8/31/2022

この日も主と共に【652】公同書簡より(4)

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。 (ペトロの手紙一5章7節) 

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神さまは、わたしたちのことを心にかけていてくださる。それだから思い煩いを神さまに委ねてよいと、ペトロは語ります。励まされる言葉です。注目したいのは、ペトロがとくに《若い人たち》を心に留めて語っていることです(5~7節)。また、この言葉に先立って、おそらく年長者である《長老たち》に対し、教会の仲間を《神の羊の群れ》として献身的に世話をするようにとも勧めています(1~3節)。神さまの思いやりと支えを知って生きることができる集まりとして、教会・小隊は存在しています。今も神さまはわたしたちを《神の羊の群れ》に呼んでおられます。 

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天の父なる神様、思い煩いをあなたにお任せします。あなたの慰めと力によって、心と体を支えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/30/2022

この日も主と共に【651】公同書簡より(3)

〔キリストは〕・・・十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。(ペトロの手紙一2章21、24節) 

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ペトロはイエスさまの弟子の筆頭格でしたが、以前にはイエスさまがご自分の死と復活を予告されたときに、その真意を理解できず、叱られたこともありました(参照マルコ8章31~33節)。しかしその後、ペトロはイエスさまが十字架にかかられた意味、すなわち、わたしたちの罪を赦し、救うために、罪の裁きを代わりに受けてくださったことを悟りました。イエス・キリストの十字架は、わたしたちの救いのしるし、新しく生きる出発点です。 

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主イエスよ、あなたの十字架の救いを感謝します。《魂の牧者》としてわたしたちを守り、神の恵みと光の中を歩み続けられるように導いてください。アーメン(参照25節)

8/29/2022

この日も主と共に【650】公同書簡より(2)

わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。・・・行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。(ヤコブの手紙2章14、17節) 

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ヤコブは『善い行いをしなければ救われない』と言ってはいません。わたしたちは、ただイエス・キリストを信じることによって救われます。ヤコブが伝えたいことは、まことに信じる人には神さまの愛が働きかけ、行いの実を結ばせてくださるということです。イエスさまご自身、言葉と共に行いをもって神の愛を現わしてくださいました。わたしたち救世軍がかかげる『心は神に、手は人に』という標語も、同じ思いを表しています(参照15、16節)。 

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主イエスよ、いろいろな自分を使い分け、あるべき自分を失う誘惑や危険からわたしたちをお守りください。言葉も行いもあなたの愛に一筋につながり、神様との間にも人の間にも実を結ぶものとならせてください。アーメン

8/28/2022

この日も主と共に【649】公同書簡より(1)

心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。御言葉を行う人になりなさい。(ヤコブの手紙1章21、22節) 

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『ヤコブの手紙』、『ペトロの手紙』、『ヨハネの手紙』は、特定の教会ではなく各地の教会を励ますために書かれた手紙であり、『公同書簡』と呼ばれます。ヤコブはイエス・キリストの兄弟であり、エルサレムの教会を導く一人となりました(参照ガラテヤ1章19節、2章9節)。ヤコブは仲間の信仰を励まし、神の御言葉を①《真理の言葉》として心に受け入れ(18節)、②実際に行うようにと勧めます。食物を体に取り入れ、体を動かすことが健康につながるように、神の御言葉(聖書)によって、心と実際の生活がともに健やかにされる幸いな道がわたしたちにも開かれています。 

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天の父なる神さま、あなたの御言葉を受け入れ、信頼し、従い、あなたの恵みの世界に進み入らせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/27/2022

この日も主と共に【648】ヘブライ人への手紙より(7)

わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。(ヘブライ人への手紙12章1、2節) 

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『ヘブライ人への手紙』は信仰の生涯を《競走》にたとえ、①先に競争を走り抜いた《証人》がいることを心に留め、②重荷や罪を捨てて、走る姿勢を保ち、③イエス・キリストを目ざして、④《忍耐強く走り抜こう》と勧めています。実際には《重荷や罪をかなぐり捨て》ることは簡単ではありません。しかし、《信仰の創始者であり完成者である》イエス・キリストがわたしたちを救い、道を全うさせてくださいます(参照10章14節)。 

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主イエスよ、あなたはわたしたちを救い、人生を天に続く道として尊いものにしてくださいました。あなたを見つめ、走り続けられるように守り、導いてください。アーメン

8/26/2022

この日も主と共に【647】ヘブライ人への手紙より(6)

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。(ヘブライ人への手紙11章1節) 

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聖書が述べる《信仰》は、たとえば信念や信心と言われるような、人間の心や精神の強さとは別のものです。《信仰》は、神様を信頼することです。神様は、肉体の目で見ることはできませんが、生きておられます。神様は、肉体の耳では聞くことはできませんが、聖書の言葉を通してご自分の御心や約束を明らかにし、語りかけてくださいます。神様を信頼する人は、さまざまな状況のなかでも、神様のたしかな御業と約束が共にあることを知ることができます。 

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天の父なる神さま、あなたを信頼し、聖書を通してあなたの語りかけを聞くものとならせてください。自分の目では見通すことのできない状況を歩む時にも、そこにもあなたの約束と御業が共にあることを思い起こし、平安と力を新しく得させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/25/2022

この日も主と共に【646】ヘブライ人への手紙より(5)

・・・信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。互いに愛と善行に励むように心がけ・・・励まし合いましょう。(ヘブライ人への手紙10章22~24節) 

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イエス・キリストは《神の家を支配する偉大な祭司》として、神とわたしたちをとりなしてくださいます(21節)。それですから、イエス・キリストを信じる人はいつでも、どこでも神に近くあることができます。教会・小隊は、目に見える部分では人の集まりですが、イエス・キリストを中心とし、聖書から神の約束を受け取り、互いに励まし合う集まりです。イエス・キリストを信頼し、信仰と希望と愛につながる歩みを共に進んでいきましょう。 

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主イエスよ、あなたはわたしたちを一人きりにしておかれず、《神の家》に招き入れてくださいます。神の家族として、わたしたちの歩みを守り、支えてください。アーメン

8月28日(日)聖別会(日曜礼拝)のお知らせ

 聖別会(日曜礼拝)

8月28日(日)午前11時より

ペトロの手紙一 2章1~10節

「闇の中から光の中へ」


※ 約1時間のプログラムです

※ 開始に先立って10時45分より賛美と祈りの時を持っています

※ 出席に際しては新型コロナ感染予防のため検温・消毒等のご協力をお願いいたします

※ 聖書は『聖書新共同訳』(日本聖書協会)、賛美は『救世軍歌集』を使用しています。備え付けがありますので、お持ちでない場合もそのままお出かけください。


8/24/2022

この日も主と共に【645】ヘブライ人への手紙より(4)

キリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。 (ヘブライ人への手紙10章12、13節) 

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イエス・キリストは十字架で死なれ、復活されました。そして、天に昇られ、《神の右の座》に着いておられると聖書は述べています(12節、参照 1章3節)。そのように描かれるのは、イエス・キリストが成し遂げられたことは、地上のどのような権威や力をもっても取り消したり、無効にすることはできないということを表しています。わたしたちの救いは動かされることがなく、神の国に入ることができるという約束も変わることがありません。 

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主イエスよ、あなたは今も天の王座に着いておられ、わたしたちを固く守ってくださいます。地上においてさまざまな出来事を通り抜けるときにも、あなたの変わることのない救いと守りによって支えてください。アーメン

8/23/2022

この日も主と共に【644】ヘブライ人への手紙より(3)

イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられる・・・この方は常に生きていて、人々のために執(と)り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。 (ヘブライ人への手紙7章24、25節) 

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《祭司》は、神殿において祈りと供え物を神に捧げ、神と人とを仲介する務めを担いました。ただし祭司も人間ですから自分の罪の赦しが必要であり、また、供え物をたえず捧げる必要がありました。しかし今は、神の御子イエスがわたしたちのための《偉大な大祭司》となっておられます(4章14節、7章28節)。十字架で死なれ、復活されたイエス・キリストは、わたしたちの罪を赦す完全な犠牲となられ、また、永遠に神にとりなしてくださいます。 

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主イエスよ、あなたの永遠のとりなしによって、今この時も神の愛と恵みにつながれていることを心に留め、心を安らかにして歩むものとならせてください。アーメン

8/22/2022

この日も主と共に【643】ヘブライ人への手紙より(2)

子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。(ヘブライ人への手紙2章14、15節) 

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『ヘブライ人への手紙』2章は、神の御子であるイエス・キリストが人となられたと語ります。わたしたちと同じ《血と肉》を備えられ、《数々の苦しみ》や《試練》を受けて苦しまれました(9、18節)。そして、《民の罪を償うために》、《すべての人のために死》なれ、《死をつかさどる者》を滅ぼされました(9、14、17節)。イエス・キリストは、わたしたちの《救いの創始者》となってくださいました(10節)。 

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主イエスよ、あなたは人となってわたしたちと同じものとなってくださり、一人一人を深く顧みてくださいます。あなたの憐れみ、助け、死と恐れから解放する力のうちに、わたしたちを受け入れ、導いてください。アーメン

8/21/2022

この日も主と共に【642】ヘブライ人への手紙より(1)

神は・・・この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。(ヘブライ人への手紙1章2節) 

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『ヘブライ人への手紙』は、外部においては迫害や反対に遭い、内部においては異なる教えによって混乱や対立に揺れる教会を励ますために書かれています。冒頭の1章ではイエス・キリストが神の御子であり、さらに、①神の言葉をこの世に伝えるお方(2節)、②世界を創造し、被造物の頂点に立つお方(2、3節)、③神ご自身をこの世に示すお方(3節)、④罪から清めるお方(3節)、⑤礼拝されるべきお方(4~6節)であると語っています。わたしたちが信じるイエス・キリストがどのようなお方であるかをくりかえしたずねることが、信仰の歩みを進める上で大切です。 

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天の父なる神さま、あなたは御子イエスを通して今もわたしたちに語りかけ、救いの道へと導いてくださいます。御子を見上げ、人生を進むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/20/2022

この日も主と共に【641】牧会の手紙より(7)

御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。・・・忍耐強く、十分に教えるのです。・・・あなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。 (テモテへの手紙二4章2、3、5節) 

*** 

忍耐強く福音を伝え続けるようにと、パウロはテモテを励まします。晩年のパウロは、孤独できびしい状況を経験しました。信仰を捨て、パウロから離れた人たちがいました(10、16節)。冬を迎えるための《外套》や《書物》など、具体的な生活の必要を抱えました(9、13、21節)。しかし、それでも《そばにいて、力づけて》くださる主がおられました(17節)。パウロの言葉は、イエス・キリストの忍耐と励ましと共に進み続けよという呼びかけでもあります。 

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天の父なる神さま、《折が良くても悪くても》福音を伝える主の仲間に加わり、福音と共に歩ませてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/19/2022

8月21日(日)聖別会(日曜礼拝)のお知らせ

 聖別会(日曜礼拝)

8月21日(日)午前11時より

ペトロの手紙一 1章25節~2章3節

「神の恵み深さを知る」


※ 約1時間のプログラムです

※ 開始に先立って10時45分より賛美と祈りの時を持っています

※ 出席に際しては新型コロナ感染予防のため検温・消毒等のご協力をお願いいたします

※ 聖書は『聖書新共同訳』(日本聖書協会)、賛美は『救世軍歌集』を使用しています。備え付けがありますので、お持ちでない場合もそのままお出かけください。


この日も主と共に【640】牧会の手紙より(6)

終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。・・・悪人や詐欺師は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなっていきます。だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。 (テモテへの手紙二3章1、13、14節) 

*** 

パウロはイエス・キリストの救いを語る一方で、《困難な時期》がやって来ることを感じ取っていました。人々が神に愛され、神を愛することよりも、《自分自身》や《金銭》や《快楽》を愛することに心をうばわれてしまうような、愛がゆがむ時代を察知していました(2、4節)。そのような時代の流れや圧力の中でもわたしたちを支えるのは《聖書》の言葉である、とパウロはテモテに語りました(15~17節)。 

*** 

天の父なる神さま、聖書を通して《救いに導く知恵》を教えてください(17節)。さまざまな価値観や考えの中で、善いものを選び取ることができるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/18/2022

この日も主と共に【639】牧会の手紙より(5)

実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは・・・わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。 (テトスへの手紙2章11、13節) 

*** 

イエス・キリストは約二千年前に、《すべての人に救いをもたらす神の恵み》として、この世界にご自身を現してくださいました。そして将来、神が定められた時に、《わたしたちの救い主》として《栄光》に満ちた姿をふたたび現してくださいます。イエス・キリストを信じる者は今すでに救われますが、その救いの豊かさがすべて明らかになる時がこの先に用意されています。わたしたちの信仰の歩みは希望につながっています。 

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天の父なる神さま、御子イエスを仰ぎ、《神の恵み》を受けつつ《祝福に満ちた希望》に向かう人生の見取り図と共に歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

この日も主と共に【638】牧会の手紙より(4)

監督は神から任命された管理者であるので・・・客を親切にもてなし、善を愛し、分別があり、正しく、清く、自分を制し、教えに適う信頼すべき言葉をしっかり守る人でなければなりません。(テトスへの手紙1章7~9節) 

*** 

パウロはテトスに、クレタ島の各所に生まれた教会の指導と整備を託しました。そして教会の働きを管理する《監督》を選ぶにあたり、細やかに要件を挙げました。それは、ただ立派で評判の良い人を選ぶという意味ではなく、《健全な教えに従って》人々を励ますことのできる人を選ぶという意味がありました(10節)。今も、教会・小隊の働きにおいて必要とされるのは、聖書の言葉を土台として考え、判断し、行動する人たちです。 

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天の父なる神さま、あなたの御言葉を教えてください。あなたの御言葉の恵みと力によって、わたしたちの人生を、またわたしたちの教会・小隊を建て上げてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/16/2022

この日も主と共に【637】牧会の手紙より(3)

しかし、神の人よ、あなたは・・・正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され・・・たのです。 (テモテへの手紙一6章11、12節) 

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《正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和》がどのようなものであるかを、言葉と行動で教えてくださったのはイエス・キリストです。わたしたちの先に立って《信仰の戦い》に向かい、ご自分の死と復活によって《永遠の命》を与えてくださったのもイエス・キリストです。パウロが勧めるのは、イエス・キリストの教えに留まり、このお方を目ざして歩み続けなさいということです。そのような《神の人》の歩みに続くように、わたしたちも呼ばれています。 

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主イエスよ、あなたは変わることのない救いの主です。あなたを見上げ、あなたの御言葉を土台として歩み続けることができるように守り、導いてください。アーメン

8/15/2022

この日も主と共に【636】牧会の手紙より(2)

あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。 (テモテへの手紙一4章12節) 

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テモテはたびたび病気にかかり(5章23節)、気持ちがくじけてしまうこともあったようです(テモテ二1章6~8節)。また、その姿は教会の仲間には頼りなく映ったようです。そのようなテモテに対して、パウロは《模範》になりなさいと励まします。立派な自分を示せという意味ではありません。聖書そのものから力を受け、自分の意志や人の評価ではなく、教会に祈って送り出された原点に基づいて務めにあたるようにという意味です。わたしたちの信仰者としての《進歩》、成長も、同じ道のりにあります(15節)。 

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天の父なる神さま、あなたの御言葉の力、また祈りの力によって、わたしたちを力づけ、成長させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/14/2022

この日も主と共に【635】牧会の手紙より(1)

神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。(テモテへの手紙一2章4、5節) 

*** 

テモテとテトスは、パウロに協力した若い伝道者たちです(参照 使徒16章1節、ガラテヤ2章1節)。パウロが彼らのために書いた手紙は『牧会書簡』と呼ばれます。パウロはテモテに《すべての人々》を救うことが神の御心であり、そのために御子イエスが救い主となってくださったので、《すべての人々》のために祈り、福音を伝えるようにと勧めます(1、2、5、7節)。パウロが大切に伝えたいのは、一つの教会をうまく切り盛りする秘訣ではなく、世界に福音を宣べ伝える働きのなかで自分の分を担うという使命です。 

*** 

天の父なる神さま、すべての人々を愛し、救われる、あなたの大きな御心と御業のもとに歩ませてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/13/2022

この日も主と共に【634】獄中からの手紙より(7)

上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。・・・古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。 (コロサイの信徒への手紙3章2、10節) 

*** 

人は生きる上で、「何者であるか」という面(存在)と「何をするか」という面(行為)を持っています。これらが結び合い、調和するのは、パウロの言葉でいえば《キリストと共に》生きるときです(2章12、13、20節、3章1、3、4節)。わたしたちは、イエス・キリストの死と復活によって《新しい人》としていただきました。そして、地上から神の御国へと、《上にあるもの》に照準を合わせて生きる道を教えられ、歩み始めています(1、2節)。 

*** 

主イエスよ、あなたの愛と清さをもって、わたしたちを覆ってください。わたしたちを新しい人として作り、あなたの恵みを映し出すものとしてください。アーメン

8/12/2022

この日も主と共に【633】獄中からの手紙より(6)

御子〔イエス・キリスト〕は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。 ・・・ 万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。(コロサイの信徒への手紙1章15~17節) 

*** 

コロサイの町はローマの交通の要所の一つで、いろいろな宗教・哲学・文化が交流する地であったと言われます。そのため、コロサイの教会には本来の福音とは異なる教えや思想が入り込みました。そこでパウロは、イエス・キリストこそがすべてのものの救い主であり、また、《その体である教会の頭》であると語ります(18節)。御子イエスは、わたしたちの内も外も守り、支えてくださいます。 

*** 

主イエスよ、さまざまな出来事がわたしたちの心や体の動揺を誘うときにも、あなたに支えられ、今も確かに神の愛のうちにあることを思い起こさせてください。アーメン

8/11/2022

8月14日(日)聖別会(日曜礼拝)のお知らせ

 聖別会(日曜礼拝)

8月14日(日)午前11時より

ペトロの手紙一 1章22~25節

「偽りのない兄弟愛」


※ 約1時間のプログラムです

※ 開始に先立って10時45分より賛美と祈りの時を持っています

※ 出席に際しては新型コロナ感染予防のため検温・消毒等のご協力をお願いいたします

※ 聖書は『聖書新共同訳』(日本聖書協会)、賛美は『救世軍歌集』を使用しています。備え付けがありますので、お持ちでない場合もそのままお出かけください。


この日も主と共に【632】獄中からの手紙より(5)

妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。・・・夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。 (エフェソの信徒への手紙5章22、25節) 

*** 

妻は夫に《仕え》なさい、夫は妻を《愛し》なさい、というと男性が優位のように聞こえるかもしれません。しかし、パウロが大切に願うのは、夫も妻も《キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい》ということです(21節)。イエス・キリストはご自身を捧げて、わたしたちを愛し、わたしたちに仕えてくださいました。イエス・キリストが与えてくださる赦しと救いの中で、わたしたちの愛や思いやりは支えられ、励まされ、育てられていきます。 

*** 

主イエスよ、わたしたちの愛や思いやりは、たとえその時々には心からのものであるとしても、一人だけではかぎりがあります。夫婦、家族、その他の人たちとの関わりを、あなたの愛によって覆い、お守りください。アーメン

8/10/2022

この日も主と共に【631】獄中からの手紙より(4)

キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 (エフェソの信徒への手紙2章15、16節) 

*** 

エフェソの教会には、異邦人(非ユダヤ人)のキリスト者が集っていました。彼らは、①キリストを信じていない自国の人々との関係、②キリストを信じるユダヤ人たちとの関係の両方において、信仰や生活にまつわる摩擦や困難を経験していました。パウロは彼らのために祈りながら、すべての人を救うイエス・キリストの十字架こそが和解・平和・一致の根拠であり、希望であると励ましています。 

*** 

天の父なる神さま、わたしたちの心や暮らしには、お互いを遠ざけるさまざまな壁(かべ)があります。御子イエスの十字架によって壁を取り除き、あなたの愛と公正のまなざしのもとで共に生きる道へと導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/09/2022

この日も主と共に【630】獄中からの手紙より(3)

・・・御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え・・・心の目を開いてくださるように。・・・わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。(エフェソの信徒への手紙1章17~19節) 

*** 

エフェソの町にはアルテミスという女神をまつる神殿があり、神殿にちなんだ商売が盛んでした。生活と経済と宗教が結びついており、パウロがこの町で伝道した時には、『そんなことをされては商売上がったり』と暴動が起きたほどでした(参照 使徒19章)。しかしパウロは、真の力は天の父なる神・御子キリスト・聖霊にこそあると語ります。主を信じる時、《絶大な働きをなさる神の力》の下にあります。 

*** 

天の父なる神さま、健康、暮らし、人との関わり、世の中の出来事の中でさまざまな力に迫られる時に、わたしたちを顧み、あなたの御力によって守り支えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/08/2022

この日も主と共に【629】獄中からの手紙より(2)

わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。・・・キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。(フィリピの信徒への手紙3章8、9節) 

*** 

キリスト教の信仰は、自分の足りない部分を補い、自分を完璧にするための部品ではありません。わたしたちの命や生き方をまったく新しくする、神さまの恵みです。イエス・キリストを《知り》、《キリストの内にいる者》となり、神から《義》を与えられるときに、それが実現します。小隊・教会は、イエス・キリストを知って生きる集まりです。 

*** 

主イエスよ、あなたは今も聖書と小隊・教会を通して、ご自分を知らせてくださいます。あなたを知り、《わたしにとって、生きるとはキリスト》と語るパウロの喜びと確信にわたしたちも加わらせてください(1章21節)。アーメン

8/07/2022

この日も主と共に【628】獄中書簡より(1)

ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。・・・あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです。 (フィリピの信徒への手紙1章27、30節) 

*** 

パウロは捕らえられ、ローマで晩年を過ごしました。囚われの身となっても彼の信仰と熱意は変わらず、フィリピ、エフェソ、コロサイの教会に手紙を書き送りました。これらは『獄中書簡』と呼ばれています。フィリピの教会に対しては、聖霊によって《しっかり立》ち、《福音の信仰のために共に戦》い、《キリストのために苦しむこと》にも参加するようと勧めています(27、29節)。教会・小隊は、主イエスと苦楽を共にする仲間です。 

*** 

主イエスよ、あなたはわたしたちを愛し、一人一人探し求め、罪より救い、『わたしに従いなさい』と呼びかけてくださいました。あなたの後に続かせてください。アーメン

8/06/2022

この日も主と共に【627】コリントの信徒への手紙より(7)

アジア州の諸教会があなたがたによろしくと言っています。アキラとプリスカが、その家に集まる教会の人々と共に、主においてあなたがたにくれぐれもよろしくとのことです。 すべての兄弟があなたがたによろしくと言っています。 (コリントの信徒への手紙一16章19、20節) 

*** 

パウロは、コリントの教会に他の教会からの挨拶を送ります。アキラとプリスカは夫婦で、二人に言及されているのは彼らが迫害のために一時期コリントで暮らしていたからでしょう(参照 使徒18章2、18、26節)。かずかずの問題にぶつかるコリントの教会の人々に、パウロは、それでも主は、また主にある兄弟姉妹は、あなたがたと共にいると励まします。今も教会・小隊が大切にしている挨拶です。 

*** 

天の父なる神さま、今もわたしたちと共にいてくださる主イエスによって、わたしたちを、教会・小隊を、少しでも関わりを持つ一人一人を顧み、励ましてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/05/2022

この日も主と共に【626】コリントの信徒への手紙より(6)

あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。 (コリントの信徒への手紙二8章9節) 

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パウロはコリントの教会に対して、エルサレムの教会で困難に耐えている《聖なる者たちのための募金》を呼びかけました(コリント一16章1節)。これは、ユダヤ人もギリシア人もイエス・キリストによって一つになるという神の救いを証しする働きでした(参照 ガラテヤ3章28節)。イエス・キリストの十字架には神と人との和解だけでなく、人と人との和解の道を開く神の恵みが示されています。 

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天の父なる神さま、人との関わりに困難を抱える時に、御子イエスのもとに近く引き寄せてください。御子による和解の福音に心を据え、歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/04/2022

この日も主と共に【625】コリントの信徒への手紙より(5)

神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。(コリントの信徒への手紙二5章18節) 

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パウロは、神の救いを《和解》として説きます。①人間は罪のゆえに神と断絶し、敵対しするものになっていました。しかし、②神はわたしたちとの関係を修復し、共に生きることを望まれました。そして、③御子イエス・キリストが十字架の死によって和解に必要な一切をなし遂げてくださいました。それゆえ、④イエス・キリストを宣べ伝えること、また、神の救いを伝えることは、すなわち神との和解を伝えることでもあります。教会・小隊が託されている《福音》は、《和解の言葉》です(19節)。 

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天の父なる神さま、わたしたちの世界は病、争い、不安や不信によって、さまざまな関わりが傷ついています。あなたの和解の言葉を聴き、光明を見出させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8月7日(日)聖別会(日曜礼拝)のお知らせ

 聖別会(日曜礼拝)

8月7日(日)午前11時より

ペトロの手紙一 1章13~21節

「信仰者の旅支度」


※ 約1時間のプログラムです

※ 開始に先立って10時45分より賛美と祈りの時を持っています

※ 出席に際しては新型コロナ感染予防のため検温・消毒等のご協力をお願いいたします

※ 聖書は『聖書新共同訳』(日本聖書協会)、賛美は『救世軍歌集』を使用しています。備え付けがありますので、お持ちでない場合もそのままお出かけください。


8/03/2022

この日も主と共に【624】コリントの信徒への手紙より(4)

「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。
 (コリントの信徒への手紙二4章6節) 

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パウロは自分の務めを次のように表明します(1~4節)。
① 《この世の神》(実際には神ではないもの)によって、多くの人々の心には《覆い》がかかり、《滅びの道》をたどっている。
② しかし、神は《神の似姿(にすがた)》であるイエス・キリストを通して《福音》をもたらし、人々の心を光で照らされる。
③ それゆえ、自分は《主であるイエス・キリスト》を宣べ伝える。
―― この務めに教会・小隊も参加しています。 

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天の父なる神さま、罪の闇がわたしたちの心を覆い、命を滅ぼそうと迫るときに、御子イエスの福音の光を照らしてください。混沌から世界を創造された御手によって、主と共に生きる道へと導き入れてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/02/2022

この日も主と共に【623】コリントの信徒への手紙より(3)

あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。(コリントの信徒への手紙一12章27、28節) 

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コリントの教会はいくつかの勢力に分かれ、争いになることもあったようです(1章10~17節)。パウロは、教会は《キリストの体》であり、一人一人は《その部分》であるので、お互いに違いがあるとしても優劣や対立の理由にしてはならないと語ります。心に留めたいことは、わたしたちを《一つの体》とするのは、人間の団結心ではなく、《神の霊》、《一つの霊》、「イエスは主である」という信仰へと導く聖霊であるということです(参照 3、12、13節)。 

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天の父なる神さま、わたしたちがお互いの違いを認め合いながら一つになることのできる歩みを聖霊によって教え、導いてください。多様さと一致の幸いを教会・小隊に現わし、あなたの御心に仕えるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/01/2022

この日も主と共に【622】コリントの信徒への手紙より(2)

食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません。(コリントの信徒への手紙一8章13節) 

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コリントの町では異教の儀式に使われた肉が店に並びました。そのため、『そのようないわくつきの肉を食べてもよいかどうか』が教会で議論になりました。パウロは、『肉を食べること自体は信仰に背くことではないが、それを見聞きした仲間が動揺する可能性があるのならば、その人のために食べない』と語ります。わたしたちもしばしば自分で考え、判断しなければならない場合があります。聖書は、自分の選択によって影響を受ける可能性のある人たちのことも考えるように、わたしたちの心を広げてくれます。 

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天の父なる神さま、自分がしたいこと、なすべきこと、できるとしても時を待つべきことを見分けて、取り組めるように、知恵と力をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン