8/31/2020

この日も主と共に【79】

わたしに与えられた恵みによって、
あなたがた一人一人に言います。

自分を過大に評価してはなりません。

むしろ、神が各自に分け与えてくださった
信仰の度合いに応じて
慎み深く評価すべきです。・・・

わたしたちも数は多いが、
キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、
各自は互いに部分なのです。

(ローマの信徒への手紙12章3、5節)

 

***

 

神さま、
 
 あなたにそのままの姿で愛され、
受け入れられていることを感謝します。
 
キリストに結び合わされ、
新しい生き方と新しい役割を
与えられていることを感謝します。
 
あなたの愛によって
自分の今の姿を受けとめ、

あなたにも人々にも

誠実に向かい合うことができるように

助けてください。
 家族や友もあなたに愛され、
等身大の自分で生きる喜びをお与えください。
 
 
イエス・キリストの御名によって
お祈りいたします。
 
アーメン

ルカによる福音書17章20、21節「神の国はあなた方の間にある」

 【説教要旨】
2020年8月30日(日)
ルカによる福音書17章20、21節
「神の国はあなたがたの間にある」
 

Ⅰ 手の働きを確かなものに

自分が生きていることに対して何らかの応答があるとき、あるいは、自分が力を注いだことが実を結ぶとき、喜びを覚えます。その反対に、自分がしたことに関心が向けられず、周囲からの応答に乏しいときには、落胆を味わいます。とくに今、新型ウイルスへの対応を迫られ、さまざまに注意を払うものの、はたしてそれで大丈夫かというと、誰もたしかな答えを得しにくい状況が続いています。世間の漠然とした重苦しさ、息苦しさは、これまであったはずの人生の手応えが見出しにくくなっている表れではないかと思います。
 
それですから、旧約聖書の信仰者がささげた祈りの歌があらためて心に響きます。
 
わたしたちの神、主の喜びが
わたしたちの上にありますように。
わたしたちの手の働きを
わたしたちのために確かなものとし
わたしたちの手の働きを
どうか確かなものにしてください。
(詩編90編17節)

 
神さまは、わたしたちの人生に応答してくださいます。神さまを信じる人とは、「手の働きを確かなものにしてください」と、神さまに祈ることを知っている人です。
 
 
Ⅱ 神の国はいつ来るのか
 
ファリサイ派の人々は、当時の信仰熱心な人々でした。「ファリサイ」という言葉は、「分離」という意味の言葉に由来していると言われます。彼らは、ユダヤを支配していたローマ帝国の風習、ギリシア・ローマ世界の文化や宗教の影響から、自分たちを清く保とうと努力していました。神に正しいと受け入れていただくためです。そのために聖書の掟(律法)をよく研究し、実践しました。そうすればやがて、神はメシア(救い主)を遣わしてくださり、この世の支配者を打ち倒してくださる。そして、神が新しい正義の世界を建ててくださる。その時には、自分たちは神に忠実に従うものとして栄誉に与かることができると信じていました。彼らが待ち望んだ「神の国」は自由、平和、繁栄、救いなど、まさに彼らにとって祝福に満ちた人生の目標、自分たちの理想の世界の目標でした。
 
しかしながら、その「神の国」が彼らには見えてこなかったのです。言い換えれば、神さまを信じて待ち望んでいるのに神さまの御業が見えない、自分たちの人生の応答が見えない、自分たちの救いが、希望が見えないのです。「神の国はいつ来るのか」(20節)と彼らがイエスさまに問うたことを、彼らの不信仰や理解不足だと批評するだけでは終わらないと思います。彼らの姿は、わたしたちが何を望んで、何を見ているのかという問いかけでもあります。
 
 
Ⅲ 神の国はあなたがたの間にある
 
イエスさまは、ファリサイ派の人々の質問に次のようにお答えになりました。
 
神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。(20、21節)

 
「目に見える形」という言葉には、「観察する」という意味があります。この見方には、原因/結果、刺激/反応といった考え方が深くかかわります。『自分がこれをすると、相手(神さま)はこれをしてくださる』、あるいは、『相手(神さま)がこれをしてくださるために、自分はこれをする』といったような考え方です。わたしたちも抱きやすい思いです。しかし、イエスさまは、そのような見方からは神の国(神の恵みの支配)は見えないと告げられました。
 
これに対してイエスさまが促されたのは、まったく新しい、別の視点でした。(「実に」と訳されている言葉は、「見なさい」という意味の言葉。)それは、人間の信仰心や行いとは切り離して、神さまご自身の御心によって成し遂げられているものを見るということでした。『そうすれば、あなたがたもわかるはずだ。神は遠く離れておられない。神の恵みによって新しく生かされている人々がいる。神の国はたしかに存在している。あなたがたの間に!』このイエスさまの言葉を受け入れる所に、イエスさまとの関係が成り立つ所に、神の国は実現します。神さまがまったくご自分の御心として人間を愛し、罪を赦し、死から救い出すために、イエス・キリストを遣わされたからです。イエスさまは神の国を告げ知らせ(4:43, 12:32)、人が顧みない場所にも足を運び、人が目もくれない人々を探して、癒し、救われました。十字架で死と復活を通して、神の変わらぬ愛を打ち立てられました。このイエス・キリストによって、神の国はわたしたちの前に開かれているのです。
 
わたしたちは今、教会(小隊)において、イエスさまの霊である「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」として神の国を知ることができます(ローマ14:17)。そして、イエスさまと共に生きる、それぞれの生活や人生もまた神の国です。神さまがわたしたちの命に応答してくださる世界はすでに始まっており、わたしたちを招いています。
 
… わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。 … あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。(ヨハネの手紙一1章1~4節)

8/29/2020

この日も主と共に【78】

わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。このイエス・キリストに、今も、また永遠に栄光がありますように、アーメン。(ペトロの手紙二 3章18節)

神さま、
あなたは、御子イエスをこの世に遣わし、ご自身の愛と真理をわたしたちに明らかに示してくださいました。あなたがわたしを知っておられるように、わたしもイエス・キリストを知り、そして、あなた知るものとしてください。そして、あなたの御国の栄光を受け継ぐまで、恵みのうちに成長させてください。家族や友もあなたの愛のうちに育み、天の御国につながる歩みを導いてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

8/28/2020

この日も主と共に【77】

そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。 (使徒言行録20章32節)

神さま、
あなたはわたしたちと共に生きてくださいます。そして、恵みを受け継ぐようにと望まれ、御言葉を与えて、わたしたちを造り上げてくださいます。聖書を通して、あなたの愛と力を受け入れることができますように。あなたに向かって、共に新しく成長する喜びをお与えください。家族や友も、人生を築く大切な一部として、今日を有意義に過ごすことができるようにお守りください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

8/27/2020

この日も主と共に【76】

恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない。(ローマの信徒への手紙5章21節、6章1、2節)

神さま、
あなたは、御子イエス・キリストによって、わたしたちを罪の支配から救い出し、永遠に共に生きるものとしてくださいました。あなたの赦しと恵みは、もう何も変わる必要がないという意味ではなく、これからもあなたによって新しく生きるという意味であることを学び、経験するものとならせてください。家族や友も、心と体と生活があなたの恵みのうちにあるように助け、導いてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

8/26/2020

この日も主と共に【75】

悪い言葉を一切口にしてはなりません。
ただ、聞く人に恵みが与えられるように、
その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。
神の聖霊を悲しませてはいけません。
あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。

(エフェソの信徒への手紙4章29、30節) 

8/25/2020

命の言葉『恐れと戦う信仰』詩編56編

神の御言葉を賛美します。主の御言葉を賛美します。
神に依り頼めば恐れはありません。人間がわたしに何をなしえましょう。 (詩編56編11、12節)

 
詩編56編には、多くの対照的なものがみられます。恐れと信仰が対峙しています。敵が「共に集まって身をひそめ」、わざわいを企みますが〔2, 5, 6節〕、詩編の作者は信仰を告白し、祈ります。敵は作者を妨害しますが〔5節〕、神は作者の祈りを聞かれます。敵は作者に対立しますが、神は作者の味方です。敵は自分たちの悪賢い計画に頼りますが、作者は力強い神の約束を信頼します。

詩編の作者は、恐れを覚える状況について、神がそれを突然に、あるいは少しずつでも、取り除いてくださるとは述べません。神が最終的に救い出してくださる時、そして、あざける敵から解放してくださる時は、まだ来ていません。それでも、「…敵は退きます。これによって神がわたしを守られることを知ります」と語ります〔9節〕この詩編は、人の生涯はたえず脅威にさらされ、対立や苦闘や困難のただ中に置かれるものであるということを、わたしたちに思い起こさせます。しかし、良い知らせをもたらします。神はわたしたちの味方でいてくださり、それゆえに、わたしたちも作者と声を合わせて「神に依り頼めば恐れはありません」(5, 12節)と言えるのです。〔神を〕信頼することによって、詩編の作者は恐れるものから、恐れないものへと変わることができました。
 
モーセは、〔この詩編と〕同じような信仰の飛躍(思い切って信じること)をイスラエルの人々に呼びかけました。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。 … 主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(出エジプト14:13, 14)イエスもまた、「恐れることはない。ただ信じなさい」とヤイロに語られました(マルコ5:36)。
 
このような〔信頼して恐れないという〕応答が可能になるのは、この詩編をふまえれば、神がわたしたちを知っておられ、わたしたちも神が自分たちの味方であることを知るからです。神は、わたしたちの涙を数えておられます。また、わずかな値段で売られている雀を忘れず、また、わたしたちの髪の毛の数までも一本残らず数えておられます(ルカ12:6, 7)。〔神を〕信頼することは、人間の勇気のある行いではありません。それはむしろ、『神が与えてくださる人生は、人間の脅かしをはるかに高く超えたところにある』という確信によって、わたしたちにもたらされるのです。
 
パウロは言いました。「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。」(ローマ8:31)神と自分たちを隔てるものは何もないと、パウロは確信していました。このような信頼によってこそ、わたしたちは恐怖に直面することがあっても、ひるむことはないのです。

この日も主と共に【74】

事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。(エフェソの信徒への手紙2章8、9節)

神さま、
あなたは、行いや功績によってわたしたちを区別なさらず、ただ独り子イエス・キリストを信頼して立ち返るものを受け入れ、救い出してくださいます。
あなたの貴い贈り物を感謝します。
おごり高ぶることからも、卑下することからも解放されて、あなたから恵みをいただいた喜びを抱いて歩むものとならせてください。
家族や友も、あなたが大切に覚えておられることを知り、心の支えとすることができるように励ましてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

8/24/2020

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ(8月22日付)

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ

8月22日付、救世軍万国本営の動画チャンネル(vimeo)から発信

 

要旨(個人訳) 

初めに、神は天地を創造された。(創世記1章1節)

今日のお話にあたり、最近の〔ニュースの〕中でもっとも注目すべき、宇宙への旅について触れたいと思います。数週間前、アメリカ合衆国において、『パーサビアランス』(Perseverance 忍耐、根気の意)という宇宙船が打ち上げられました。〔訳注・NASAが開発した火星探査機を搭載した宇宙船〕この宇宙船は火星に向かっています。この計画の目的は、火星でかつて湖があったと考えられる地点に探査機を着陸させることです。その湖があったのは数十億年も前と考えられています。着陸した宇宙船は岩石の標本を〔地球に〕持ち帰り、その他にも実験を行う予定です。この宇宙旅行は科学の歴史の新しい一頁となるものであり、これによってわたしたちは、自分たちが生きているすばらしい宇宙について理解を深めることができるでしょう。

聖書もまた、このすばらしい宇宙について語っています。その物語は、『創世記』の次のような第一声で始まります。

初めに、神は天地を創造された。(創世記1章1節)

聖書が語る物語は、何よりもまず天地を創造された神についての物語です。ここでわたしたちにとっては、科学が語る物語と聖書が語る物語は対立していないということを理解することが大切です。〔科学にも、聖書にも〕それぞれの言葉があり、それぞれの目的があります。科学は、宇宙の始まりについての理解するための筋道を取り扱いますが、聖書はそれを別の視点から追っています。
 
神が初めに天地を創造されたということは、宇宙には〔神が創造された〕目的があり、偶然の産物ではないということです。天地創造によって、神は、ご自身の愛を分かち合う場を被造物のために〔この世界を〕作られたのです。『創世記』は、このすばらしい物語の始まり〔について語るの〕です。
 
注目したいのは、『創世記』が強調している点の一つとして、〔神によって〕作られたこの世界が「良いもの」であると確信しているということです。神は、太陽や月を作られました。植物や動物、人間も。これらは〔神からご覧になって〕良いものなのです。

神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。
(創世記1章31節)

わたしたちが世界をよりよく知り、理解するならば、その分、わたしたちが暮らしている世界がすばらしいものであることがよく分かってきます。
 
世界のさまざまな大陸に生育している緑の豊かさを考えてみてください。北極からサハラ以南の地域の間にみられる、さまざまな樹木を考えてみてください。生命に活力をもたらす、さまざまな河川や湖も。地表を形づくる、さまざまな岩石も。幽玄な蝶の群れや、堂々とした北極熊も。これが〔神の創造された〕良い世界です。それゆえ、わたしたちは次のような賛美と共に、主の御前に進み出るのです。

輝き、美しいものはすべて
大きなものから小さなものまで、
生きているものはすべて
賢く、すばらしいものはすべて
主なる神が創造されたもの
(セシル・アレクサンダー、英語版 救世軍歌集3番)

『創世記』は、六日間で天地が創造されたと語っていますが、六日目について、次のように言われています。
 
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。(創世記1章26、27節)

神がご自身に似せて人間を造られたということにはどのような意味があるのかを理解するためには、聖書を全体にわたって読む必要があるでしょう。さしあたってここでは、神が人間に責任をお与えになったという点に注目しましょう。わたしたちは神が造られたものの管理者として、神に召されています。湖、川、植物、木々、くじら、北極熊、そのような被造物の世話をするようにと、神に呼びかけられています。〔神によって創造されたという〕世界の本来の意味合いからみるならば、人間であるということは〔神から委ねられた〕責任を負うということです。この責任はすべての人にあてはまります。すべての人種や民族、どの性別も、健常なものも、障害のあるものも ―― すべての人が神の似姿(イメージ)のうちに造られています。
 
〔わたしたち人間が〕責任を負うということは、自分たちの人生には〔神から〕求められているものがあることを知っているということです。わたしたちの世界には、わたしたち自身を超えた、偉大な存在が働いています。〔たとえば、〕個人の人権や自由を強調することが重要であると世界の多くの人々が考えているときに、この聖書の冒頭の言葉は〔人間の〕責任の大切さについて教えてくれます。
 
人間は、神が良いものとして創造された被造物のケア(世話、保護)をする責任があります。わたしたちは、このパンデミック〔新型ウイルスの世界的流行〕の時においても、責任を担って生きていくようにと召されています。わたしたちは、福音のために責任を果たすようにと招かれています。その福音とは、わたしたちの世界には〔神の〕目的があるということです。そして、その目的は、ナザレ人、イエスの生涯のうちに、彼の死と復活のうちに明らかに見出すことができます。このような恵み〔の物語〕を、神はわたしたちの人生に対して、強く語っておられるのです。
 
わたしは、この困難な日々の中、責任を果たしているすべての人々に対して感謝を表したいと思います。
 
これからの一週間、みなさんが、それぞれの創造的な力を発揮する方法を見出すことができますように。神が良いものとして創造された被造物をケア(世話、保護)をする方法を見つけることができますように。神は、わたしたちの創造主です。この神のものである世界において、わたしたちは、救世軍としての責任を果たして生きていくことができますように。創造者であり、けっして変わることのない愛をもって愛されるお方である神の似姿(かたち、イメージ)を、共に表していくことができますように。

(訳 立石真崇)

※これは小隊における祈りの資料として、個人的に訳出したものです。文中、いくつかの箇所については日本語を補い、それらについては〔 〕で区別しています。

8/01/2020

礼拝案内

 聖別会
(日曜礼拝)

毎週日曜日 午前11:00~12:15

開会15分前から賛美と祈りの時を過ごします。

聖書は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』を使用しています。

賛美には、救世軍から出版している歌集を使用しています。

備付がありますので、そのままでお出かけいただいても大丈夫です。

救世軍神戸小隊のブログへようこそ

 

わたしたちは、
神戸にあるキリスト教会です。

救世軍(The Salvation Army)は、
イギリスに本部を置き、
世界131ヶ国で活動するキリスト教会です。

神戸小隊(教会)では、
礼拝、祈り、賛美、学びを通して、
お一人一人が豊かな人生を歩まれることを願っています。

ご家族で、お友達と、またはもちろんお一人でも
ぜひお越しください。

神の祝福が豊かにありますように
お祈りいたします。

関連リンク

救世軍万国本営(世界の本部)

・・・救世軍の世界全体の本部は、イギリス、ロンドンにあります。

救世軍日本本営(日本の救世軍)

・・・日本の救世軍の本部は東京にあります。

一般財団法人 日本聖書協会 

・・・救世軍が公に使用している『聖書 新共同訳』の刊行元

Bible Gateway

・・・各国語の聖書翻訳を参照できるウェブサイト


交通アクセス

【住所】

〒650-0015 

兵庫県神戸市中央区多聞通4丁目1-9

 

救世軍の歴史

救世軍(The Salvation Army)は、1865年、イギリスにいて、メソジスト派教会の牧師であったウイリアム・ブースが東ロンドン(当時、社会で苦しむ人々が多く暮らしていた)で伝道し、人々を助けたことから始まりました。

日本には1895年(明治28年)、イギリスから士官(伝道者)の一行が来日し、東京で活動が始められました。日本における救世軍の働きについては、日本人で最初の士官(伝道者)となった山室軍平(やまむろ・ぐんぺい)の働きが大きな土台となっています。戦時中はキリスト教会が合同し、救世軍もその中に含まれましたが、戦後ふたたび救世軍としての活動を再開し、現在に至っています。

神戸における救世軍の働きは1903年(明治36年)に始まり、救世軍が掲げる『心は神に、手は人に』という姿勢で礼拝と奉仕を続けています。

表明

救世軍
ミッション・ステートメント

 

万国的ムーヴメントである救世軍は、

公同のキリスト教会における福音主義を代表する一派である。

そのメッセージは、聖書の基盤に立ち、

その働き(ミニストリー)は、神の愛に動機づけられ、

その使命は、イエス・キリストの福音を宣べ伝え、

主イエス・キリストの御名において、

分け隔てなくすべての人々のニーズに応えることである。



【原文】
The Salvation Army, an international movement, is an evangelical part of the universal Christian church.
Its message is based on the Bible.
Its ministry is motivated by the love of God.
Its mission is to preach the gospel of Jesus Christ and to meet human needs in His name without discrimination.

救世軍の信仰

 救世軍の教理

  1. われらは、旧新約聖書が神の感動によりて与えられたること、また聖書のみが、クリスチャンの信仰及び実行に関する、神の法規たることを信ず。

  2. われらは、無限に完全なる独一の神ありて、万物の創造者、保持者、また統治者にして唯これのみ、宗教的礼拝の真の対象たることを信ず。

  3. われらは、神の中に、父、子、聖霊なる三つの人格ありて、本質においては分かつべからざるもの、権能と栄光とにおいては同等たることを信ず。

  4. われらは、イエス・キリストの人格の中に神性と人性とが結合していて、彼は正しく真に神にして、また正しく真に人たることを信ず。

  5. われらは、われらの最初の父母が、罪なき者として創造されたが、彼らの不従順によりてその純潔と幸福とを失い、堕落の結果、すべての人みな罪人となり、全く邪悪になり、またかかる者として当然神の怒りを受くべき者なることを信ず。

  6. われらは、主イエス・キリストが、その苦難と死とによりて、全世界のために償罪をしたもうたゆえに、何人でも欲する者は救われ得ることを信ず。

  7. われらは、神に対して悔い改めること、われらの主イエス・キリストを信ずること、また聖霊によりて新たに生まれることは、救いに必要なりと信ず。

  8. われらは、われらの主イエス・キリストを信ずることにより、恩恵によりて義とされること、また信ずる者はそのうちに証を有することを信ず。

  9. われらは、救いの状態の持続は、キリストに対する信仰と服従との持続によることを信ず。

  10. われらは、「全く潔く」されることはすべての信者の特権にして、「霊と心と体とを全く守」られて、「われらの主イエス・キリストの来りたもうとき責むべき所なき」に至り得ることを信ず。

  11.  われらは、霊魂の不滅、身体の復活、世の終わりの総審判、正しき者の永遠の幸福、及び悪しき者の永遠の刑罰を信ず。