の王を思い起こさせました(ゼカリヤ9章9節)。そのため多くの人が歓呼し、服や枝を道に敷いて迎えました(8、9節)。ただしイエス・キリストは地上の王ではなく、神の僕(しもべ)として進まれました。「ホサナ」は「救う」と「祈る」という言葉を合わせた言葉で、「どうぞお救いください」という意味です(参照詩編118編25節)。わたしたちは十字架にかかられたイエス・キリストに、ホサナと呼びかけます。

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天の父なる神さま、十字架にかかられた御子イエスのとりなしによって、わたしたちの祈りはあなたに届いています。どうぞわたしたちを救い、お守りください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/25/2023

この日も主と共に【830】主イエスの権威(7)

第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。(マルコによる福音書12章29~31節)

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一人の律法学者が《あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか》とイエス・キリストに質問しました(28節)。イエス・キリストは聖書を引用し、神を愛すること、隣人を愛することだと即座に、明瞭にお答えになりました(申命記6章4、5節、10章12節、レビ記19章18節)。聖書を解釈してみせたのではなく、神の言葉の核心を示されました。

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主イエスよ、聖書の言葉を知恵の言葉、有益な言葉に留まらず、命を豊かにする言葉、わたしたちを救う言葉として知ることができますように。そして、実際の生活の土台とすることができるように導いてください。アーメン


2/24/2023

この日も主と共に【829】主イエスの権威(6)

〔イエスは言われた。〕皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。(マルコによる福音書7章14、15節)

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ファリサイ派の人々や律法学者が、イエス・キリストの弟子たちの食事の様子を非難しました。身を清める手順をふまず、《昔の人の言い伝え》に従っていないことが問題視されました(3~5節)。これに対してイエス・キリストは、体を清めれば自動的に心が清くなるわけではない、《昔の人の言い伝え》は《神の言葉》を受け入れるための助けであって、それ自体が目的とはならないと教えられました。

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天の父なる神さま、わたしたちの世界にはさまざまな価値観が行き交い、ときに目的と手段があいまいになってしまう場合があります。何を大切に目ざすか、そのために何が必要かを考え、選んでいく歩みを助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

2/23/2023

この日も主と共に【828】主イエスの権威(5)

〔イエスは言われた。〕安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。(マルコによる福音書3章4節)

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安息日、イエス・キリストは祈るために会堂に向かわれました。そこに片手の不自由な人がいました。宗教の指導者たちが《イエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目して》いました(2節)。もし病気をいやしたなら律法に背いたと責めるつもりでした。彼らにとって病気の人は口実であり、病気の苦しみ、悲しみ、孤独は顧みられませんでした。それをご覧になったイエス・キリストは、神が安息日に求められるのは善を行い、命を救うことであると語り、病気の人をいやされました。

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天の父なる神さま、御子イエスを通して、その時、その場において必要とされる善い働きが何であるかを教えてください。あなたの善い御心と共に歩ませてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/22/2023

この日も主と共に【827】主イエスの権威(4)

安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子〔イエス〕は安息日の主でもある。(マルコによる福音書2章27、28節)

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イエス・キリストの弟子たちが、畑の麦の穂を摘んで食べました。それ自体は助け合いとして許されていましたが(レビ記23章22節、申命記23章26節)、ファリサイ派の人々は弟子たちが安息日に収穫作業をしたと解釈し、《してはならないこと》をしたと非難しました(24節)。イエス・キリストは、安息日の一番の趣旨は禁止事項を守ることではなく、神を崇めることであり、神のもとでどの人も安息を得ることだと語られました(参照出エジプト23章12節)。

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天の父なる神さま、御子イエスによって、あなたが大切にしておられることを知り、また、わたしたちが大切にするように望まれていることを学ぶ歩みを導いてください。そして、あなたの安息に与らせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/21/2023

この日も主と共に【826】主イエスの権威(3)

だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。(マルコによる福音書2章22節)

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当時、ユダヤ人の信仰では祈りと断食と施しが大切にされていました。そのためイエス・キリストと弟子たちが断食をしないことを不思議に思う人たちがいました(18節)。宗教家らしく見えなかったのです。イエス・キリストは《婚礼》、《新しい布切れ》、《新しいぶどう酒》をたとえにして(19、21、22節)、神を信じるとはただ規則や言い伝えを文字通りに守ることではなく、神によってその日その時を新しく生きることなのだ、そこに喜びがあると語られます。

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天の父なる神さま、あなたは種まきのように、わたしたちの一日一日に喜びを備えてくださいます。あなたから贈られた喜びを見出し、育てるものとしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/20/2023

この日も主と共に【825】主イエスの権威(2)

医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたし〔イエス〕が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。(マルコによる福音書2章17節)

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イエス・キリストと弟子たちは《多くの徴税人や罪人》と一緒に食事をされました(15節)。その食事は親交を持つこと、友になることを意味していました。それを見た宗教家、《ファリサイ派の律法学者》は眉をひそめました(16節)。《徴税人や罪人》はその仕事や生活の事情から、当時の社会では軽べつされていたからです。しかし、イエス・キリストは彼らこそ神に招かれている人々なのだと語られました。今、イエス・キリストは、わたしたちのことも友として心に留めてくださり、招いてくださいます。

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主イエスよ、あなたはわたしたちが周囲からどのように評価されるかを見て判断されず、わたしたちをそのままに見て、友として招いてくださいます。あなたの愛によって心に力をいただき、歩むものとならせてください。アーメン

 

この日も主と共に【824】主イエスの権威(1)

四人の男が中風の人を運んで来た。・・・イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。(マルコによる福音書2章5節)

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イエス・キリストのもとに病気の人が連れられてきました。当時、病気は罪の報いであると多くの人が考えていました。その時、イエス・キリストは《あなたの罪は赦された》と告げられ、続いて《起き上がり、床を担いで家に帰りなさい》(11節)という言葉によって彼をいやされました。ただ病気や罪について対処されたのではなく、苦しんでいる一人の人として彼をご覧になり、救われたのです。イエス・キリストは神から与えられた権威によって、わたしたちを一人の存在として大切にし、救い、いやしてくださいます。

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天の父なる神さま、部分的ではなく、一時的でもなく、すべてを救い、いやしてくださる御業を、御子イエスによってわたしたちに現わしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/18/2023

この日も主と共に【823】主を信じ、主に従う(6)

人の子〔イエス〕は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。(マルコによる福音書10章45節)

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イエス・キリストは、ご自分がこの世界に来られた目的を《身代金(みのしろきん)》という言葉を使って話されました。

①わたしたちは神に作られたものですが、神から離れ、神ではないものの強い力に捕らわれています。その最たるものが罪の力、死の力です。

②イエス・キリストは、罪と死に捕らわれているわたしたちを解放し、本来あるべきところ、すなわち神のもとへと戻してくださいます。そのために十字架にかかり、ご自分の命を犠牲にしてくださいました。

このことを聖書では「贖(あがな)い」と呼びます。「イエス・キリストの十字架の贖(あがな)い」がわたしたちの救いの根拠です。

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主イエスよ、あなたをただすばらしい教師として見るのではなく、十字架で死なれ、わたしを贖(あがな)ってくださったお方として深く知るものとならせてください。アーメン


2/17/2023

この日も主と共に【822】主を信じ、主に従う(5)

あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。(マルコによる福音書10章43、44節)

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《偉くなりたい・・・いちばん上になりたい》と思う弟子たちを見て、イエス・キリストは二つの道を示されました。一つは、《支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振る》う道です(42節)。もう一つの道は、《皆に仕える者になり・・・すべての人の僕(しもべ)にな》る道です。およそ前者の方が華々しく、魅力的に映ります。《しかし、あなたがたの間では、そうでなない》とイエス・キリストは言われます。わたしたちのために《僕》となってくださったお方の声によって、わたしたちは立ち止まり、耳を澄まし、目を凝らすことができます。

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主イエスよ、あなたはわたしたちを救い、幸いを得させるために声をかけ、道を指し示されます。あなたが教えてくださった道をひと足ずつたどらせてください。アーメン


この日も主と共に【821】主を信じ、主に従う(4)

自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。(マルコによる福音書8章35節)

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《福音》とはわたしたちを救う神の言葉を指します。それなのに《福音のために命を失う者》があり得るとは、イエス・キリストに従うことがかならずしも世間に評価されるとはかぎらず、自分の思い描く幸福がそのままかなうとはかぎらないことを示唆しています。それにもかかわらず福音を受け入れ、イエス・キリストに従う道は、《自分の命を・・・救う》道です。神に創造された者、神に愛される者、神の国に入る者として歩む道だからです。この道を進みなさいと、ご自分も苦しみと死をお受けになり、かつ死から復活されたお方がわたしたちを呼んでおられます。

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主イエスよ、あなたはわたしたちを愛し、生きるようにと招かれます。あなたとの関係の中で、まことに自分の命を大切にし、生きる道を歩ませてください。アーメン


2/15/2023

この日も主と共に【820】主を信じ、主に従う(3)

わたし〔イエス〕の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。(マルコによる福音書8章34節)

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《十字架》はローマ帝国の死刑の道具であり、恥、苦しみ、死のしるしでした。しかし、イエス・キリストは神にまったく従がうために十字架を受け入れられました。《自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい》とは、苦難を背負わなければ信仰を深められないし、救われないという意味ではなく、たとえ苦難を味わうとしても神の御心と共に歩み続け、神に従う歩みをまっとうしなさいという意味です。それは見通しのよい、なだらかな道のりとは言えないかもしれません。しかし確かなことは、イエス・キリストご自身がわたしたちの先を行き、道を開いてくださっています。

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主イエスよ、あなたは十字架を背負い、ご自分のすべてをかけて父なる神の御心と共に生きる道を開かれました。その道を共に歩むものとならせてください。アーメン


2/14/2023

この日も主と共に【819】主を信じ、主に従う(2)

イエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。(マルコによる福音書8章31、32節)

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ペトロが《あなたは、メシア(救い主)です》と信仰を表明したとき(29節)、イエス・キリストはご自分が十字架で死に、復活されるとはっきりと語られました。イエス・キリストを信じるとは、『わたしのために、神の御子イエス・キリストが十字架で死んでくださった。それゆえにわたしは救われた』と信じることです。聖書では《十字架の言葉》と表現しています(コリント一1章18節)。そのようなわたしを信じなさいと、イエス・キリストは語られます。

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主イエスよ、十字架にかかられたあなたのお姿を見て、あなたを知るものとならせてください。あなたの十字架にわたしたちの救いを見出させてください。アーメン


2/13/2023

この日も主と共に【818】主を信じ、主に従う(1)

そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」(マルコによる福音書8章29節)

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イエス・キリストは弟子たちに《あなたがたはわたしを何ものだと言うのか》と問われました。他人の評価で判断するのではなく、弟子たち自身の考えと応答を問われました。その問いかけを受けて、ペトロは《あなたは、メシアです》と心から答えました。《メシア》とは「救い主」という意味で、「キリスト」に相当します。イエス・キリストはわたしたち一人一人に向き合い、わたし自身の真実な応答を望まれます。イエス・キリストに応答する時に、このお方と共に生きる道が開かれていきます。

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天の父なる神さま、わたしに真実に向かい合ってくださる御子イエスを思い、「イエスはキリスト(メシア、救い主)である」と応答して歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/12/2023

この日も主と共に【817】主の祈り(8)

わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。(マタイによる福音書6章13節)

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「主の祈り」の第六番目の祈りは、《誘惑》と《悪い者》から守られ、罪を犯すことがないようにと願う祈りです。《誘惑》が何を指すのかは人によって違いますが、いずれの《誘惑》も人の欲望に結びつき、神との関係を破壊します。聖書はそのような《誘惑》をもたらす《悪い者》を悪魔と呼びます(参照マタイ4章)。イエス・キリストご自身も悪魔から誘惑を受けられましたが、最後には悪魔を退けられました。この祈りは、わたしたちが生きる上で戦いや弱さを抱える時にも一人きりではなく、愛と力に満ちておられる神が共にいてくださることを思い起こさせてくれます。

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天の父なる神さま、誘惑からお守りください。あなたに愛され、救われ、生かされている事実にくりかえし立ち戻り、心を確かにして歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

2/11/2023

この日も主と共に【816】主の祈り(7)

わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。(マタイによる福音書6章12節)

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「主の祈り」の第五番目の祈りは、自分の《負い目》の赦しを求める祈りです。《負い目》とはわたしたちの罪を指しています。この祈りは、人を赦すことによって神に赦される資格が得られるという意味ではありません。神はすでに御子によってわたしたちの罪を清算し、赦してくださいました。この祈りは、赦されず、赦しもしない生き方に縛られていたわたしたちが救い出され、今は赦され、赦し合う新しい生き方にあることを思い起こさせてくれます。

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天の父なる神さま、御子イエスの十字架の死によってわたしたちの罪がまったく赦されたことを感謝します。《あなたの罪は赦される》との御言葉に支えられ(マルコ2章5節)、赦すことのできる者としてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/10/2023

この日も主と共に【815】主の祈り(6)

わたしたちに必要な糧(かて)を今日与えてください。(マタイによる福音書6章11節)

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「主の祈り」の内容の第四番目は、《糧(かて)》、すなわち食物を求める祈りです。
①わたしたちは糧(かて)を必要とする、限りのある存在です。
②神はわたしたちを創造されたお方として、また天の父として、わたしたちを養い、守られます。神が与えてくださる《糧(かて)》は恵みです。
③具体的な《糧(かて)》を通して神の恵みを見出すためには、《神の口から出る一つ一つの言葉で生きる》ことが必要です(4章4節、参照 申命記8章3節)。
わたしたちはこの祈りを通して、自分たちの命と体が神の恵みに根差すものであるようにと招かれています。

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天の父なる神さま、《むなしいもの、偽りの言葉をわたしから遠ざけ・・・わたしのために定められたパンでわたしを養ってください。》あなたに信頼し、あなたの恵みによって力を受ける歩みを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(箴言30章8節)


2/09/2023

この日も主と共に【814】主の祈り(5)

御心が行われますように、天におけるように地の上にも。(マタイによる福音書6章10節)

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「主の祈り」の内容の第三番目は、神の《御心》が行われることを祈ります。神が《見て、良し》とされること(参照創世記1章1、31節)、神が望み、計画されることが、《地の上》、すなわち、わたしたちの世界において行われるようにという祈りです。この祈りは、この世界やお互いの心や生活にさまざまな困難が生じるとしても、それらがなおも神の御心が行われる場所として神に覚えられていることを思い起こさせてくれます。イエス・キリストはこの祈りを通して、わたしたちの地上の歩みを励まし、支えておられます(参照ヨハネ17章15~17節)。

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天の父なる神さま、わたしが今生かされている所にあなたの御心を行ってください。あなたと共に生きる場所としてわたしたちの心、家族、暮らしをお守りください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/08/2023

この日も主と共に【813】主の祈り(4)

御国が来ますように。(マタイによる福音書6章10節)

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「主の祈り」の第二番目は、神の《御国》が来ることを祈ります。《御国》(天の国、神の国)は地上の国家や領土ではなく、神が愛と平和に満ちて治められる領域を指しています。

《御国》は、
①はすでに始まりました。御子イエス・キリストによってわたしたちは救われ、神の子としていただき、神の国に入ることができます(ヨハネ3章3、5節)。
②この後に完成します。神と共に永遠に生きる新しい天と地が約束されています(黙示録21章2、3節)。
③現在の希望と目標です。わたしたちは御子イエスの十字架に神の平和を重ね見ながら、神の国の完成に向かって歩むように招かれています(コロサイ1章19節、エフェソ1章10節)。

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天の父なる神さま、御子イエスによって、あなたの《御国》をわたしの心、家庭、学校、職場に現わしてください。将来の希望につながる歩みを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/07/2023

この日も主と共に【812】主の祈り(3)

天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。(マタイによる福音書6章9節)

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「主の祈り」は、六つの祈りから成り立っています。前半の三つは神についての祈りです。後半の三つはわたしたち人間についての祈りです。第一番目は、神の《御名が崇められますように》と祈ります。この祈りは、神を願いごとをかなえてくれる便利な存在にしてしまわず、《天におられるわたしたちの父》として、すなわち、わたしたちを作られ、愛しておられる、生きたお方として信じることを意味しています。そのためにイエス・キリストは、神がどのようなお方であるかを弟子たち、わたしたちに教え、神の《御名》を示してくださいます(ヨハネ17章6、26節)。

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天の父なる神さま、御子イエスの言葉を通して、あなたの御名を教えてください。ご自分を信頼する者に平安と力を約束される、あなたの御名と共に歩ませてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/06/2023

この日も主と共に【811】主の祈り(2)

だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ・・・』(マタイによる福音書6章9節)

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イエス・キリストは、神を《父》と呼びかける祈りを教えてくださいました。①イエス・キリストは神の御子であり、神を《アッバ》(父よ)と呼ばれました。このお方のとりなしのゆえに、わたしたちも神の子として祈ることができます(参照マルコ14章36節、ローマ8章15節、ガラテヤ4章6節)。②《天におられる》神を《父》とお呼びするとき、わたしたちの命や人生の意義は地上のものごとによって決定づけられてしまうことはありません。③神はわたしだけではなく《わたしたちの父》です。イエス・キリストは神の家族へとわたしたちを招いておられます。

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天の父なる神さま、祈りによって平安と力をお与えください。あなたを《父》とお呼びする小隊・教会の祈りを励まし、神の家族としての歩みを支えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/05/2023

この日も主と共に【810】主の祈り(1)

あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。(マタイによる福音書6章7、8節)

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イエス・キリストが注意された《異邦人》の祈りとは、願いを聞き入れてもらうためにさまざまな神の名を呼び、機械的に言葉をくりかえすような祈りでした。それに対してイエス・キリストは模範となる祈りを自ら教えられました(主の祈り)。自由な言葉遣いで祈ることやくりかえし祈ることは禁じられていません。大切なことは心から祈ることです。その心をイエス・キリストが導いてくださいます。

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天の父なる神さま、あなたは祈る者としてわたしたちを創造されました。御子イエスによって祈ることを教え、あなたの恵みを受け取るものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/04/2023

この日も主と共に【809】山上の説教(7)

わたし〔イエス〕のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。(マタイによる福音書7章24、25節)

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イエス・キリストは、《天の国》に入るために次のことが大切だと教えられました。①《狭い門》から入ること(13、14節)。②《偽預言者》、誤った解釈や教えに警戒すること(15~19節)。③《天の父の御心を行う者》、イエス・キリストの《言葉を聞いて行う者》になること(21~27節)。イエス・キリストは今も聖書を通して、わたしたちの人生に確かな土台を据えようと語りかけておられます。

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天の父なる神さま、御子イエスによって、聖書に込められたあなたの御心に耳を傾け、大切なものを選び取り、あなたと共に人生を作る幸いを得させてください。わたしたちの心と歩みを土台から支え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/03/2023

この日も主と共に【808】山上の説教(6)

『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』・・・あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイによる福音書6章31~33節)

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イエス・キリストは、神とわたしたちの関係をゆがめてしまうものとして「人からの報い(賞賛)」について注意されました(1~18節)。それに続けて「地上の富」と「思い悩み」についても注意を促されました(19~34節)。将来についてよく考え、取り組むことは大切です。ただし、その行き着く先が自分だけの世界に閉じないように、イエス・キリストは《神の国と神の義》を求めよと言われます。

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天の父なる神さま、あなたは《神の国》を与え、わたしたちを一人きりにせず、共に生きてくださいます。今日必要な糧と力を与え、平安のうちに進ませてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/02/2023

この日も主と共に【807】山上の説教(5)

見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。・・・施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。(マタイによる福音書6章1、3節)

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当時のユダヤ人が大切にしていた宗教的な善行(ぜんこう)が三つありました。①人に対する務め、「施し」(1~4節)。②神に対する務め、「祈り」(5~15節)。③自分自身に対する務め、「断食(だんじき)」(16~18節)。イエス・キリストは、それらの善行(ぜんこう)を人から称賛を得るための手段にしないようにと教えられました。そして、《隠れたことを見ておられる父が報いてくださる》道を選ぶように呼びかけられました(4、6、19節)。

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天の父なる神さま、あなたにとっても、周囲の人々にとっても、自分自身にとっても喜びとなるような歩みができるように助けてください。あなたのまなざしを覚えて、思いと言葉と行いを生み出すものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/01/2023

この日も主と共に【806】山上の説教(4)

あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたし〔イエス〕は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。(マタイによる福音書5章43~45節)

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イエス・キリストは、律法(神の教え)の中から六つの主題(殺人、姦淫、離縁、誓約、復讐、隣人愛)を取り上げ、当時の宗教家たちの解釈とは対照的な仕方でそれぞれの背景にある神の真意を説(と)かれました(21~48節)。《しかしわたしは言っておく》とくりかえし語られたイエス・キリストは、わたしたちが《天の父の子》となり、神の世界に生きるようにと強く願っておられます(45節)。

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天の父なる神さま、聖書の言葉に耳を傾け、御子イエスと聖霊の助けによってあなたの御心に近づき、天の国に至る人生を歩めるように導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン