9/30/2020

この日も主と共に【105】神からの知恵を受ける

わが子よ、あなたの心が知恵を得れば
わたしの心は喜び祝う。・・・
確かに未来はある
あなたの希望が断たれることはない。
わが子よ、聞き従って知恵を得よ。
あなたの心が道をまっすぐに進むようにせよ。
(箴言 23章15,18、19節)

神さま、
あなたはわたしたちの未来を確かにし、生きる希望を与えてくださいます。人生の道のりに不安を覚える時、自分の歩みを妨げようとするものと遭う時に、どうかあなたの教えと知恵によって心と体と生活をお守りください。歩むべき道筋を見つめ、まっすぐに進むものとしてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン

9/29/2020

この日も主と共に【104】愛され、選ばれている者

あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。・・・これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
(コロサイの信徒への手紙 3章12、14節)

神さま、
あなたがわたしたちを愛しておられ、聖なる者となるようにと心も生き方も新しくしてくださることを感謝します。自分の理想や努力、周囲の評価や感化ではなく、あなたご自身の善いものでわたしの内も外も作り上げてください。ときに自分を守ろうとするがゆえに固まってしまう心を解き、あなたの憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容、愛をもって覆ってください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

9/28/2020

この日も主と共に【103】品位のある奉仕者

奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている人でなければなりません。 (テモテへの手紙一 3章8、9節より)

神さま、
あなたは、イエス・キリストを信じる者たちを一つに集めて教会(小隊)とし、それぞれがキリストの体の一部として、愛の御業のために用いてくださいます。わたしたちの人生に貴い役割を与えてくださることを感謝します。御子のうるわしい品位を慕うものとしてください。御子の清さと真理をわたしたちのうちに宿らせ、わたしたちの思いと行いを高めてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

9/26/2020

この日も主と共に【102】神の祝福を受け継ぐ者

・・・祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。
・・・舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。・・・
(ペトロの手紙一 3章9~12節より) 

神さま、
祝福を受け継ぐ者としてわたしたちを受け入れ、わたしたちを見守ってくださることを感謝します。あなたを信じていても、あるいは、あなたを信じるがゆえに、人の罪の闇に触れて痛みを負うときがあります。「敵を愛しなさい」と教え、自ら歩まれた御子イエスの愛によって、わたしたちの心を引き上げ、言葉と行いをお守りください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン
(参照 マタイ5:44)

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ(9月20日のため)

下のビデオ・メッセージは9月20日の日曜日のために発信されたものです。祈りの手引きとして日本語に訳しました。


 

ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。(創世記32章31節) 

顔と顔を合わせる ―― みなさんは、最後に人と顔を合わせて会ったのがいつであったのかを覚えていますか。 

おそらくみなさんは、ある人についてメディアやオンラインによって見聞きすると、『このような人ではないか』という印象を持たれることでしょう。そして、実際に機会が訪れて、その人と面と向かって会うことになったとします。相手は想像したとおりの人でしょうか。あるいは、まったく違った人でしょうか。

〔そのようなことを考えると、〕顔を合わせて会うということには大切な意味があります。 

***** 

ヤコブもまた人生において、そのような〔相手と顔を合わせる重要な出会いを経験する〕瞬間がありました。 

創世記第32章を読むと、彼は〔両親である〕イサクとリベカのもとに帰ろうとしています。故郷を離れてから二十年が経ち、今では妻二人、息子十一人、娘一人となった家族を連れて帰ることになりましたが、彼は〔その途中で〕双子の兄、エサウと会わなければなりませんでした。それはヤコブにとって恐ろしいことでした。〔それというのも〕二十年前、 〔兄と父をだまして長子の権利を手に入れたいきさつがあり、〕ヤコブには、人をだまし、利用 する詐欺師であるという評判が付けられていたからです。 

もし二人が面と向かって会ったならば、兄は何をしようとするでしょうか。ヤコブはどうするでしょうか、ふたたび逃げるのでしょうか。あるいは、自分の過去と向かい合うでしょうか。 

ヤボク川まで近づいたときに、ヤコブは家族を先に行かせ、自分だけが残りました。しかし、一人きりの時間はそう長くありませんでした。〔それというのも〕 ヤコブが気づかないうちに何者かが近づき、彼と格闘したのです。 

二人の格闘は夜明けまで続きました。相手はヤコブの腿(もも)の関節を打ちましたが、ヤコブは降参しませんでした。そして相手に向かって、「祝福してくださるまでは話しません」と言いました。相手は、「お前の名は何というのか」と尋ね、そして、「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と戦って勝ったからだ」と告げました〔創世記32・25~29〕。 

夜が明け、ヤコブはとても驚くべきことが起きたことを理解しました。 

わたしは顔と顔とを合わせて 神を見たのに、なお生きている。 (創世記32・31) 

彼は神と格闘し、顔と顔を合わせ、それでも生かされました。それは、神が自分の身に起こしてくださったことを語り伝えるためだったのです。 

***** 

ヤコブがエサウに近づいた時、それは、彼が〔兄弟に対して罪を犯したという〕自分の過去と向かい合う時でもありました。そのような場面においてさえ、〔ヤボク川の出来事があったように、〕 彼は一人きりではありませんでした。 

わたしたちも、自分の過去と 向かい合わなければならない経験をした人は多いことでしょう。〔しかし、〕そのような時において、わたしたちは自分の過去と 格闘して終わるのではなく、神と格闘することができる〔、そしてついには神から祝福され、新しい出発をすることができる〕のです。 

ある人々は、自分たちの国の 歴史の中で行われてきた不正と向かい合っています。その不正とは、人種差別や植民地の抑圧的な支配であったりします。 

不当に告発されてきた過去と格闘している人々もいます。 

あるいは、自分たちの行いを 深く恥じるような過去と格闘している人々もいます。 

わたしたちは、自分の過去と 格闘するなかにあって、正しい お方である神、また、恵みをお与えになる神と向かい合っているということに気が付くことでしょう。

これら〔例として挙げたような自分たちの抱える〕の現実と格闘する時に、わたしたちは神とも格闘しています。この神こそは、わたしたちを祝福してくださるお方であり、この世界に対する 祝福となるようにとわたしたちを召してくださるのです。 

***** 

ヤコブはついに兄弟エサウと会いました。彼らは抱き締め合い、共に泣きました〔創世記33・4〕。ヤコブはエサウに言いました。 

兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。この わたしを温かく迎えてくださったのですから。(創世記33・10) 

〔人間の〕現在と過去との間に、 〔神からくる〕愛によって和解がもたらされ、両者は結び合わされたのでした。 

***** 

これからの一週間、どうか神に信頼し、銘々が自分の人生の中にある困難にも、国の中にある困難にも、救世軍の中にある困難にも向かい合うことができますように。

困難と向かい合いつつ、同時に、神と向かい合うことができますように。

神は、わたしたちを祝福し、この世界に対する祝福となるようにと招いてくださるお方です。 

新しい一週間に、神の祝福がありますように。アーメン 

(訳 立石真崇)

 ※日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。

9/25/2020

この日も主と共に【101】神の神殿

知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。
(コリントの信徒への手紙 一 6章19、20節) 

神さま、
わたしたちはあなたから遠く離れ、傷つき、ゆがみ、汚れていました。そのわたしたちを、あなたは御子イエスの命の尊い犠牲によって取り戻し、癒し、回復し、清めてくださいました。わたしの心も体もあなたに愛され、救われていることを覚え、大切に用いることができるように、わたしの内に宿ってくださる聖霊によって導いてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

9/24/2020

この日も主と共に【100】健全に語り、行う

あなたは、健全な教えに適うことを語りなさい。・・・
神の言葉が汚されないためです。・・・
あなた自身、良い行いの模範となりなさい。教えるときには、清廉で品位を保ち、非難の余地のない健全な言葉を語りなさい。
(テトスの手紙 2章1、6~8節より) 

神さま、
あなたは、御子イエスの死と復活によって、わたしたちに新しい命を与えてくださいました。そして、ご自身の愛と聖さに与からせて、あなたにふさわしい品位と生き方を形づくってくださいます。わたしたちの思いと言葉と行いが、あなたの愛と聖さを目指すものであるように導いてください。義務や恐れからではなく、あなたを慕い、信頼するからこそ、自分をよりよく生きるものとしてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

9/23/2020

この日も主と共に【99】思いと行いが一貫する

正しい人は自分の無垢に導かれ・・・
無垢な人の慈善は、彼
の道をまっすぐにする。・・・
正しい人は慈善によって自分を救い・・・
神に従う人は苦難に陥っても助け出され(る)。 
(箴言 11章3、5、6、11節) 

神さま、
あなたはわたしたちをつくり、体も心も魂もみな備えるものとしてくださいました。それですから、信じることと実際に生きることは別の話だ、理想と現実は違うのだと、あなたが与えてくださった人生の豊かな可能性を摘んでしまうことがないようにお守りください。成長する望みを保ち、あなたの愛によって体と心と魂が健やかにまとめられ、あなたの善い働きにつながるものとしてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

9/22/2020

この日も主と共に【98】命を大切にする

〔ダビデがサウルに向けた言葉〕
主は、おのおのに、その正しい行いと忠実さに従って報いてくださいます。・・・今日、わたしがあなたの命を大切にしたように、主もわたしの命を大切にされ、あらゆる苦難からわたしを救ってくださいますように。(サムエル記上 26章23、24節)
 

神さま、
サウルが妬みに駆られ、悪意をもって迫るときにも、ダビデは悪意を返さず、あなたの正しさにいっそう信頼して、命を大切にする道を選び取りました。どうぞ、わたしたちを罪と悪と災いから遠ざけてください。苦難に遭うときにも、あなたの贈り物である命を大切にし、あなたの作品としての尊厳を保つことができるように、あなたの正しさと真実によって支えてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

9/21/2020

この日も主と共に【97】神から生まれた者

イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。
そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。
(ヨハネの手紙一 5章1節) 

神さま、
あなたは、イエス・キリストを信じる者を新たに生まれさせ、ご自身の御国に入らせてくださいます(参照 ヨハネ3:3)。自分の背景や業績ではなく、あなたの愛がわたしたちの原点であることを感謝します。あなたの愛の御心によって、思いと言葉を行いとを守り、育ててください。人との関わりや、経験する出来事においても、あなたの愛につながって生きることができるように助けてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

9/19/2020

この日も主と共に【96】見えなくても愛し、信じ、喜ぶ

あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。
(ペトロの手紙一 1章8、9節)
 

神さま、
御子イエス・キリストがこの世に来られ、十字架で死なれ、復活されたことによって、わたしたちは、それまで知らなかったものを知り、見ることのなかったものを見ました。あなたの愛、あなたの御国につながる希望に、わたしたちの命が結び合わされていることを感謝します。目に見えなくても愛し、信じ、喜ぶ歩みを、これからも守り導いてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/18/2020

この日も主と共に【95】神の内にとどまる

イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。・・・神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。(ヨハネの手紙一 4章15、16節) 

神さま、
あなたは、愛する独り子をわたしたちに与え、ご自分の内に留まるようにと、わたしたちを招いてくださいました。そしてまた、わたしたちの内にとどまろうと、ご自分から訪ねてくださいます。わたしたちの内にも外にも、あなたたが共にいてくださることを感謝し、平安を得て歩むことができますように。神の子イエス・キリストを見上げるものとしてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

9/17/2020

この日も主と共に【94】神に覚えられている

・・・わたしがあなたを忘れることは決してない。
見よ、わたしはあなたを
わたしの手のひらに刻みつける。
(イザヤ書 49章15、16節) 

神さま、
あなたが痛みを引き受けるほどにわたしたちを愛し、大切に覚えてくださることを感謝します。御子イエスがわたしたちの救いのために、十字架の上で傷と苦しみを受けてくださったことを感謝します。聖霊が、わたしたちの声にならない思いも知ってくださることを感謝します。いろいろな状況があっても、一人きりではないことを思い起こさせてください。あなたの変わらない愛に力の源と支えを見出させてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

9/16/2020

この日も主と共に【93】神に重んじられている

二羽の雀が一アサリオン(※)で売られているではないか。
だが、その一羽さえ、
あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
・・・だから、恐れるな。
あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。
(マタイによる福音書 10章29、31節)
※アサリオンは、当時の小さいお金の単位 

神さま、
あなたがわたしたちを作られ、一人一人の命を重んじてくださることを感謝します。あなたの愛の眼差しを受けとめて、自分を大切にし、お互いを尊重する歩みを導いてください。世界のなかで人の尊厳が傷つけられ、命が軽んじられる出来事がくりかえし起きるときにも、あなたの愛のもとに立って生きる勇気と力をお与えください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン

9/15/2020

この日も主と共に【92】相続者

キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。
(エフェソの信徒への手紙 1章11、12節)

神さま、
あなたはご自身の計画を持っておられ、すべてを成し遂げる力のあるお方です。それですから、人間が何度もあなたを悲しませても、あなたはわたしたちに御子を与え、赦し、救ってくださいました。あなたの愛と御力を受け入れ、あなたが描いてくださっている将来に向かって歩むものとしてください。あなたのたしかな約束を感謝します。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/14/2020

ルカによる福音書17章22~37節「神の国に備える」

神戸小隊 聖別会
2020年9月13日(日)
ルカによる福音書17章22~37節
「神の国に備える」

Ⅰ 救世軍の感謝祭を覚えて 

今日は、救世軍が毎年秋に実施している『感謝祭』の献納日です。神さまへの感謝を特別なかたちであらわす日です。そして、救世軍の小隊・施設の働きを通して、神さまの愛と救いの御業がこの社会に現わされていくように、神さまの御心が地に行われるようにと祈り、献金を捧げしました。 

どのようなことのゆえに、神さまに感謝するというのでしょうか。

聖書によれば、何よりもまず、神さまがこの世界を作り、わたしたちを作ってくださったからです。神さまは創造の主、命の造り主です。

また、神さまは、この世界とわたしたちを愛して、救われるお方だからです。人間は神さまの愛から離れ、神さまの御心に背き、自分中心に生きて互いに痛みを負わせ合います。この世界も、神さまが創造された良さ、美しさが損なわれ、傷ついています。しかし、神さまはこの世界やわたしたちを見捨てず、なおも愛し、救い、癒し、新しく生かしめてくださいます。

さらに、神さまはこの後、新しい天と新しい地を創造されるからです(参照 イザヤ65:17、黙示録21:1)。そこは、わたしたちにとっては天の住まいであり、本国です(参照 ヨハネ14:2、フィリピ3:20)。わたしたちはこの地上の生涯の後に変えるべきところを与えられています。 

このように、過去・現在・未来にわたる神さまの愛と御業を思い、わたしたちは感謝を新たにするとともに、これからの歩みを確かにしていきたいと願います。 

Ⅱ ロトの妻を思い出しなさい 

『将来、どのようなことが起こるのか。それはいつ、どこか。』今日の聖書の箇所は、わたしたちも関心を抱く問いをめぐって、イエスさまが弟子たちに教えられた言葉です。

今日とくに26~37節の範囲に注目しますが、イエスさまは、将来について「人の子が現れるとき」(26節)、「人の子が現れる日」(30節)と表現されました。これは、イエスさまは十字架で苦しみを受け、死んで復活し、天に昇られ、その後ふたたび、まことの神の御子、救い主としてこの世界に来られることを意味しています。しかもその日、神さまの聖さと正義によってすべてものが、あるべきところに定められるのです。神さまの裁きは破滅ではなく、神さまの御心と御業の完成を意味します。神さまが創造される新しい天と新しい地、また、イエス・キリストを信じて救われた者に与えられる新しい命は、この地上の延長ではなく、まったく新しい始まりです。 

ここで注目したいことは、ご自身がふたたびこの世に来られることを予告されたイエスさまが、将来への備えとして、「ロトの妻のことを思い出しなさい」と、弟子たちに語られたことです(32節)。 

この言葉の背景となる出来事が旧約聖書、創世記第19章に記されています。ロトとその家族が、ソドムという町に住んでいました。この町は周辺のゴモラという町と共に神さまに対して罪を重ねており、神さまはこれらの町を滅ぼすことを決められました(創世記18:20、19:13)。その際、神さまは御使いを遣わしてロトたちを町の外へ避難させ、次のように指示されました。 

命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。・・・山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。(創世記19:17) 

しかし、ロトの妻は逃げる途中で後ろを振り向き、塩の柱になってしまいました(創世記19:26)。ロトの妻にとっては、ソドムの町で築き上げた人生、暮らし、人間関係、住まい、持ち物などが、まさに自分の命そのものだったのでしょう。神さまが逃れの場を備えて、導こうとされる言葉には自分の命を見いだせなかったのです。その時、ロトの妻はふりかえり、命を失いました。 

こうしてみると、「ロトの妻を思い出しなさい」というイエスさまの言葉は、わたしたちにとって、いわば避難勧告・避難指示の言葉であるということができると思います。神さまから断絶し、そこで生きることがすべてだと思うような世界から、命がけで逃れなさいと言われるのです。ただ世捨て人のようになれという意味ではなく、わたしたちに命を与えられた神さまに聞き従い生きる。それが何よりの将来への備えであり、わたしたちの命が保たれる道なのです。

自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。(33節) 

Ⅲ キリストによって、目を上げる 

イエスさまの言葉は、わたしたちを恐れさせるものではなく、わたしたちの命に対する深い愛が込められています。わたしたち一人一人の命を大切にかぞえ、滅びてはならないと願われるからこそ、真剣に語られました。このお方が死に打ち勝ち、今も生きておられる方として、小隊・教会の主となり、わたしたちと共に生きてくださいます。イエスさまという存在こそ、神の言葉そのものです。このお方と共に生きるところに、わたしたちの本当の命があります。 

あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。
(コロサイの信徒への手紙3章1~4節)

この日も主と共に【91】神の子、相続人

あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。

(ガラテヤの信徒への手紙 4章6、7節) 

神さま、
イエス・キリストによって、罪と死の奴隷であった状況から解放してくださったことを感謝します。聖霊をわたしたちのうちに宿らせ、あなたの子供という新しい人生を与えてくださることを感謝します。あなたの祝福を相続する大きな目標をみつめて、自分の目標や努力の焦点を定めることができますように。神の子としての健やかな誇りをもち、力をいただいて歩むものとしてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン

9/13/2020

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ(9月13日のため)

 

これらのことの後で、 神はアブラハムを試された。 (創世記22章1節) 

わたしの趣味の一つはカヤックを漕ぐことです。ロンドンに 住んでいる間に、テムズ川でカヤックを漕ぐことができないものかと、しばしば考えてきました。そしてついに望みをかなえることができました。三時間半をかけて、11マイル〔約18キローメトル〕を漕いで進みました。しかしながら、テムズ川でカヤックを漕げたとしても、波の荒れたイギリス海峡を渡って腕試しをするとになれば話は別です。 自分の能力を試すことは、人生の大切な一部です。しかしながら、《関係》もまた試されることがあることを、わたしたちは知っています。

新しい船が設計されるとき、最終的には水中の試験が必要になります。しかし、水中の試験といっても、波の穏やかな湖で船の試験をすることと、北大西洋の嵐の中で船の試験をすることではまったく話が違います。そしてまた、わたしたちは、試験を受けるのは船だけではないことも知っています。船だけでなく、わたしたちの持っている《関係》も試されることがあるのです。 

そして、どの《関係》についても試されるときに重要となるものは、《信頼》です。『この関わりにおいて、どれくらいまで相手を信じることができるだろうか』ということが試されるのです。これこそが、アブラハムとの関係において、神がご自分のうちに見出された問いかけでした。(※) 

* * * * * 

『創世記』の物語を読むと、 神はご自分を信頼するようにとアブラハムを召されました。アブラハムは妻サラと共に、自分たちの知らない未来へ向かう旅路を進みました。すると、その未来には、約束された息子が与えられるという結末が待っていました。 神の〔指し示される〕未来に向かう旅路にあっても、〔神への〕 信頼がくじけそうになることもありました。しかしついに、老齢になっていた彼ら息子が与えられました。そして、まさに息子 イサクが成長していくというときに、神はアブラハムを試されたのでした。 

神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」 (創世記22章2節) 

神はアブラハムを試しておられましたが、アブラハムはそのことを知りませんでした。〔アブラハムがイサクを連れて山に登ったときに、〕イサクはどこに献げ物があるのかと尋ねましたが、 アブラハムはただ、『きっと神が備えてくださる』と答えました〔創世記22章7、8節〕。そして、アブラハムが息子〔を祭壇に載せて、その体〕に刃物を振りかざしたときに、主の御使いが彼の手を止めました。

その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。 (創世記21章11、12節) 

アブラハムは〔息子の〕代わりに、神が備えてくださった羊を見つけました。彼はその羊を祭壇に置いて神に捧げ、神に対する信頼を証明したのでした。 神に対する信頼を証明することが難しい時があるかもしれません。〔そのような状況の中で〕アブラハムが学んだことを、わたしたちも学んでいます。それは、神がわたしたちをコントロール(統制)しようとされることはないし、あるいはまた、わたしたちを巧みに操作しようともなさらないということです。神は、わたしたちと信頼し合う関係を望んでおれます。 

《信頼》が問われるようなとき、荒れ狂う波の中に置かれるようなときがあります。そのようなときにも、わたしたちは、ジョン・ゴワンズによる次のような賛美の言葉を自分のこととして歌うことができます。

弱さを覚える時、
能力が必要であることが 明らかな時、
わたしは力を使い果たし、
またしても中身が空っぽに なってしまいます。
そうしたときに、 主は備えていてくださいます、
わたしが絶望する日のために 〔備えてくださいます〕。
主の貴い聖霊が、
わたしの祈りを聞いてくださいます。
(ジョン・ゴワンズ、 英語版救世軍歌集316番)
※訳注・日本語の救世軍歌集ではコーラス70番「聖霊 能力をください」の
1節(未掲載)に相当 

* * * * * 

神の聖霊は、神に信頼する強さと能力をわたしたちに与えてくださいます。そしてまた、わたしたちが他の人々にとっての《神の備え》となることもあります。 人が、もはや自分には何もかも尽きたと思うような時に、神はわたしたちを励ましと希望の源としてくださるのです。神はご自身の聖霊を通して、〔わたしたちのために備えてくださっているものを〕与えてくださいます。神はまた、ごくふつうの人々を通して、試みの中にいる人々に力を与えてくださいます。 

* * * * * 

病院において、学校において、事業において、信頼に値する方法をもって、神からの召命を実践している救世軍人が世界中にいます。彼らに心からの感謝を表したいと思います。 

また、同労者である士官、兵士、軍属(職員)、ボランティアが 救世軍を支え、この〔新型ウイルスに対処して過ごしている〕重要な時を迎えている世界を前にして、救世軍が信頼に値するものであることを示してくださっていることにも感謝します。 

新しい一週間を迎えるにあたり、詩編26編の祈りを祈りましょう。 

主よ、わたしを調べ、試み
はらわたと心を  火をもって 試してください。
あなたの慈しみは わたしの目の前にあり
あなたのまことに従って 歩き続けています。 (詩編26編2、3節) 

どうか、神の慈しみを目の前にとらえ、神に対して忠実に歩んでまいりましょう。

アーメン 

 ※小隊における祈りの資料として、 個人で訳出しました。
〔 〕は翻訳上、日本語を補った箇所です。
また、今回は日本語としての読み易さを優先させて、重複している二、三の文章を一か所にまとめました。その箇所に(※)の記号を付けています。

9/12/2020

この日も主と共に【90】生きた石、霊的な家

この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。
(ペトロの手紙一 2章4、5節)

神さま、
御子イエスがご自身を奉げてわたしたちを救い出し、わたしたちを足元から支えてくださることを感謝します。思い悩みや罪の誘惑が迫るときに、あなたの愛にしっかりと立つ丈夫な心と体をお与えください。あなたが与えてくださる出会いと交わりを祝福し、これからも共にあなたに向かって成長するものとならせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/11/2020

この日も主と共に【89】神に作られた驚くべきもの

あなたは、わたしの内臓を造り
母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
わたしはあなたに感謝をささげる。
わたしは恐ろしい力によって
驚くべきものに造り上げられている。
(詩編 139編13、14節)

神さま、
あなたがわたしたに命を与え、また、体も与えてくださいました。わたしの体は、自分でも知り尽くすことができないほどに精密に作られています。あなたの深い愛とはかり知れない知恵を感謝します。あなたに信頼し、また、あなたの御心と共に、心も体を大切に用いることができるようにお守りください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。

9/10/2020

この日も主と共に【88】命の実を結ぶ木

神に従う人は木の葉のように茂る。・・・
神に従う人の結ぶ実は命の木となる。
知恵ある人は多くの魂をとらえる。
(箴言11章28、30節)

神さま、
あなたは、ご自身に従う者たちに知恵を与え、人生に実を結ばせてくださいます。そして、お互いの励ましや力となるようにと、一人一人の人生を用いてくださいます。これまでにも、さまざまな出会を与えられたことを感謝します。これからも、「わたしにつながっていなさい」と招いてくださる主イエスによって(ヨハネ15:4)、生き生きとした実を結び、分かち合うものとしてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/09/2020

バッキンガム参謀総長のメッセージ (9月6日のために)

今回は、バライアン・ペドル大将に代わり、参謀総長であるリンドン・バッキンガム中将によるメッセージが発信されました(Facebook)。

「参謀総長」は、「大将」を補佐する職務で、世界全体の救世軍の第2番目のリーダーとあたります。

祈りの手引きとして、以下に掲載します。

内容は以下の通りです。 

主はアブラムに言われた。 
「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」
(創世記12章1節)


みなさんは、何かを作り上げようとして、結局うまくいかなかったということはありませんか。海辺で砂の城を作っていたところに、波が打ち寄せて壊れてしまった。あるいは、荷物を保管するために建物に倉庫を設置したのに、最初の強い嵐で壊れてしまった。手がけていた事業が望むようなかたちで進まなかったなど。計画が望む方向に進まないときに、失望や落胆を味わうことでしょう。そのようなときに、あきらめてしまいたくなるのも、もっともなことです。

神が、ご自分の〔天地〕創造の計画が急激に悪化していくのをご覧になったときに、どのようなお心であっただろうかと思います。
 
(※)創世記第6章の御言葉を思い起こしてみましょう。

主は…地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。(創世記6章6節)

悲しみは、新しく始めようとすることを妨げようとするものです。ご自分にかたどって創造された被造物〔である人間〕が、責任を負うことを拒み、争いごとにのめり込み、自分の功績を打ち立てようとするありさまをご覧になって、神はご自分が始められたことを廃止しようとは考えられなかったでしょうか。(※)
 
しかしながら、創世記第11章の終わりにくると、読者の前にターニング・ポイント(転換点)が示されるのです。ノアの子孫のなかに登場するアブラム〔後の
アブラハム〕という人物、サライ〔後のサラ〕という女性と結婚した彼こそが、まさにその〔転換点となる〕人でした。ファンファーレもなしに、神は次の一手を打たれました。恵みによって、神は新しい始まりを起こされるのです。
 
創世記第12章の初めにおいて、神はアブラムに語られました。

あなたは生まれ故郷
父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを 大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
あなたを祝福する人を わたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。(創世記12章1~3節)


神は、家族、土地、習慣、言葉といった馴染みのあるものから離れるようにと〔アブラムとサライの〕二人を召し出されました。そうすることによって、新しい
始まりを作られました。神は〔むしろ〕、ご自分の約束された土地、家族、名声を信頼するようにと、彼らを招かれたのです。
 
なぜ神がアブラムとサライを選ばれたのかについては伝えられていません。しかし、物語を読み進むにつれて、わたしたちは、アブラムとサライが称賛に値する資質を多く持っていたことを知ることができます。たとえば、アブラムは、土地を選ぶときに自分の甥にあたるロトを優先させました。また、〔神に対して罪を重ねた〕ソドムとゴモラの町のために、〔神に〕執り成しました。
 
しかし、エジプトにおいては、アブラムは自分自身を守るために、サライを妹だとごまかしたこともありました。二人が神と共に、またお互いに旅路を進むなかで、神の約束を危険にさらしてしまうこともありました。
 
それでも、新約聖書、『ヘブライ人への手紙』の著者は次のように書いています。

信仰によって、アブラハムは・・・行き先も知らずに出発したのです。
(ヘブライ人への手紙11章8節)


アブラムとサライは、自分たちを新しい未来へと召してくださった神を信じることを学びました。神は、計画が破綻したときにも、容易にあきらめることはなさいませんでした。ハレルヤ。恵みによって、神は〔たとえ一つの歩みがうまくいかなかったとしても、〕ご自身の目的の実現のために、別の歩みを取られるのです。神は、わたしたち一人一人をあきらめることはなさいません。むしろ、恵みによって、地上のすべての民を祝福するという、ご自身のすばらしい目的に仕えるものとして、わたしたちを召してくださるのです。
 
新しい始まりが必要だと痛切に感じている方がおられるでしょう。人間関係が壊れる痛みを経験し、未来など考えられないという思いで過ごしている方もおられるでしょう。このパンデミック(新型ウイルスの世界的流行)のあいだ、事業が行き詰まるのを眺めることしかできず、将来どのようになるのかと思っておられる方もおられるでしょう。ふたたび始めようとしている人々、たとえば社会に復帰しようとしている受刑者、新しい人生を希望している難民の人々のために労している方もおられるでしょう。
 
今の時代において、神が新しく始めてくださると知ることには、どのような意味があるでしょうか。わたしたちをご自分の新しい始まりへと召される神を信頼することには、どのような意味があるでしょうか。
 
わたしたちの人生には、これまでもそうであったように、ジョン・ゴワンズ大将によって書かれた次の賛美の言葉が頼りになる時が折々にあることでしょう。

『神はもはや、わたしのための計画など持っておられない』
と思い込まないでください。
『探し求めるべき将来などない』
と思い込まないでください。
あなたのために、神は新しい計画を、聖い計画を立てておられます。
『神は、わたしの悔い改めなど顧みられない』
と考えないでください。
なぜなら、〔人生において〕果たさねばならない一つ一つのことについて、
神の恵みを願い求める者たちに、
神は〔求めに応えて恵みを〕与えてくださるからです。
神は愛のうちに、あなたのための計画を立てておられます。
神は今もなお、あなたをとても大切にしておられるからです。
(ジョン・ゴワンズ、英語版救世軍歌集490番)
〔訳注・日本の救世軍歌集では15番「神の心の奥底に」、2節に相当〕

神の祝福がみなさんにありますように。
 
(訳 立石真崇)
 
※小隊における祈りの資料として、個人で訳出しました。〔 〕は翻訳上、日本語を補った箇所です。また、今回は日本語としての読み易さを優先させて、原文と聖書の引用の位置を変え、その箇所を(※)の記号で挟んでいます。

この日も主と共に【87】神のかたち


神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
(創世記 1章27節)


神さま、 あなたは、ご自分にかたどってわたしたちを創造してくださいました。 わたしたちの命に価値と尊厳を与え、共に生きるように祝福してくださることを感謝します。 世界では今も、命が軽んじられ、傷つけられる出来事がくりかえされています。 人となって世に来られた、神の御子イエス・キリストの救いによって、 人としてのまことの姿を回復し、命の尊さを帯びて生きるものとしてください。 イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/08/2020

この日も主と共に【86】神に作られたもの

あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
まだその一日も造られないうちから。 

(詩編139編15、16節)

神さま、
わたしたちは生まれた時や場所を自分で選ぶことはできません。
しかし、わたしたちはみな存在することを望まれ、命も体もつくられ、かけがえのないものとして覚えられています。
あなたの大きな愛を感謝します。
自分の負っているものや成し遂げたものよりも確かなもの、あなたの愛の眼差しに自分の原点を置いて生きるものとしてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/07/2020

ルカによる福音書17章22~37節「神の国の現れる日」

【説教要旨】
神戸小隊 聖別会
2020年9月6日(日)
ルカによる福音書17章22~37節
「神の国の現れる日」 

Ⅰ 「今」と「これから」を見つめる生き方

9月最初の日曜日を迎えました。先週は防災の日(9月1日)にちなんで、防災を考えるニュースや番組に多く接しました。そのなかで個人的に心に留まったのが、「ローリング・ストック」という言葉でした。それは、災害が起きた時のために食品を買いためておき、定期的に備蓄品を確認して、一部を使い、使った分を買い足していくという取り組みです。これによって、日頃から緊急時の備えを身近に意識して過ごすことができるということでした。

今年は、新型ウイルスが、災害ではないものの同じように、世界的に深刻な影響をもたらしています。また、海外ではバッタが大量に発生し、大群となって植物を食べ尽くして移動する蝗害(こうがい)を起こしています。あるいは、猛暑・水害・大型台風といった極端な気候の変化も見られます。将来に備えながら今を過ごすことが大切であることを、あらためて思います。

しかしまた考えてみると、「今」と「これから」を見つめる生き方を、キリスト教会はすでに知っているということもできます。神の御子イエス・キリストが人となってこの世に来られ、わたしたちの救いを成し遂げてくださいました。そして天に昇られ、やがてふたたび来られると約束されました(再臨)。現在と将来が結び合う生き方を、イエス・キリストはわたしたちに与えてくださいます(参照 ヘブライ13:8)。

Ⅱ イエス・キリストの受難と再臨

イエスさまは、宗教家の集まりのひとつ、ファリサイ派の人々と語られました(20、21節)。彼らは、神さまがこれからどのように御業を現わされるのかに関心を寄せ、「神の国」という言葉を使ってイエスさまに質問をしました。

これは、弟子たちとっても心ひかれる内容であったと思います。当時、イエスさまの評判は広がり、高まっていました。そのままいけば、イエスさまの弟子として栄誉に与かる将来も描けるような状況でした。

そうしたときに、イエスさまは弟子たちに向かい、話を掘り下げて語られました(22~35節)。その際、イエスさまは、旧約聖書で「救い主(メシア)」を象徴する言葉である「人の子」という表現をご自分に使われました(22、24、25、30節、参照 ダニエル7:13)。また、「神の国」に対応するように「人の子の日」、「人の子の現れる日」という言葉を使われました。神さまの救いの御業の中心となるお方として、ご自身を示されたのです。

しかし、そこで掲げられたのは、栄光ではなく、苦しみでした。

人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。(25節)

「必ず・・・(する)ことになっている」という表現は、神さまが定めておられる事がらを指します。イエスさまはすでにご自分の苦しみと死について予告されましたが(9:22、44)、あらためてそれが「神の国」のために、「救い主(メシア)」として引き受けるべきものであることを示されました。

イエスさまに苦しみと死が定められているということは、何を意味するでしょうか。

一つは、イエスさまを拒否するということは、神さまの愛を拒否するということです。それほどまでに人間が神さまと断絶し、神さまに反していることが表れています。しかしまた、イエスさまが苦しみと死を避けることなく受けてくださることによって、神さまがこの世界を見捨てず、人間を救うという、神の強い救いの意思、深い愛も表されました。イエス・キリストの受難と死、さらに三日目の復活は、わたしたちの罪を明らかにし、それだけでなく、そのわたしたちを愛し、救われる神を示しています。わたしたちのために苦しみ、死なれ、復活されたイエス・キリストのもとに、神の国(神の支配)があります。

Ⅲ キリストと共に今も、これからも

イエスさまは、ご自身の苦しみと死の予告と共に、「人の子」が現れる様子を「電がひらめいて、大空の端から端へと輝くよう」であるとも述べておられます(24節)。それは、この世の時や空間に妨げられることなく、神の御子、救い主としてのまことに栄光に輝く姿をもって、イエスさまとふたたびお会いできる将来があるという意味です(参照 9:32)。これがキリスト者、教会が将来について与えられている希望です。

今は、わたしたちはイエスさまを肉眼では見ることができません。しかし、小隊・教会の礼拝において、わたしたちは神の御子、救い主であるイエスさまの輝きを知ることができます。「世の光」として、イエスさまは今すでに、わたしたちの心と人生を照らしてくださるのです(参照 ヨハネ8:12)。イエス・キリストを見上げて、このお方が開いてくださった人生の道をご一緒に歩みを続けてまいりましょう。

・・・すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。(ヘブライ人への手紙12章1~3節)

この日も主と共に【85】キリストにおいて選ばれたもの

わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。(エフェソの信徒への手紙 1章3、4節)


神さま、
あなたは遠い昔からわたしたちを知り、祝福に満たされる器として選んでくださいました。ご自身の愛と聖さでわたしたちを内側から造り上げてくださることを感謝します。わたしの心と言葉と行いが、周囲の評価や自分の満足にまさって、あなたの祝福につながるようにお守りください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/05/2020

この日も主と共に【84】

神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。
世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
だれが世に打ち勝つか。
イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。 

(ヨハネの手紙一 1章4、5節)

 

神さま、

この世は勝利を求め、他の人よりも優位に立とうとします。

しかし、あなたは、御子イエスを信じるものを永遠の愛をもって固く支え、滅びることがないようにしてくださいます。

この日も、イエス・キリストによって神の子として受け入れられていることを覚え、まことの勝利に続く道、あなたの愛によって命を全うする道を導いてください。

イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/04/2020

この日も主と共に【83】

わたし〔イエス〕の命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。・・・わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
ヨハネによる福音書15章14、15節)

***

神さま、
御子イエスがわたしたちを友と呼び、わたしたちを新しい生き方へ招いてくださることを感謝します。ご自身を打ち開いてわたしたちを受け入れてくださった御子を信頼し、わたしたちも心を開いて安らぎを得させてください。御子の語りかけを通して、あなたの御心を悟るものとならせてください。御子の呼びかけに応えて、あなたの愛のなかで成長するものとならせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/03/2020

この日も主と共に【82】

わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。

(エフェソ信徒への手紙2章10節) 

 

神さま、
あなたは御子イエスによってわたしたちを救い、新しい命を与えくださいました。そして、あなたの作品として大切にしてくださいます。どうか、わたしたちの心と行いが、あなたの善い御心と善い御業を映し出すものとなりますように。家族や友にも、あなたの作品としての輝きをお与えください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/02/2020

この日も主と共に【81】

彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。・・・バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。
(使徒言行録11章20、21、23節)
 
***
 
神さま、
あなたは世界の福音(良い知らせ)として主イエスを与え、また、主を信じる新しい人生を共に喜び、励まし合う教会(小隊)を作られました。
どうかわたしたちの祈りと歩みが、自分の枠を越えて、他の人の喜びにつながることができるように導いてください。
あなたの教会(神戸小隊をふくむ地上の一つ一つの教会)とそれぞれに連なる一人一人、各々の家族や友を、これからも主の喜びと励ましに与からせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

9/01/2020

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ 8月29日付

ブライアン・ペドル大将によるインターネットのメッセージ

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〔主は〕地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。

(創世記6章6節)


わたしたちはしばしば、大きな希望と期待を抱いて新しい冒険を始めます。学生は、良い成績を収めたいと希望をもって新学期を始めます。〔スポーツ〕チームは、優勝決定シリーズで試合をしようと希望をもって競技を始めます。親は、子供たちが栄えある人生を歩み、世界に役立つようにと希望をもって、彼らを育て始めます。初めて取り組む人々は希望に満ちています。しかしながら、わたしたちの誰もがよく知っているように、〔希望をもって始めても、〕自分たちが期待していたものとは違った道を歩むことになるかもしれません。

 

神は、ご自身が創造されたものに対してどのような希望を抱かれたのだろうかと思います。創世記第1章は、神による創造を伝えています。第2章では、神かたどって創造された人間に〔参照1・27〕、神は《境界》を設けられました。
 

主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。
善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。」
(2・16、17)

 

《境界》があるということは、《自由》が意味をなすためには必要不可欠です。神は、男と女を支配しようとはされません。男と女は神にかたどって創造されたからです。ただし、神はご自分と男女との間に信頼関係を築くために、《境界》を設けられました。
 

ところが、神に良いものとして創造された〔はずの〕生き物の一つ、蛇が、男と女を、〔神に対する〕信頼と従順の道からそれさせようと企んだのです。蛇は語りかけました。
 

園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。〔3・1〕

決して死ぬことはない。〔3・4〕

《誤った情報》は、人間社会にとって常に脅威となるものです。とりわけ、新型コロナウイルスに直面している今の時代においては、このことがあてはまります。
 

蛇は次のようにも主張します。
 

それを食べると、目が開け、
神のように善悪を知るものと
なることを神はご存じなのだ。〔3・5〕
 

「神は、あなたがたが知らないことを知っている。そのような神を、あなたがたはほんとうに信頼できるのか。」〔蛇の言葉を聞いた〕男と女は、禁じられていた〔木の〕実を食べたのでした。
 

そのときから事態は変わり始めました。男と女は、《責任のなすり合い》を始めました。彼らは、起きてしまった出来事に対して、個人の責任を負うことを拒んだのです。神が被造物に備えられた関係のすべてにわたって、亀裂が生じました。〔一体となったはずの〕男と女は、疎外し合うようになりました。人間と他の被造物は引き離されました。人間と神の間には不信が生まれました。家族、兄弟のなかに対立が生じ、暴力にまで至りました。〔創造された世界に対して抱いておられた〕神の希望は、〔神への信頼を止めた〕人間の現実に突き当たりました。

創世記の冒頭の数章では、神についても学ぶことができます。主なる神は、〔証拠なしに〕決めてかかることはなさいませんでした。そして、「あなたはどこにいるのか」とお尋ねになりました。そして、恵みによって、〔神に背いた男と女の〕恥を覆うための新しい衣を用意されました〔3・20〕。〔人間に〕裁きをくだすことは、神の本意ではなかったかもしれませんが、神はたしかに裁き主として立たれます。しかし、裁きにおいてさえもなお、神は、ご自分にかたどって作られたもの〔である人間〕のために将来を探し求めてくださいました。
 

〔しかし、〕わたしたちは人の営みが砕け散っていくありさまをたどり、ついに創世記が次のように述べる決定的な場面に至ることになります。
 

主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
(創世記6・5、6)
 

重ねて言います。創造者〔である神〕は、わたしたち人間と信頼し合う関係を持とうと希望をもって、この世界を始められたのです。その神が心を痛められた。人間の悪のゆえにです。神の御心は、神にかたどって作られたものたちによって傷つけられたのです。この事実に心を留めましょう。
 

ゴワンズ大将とラーソン大将が作った歌が、わたしたちの理解を助けてくれるでしょう。
 

わたしたちの神は、
遠く離れた、よそよそしい、
感情の無いお方ではない。
わたしたちの孤独や痛みを見落とすお方ではない。
人々の働きを通して、
神はご自分の癒しを与えてくださる。
神に身を献げる人々の手によって、
希望はふたたびもたらされる。
(ジョン・ゴワンズ、英語版 救世軍歌集10番)

〔訳注・日本の救世軍歌集116番
「人に理解してもらえず」2節にあたる〕
 

キリスト教の信仰に関して、もっとも大切な洞察の一つは、神は創造者、救い主でおられますが、人間の行いによって心を動かされるお方でもあるということです。神は、わたしたちとの間に距離を置こうとはなさらないからです。自分の子供たちが誤った道を選んでしまったときに痛みを負う父母のように、神も〔人間のために〕ご自身が痛まれるのです。夢に破れ、心傷つく学生のように、神は夢を失うことがどういうことなのかを理解し、また、感じられます。聖書を通して知る神は、御心を痛めることができる〔ほどに人間と深く関わり、愛そうとされる〕神なのです。
 

しかし、神は御心を痛められてもなお、被造物に心を注ぎ続けられます。人間を愛するために、神はなお危険を冒し続けておられます。イザヤ書に記された御言葉に耳を傾けましょう。


再び地上にノアの洪水を起こすことはないと
あのとき誓い 今またわたしは誓う
再びあなたを怒り、責めることはない、と。
山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみは あなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が 揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。
(イザヤ書54・9、10)

 

創世記の冒頭に描かれる神は、傷つき痛みを負われる神です。この傷を負われる神の姿の極みこそは、ナザレの人、イエスの生涯であり、彼の死と復活でした。神が痛みを覚えるほどに〔わたしたちを〕愛しておられる、どうかその恵みを見出すことができますように。アーメン

 

(訳 立石真崇)

 ※小隊における祈りの資料として、個人で訳出しました。〔 〕は翻訳上、日本語を補った箇所です。

この日も主と共に【80】

偉大な大祭司、神の子イエス・・・

この大祭司は、

わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、

罪を犯されなかったが、

あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。

だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、

時宜にかなった助けをいただくために、

大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。


(ヘブライ人への手紙4章14~16節)


***


神さま、


御子イエスが執り成してくださるので、

わたしたちはどのような状況にあっても、

あなたとの関わりを保たれています。


わたしたちの苦しみや悩みをも御子イエスが知り、

あなたに執り成してくださることを感謝します。


あなたと御子を信頼し、恵みに心を向けます。


どうか必要な助けと力をお与えください。


家族や友も、自分たちに寄り添ってくださる御子を知り、

支えを得ることができますように。


イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。


アーメン