12/31/2023

クリスマスの祈り【28】

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。(ルカによる福音書2章22節)

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ヨセフとマリアは、神様から与えられた子とはいえ、生まれたイエス様に特別扱いを求めませんでした。

そして、神様が神の民にお与えになった《律法》(今日の旧約聖書の一部)に則って、出産後の手続きを進めていきます。

①命名:誕生から八日目に《イエス》と命名しました(21節)。

②清め:男児の出産から《清めの期間》として定められている四十日間を過ごし、《山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げ》ました(24節、参照レビ記12章1~3節)。

③聖別:《初めて生まれる男子》としてイエス様を《主に献げるため》に、エルサレムに向かいました(22、23節、参照出エジプト13章2、12節)。

ヨセフとマリアにご自身をゆだねる仕方で、幼子であったイエス様は神様のものとして、神様の御心に従う歩みを始められました。そして、わたしたちをも神の子、神の民とする道を開いてくださいました。

クリスマスには“続き”があります。

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主イエスよ、あなたはこの世にお生まれになり、神様の御心に従い抜かれ、十字架で死なれ、復活されました。わたしたちも神のものとなって生きるようにとのあなたの招きを受け入れるものとならせてください。アーメン


12/30/2023

クリスマスの祈り【27】

羊飼いたちは・・・急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。・・・羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(ルカによる福音書2章15~17、20節)

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羊飼いたちは天使の知らせを聞いて、ベツレヘムに向かいました。おそらく家畜を飼っている家を一軒ずつ確かめて、ついに飼い葉桶に寝ているイエス様を探し当てました。

イエス様にお会いした羊飼いたちは、神様の言葉が確かであること、また、その神様の言葉が自分たちにも向けられていることを知りました。そして、《神をあがめ、賛美しながら帰って行》きました。

羊飼いたちはこれを機会にして宗教家になったわけではありません。もう一度、暗い野原へと、羊の世話をする労働へと戻っていきました。これまでと同じ生活が待っているように見えます。しかし、新しいことが始まりました。羊飼いたちは、救い主にお会いした、イエス様にお会いしたという喜びと賛美と共に、これからの人生を生きるものとなりました。

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天の父なる神様、羊飼いたちのように、イエス様と出会う喜びをお与えください。あなたの御言葉の確かさを教えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/29/2023

クリスマスの祈り【26】

すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカによる福音書2章13、14節)

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羊飼いたちの前に、《突然・・・天の大軍が加わり》、神様を賛美しました。イエス様がお生まれになったことを、また、イエス様の誕生によって神様の約束が成就したことを、地上がそれを知る前に、神様ご自身が喜ばれ、天に賛美が生まれました。

その賛美は《いと高きところには栄光、神にあれ》と始まります(クリスマスカロルの歌詞としても親しまれているラテン語で、グロリア・イン・エクセルシス・デオ)。しかし、賛美は天でおさまらず、《地》にも向けられます。《地には平和、御心に適う人にあれ》。

《御心に適う人》とは、たんに善意のある人や善を行う人であるという意味ではなく、心を開いて、神様の善いご意志を受け入れる人のことです。すなわち、心を開いてイエス様を受け入れる人です。その人に、神様からの《平和》が告げられます。そして、羊飼いたちはこの平和を知りました。

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天の父なる神様、
イエス様がこの世にお生まれになったことをあなたご自身が喜ばれました。あなたの愛と喜びにわたしたちの心を向け、あなたが天で生み出された喜びの歌に加わるものとならせてください。あなたの平和の下に立たせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/28/2023

クリスマスの祈り【25】

恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。・・・(ルカによる福音書2章10、11節)

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天使は、羊飼いたちに《大きな喜び》を告げました。それは《救い主がお生まれになった》という知らせでした。当時、ローマ帝国が強大な支配者であり、ローマ皇帝を「救い主」や「主」と呼ぶ人たちがいました。しかし、ローマ帝国の支配の下では、羊飼いたちは取るに足らない存在でした。それに対して天使は、生まれたばかりの《乳飲み子》であるイエス様こそがまことの《主メシア》、救い主であると告げました。さらに、イエス様の誕生が《民全体》に関わるものであり、同時に、《あなたがたのため》、すなわち羊飼いたちのためであると告げました。イエス様が救い主であるという意味は、羊飼いたちも世界の大切な一部としてかぞえられるお方であるということです。そして、わたしたちをも愛し、ご自分につなぎとめようとしてくださいます(参照ヨハネ15章4、9節)。

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天の父なる神様、御子イエス様がわたしたちのものとなってくださったこと、また、わたしたちがイエス様のものとなることの幸いを教え、心に喜びを注ぎ入れてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/27/2023

クリスマスの祈り【24】

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。・・・」(ルカによる福音書2章8~10節)

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イエス様がお生まれになった出来事を最初に知らされたのは、王や貴族ではなく、あるいは宗教家たちでもなく、その地方の《羊飼いたち》でした。

当時、羊は日常生活や宗教の祭儀にかせない動物でしたので、羊飼いは社会に欠かせない働き手でした(今日風に言えばエッセンシャル・ワーカー)。しかし、彼らは他の人々から低く見られていました。人口調査でにぎわうベツレヘムの町の外で、まるで蚊帳の外に置かれたように、《野宿》をしていた様子にはその事情が映し出されています。

しかし、神様は羊飼いたちを見つめておられました。羊飼いたちが《夜通し羊の番をしていた》ように、神様は彼らを見守っておられました(参照詩編121編4節)。そして、《主の天使》を通して、彼らに近づいてくださいました。

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天の父なる神様、あなたはわたしたちの《牧者》です。あなたを信頼する者を、あなたは顧みてくださいます。そのために、御子イエス様が《良い羊飼い》として来てくださったことを感謝します。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照エゼキエル書34章、ヨハネ10章11節)


12/26/2023

クリスマスの祈り【23】

・・・マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカによる福音書2章6、7節)

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生まれたイエス様は《布》にくるまれました。それは赤ん坊の手足をまっすぐに保ちながら、成長を助けるという当時の習慣によるものでした。また、《宿屋には彼らの泊まる場所がなかった》ため、イエス様は《飼い葉桶》に寝かされました。神様の御子であるイエス様は、他の人の世話を必要とする、弱く小さいものとして、そしてまた居場所のないものとしてお生まれになりました。しかし、このようなイエス様のお姿はまた、イエス様がわたしたちやこの世界に対して条件を付けることなく、ご自分のよしとされるところを居場所とされるという表れでもあります。それですから、わたしたちの心も、生活も、小隊・教会も、また、この世界も、そこに今もなお混迷や悲しみや痛みがあるとしても、イエス様はそこに宿られます。そしてわたしたちのまことの居場所として神の国を示し、招かれます。

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天の父なる神様、インマヌエル(神はわたしたちと共にいてくださる)と呼ばれるお方としてイエス様が来てくださったことを感謝します。イエス様を通して、あなたのもとに居場所を得させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

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クリスマスおめでとうございます

クリスマスの期間として、なおしばらく、イエス様のお誕生にまつわる聖書の言葉をご一緒に心に留めていきたいと思います


12/25/2023

クリスマスの祈り【22】

ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。・・・(ルカによる福音書2章6、7節)

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マリアは旅先のベツレヘムに滞在しているうちに、《月が満ちて、初めての子》を産みました。ヨセフもマリアも旅先でお産が始まる可能性があることを承知していたことでしょうが、実際にマリアに出産の兆候があらわれた時には、安全な場所を確保することから難儀しました。初めての子を《飼い葉桶》に寝かせたという記述は、すくなくとも出産の場は屋内ではなく、建物とは別の家畜用の洞窟のような場所であったことを示唆しています。マリアは新しい命のために、自分の身に起こる一切の状況を引き受け、体力、気力、時間などすべてを注ぎました。新しい命を愛し、労するマリアの姿に、イエス様の救い主としての姿が映し出されています。わたしたちが神の子として新しく生まれるために、イエス様は十字架で死なれ、復活されました。ご自分を犠牲にして、ご自分のすべてをもって、わたしたちを愛してくださいました。

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天の父なる神様、あなたはわたしたちを愛して、御子イエス様を与えてくださいました。また、イエス様ご自身もわたしたちを愛して、ご自身をささげてくださいました。イエス様によってあなたの愛を受け入れるものとならせてください。アーメン


12/24/2023

クリスマスの祈り【21】

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。・・・人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。(ルカによる福音書2章1~5節より)

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ローマ皇帝の命令により、ヨセフは出身地ベツレヘムに戻り、登録をすることになりました。その際、身重になっていたマリアをナザレに残さず、一緒に連れて行きました。距離は約150キロ。当時では一週間以上かかる旅であったようです。徒歩で移動したのか、せめてマリアだけは動物に乗って移動できたのか詳細はわかりません。ともかくもマリアにとっては出産間近なときに実家から離れ、不安と隣り合わせる旅であったと思います。そのような旅路を通してもマリアはイエス様とつながっていました。イエス様も、神様のもとからこの世に向かう旅をして来られました。神の御子が人となって生まれるという、前代未聞の旅路を進んで来てくださいました。

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主イエスよ、あなたは「インマヌエル」と呼ばれるお方、わたしたちと共にいてくださるお方です。あなたがわたしを目指して来てくださったことを喜び、心にお迎えします。アーメン


12/23/2023

クリスマスの祈り【20】

ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。(マタイによる福音書1章24、25節)

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主の天使の言葉によって、ヨセフの心は定まりました。ヨセフは、《主の天使が命じたとおり》に、すなわち、神様の御心に描かれていた自分の役割を受け入れて、マリアを妻として迎え入れました。ただし、イエス様が実際に誕生するまでの間は、ヨセフもマリアも純潔を守りました。聖書でははっきりと触れられていませんが、結婚の後、ヨセフは出産が近づくマリアの世話をし、支えたことでしょう。そして、生まれてきた子をイエスと名付けました。『ルカによる福音書』によれば、生まれてくる子をイエスと名付けるようにと、マリアも天使から言われていました(参照ルカ1章31節)。イエス様の出産と命名のために協力すること、そのようにして神様のみわざに参加していくことが、ヨセフとマリアの夫婦としての歩みの出発でした。

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天の父なる神様、あなたはご自分の愛のしるしとしてイエス様を与えてくださいました。そして、イエス様との関わりを通して、わたしたちのうちに愛を呼び覚まし、また、育んでくださいます。あなたの愛につながる生活を教え、導いてください。

イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/22/2023

クリスマスの祈り【19】

このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイによる福音書1章22、23節)

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主の天使がヨセフの夢に現れて、語りかけました。《マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。》(21節)この一文に、マリアから生まれてくる子の、①性別(男の子)、②名前(主は救いという意味のイエス)、③使命(神の民を救う)が示されています。ヨセフはマリアから生まれてくる子について、神様の救いという大きな計画があることを知らされました。さらに、この言葉を記録したマタイ自身も、イエス様の誕生が《主が預言者を通して言われていたこと》の成就であることに気づかされ、聖書の言葉を添えていきます(参照イザヤ書7章14節)。マリアだけでなく、ヨセフだけでなく、福音書の著者であるマタイも、イエス様の誕生が自分自身に関わることであると知ったのでした。

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天の父なる神様、あなたが《インマヌエル》と呼ばれるお方、わたしたちと共におられるお方であることを、イエス様によって知り、あなたと共に歩む者とならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/21/2023

クリスマスの祈り【18】

このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。・・・」(マタイによる福音書1章20節)

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ヨセフは、マリアが身ごもっていることを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心しました(19節)。それがマリアにとっても自分自身にとっても、これから社会で安全に暮らしていくために最善であろうと、彼なりに考え出したことでした。

そのような彼の計画に神様が介入されました。主の天使がヨセフの夢に現れて、神様にご計画があると語りました。

天使は、①《ダビデの子ヨセフ》と呼びかけ、ヨセフ自身も神様の約束のうちにかぞえられていること、②《恐れず》マリアを妻として迎え入れるべきこと、③マリアは聖霊によって子を宿したということ、を告げました。

ヨセフはそれまでにもマリアから彼女の身に起きたことを聞いていたかもしれません(参照ルカ1章26~38節)。しかし、ヨセフはマリアのことではなく、自分自身のこととして、神様の御心に触れました

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天の父なる神様、あなたはわたしたち一人一人をつくられ、御心に留めておられます。御子イエス様を受け入れることにより、あなたの御心と共に歩むるものとならせてくださいイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/20/2023

クリスマスの祈り【17】

夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。(マタイによる福音書1章19節)

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ヨセフとマリアの時代、婚約は結婚と同じようにきびしく大切に守られていました。聖書の掟では不貞が重い罪にかぞえられています(参照申命記22章23、24節)。マリアも、《聖霊によって身ごもっていることが明らかになった》といえども(18節)、人々から疑われ、罪に問われる可能性がありました。そのため、《正しい人》であったヨセフは《ひそかに縁を切ろうと決心》しました。聖書の掟を尊重すると同時に、彼女を危険から守るためでした。彼なりに正しさと愛を成り立たせようとしたのでした。自分も痛みを引き受けつつマリアを助けようとするヨセフの姿もまた、クリスマスの大切な意味を映し出しています。わたしたちを救うために大切な独り子をこの世にお与えになった、神様の愛を。わたしたちを救うために十字架でご自身を犠牲にされた、イエス様の愛を。

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天の父なる神様、あなたは、ヨセフがその時せいいっぱいあらわした正しさと愛をイエス様の誕生の出来事の一部となさいました。わたしたちの心と行いも、一つ一つが小さいものであるとしても、あなたの愛につながるものとしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/19/2023

クリスマスの祈り【16】

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。(マタイによる福音書1章18節)

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マタイは《イエス・キリストの系図》を記すにあたり、「父が子をもうけた」というような表現をとらずに、《マリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった》と記しています(16節)。それは、マリアが聖霊によってイエス様を身ごもったからでした。

二人はおそらく自分たちなりに希望を抱き、夢を描いていたことでしょう。しかし、人生設計の大きな変更を迫られました。心が揺れ動き、痛み、不安にかられたことでしょう。しかし、神様はご自分のご計画のうちに、また、これから実現しようとする出来事のうちに、彼らの新しい将来を備えられました。二人の人生は、自分たちの家庭を築くことに留まらず、イエス様によって神様の家族が築かれるために道を備えるものとなりました。

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天の父なる神様、わたしたちの人生を、生活を、小隊・教会を、あなたの愛の御心が行われる場所にしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/18/2023

クリスマスの祈り【15】

父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。・・・これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」(ルカによる福音書1章67、68、78、79節)

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ザカリアは神様を賛美しました(64節)。のちに「ベネディクトゥス」(神様をほめたたえよ、という意味)と呼ばれるようになる歌は、旧約聖書の言葉を豊かに使いながら、①神様がダビデの子孫から救い主をお立てになり、ご自分の民を抑圧する者の手から解放し、救われること(68~74節)、そして、②ザカリアとエリサベトの間に生まれた子ヨハネはその救い主を人々に知らせる者となること(75~79節)をうたっています。この歌の土台は、神様の救い(69、71、74、77節)と憐れみ(72、78節)です。ザカリアは人生の悲しみ、さびしさ、不安を覚えてていましたが、時間をかけて神様の御言葉を受け入れ、神様から喜びと希望をいただきました。

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天の父なる神様、あなたは今もイエス様によってわたしたちを憐れみ、救われます。わたしたちの心を照らしてください。わたしたちを《平和の道》に導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/17/2023

クリスマスの祈り【14】

(人々は)父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。(ルカによる福音書1章62~64節)

***

『生まれた男の子の名前はヨハネ』とエリサベトが言った時、周囲の人々は首をかしげました。当時は父親の名前にちなんで名前を付ける習慣があったからです。しかし、ザカリアとエリサベトにとって《ヨハネ》は、神様が天使を通して教えてくださった大切な名前でした。そこで、ザカリアも《この子の名はヨハネ》と表明しました。すると、約十ヶ月話すことができなかったザカリアはたちまち話せるようになり、すぐに神様を賛美しました。ヨハネという名前には「主は恵み深い」という意味があります。ザカリアはしばらくの沈黙の日々を通して「主は恵み深い」ことを悟り、心に賛美の言葉を宿しました。

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天の父なる神様、めいめい自分の神を思い描き、期待するような世の中に対して、あなたはまったく別の仕方でご自分の恵み深さを示されます。ザカリアのようにあなたの恵みを見出し、歌声をあげる歩みを与え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照イザヤ55章8、9節)


12/16/2023

クリスマスの祈り【13】

(マリアは言った。)わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。・・・ 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。・・・〔主は〕その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。(ルカによる福音書1章46~47、54~55節)

***

エリサベトから祝福されたマリアは、神様を賛美して歌いました。のちに「マニフィカト」と呼ばれるようになる彼女の賛美は、神様が①わたしの《救い主》でいてくださること(47節)、②《主を畏れる者》を慈しんでくださること(50節)、③神の民(イスラエルはその象徴)を祝福するという約束に誠実でおられること(55節)に対する感謝が込められています。また、歌の言葉遣いは、旧約聖書の言葉遣いに通じています(参照サムエル上2章1~10節)。マリアは自分自身がそれまで聞いてきた聖書の言葉を通して、神様の恵みを深く知り、心が満たされ、神様を賛美しました。

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天の父なる神様、聖書を通して、あなたがどのようなお方であり、何をしてくださっているのかを知るものとならせてください。あなたの恵みによって心が広くされ、力をいただき、賛美が生まれるような歩みを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/14/2023

クリスマスの祈り【12】

・・・人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。(ルカによる福音書1章59、60節)

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ザカリアとエリサベトの夫婦に男の子が誕生しました。高齢のエリサベトの出産を興味本位ではなく、《主が・・・大いに慈しまれた》出来事であると理解して、喜ぶ《近所の人々や親類》がいました(58節)。神様は彼女を孤独にはせず、人のつながりを与えて励まされました。ただし、人々が男の子の名前を付けようとした時に、それが善意であっても彼女は断りました。天使がザカリアに、生まれてくる男の子をヨハネと名付けるようにと告げていたからです(13節)。(おそらくは身振り手振りの)ザカリアの話をエリサベトも大事に受けとめ、夫婦で神様に従おうとしていました。エリサベトの言葉はけっしてわがままではなく、神様との関係、夫婦・家族の関係、周囲の人々との関係をそれぞれ尊重し、そのうえで大切にすべきものを大切にしようとする心から生まれたものでした。

***

天の父なる神様、あなたとの関係、また、あなたが与えてくださる様々な人との関係を祝福してください。そのために、愛に根ざした《真理》の言葉、《塩で味付けされた快い言葉》を教えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照エフェソ4章15節、コロサイ4章6節)


12/13/2023

クリスマスの祈り【11】

エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「・・・あなたは女の中で祝福された方です。・・・主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(ルカによる福音書1章41、42、45節)

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マリアが親類のエリサベトを訪ねた時、エリサベトの胎内の子が喜んでおどりました。彼女自身も聖霊に満たされました(41、45節)。神様の約束によって生きる喜びがあふれ出ている姿です。実際には、マリアはこれから出産に向けていろいろな困難を通らなければならなかったことでしょうし、エリサベトも周囲から複雑なまなざしを向けられていたことでしょう。問題や不安は目の前に横たわっていました。しかし、二人はもう一つ確かに存在するものがあると知りました。それは、《主がおっしゃったことは必ず実現すると信じ》る者に与えられる、神様の祝福です。この祝福は、今、わたしたちのためにも用意されています。神様の約束の実現としてイエス様がこの世に来てくださったから、そしてまた、神様の御心にしたがってイエス様が世界の救いを実現してくださったからです。

***

天の父なる神様、さまざまな事態に直面する時にも、イエス様を通してあなたの祝福に心を向ける歩みを導いてください。あなたの恵みを喜び合う小隊・教会の歩みを励ましてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/12/2023

クリスマスの祈り【10】

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。(ルカによる福音書1章39、40節)

***

《神から恵みをいただいた・・・聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む》と言われても(33、35節)、マリアにとって男の子を産むことは大きな挑戦でした。許嫁(いいなずけ)のヨセフや両親から理解は得られるのか、周囲の人々はどのように反応するのか、状況は楽観視できませんでした。

そのようなマリアに天使はもう一つのことを告げていました。《あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている》(36節)。エリサベトもまた、神様の御言葉の力を全身で経験していました。

マリアはエリサベトを訪ね、約三ヶ月滞在しました(56節)。その間、二人は神様の御言葉についてくりかえし語り合い、ともに祈ったことでしょう。また、エリサベトはマリアを理解し、労り、支えたことでしょう。

この二人の交わりが、今の教会・小隊の交わりの原型といえます。

***

天の父なる神様、あなたの御言葉をともに受けとめ、ともに祈ることのできる幸いを教えてください。そして、そのような交わりとして教会・小隊の交わりを整え、育ててください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/11/2023

クリスマスの祈り【9】

マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。(ルカによる福音書1章38節)
***
マリアは天使の言葉に戸惑い、《どうして、そのようなことがありえましょうか》と言いました(34節)。
この出来事の前に、祭司ザカリアも天使から同じような知らせを受けましたが、彼は《何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか》と、自分が信じるための保証を求めました(18節)。そのためザカリアはしばらくの間、話ができなくなりました。
他方、マリアは、告げられた出来事がどのように実現するのかを尋ねました。天使は続けてマリアに語りかけました。《聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。・・・神にできないことは何一つない。》(35~37節)マリアは神様の言葉そのものを信頼し、自分の土台として受け入れました。
今も教会・小隊は、マリアのように、神様の御言葉を信頼し、支えとする歩みを続けています。
***
天の父なる神様、
あなたが告げてくださった、《イエスは主である》という言葉を大切に受け入れ、魂の土台とすることができますように。その言葉を真実に語らしめる聖霊の力と共に歩むものとならせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照コリント一12章3節)

クリスマスの祈り【8】

マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。(ルカによる福音書1章30~33節)

***

マリアは天使から、産まれてくる男の子を《イエス》と名付けるように告げられました。“主は救いである”という意味の名前です。さらに天使は男の子について、《偉大な人》、《いと高き方の子》、《ダビデの王座》に就く者、《永遠にヤコブの家を治め》る者、永遠に《支配》する者になると告げます。これらは救い主を指す聖書の言葉です(参照サムエル記下7章5~16節、ダニエル書7章)。マリアは、その場ですべてを理解できなくとも、神様の救いの御心と言葉を大切に心に受け入れました。そして人々にも話したと思います。ルカも、直接か間接かはわかりませんが、マリアの言葉に接し、この出来事を福音書に記しました(参照1章3節)。神様の御言葉は、時間をかけてわたしたちの人生に働きかけ、実を結ぶことを教えられます。

***

天の父なる神様、聖書を通してあなたの御言葉を蓄え、ひと時の益でなく、あなたのかぎりない恵みを得させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/09/2023

クリスマスの祈り【7】

天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。(ルカによる福音書1章26~29節)

***

《おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる》という天使の言葉によって、マリアの“日常”に“非日常”が訪れました。ごく普通の暮らし、ありふれた人生が、“主が共におられる”という特別なものとなりました。

マリアはその場ですべてを理解することはできず、戸惑いました。しかし、自分の体に新しい命が宿り、誕生するまでの日々を通して、主が共におられることを深く知ることとなりました。

神様の御言葉には、時間をかけて心と体と生活に染み渡っていくような恵みと力があることを、マリアの出来事は伝えています。

***

天の父なる神様、あなたは御子イエス様を受け入れる者たちに、けっして一人きりではなく、《キリストがわたしの内に生きておられるのです》と語ることのできる人生を与えてくださいます(ガラテヤ2章20節)。その恵みと喜びに入らせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/08/2023

クリスマスの祈り【6】

その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」(ルカによる福音書1章24、25節)

***

神殿の務めを終えたザカリアは、天使に告げられたように口が利けなくっており、そのまま家に帰りました(22節)。おそらく妻エリサベトは、夫からくわしい話を聞くこともできず、それでいながら高齢の自分の身に新しい命が宿るという事態に直面しなければなりませんでした。彼女が《五か月の間身を隠して》いたのは体の安定のために、また、心が定まるために必要なことでした。そのような彼女を支えたのは、無言の夫ザカリアでした。高齢の夫ザカリアが黙々と身重の妻をいたわり、世話をする姿からは口から出る言葉以上の“言葉”が出ています。その言葉をエリサベト聴いていたのだと思います。さらにその夫の背後から、神様の言葉も聴くことができたのだと思います。“あなたは神様に愛され、生かされている”という言葉を。

***

天の父なる神様、あなたはさまざまな状況や出会いを用いてわたしたちの心に触れ、語りかけてくださいます。あなたの御声に耳を傾けるものとならせてください。また、わたしたちの姿をあなたの愛の言葉を映し出すものとしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

クリスマスの祈り【5】

ザカリアは天使に言った。
「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」
天使は答えた。
「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」
(ルカによる福音書1章18~20節)

***

ザカリアは、子供を授からないまま年を取っていたため、天使から子供の誕生を告げられてもすぐに信じることができませんでした。そのため、しばらくのあいだ口が利けなくなりました。ただし、それは神様の罰ではありませんでした。むしろ《喜ばしい知らせ》を受け入れ、《時が来れば実現する》神の言葉を信じるようになるために、特別に与えられた“静けさ”でした。《わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。》(詩編62編2節)

***

天の父なる神様、あなたは《わたしの岩、わたしの救い、砦の塔》です。心が揺れ動く時に、あなたがわたしを支えておられることを思い起すことができるように、あなたの御前に静まり、歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照詩編62編3節)

12/06/2023

クリスマスの祈り【4】

天使は言った。
「恐れることはない。
ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。
あなたの妻エリサベトは男の子を産む。
その子をヨハネと名付けなさい。
その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。
多くの人もその誕生を喜ぶ。・・・」
(ルカによる福音書1章12~14節)

***

ザカリアが《神の御前で祭司の務めをしていたとき》(8節)、主の天使が現れました。ザカリアは天使を見て《不安になり、恐怖の念に襲われ》ました(11節)。

祭司は神様に仕える働きですので、天使に会えたことはうれしい出来事のはずでした。しかし、ザカリアにとってあまりにも予想をこえる出来事であったために、受けとめることができませんでした。

そのようなザカリアに対して、天使は《恐れることはない》と語りかけました。

わたしたちの幸福は、しばしば“想定内”の出来事や“想定外”の出来事によって左右されます。神様はそのようなわたしたちの心を開き、神様の恵みによって広がる世界にわたしたちの幸福があると招いてくださいます。

***

天の父なる神様、
予想のつかないものごとが迫り不安や恐れを覚える時にも、そのさらに背後にあって、わたしたちを祝福し、恐れるなと語ってくださるあなたがおられることを思い起こさせ、力づけてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン 

12/05/2023

クリスマスの祈り【3】

 ・・・祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。(ルカによる福音書1章5~7節より)

***

ザカリアとエリサベトの夫婦はイエス様の親類にあたります。二人は信仰の篤い夫婦でしたが長いこと子供が与えられませんでした。

当時、子供は神様の祝福のしるしとみなされていました。二人は周囲から複雑な思いで見られていたことでしょう。また、神様に切実に祈っても願いがかなわないという辛さを味わっていたことでしょう。

しかし、神様はご自分の計画の中で二人を祝福することを定めておられ、その時を実現されました。

暗闇の中にいると思うときにも神様は共におられる、そして、かならず光を照らしてくださるということを、ザカリアとエリサベトは身をもって経験し、聖書を通して今もわたしたちに伝えています。クリスマスにあらためて耳を傾けたい知らせです。

***

天の父なる神様、
不安や疑いに取り囲まれ、闇の中を歩いているように思われる時に、わたしたちをお助けください。世の光として来てくださったイエス様を仰がせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

クリスマスの礼拝・集会のご案内


 神戸小隊では今年のクリスマスのために
次のような礼拝・集会を計画しました


12月24日(日)

午前11時より 

 クリスマス礼拝

※毎週日曜日に行っている礼拝です

※入場無料。礼拝として自由献金をささげますが、

神様への感謝として自発的になされるものであり

入場料や強制するものではありません。


午後4時30分より

 クリスマス・ストーリー・Cafe(カフェ)

※お茶やお菓子も添えて、ご一緒にクリスマス・カロルを聴き、うたう、くつろいだスタイルの集会です。

※入場無料 


どちらも約一時間くらいのプログラムです。

どうぞお越しください。

ご一緒にイエス・キリストの御降誕をお祝いいたしましょう。

クリスマスの祈り【2】

アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。・・・ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
(マタイによる福音書1章1、16節)

***

《系図》は、先祖からの代々のつながりを記録したものです。その人がどのような人物で、どのような背景をもっているのかを知る手がかりにされることがあります。自分の系図を誇る人もいれば、目に触れないようにする人もいます。

イエス様の《系図》には、ユダヤ人の歴史においては理想的な信仰者や勇敢な王が登場します。しかし彼らも完ぺきな人物でありませんでした。ほかにも、ふつうの人や当時であればわざわざ名前を取り上げないだろうと思われる人の名前も系図には含まれています。

イエス様は、特定の選ばれた人たちのためだけなく、すべての人のために、すべての人の背景に関わるようにして、この世にお生まれになりました。良いことも悪いことも混ざり合うこの世界のただ中に来られ、わたしたちを救われます。

***

天の父なる神様、すべての人のために、わたしたちと同じものとなってお生まれになった御子イエス様を救い主として知り、受け入れるものとならせてください。イエス様によって、あなたの愛の系図に連ならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

クリスマスの祈り【1】

クリスマスに備えるアドベント(待降節)の期間が始まりました(12月3日より)。

日曜日以外にも、聖書の言葉とお祈りを分かち合い、新しい心でクリスマスを迎えたいと思います。

***

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。
(マタイによる福音書1章18節)

わたしもすべての事を初めから詳しく調べています・・・
(ルカによる福音書1章3節)

***

クリスマスは、神の御子イエス・キリストのお誕生を祝うときです。神様は私たちを愛しておられ、私たちを神様とともに生きるものとするために、イエス様を与えてくださいました(参照ヨハネ3章16節)。

今の季節、あちらこちらでクリスマスの飾りつけが見られますが、星やクリスマスツリーやサンタはあっても、馬小屋でお生まれになったイエス様を見つけることはかんたんではありません。クリスマスの中心であるイエス様に心を向け、イエス様が自分にとってどのような意味を持つお方であるかを新しく受けとめる歩みを共に始めたいと思います。

***

天の父なる神様、イエス様がお生まれになったクリスマスの意味とその大切さを新しく知り、受け入れることができますように。私たちの心の目を開いてください。そして、イエス様を通して示してくださった、あなたの愛に心を開くことができますように。小隊(教会)につながる一人一人の歩みを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

11/23/2023

秋のバザーのご案内

 


秋のバザーを実施いたします。


11月23日(木・祝)

午後1時30分から4時30分まで


会場の都合上、駐車スペースはご用意できません。申し訳ありませんが、お越しの際には公共交通機関のご利用をお願いいたします。

このたびもお問い合わせや
品物のご協力をいただき
ありがとうございます。

神様の恵みのもとで
お互いに笑顔ですごせる
ひと時を願っています。

ご来場を心からお待ちしています。

神様の祝福がありますように
お祈りいたします。


9/08/2023

この日も主と共に【970】

わたしは、忠実な兄弟と認めているシルワノによって、あなたがたにこのように短く手紙を書き、勧告をし、これこそ神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みにしっかり踏みとどまりなさい。(ペトロの手紙一5章12節)

***

ペトロの手紙は、彼自身がすべてを書いたのではなく、ペトロの語ったことを《忠実な兄弟・・・シルワノ》が書き起こしました。《シルワノ》は《シラス》とも呼ばれ、もとはアンティオケア教会の《兄弟たちの中で指導的な立場にいた人》であり、《預言する者》、すなわち聖書に基づいて神様の御心を伝える人でした。そして、パウロやテモテと一緒に各地を訪ね、イエス・キリストが救い主であると宣べ伝えました(参照使徒15章22、32、40節、27~28章、コリント二1章19節、テサロニケ一1章1節、テサロニケ二1章1節)。シラスがどのような経緯でペトロのそばにいるようになったのかはわかりませんが、彼はパウロにとっても、ペトロにとっても良き信仰の友であり、イエス様のために協力しました。今も教会・小隊は、シラスのような人たちによって担われ、支えられています。

***

天の父なる神様、教会・小隊においてイエス様にの愛につながり、共にあなたを見上げて生きる《忠実な友》となることができますように、教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


9/06/2023

ご案内:9月10日(日)神戸小隊120周年記念聖別会(礼拝)



神戸小隊120周年記念集会

9月10日(日)

午前11時(~0時30分ごろ)

記念聖別会(礼拝)

※15分前から賛美と祈りを捧げます。

※聖書や賛美は受付で貸し出しの用意がありますので、聖書をお持ちでなくともお気軽にお出かけください。

※プログラムにおいて「献金」を捧げますが、神様への感謝を表すものであり、
入場料ではありません。

ご案内:9月9日(土)ゴスペル・ストーリー・カフェタイム

神戸における救世軍の働きは1903年(明治36年)に始まりました。神戸小隊は、戦争中に組織・名称を変更した時期もありましたが、今年で120周年を迎えました。このことを記念して、次の特別な催しをいたします。




神戸小隊120周年記念

9月9日(土)午後2~3時

(開場、会館前の音楽開始は午後1時半)

ゴスペル・ストーリー・カフェタイム

(入場無料)


コーヒーとお菓子(無料)、音楽と聖書の言葉をお贈りします。神様の恵みの物語(ストーリー)に触れ、心が元気になるひと時となりますように。みなさまのご来会をお待ちしております。どうぞお出かけください。


【音楽】

神戸小隊アンサンブル

大阪セントラルホールバンド

(京阪神地区の救世軍の有志による金管バンド)

天満小隊タンバリン隊 など


【聖書メッセージ】

司令官 スティーブン・モーリス大佐

女性部会長 ウェンディ・モーリス大佐

この日も主と共に【969】

しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。(ペトロの手紙一5章10節)

***

ペトロが手紙を送った各地の教会は、信仰が理由となってさまざまな苦難を経験していました。それでも、《あらゆる恵みの源である神》があなたがたと共におられると、ペトロは語ります。神様は、信じる者たちを《完全な者》にしてくださるお方です。これは、完全無敵になるというよりもむしろ、神様の愛と力に支えられ、傷ついてもかならず回復させていただけることを示しています。そして、神様は信じる者たちを《強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます》。この神様が、ペトロと当時の教会だけでなく、今もわたしたちと共にいてくださいます。神様はイエス・キリストを通して、今もわたしたちをご自分のもとへ、《永遠の栄光》へと招いてくださっています。

***

天の父なる神様、あなたを信じていながら苦しみを味わう時に、その状況でもあなたの恵みから離れていないことを教えてください。ペトロと同じように、《しかし》と声を上げ、なおもあなたを見上げる心をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/30/2023

この日も主と共に【968】

身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。(ペトロの手紙一5章8節)

***

ペトロは、教会の《長老たち》と《若い人たち》をそれぞれに励まし(1、5節)、最後にもう一度、教会全体としてまとまり、信仰にしっかりと立つようにと励まします(8~11節)。その際、ペトロは三つの表現を使います。
①《身を慎》む。心と体に自制(セルフコントロール)を効かせること。
②《目を覚まして》いる。目に見えない危険に警戒(アラート)すること。《ほえたける獅子》が獲物を探すように、《悪魔》はイエス様を信じる者たちを神様から引き離そうと狙っていると、ペトロは言います。
③《悪魔に抵抗》する(9節)。自分の守りを固めること。
ただし、《信仰にしっかり踏みとどま》るためには、自分の意志の強さ以上のものが必要です。それはイエス様を信頼し、イエス様に守られることです。また、同じ苦しみに遭う《信仰を同じくする兄弟たち》を知り(9節)、共に信じていくことです。

***

天の父なる神様、目に見えないものにも注意を向け、《信仰にしっかりと踏みとどま》るものとならせてください。信仰によって《兄弟》と呼ぶことのできる教会・小隊の一人一人を守り、共に御子イエスの力強い支えにあずからせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/28/2023

この日も主と共に【967】

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。(ペトロの手紙一5章7節)

***

ペトロは、教会の若い人たちに向けて、《思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい》と語ります。《思い煩い》とは、当時、キリスト教に対する迫害が起こりつつあり、信じることと実際の生活のはざまで摩擦や葛藤を若い人たちが経験することがあったことを示唆しています。そのような状況を神様にお任せするとは、①《思い煩い》も含め、そのままの自分でイエス様のもとに行くということです。イエス様は重荷を負う者を迎え、休ませてくださいます(参照マタイ11章28節)。そして、②イエス様の言葉によって心の向きを定めるということです。イエス様は、《何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。・・・明日のことまで思い悩むな》と言われました(マタイ6章33、34節)。このイエス様が今も生きておられ、小隊・教会の中心でいてくださいます。小隊・教会の礼拝と祈りと交わりを通して、神様の愛と支えが今も届けられています。

***

天の父なる神様、心に重荷がのしかかる時に、その重荷をあなたにゆだねる道があることを教えてください。どうぞわたしたちの心を支え、平安をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照詩編55編23節)


8/26/2023

この日も主と共に【966】

あなたがたのうちの長老たちに勧めます。あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。(ペトロの手紙一5章1、2節)

***

ペトロは手紙の終わりにあたり、教会全体としてどのように歩むべきか、《長老たち》(1~4節)と《若い人たち》(5~7節)のそれぞれの世代に語りかけます。そして、《長老たち》に《神の羊の群れ》を牧しなさいと勧めます。《神の羊》とはイエス様を信じる人たちです。長老は、羊飼いが羊を守るように教会の仲間を支える人です。しかも《強制されてではなく》、《卑しい利得のためにではなく》、《権威を振り回》すためではなく、むしろ、《神に従って、自ら進んで》、《献身的に》働く、《群れの模範》です。理想の高い、難しい務めに思えますが、教会にはすべての頭(かしら)、羊飼いの中の羊飼いである《大牧者(だいぼくしゃ)》イエス様がおられます(4節、参照エゼキエル34章11~16節、ヨハネ10章11節)。《群れの模範》とは、このようなイエス様の言葉を聴き、イエス様と共に歩む人です。そのようなお互いの姿を通して、神様の励ましと力を分かち合うことができます。

***

天の父なる神様、わたしたちの小隊・教会を、またわたしたちがそれぞれに育んでいる交わりを、《神の羊の群れ》として守り、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/25/2023

この日も主と共に【965】

神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。(ペトロの手紙一4章19節)

***

ペトロは、イエス様にならって、①《同じ心構え》になり(1節)、②《互いに仕え》(10節)、③《キリストの苦しみにあずか》るように(13節)と語ります。さらに、④《真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい》、すなわち、神様を信頼しなさいと勧めます。イエス様は十字架の上においても、神様にご自分をまったくゆだねられました(参照ルカ23章46節)。神様は苦しみを無くすよりも、わたしたちの信仰を本物にするための《試練》として使われる場合があるとペトロは語ります(12節、参照1章7節)。苦しみにあいながら、そこにもなお神様の御心があると信じることは容易ではありません。しかし、それがけっして不可能ではないとペトロが語るのは、彼が《愛する人たち》と呼びかける教会の姿(12節)、《栄光の霊、すなわち神の霊》が留まる人々の姿を知っているからです(14節)。そのような人々が《神の家》を形づくり(17節)、今のわたしたちの教会・小隊に続いています。

***

天の父なる神様、御子イエスを通して、あなたの真実を信頼し、あなたにゆだねる道を教え、そこを歩めるよう導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/24/2023

この日も主と共に【964】

しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。(ペトロの手紙一4章16節)

***

ペトロは、イエス様と《同じ心構え》になり(1節)、イエス様にならって《互いに仕え》るようにと勧めます(10節)。そしてさらに、《キリストの名のために非難され》ることをも喜びとするようにと勧めます(13、14節)。たいていの場合、宗教や信仰はいかに苦しみから逃れられるかに注目します。聖書にもそのような面があります。しかし、ペトロは、苦しみと喜びがイエス様において一つとなり得ることを見出しました。イエス様を信じる人が信仰のゆえに苦しみを経験する時、その苦しみの中でもイエス様と共に生きていると言うことができる。イエス様も神様の御心に従い、苦しみを受けられたからです。そして、《キリストの苦しみ》は《キリストの栄光》につながります(13節)。イエス様は十字架の苦しみと死をお受けになった後に、復活され、まことの救い主とて世界を新しくし、治められます。このようなイエス様と共に生きる人に、《キリスト者》(クリスチャン、キリストのもの)の名が与えられています。

***

天の父なる神様、《キリスト者》の名に込められた意味を教え、御子イエスと共に《キリスト者》の道をたどらせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/23/2023

この日も主と共に【963】

あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。(ペトロの手紙一4章10節)

***

ペトロは、イエス様と《同じ心構え》になるようにと勧め(1~9節)、次に、イエス様にならって《互いに仕え》るようにと勧めます。それは、イエス様の愛に留まって生きることです(参照ヨハネ13章14、15、34、35節)。
そのように勧められる理由は、
①《万物の終わりが近づいている》からです(7節)。これは、世界が破滅するという脅かしではなく、イエス様がふたたび来てくださるという約束を指しています。イエス様に従って生きる人は空しく終わらないというのです。
②それぞれが《賜物》を授かっているからです(10節)。《賜物》は、人それぞれの才能や特技のように見える場合がありますが、実際は神様が預けてくださった《さまざまな恵み》です。また、《賜物》は、《神の言葉を語る》、すなわち福音を伝える働きと、《奉仕》する働きにまとめることができます(11節)。イエス様は今もご自分の言葉と愛によって、イエス様を信じる人を支えてくださいます。

***

天の父なる神様、わたしたちの歩みや働きが試みられるときにも、御子イエスによって、あなたの愛と恵みのもとにあることを思い起こさせ、あなたと共に歩む力をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/22/2023

この日も主と共に【962】

キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい。肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者なのです。(ペトロの手紙一4章1節)

***

ペトロの時代、イエス様を信じる人々に対して「自分たちと同じような生き方を止めてしまった」という不満が向けられました。しかし、ペトロから見れば、教会を《不審に思い、そしる》人々の生き方は、《人間の欲望》に従い、《ひどい乱行》を伴うものでした(3、4節)。そこでペトロは、イエス様と《同じ心構えで武装しなさい》と語ります。そのような強い表現を使うほどに、イエス様は、わたしたちを神様と共に生きるものとするために、《神の御心に従って》歩まれ、ご自分の十字架の死によってわたしたちと《罪との関りを断》ってくださいました。また、神様は人を愛し、救われるお方ですが、その救いを完成するために《生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方》でもあります(5節)。このようなイエス様と神様を知るところに、自分の心を守り、《残りの生涯》を健やかに生きる道があると、と聖書は語ります。

***

天の父なる神様、御子イエスの歩まれた道をたどり、わたしたちも《神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きる》ものとならせてください(2節)。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/21/2023

この日も主と共に【961】

この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。(ペトロの手紙一3章21節)

***

旧約聖書に記されているノアの箱舟と洪水の出来事は、神が《水》によって世界を一新された出来事でした(創世記6~9章)。ペトロはこの出来事に、イエス様を信じた人々が教会で受ける《洗礼》を重ね合わせます。《洗礼》は、それ自体に《肉の汚れ》、罪を取り除く神秘的な効力があるというわけではありませんが、復活されたイエス様から新しい命を与えられ、罪に囚われた古い自分が終わり、新しい人となり、《神に対して正しい良心を願い求め》て生きることを公に示すものです。ペトロは、さまざまな価値観、宗教、力に囲まれている各地の教会を思いやりながら、イエス様を信じ、《洗礼》を受けたあなたがたは確かに新しい人生を生きており、神の救いの中にいると励まします。救世軍は、他の教会のような仕方で洗礼を実践していませんが、イエス様によって新しく生きる道のりを同じように見つめ、追い求めています。

***

天の父なる神様、わたしたちに新しい命と人生を可能にする、あなたの救いの恵みを受け入れて歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/19/2023

この日も主と共に【960】

霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。(ペトロの手紙一3章19、20節)

***

イエス様はわたしたちを救うために、十字架で死なれ、復活されました。これについてペトロは、旧約聖書に記されている《ノアの時代》との関わりから、イエス様の復活と救いの意味をさらに説きます(参照創世記6~9章)。ノアは周囲のほとんどの人が神様を信じない環境で暮らしていましたが、《その世代の中で・・・神に従う無垢な人で・・・神と共に歩》みました(創世記6章9節)。そして、ノアは《箱舟》の事件を通して、神様の救いを経験しました。ペトロたちの時代や場所とは大きく離れていますが、そこに《霊では生きる者》(18節)であるイエス様がすでに関わっておられたというのです。それほどイエス様の救いは広く、大きい。そして、今も、わたしたちがどのような状況にいるとしても、福音を反故にすることなく、救いを全うしてくださると、聖書はわたしたちのためにも語っています。

***

天の父なる神様、いろいろな状況を通る時も、復活されたイエス様が共におられることを思い起こさせてください。イエス様が実現してくださった救いの広さ、深さに根づかせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/18/2023

この日も主と共に【959】

キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。(ペトロの手紙一3章18節)

***

ペトロは、教会の仲間に向けて《義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです》と語り(14節)、その理由と模範として、イエス・キリストの姿をあらためて示します(18~22節)。
①イエス様は、神様に背(そむ)く人間の罪を赦すために、ご自分は神様に対して正しいお方であったにもかかわらず、苦しみをお受けになりました。
②イエス様の苦しみは、十字架の死にもっとも表されました。それは他の誰も担うことのできない、わたしたちの救いのための《ただ一度》の苦しみでした。
③イエス様の十字架の死の苦しみはそれ自体で終わらず、死からの復活に続きます。
④イエス様は《霊では生きる者》として、今もわたしたちを《神のもとへ導》いてくださいます。

***

天の父なる神様、苦しみを味わう時に、その時にも御子イエスが離れておられないことを思い起こさせてください。むしろ、復活された御子によって、わたしたちはもはや空しく終わらないことを教え、力づけてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/17/2023

この日も主と共に【958】

心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。(ペトロの手紙一3章14、15節)

***

ペトロは、《義のために苦しみを受け》、また、《善を行って苦しん》でいる各地の教会の仲間に、《人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません》と呼びかけます(14、17節)。それは平和を願い、平和を追い求める姿勢のひとつです(参照11節)。
そのために大切なことは、
①迫害を受ける人にも《幸い》を告げられたイエス様の約束に立つことです(14節、参照マタイ5章11、12節)。
②《心の中でキリストを主とあがめ》ることです(15節)。気づかれぬよう密(ひそ)かに信じるという意味ではなく、心がいつもイエス様の側にあり、イエス様を通してまことの神様をこそ畏れていることです(参照イザヤ8章12、13節)。
③《抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備え・・・穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明する》ことです(15、16節)。
イエス様を信じる人たちは恐れの器ではなく、希望の器なのだと聖書は語ります。

***

天の父なる神様、わたしたちの心が恐れや動揺をあじわう時に、イエス・キリストが告げてくださった幸いに立ち戻らせてください。あなたによって希望を抱くものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/15/2023

この日も主と共に【957】

悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。(ペトロの手紙一3章9節)

***

ペトロは、イエス・キリストを信じる仲間たちが、さまざまな状況に向かい合うとしても、《悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って・・・追い求め》て生きることを願います(11節)。そして、もし周囲から悪意のある仕打ちを受けるとしても、仕返しをせずに祈りなさいと勧めます。ここで心に留まるのは、ペトロが聖書の言葉を引用しながら語っているということです(10~12節、詩編34編13~17節に相当)。聖書を通して、《主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる》ことを知り(12節)、また、神様がわたしたちに《祝福を受け継ぐ》ように望んでおられることを知ることができる(9節)。それだから、悪い思いや言葉に心を占領させず、祈りの言葉、神様に通じる言葉を心に宿し続けていこう、とペトロは語ります。聖書の言葉がペトロと教会の仲間たちを支えています。そして、聖書は神様の言葉として、わたしたちをも支えます。

***

天の父なる神様、聖書の言葉を通して、自分がどのような者であるのか、どのように生きることができるのかを教えてください。そして、あなたの祝福につながる歩みを進ませてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/14/2023

この日も主と共に【956】

終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。(ペトロの手紙一3章8節)

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ペトロが生きていた時代、イエス・キリストを信じる人々は少数派であり、それぞれの地域で異なる信仰・価値観・生活習慣に囲まれて生きていました。ペトロは、イエス・キリストを信じる人は神によって新しく生まれたことを説き明かし(1章3節~2章10節)、天を目指す旅人として新しく生きるようにと勧めます(2章11節~3章7節)。そして次に、周囲から批判や敵意を向けられる場合に、どのような心と行いで立つべきかを語ります(3章8節~4章19節)。その初めに、信じる人々の一致、同情、兄弟愛、憐れみ、謙虚が取り上げられます。これはせめて身内だけでも安穏に過ごそうというよりはむしろ、この世の中で共に《悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求め》ようとする姿勢を表しています(11節)。教会・小隊は、イエス様を信じる人たちにとって、神様から平安をいただくために戻ってくる場所ですが、それだけでなく、神様から力をいただいてこの世へと出発する場所でもあります。

***

天の父なる神様、あなたは小隊・教会において、わたしたちをあなたの愛の器として作り上げ、この世へ遣わされます。一人一人を顧み、あなたの恵みと力と共に歩ませてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/02/2023

この日も主と共に【955】

夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません。(ペトロの手紙一3章7節)

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ペトロは、家庭において《妻》として暮らす女性たちに言葉を送り(1~6節)、続いて家庭において《夫》として暮らす男性たちにも言葉を送ります(7節)。①《妻を自分よりも弱いものだとわきまえ》ること。女性を低く見るという意味ではなく、男性の方が何かと優位に立ちやすい社会の状況をふまえて生活するように勧めます。②《命の恵みを共に受け継ぐ者》として尊敬すること。神様の恵みは夫か妻かという理由で偏ることはありません。夫と妻が共に生活することを支えるのは、神様の恵みです。そして、③祈りを妨げられないようにすること。《命の恵み》を神様から受け継ぐ歩みは、神様への祈りを保っていく歩みでもあります。一方では違いを認め合い、もう一方では神様の恵みによって同じ道のりを見ることができる、そういう生き方がイエス様のもとにあると、ペトロは呼びかけています。

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天の父なる神様、小隊につながる一人一人の家庭と家族を御心に留め、あなたの愛と恵みと力によってお守りください。あなたの恵みのもとで、共に健やかに歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


8/01/2023

この日も主と共に【954】

妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。(ペトロの手紙一3章1節)

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ペトロが手紙を送った教会の中には、《御言葉を信じない人》のもとに嫁いだ女性たちがいたようです。当時、夫は家の長(ちょう)として強い権限を持っていました。それですから女性たちの中には信仰と生活の両立に苦心する人たちもいと思われます。そのような女性たちにペトロは《自分の夫に従いなさい》と勧めます。今の時代には男性偏重に聞こえる可能性もありますが、ペトロが伝えたいのは、妻たちが《神に望みを託した聖なる婦人たち》であり続け(5節)、《神を畏れる・・・純真な生活》を保ち(2節)、《善を行い、また何事も恐れない》で生きてほしいということです(6節)。そのために、あなたがたには人を感化し得る《無言の行い》が託されていると語ります。そのような人たちが教会・小隊を作り上げてきました。わたしたちの小隊の歴史も、家族や小隊のために祈り続け、《無言の行い》を大切に担われた多くの人たちの日々が結び合わされてできています。

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天の父なる神様、小隊(教会)につながる一人一人の家庭、家族を祝福してください。あなたの愛と恵みを生活の場所に生き生きと現わし、あなたの救いを共に喜ぶ時へと導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

この日も主と共に【953】

あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。(ペトロの手紙一2章25節)

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ペトロは、当時の教会の中で《召使い》として働く人たちが《善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶ》目にあっているのを心に留め(18、20節)、イエス・キリストの《模範》を示します(21節)。イエス様も謂(いわ)れのない罪で捕らえられ、訴えられ、あざけられ、傷つけられ、そして、十字架につけられ、死なれました。イエス様ご自身が《善を行って苦しみを受ける》極みを経験されました。ただし、イエス様が苦しまれたのだから、自分たちが苦しむのは仕方がないというのではありません。イエス様の苦しみと死によって、イエス様を信じる者たちは罪から救われ(いやされ)、神の正しさ(義)によって生きられるようになりました(24節)。善に対して牙をむく罪の力を、イエス様は無効にしてくださいました。苦しみが自分たちの願う通りに過ぎ去らないとしても、そこにもイエス様が共におられ、わたしたちを神のものとして守ってくださいます。

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天の父なる神様、苦しみを覚える時、御子イエスによってわたしたちの魂を守り、あなたの善に心を向けて歩み続ける力をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

7/29/2023

この日も主と共に【952】

善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。(ペトロの手紙一2章20、21節)

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ペトロの時代、ギリシア・ローマ文化の世界では自由な市民と奴隷という身分の区別がありました。その奴隷の立場で家の管理を任された人が《召使い》です。教会の仲間には、日常は《召使い》として働く人たちがいたようです。彼らは《無慈悲な主人》によって《不当な苦しみ》を受けることがありました(18、19節)。ペトロは、人の僕である以前に《神の僕》であることを土台として(16節)、仕事に取り組むようにと勧めます。そして、《善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶ》ことがあるなら、その苦しみさえも《神の御心に適うこと》、すなわち神の救いの恵みにつながっていると説きます。イエス様を信じる人が苦しみの中を通る時、一人ではなく、そこでもイエス様と共に救いの道を歩んでいると聖書は励ましています。

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天の父なる神様、苦しみを受ける時、そこにも御子イエスがおられ、わたしたちの歩みの先に立っていてくださることに目を開かせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/28/2023

この日も主と共に【951】ペトロの手紙より(21)

自由な人として生活しなさい。・・・神の僕として行動しなさい。すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。(ペトロの手紙一2章16節)

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ペトロは、当時の教会の仲間たちが置かれている状況を思いやり、①国の制度(12~17節)、②社会(18~25節)、③家庭(3章1~6節)といった点を取り上げて、どのようにしてこの地上の世界を信仰に基づいて生きるかについて語ります。そして、国の制度については、それを運用する人々が《異教徒》であっても《制度に従いなさい》と勧めます。それは人間の権力を恐れるからではなく、めいめいが置かれている場所において《主のため》に善を行うことが神様の御心だからです(12、13節)。わたしたちは信仰を理由にしてこの世界を軽んじたり、否定するのではなく、この世界で神様の善い業を種まくようにと望まれています。そのために、《わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです》というイエス様の祈りがあります(ヨハネ17章15節)

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天の父なる神様、聖書を通して、イエス・キリストを知ることによって、《神の僕》として生きる道をも知ることができました。どうか、自分を成り立たせているのは他の何ものでもない、神の善い御心であると表し得る歩みを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/27/2023

この日も主と共に【950】

異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。(ペトロの手紙一2章12節)

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イエス様を信じる人は、地上においては《旅人》であり《仮住まいの身》です(11節)。そしてまた、「主を証(あか)しする人」、すなわちイエス様が神の御子であり、わたしたちの救い主であることを表す人です。そのためにペトロは、生活や行いが《立派》であるようにと勧めます。ここで言う《立派》とは、世間に評価される姿よりもむしろ、神様に愛され、救われたものとして、芯と調和を持つ姿を指しています。それがただちに周囲に理解されるとはかぎりません。ペトロの時代には、イエス様を信じることでかえって《悪人呼ばわり》される人もいたようです。しかし、《訪れの日》、すなわちイエス様がふたたびこの世に来られ、神様の愛と救いがどの人にも明らかになる時が来ると聖書は約束しています。その日まで、神様はご自分の愛と救いを伝えるために、わたしたちの生活をお用いになります。

***

天の父なる神様、あなたの愛と救いの現れ出る場として小隊・教会を、また、わたしたちの生活を聖別してください。わたしたちが関わる人、出会う人にあなたの祝福を及ぼしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/26/2023

この日も主と共に【949】

愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。(ペトロの手紙一2章11節)

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イエス様を信じる人は、《天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者》となりました(1章4、5節)。天におられる神様のみもとがわたしたちの本国となりました(参照フィリピ3章20節)。そうすると、地上の生涯にはどのような意味があるでしょうか。また、どのように歩むことが大切でしょうか。ペトロは、《旅人》、《仮住まい身》として歩みなさいと語ります。それは、自分が最終的にたどり着くべき所を見つめ、今はあくまでもその途上にあることを心に留める歩みです。旅行は楽しいものですが、いつまでも暮らすわけにはいきませんし、人生をすべて消費するわけにはいきません。それと同じように、地上の生活も有益なこと、楽しいことは多くありますが、それらが人生のすべてであるかのようにみる価値観は《肉の欲》となって人を支配します。聖書は、神様に心を向けて、軽やかに進むようにとわたしたちを励ましています。

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天の父なる神様、御子イエスと共に《旅人》となることは不安定なのではなく、新しい喜びへの助走であることを教えてください。心を守り、天に向かう道のりを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/25/2023

この日も主と共に【948】

あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。(ペトロの手紙一2章9節)

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ペトロは、各地に散らされている教会の仲間に手紙を送り、場所がそれぞれ異なっていても神様の前には一つとなり、イエス様と共に生きようと呼びかけます。そして、神様によって自分たちが何者になったのか、また、これからどのように歩んでいくのかを聖書の言葉によって確認しています。《選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民》とは、旧約聖書においてイスラエル民族(ユダヤ人)を指す表現でした(イザヤ書43章20、21節、出エジプト19章6節)。しかしペトロは、今やイエス様を信じる人たちこそが、民族や国にかかわらず、新しい神の民なのだと語ります。この新しい神の民の歩みに今の教会・小隊、わたしたちも続いています。

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天の父なる神様、あなたは御子イエスによってわたしたちを救い、《暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れて》くださいました。聖書によって、あなたの《力ある業》によって自分たちが新しく作られていく希望を受け取り、神の民として歩むことができるように教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


この日も主と共に【947】

聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」(ペトロの手紙一2章6節)

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ペトロは、イエス・キリストがわたしたちにとって大切で必要なお方であることを表すために、《尊い、生きた石》であると紹介します(4節)。さらに、聖書の中から《石》という言葉に注目して、《聖書にこう書いている》と、三つの箇所を取り上げます(6~8節、参照イザヤ28章16節、詩編118編23節、イザヤ8章14節)。そして、イエス様がたしかに神様によって約束された救い主であると確認しています。言ってみれば、ペトロは、遠い地に散らされている教会の仲間を思いながら(1章1節)、実際に会うことがかなわいとしても、手紙を通して一緒に聖書を読み、神様の約束を心に留め、神様を見上げて共に歩み続けようとしています。聖書は一人で読んでも大切なことを得られる書物ですが、それだけでなく、イエス様を信じる仲間と共に読み、学び、祈り、励ましを受けることができる《神の変わることのない生きた言葉》です(1章23節)。

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天の父なる神様、あなたの《生きた言葉》によって励ましや希望を得させてください。小隊・教会につながる一人一人を励まし、共に聖書を読む仲間として支え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


この日も主と共に【946】

あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。(ペトロの手紙一2章5節)

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ペトロは、イエス・キリストを信じる人がどのように成長できるかについて三つの点を語ります。
①《生きた石》となる。《神にとっては選ばれた、尊い、生きた石》であるイエス様につながれて(4節)、イエス様に似た者となることができます。
②《霊的な家》に造り上げられる。イエス様を信じる人生は一人きりではありません。イエス様を頭とする教会(小隊)として組み合わされ、役割を与えられます(参照マタイ16章18節、コリント一12章27節)。
③《聖なる祭司》となる。《神に喜ばれる霊的ないけにえ》とは、神様に自分たちを受け入れていただくことを指しています(参照ローマ12章1、2節)。それはただイエス様によって可能になります。《聖なる祭司》とは自分で高尚な生き方をする人ではなく、お互いに祈り、支え合いながら、共にイエス様につながり続け、共に成長していく人です。

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天の父なる神様、《生きた石》、《霊的な家》、《聖なる祭司》となるという祝福と可能性に満ちた成長の道のりを見つめ、歩み続けることができるように導き、助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


この日も主と共に【945】

この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。(ペトロの手紙一2章4節)

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神様は、イエス・キリストを信じる者たちを新たに生まれさせ(1章3~12節)、聖なる者として成長させてくださいます(1章13節~2章3節)。聖なる者としてどのように成長することができるかを、ペトロは続けて語ります(2章4~10節)。その際、ペトロが《主のもとに来なさい》とあらためて呼びかけるのは、イエス様を信じることがその場かぎりの出来事ではなく、その後もイエス様との関係(交わり)を保つことも含まれるからです。ペトロはイエス様を《生きた石》であると紹介します。①イエス様は復活され、今も生きておられるゆえに関係(交わり)を持つことができます。また、②イエス様との関係においてわたしたちは支えられ、成長することができます。

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天の父なる神様、御子イエスが復活された救い主として、わたしたちをしっかりと支え、神の子として成長させてくださることを感謝します。イエス・キリストをたしかなより所として、心と生活を作り上げていくことができるように助け、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/20/2023

この日も主と共に【944】

生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。(ペトロの手紙一2章2節)

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ペトロは教会の仲間に向かって、イエス・キリストを信じるあなたがたは、《神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれ》ているのだと語ります(1章23節)。そしてこれから《混じりけのない霊の乳》のように神様の言葉を受け入れ続け、成長していきなさいと励まします。その成長のために大切なことは、①《悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口》から遠ざかることです(1節)。これらは、神様の言葉よりも人の言葉をわたしたちの心に居座らせるからです。②神様の言葉を受け入れ、《主が恵み深い方だということを味わ》うことです(3節)。この表現は、旧約聖書の『詩編』の言葉です(34編9節)。ペトロはこの手紙のやり取りも神様の言葉を受け入れ、主の恵みを味わい、成長する機会となるようにと願っています。このような成長の道のりが今も小隊・教会を通して、わたしたちの前にも開かれています。

***

天の父なる神様、聖書を通し、また、あなたの言葉を共に聴く小隊・教会の交わりを通して、あなたを信頼し、あなたの恵み深さを知る歩みへと進み入らせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/19/2023

この日も主と共に【943】

あなたがたは・・・神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。(ペトロの手紙一1章23節)

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神様は、イエス・キリストを通して、わたしたちに新しい生き方を与えてくださいました。それは、①真理を受け入れ、②魂を清められ、③偽りのない兄弟愛を抱く生き方です(22節)。
ただし、これは人の意志や努力だけでは実現できません。人の意志や努力は大切ですが、良かれと思ってすることでも傷つけ合うことが起こります。
そのようなわたしたちの生き方をほんとうに新しくすることができるのは、《神の変わることのない生きた言葉》だとペトロは語ります。それは、聖書の言葉であり(24、25節はイザヤ書40章6~8節の引用)、また、神の御子イエス・キリストが告げてくださった《福音》の言葉です(25節、参照マタイ24章35節、マルコ13章31節、ルカ21章33節)。
《福音として告げ知らされた言葉》とは、神様の愛、救い、約束、信実はけっして変わらないということです。それですから、わたしたちは今置かれているその時、その所から、くりかえし神様を見上げて立ち上がることができます。

***

天の父なる神様、いろいろなことが起きるとしても、わたしたちの命も存在もあなたの変わることのない愛によって根本から支えられていると言いうる生き方を教え、導いてください。

イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/17/2023

この日も主と共に【942】

あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。(ペトロの手紙一1章22節)

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ペトロは、イエス・キリストによって新しく始まる生き方を、《清い心》を持つ生き方であると語ります。ただし人は自分の意志や力で自分の魂を清くすることはかないません。そのように願い、力を尽くすこと自体は大切ですが、わたしたちが清くされるのは、《真理を受け入れ》ることによります。《真理》とは、まことの神様の言葉です(ヨハネ17章7節)。そして、神様の言葉を人々に知らせるために神の御子イエス・キリストがこの世に来られました。それですから、《真理》とはイエス・キリストの言葉でもあります(ヨハネ8章31、32節、15章3節)。さらに、イエス・キリストの言葉は、わたしたちを救うために十字架でご自分の命を捧げられた、深い愛に裏付けられています。神様の《真理》を受け入れて清くされる生き方は、神様の愛を受け入れて、イエス様から《偽りのない兄弟愛》をいただく生き方です。
***
天の父なる神様、聖書を通し、御子イエスを通して、あなたの愛をこれからも知り、受け入れるものとならせてください。わたしの歩みにおいてあなたの愛が現れる歩みを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

7/15/2023

この日も主と共に【941】

あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。(ペトロの手紙一1章21節)

***

神様は、わたしたちが罪の支配によって滅びることがないように、《きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血》という代償を払い(19節)、わたしたちを助け出してくださいました。イエス・キリストというお方によって示された神様の愛は、①永遠の愛です。キリストが《天地創造の前からあらかじめ知られて》いたとは(20節前半)、神様の変わらない愛の御心があったということです。②死に打ち勝つ力をともなう愛です。キリストが《この終わりの時代に、あなたがたのために現れて》くださったとは(20節後半)、神様がキリストを復活させられ、またわたしたちをも復活させてくださるということです。③神様の信実に基づく愛です。わたしたちの《信仰と希望とは》、自分たちの功績によって手に入れるものではなく、ただわたしたちを愛される《神にかかっている》のです。

***

天の父なる神様、御子イエスを通して示されたあなたの大きな愛によって、わたしの心を支えてください。あなたの愛の力強さを、家族や友、接する人々の間で現わしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


夏のバザーのご案内

 


夏のバザーを行います!

7月17日(月・祝日)午後1時半~4時半

会場・神戸小隊(神戸市中央区多聞通4丁目1-9)

どうぞお越しください!


【バザーにご来場に際して】

● 駐車・駐輪のスペースがありませんので、お越しの際には公共の交通機関、まはた、近隣の駐車場・駐輪場をご利用いただきますようお願いいたします。

● 新型コロナ感染予防のため、ご来場の前に体調をご確認いただきますようお願いいたします。また、会場における消毒等の予防策にご協力をお願いいたします。


The Salvation Army Bazaar will be held for a limited time!

Date: Monday 17 July 2023, 13:30-16:30

Venue: Kobe Corps (4-1-9 Tamondori, Chuo-ku, Kobe-shi)


【Guide for Shopping】

● There’s no car/bicycle parking.

● For Covid-19 prevention, please refrain from shopping if you have a fever.

7/13/2023

この日も主と共に【940】

あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。(ペトロの手紙一1章17節)

***

聖書は、イエス・キリストを信じる人にとってこの地上は人生のすべてではなく、《仮住まい》であると言います。わたしたちの本国は天にあります。ただし、《仮住まい》だからといって勝手気ままに生きてよいというのではなく、地上の生活も神様を畏れる生活であることが大切です。なぜなら、神様は《人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方》だからです。神様は、《きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血》という犠牲を払って(19節)、わたしたちを罪の支配から解放してくださいました。それは将来の予定ではなく、すでに神様の恵みとして実現しました。神様を畏れる生活とは、神様を怖がり気にすることではなく、神様に誠実に向かい合い応答することです。

***

天の父なる神様、《生活のすべての面で聖なる者となりなさい》という聖書の呼びかけ(15節)が、幸福のための義務や条件ではなく、あなたがすでに与えてくださった恵みに対する応答であることを教えてください。そして応答するものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/08/2023

この日も主と共に【939】

召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。(ペトロの手紙一1章15節)

***

神様は《豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ》てくださいました(3節)。そして、それは《聖なる者》になる生き方を始めることでもある、とペトロは語ります(13~16節)。人は、家族を始めさまざまな人たちと出会い、感化を受け、成長していきます。《聖なる者》とは、この世の感化で自分が作られるのではなく、イエス・キリストとの出会いを通して、神様の愛と聖さによって作られることを表しています。そのよう生き方のために大切なことは、①《いつでも心を引き締め、身を慎んで》いること、すなわち、神様の御心に対して柔軟に応答できるようになること、②神の恵みを《ひたすらに待ち望み》、《欲望にひきずられ》ないようにすること、すなわち、わたしたちの大きな祝福と喜びはこの先、イエス・キリストとふたたびお会いする時に用意されていることを見つめることです。

***

天の父なる神様、あなたはわたしたちに《聖なる者》になるようにと呼びかけられます。その呼びかけの意味と幸いを知り、応答る歩みができるように教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/06/2023

この日も主と共に【938】

預言者たちは、自分たちの内におられるキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光についてあらかじめ証しされた際、それがだれを、あるいは、どの時期を指すのか調べたのです。(ペトロの手紙一1章11節)

***

イエス・キリストを信じる人、将来について《生き生きとした希望》を神から与えられ(3節)、また、今も《神の力により、信仰によって守られ》ていると(5節)、ペトロは語ります。これはペトロたちが生み出した思想ではありません。ペトロは、《あなたがたに与えられる恵みのことをあらかじめ語った預言者たち》(10節)、また、《天から遣わされた聖霊に導かれて福音をあなたがたに告げ知らせた人たち》(12節)がいて、教会の仲間のために大切なことを語ってきたと言います。これは聖書の言葉を指しています。聖書は人が著した書物ですが、聖霊(神の霊)に導かれて書かれており、神様のお考えやご計画、そして何よりも救いの良い知らせ、《福音》が告げられています。聖書はわたしたちに希望や励ましを与える神の言葉です。

***

天の父なる神様、聖書をあなたの言葉として読み、あなたがわたしに届けようとしておられる救いの言葉、愛の言葉、慰めの言葉、励ましのことば、望みの言葉を大切に受けとるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/04/2023

この日も主と共に【937】

あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。(ペトロの手紙一1章8節)

***

ペトロによれば、神様が与えてくださる《生き生きとした希望》(3節)によって実現する生き方は、イエス・キリストを《見たことがないのに愛し、今見なくても信じ・・・喜びに満ちあふれ》る生き方です。ペトロはイエス・キリストに直接弟子として召された一人でした。それに対して、ペトロの手紙を受け取った教会の仲間は若い世代であり、イエス・キリストに直接会った経験はありませんでした。しかし、イエス・キリストは死から復活されましたので、たとえ体の目で見ることはできなくとも、どの人にも生きて関わり、愛し、救うことがおできになります。わたしたちは目に見えないものを無理に信じ込み、喜ばなければならないのではありません。復活されたイエス・キリストが人の感覚や時間や場所の限界を超えて、今もわたしたちを愛し、救い、共に生きてくださいます。このお方がわたしたちの内に愛、信頼、喜びを芽生えさせてくださいます。

***

天の父なる神様、復活された御子イエスを受け入れ、目に見えなくともこのお方と共に生きる喜びに深く入らせてください。その喜びを託されている小隊・教会の歩みを励ましください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/01/2023

この日も主と共に【936】

今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され・・・イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。(ペトロの手紙一1章6、7節)

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ペトロは、神様が与えてくださる《生き生きとした希望》(3節)がもたらす生き方を語ります。その一つは、苦しみの中でも喜びを知る生き方です(6、7節)。当時、教会の仲間たちは各地で神様を信じ、イエス様が救い主であると証ししました。しかし、当時の社会・文化・宗教の価値観とは異なる面があり、彼らはかならずしも周囲から快く受け入れられませんでした。彼らの苦しみを思いやりながら、ペトロは、①神様を信じて苦しむとき、その苦しみは信仰を無意味にせず、むしろ信仰を鍛えて本物にする《試練》として働くこと、また、②神様が備えておられる神の永遠の国にくらべれば、地上の苦しみは《今しばらくの間》であることを伝えます。神様を信じていても苦しみに遭うことがあります。それでもなお神様の豊かな憐れみがわたしたちを支え、新しい喜びへと向かわせてくれます。

***

天の父なる神様、苦しみのなかを通る時にも、あなたの憐れみと希望がなおも変わらずに与えられていることに心を向けて歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/28/2023

この日も主と共に【935】

あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。(ペトロの手紙一1章5節)

***

イエス・キリストを信じる人は、滅びに向かって生きることが終わり、神様の救いが完成する時に向かって新しく生きるようになりました。そして、今も《神の力により、信仰によって守られています》。心に留めたいのは、わたしたちを守るのは《神の力》であるということです。自分の意志の強さや信心深さもそれぞれ意味がありますが、救いを保証するものではありません。そして、《神の力》を受け入れるために必要なものが、わたしたちの《信仰》です。《信仰》は神様を信頼し、自分の心や生き方を神様に向けて開け放ち、《神の力》を受け入れることです。ちょうど豊かな水源につながる水路によって水が流れ込み、地を潤すように、わたしたちは自分の努力ではなく、《信仰》によって《神の力》を受け入れることができます。そのようなわたしたちの《信仰》を復活されたイエス様が支えてくださいます。

***

天の父なる神様、あなたは、御子イエスを死から復活させられた大きな力をもって、今もわたしたちを守ってくださいます。あなたを信頼し、あなたに守られて歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/23/2023

この日も主と共に【934】

神は豊かな憐れみにより・・・死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。(ペトロの手紙一1章3、4節)

***

神様が《豊かな憐れみ》によって、わたしたちに《生き生きとした希望》を与えてくださいました。それは、《天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産》を約束されているということです。イエス様を信じる人は、この地上の歩みを終える時にすべてが終わってしまうのではありません。神様はご自分のもとにわたしたちが新しく生きるための場所を備えてくださっています。これらのわたしたちのための《希望》を支えているのは、《死者の中からのイエス・キリストの復活》です。イエス様の復活は、神様がわたしたちを愛してくださり、わたしたちが滅びることがないようにと死に立ち向かい、勝利してくださった出来事です。それですから、イエス・キリストはわたしたちの希望です。

***

天の父なる神様、いろいろな希望が語られる中で、わたしたちのために死なれ、復活されたイエス・キリストに望みを見いだし、心を確かにするものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/22/2023

この日も主と共に【933】

わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ・・・てくださいました。(ペトロの手紙一1章3節)

***

ペトロは、教会の仲間に宛てて手紙を送りました。あいさつと祈りによって手紙を始め(1章1、2節)、続いて神様への感謝を表します(1章3~12節)。生活の場や経験していることが違うとしても、《わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように》と歌う生き方においてわたしたちは同じところに立てる、とペトロは言います。そう言えるのは、神様が《豊かな憐れみ》をもってわたしたちを愛し続けてくださるからです。その《豊かな憐れみ》によって、《わたしたちを新たに生まれさせ》てくださいました。環境、健康、経歴、能力、知識、財産など、わたしたちの人生に大きな影響を及ぼすものは多くあります。しかし、イエス・キリストを信じる人は影響されても、支配はされません。神様がわたしたちの《父》となってくださっているからです。

***

天の父なる神様、あなたの豊かな憐れみを知り、あなたへの賛美に立つものとならせてください。困難や痛みの中にもあなたに向かって歌う歩みをわたしに、小隊・教会にお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/21/2023

この日も主と共に【932】

あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。(ペトロの手紙一1章2節)

***

ペトロは、イエス・キリストを信じる人々を神様から《選ばれた》人々と呼びます。神様はわたしたちのために、わたしたちよりも先に行動してくださるお方です。①《父である神があらかじめ立てられた御計画》とは、神様がわたしたちの過去・現在・将来にみな関わってくださるということです。②《霊によって聖なる者とされ》るとは、聖霊がわたしたちの心や生き方に力強く働き、わたしたちを神の子として作ってくださるということです。③イエス・キリストの《血をそそぎかけていただく》とは、イエス・キリストの十字架の死によって神様とわたしたちの関係が回復したということです。このような神様が今もわたしたちと共におられることが、《恵みと平和が・・・ますます豊かに与えられるように》と祈ることができる理由です。

***

天の父なる神様、あなたはわたしを知っておられ、共にいてくださいます。あなたの恵みと平和をわたしの心と生活に、また、家族や関わる人々、小隊・教会に豊かにお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/20/2023

この日も主と共に【931】

・・・各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ・・・恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。(ペトロの手紙一1章1、2節)

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ペトロは、イエス・キリストを共に信じる教会の仲間を、①《離散》している人たち、②《仮住まい》をしている人たち、③《選ばれた》人たちと呼びます。《離散》という表現は、戦禍によって祖国を追われ、各地に散らされたイスラエル民族の歴史に由来しています。これらの呼びかけをもってペトロが伝えたいことは、さまざまな地域における教会が別々の集まりではなく、神様の目には一つであるということです。そして、地上においてさまざまな状況を通るとしても、《天》、すなわち神の国に向かって共に歩んでいるということです(参照フィリピ3章20節)。《仮住まい》といっても、地上で生きることに意味がないということではありません。地上においても神様の《恵みと平和》を受け取り、神様に希望があることを自分たちも見出しつつこの世に明らかにしていく歩みを、教会・小隊、また、わたしたちは託されています。

***

天の父なる神様、あなたが御子イエスによって招いておられる神の国を目指しながら地上の歩みを続けることができますように、あなたの恵みと平和によって支えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/19/2023

この日も主と共に【930】

イエス・キリストの使徒ペトロから・・・各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。(ペトロの手紙一1章1節)

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『ペトロの手紙』は、イエス様の弟子であったペトロが年齢を重ねてから、教会の仲間を励ますために書いた手紙であると言われています(紀元62、3年頃)。ペトロは《イエス・キリストの使徒》と自分を言い表します。「救い主であるイエス様から遣わされた者」という意味です。自分をえらく見せているのではありません。彼はイエス様に近くいながらしばしば失敗をしました。しかしイエス様に赦され、立ち上がらせていただきました。イエス様はペトロに語られました。《あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい》(ルカ22章32節)。このイエス様の言葉に支えられてペトロは語り出します。今、教会・小隊、わたしたち一人一人も、ペトロのように、イエス様の励ましを取り次ぐものとされています。

***

天の父なる神様、あなたは御子イエスによってわたしたちを救い、神の子という新しい生き方に入れてくださいました。イエス・キリストと共に生きる自分であることをありのままの姿において表し、恵みと力を取り次ぐものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/17/2023

この日も主と共に【929】

あなたがたは世の光である。・・・あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。(マタイによる福音書5章14、16節)

***

イエス様は弟子たちを《世の光である》と言われました。「世の光になりなさい」ではありませんでした。「これから世の光になれるだろう」でもありませんでした。イエス様がすでに彼らを照らし出してくださったからです。そして、《あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい》と言われました。このイエス様の言葉によって弟子たち、またその後に続く教会・小隊、さらにイエス様を信じるわたしたち一人一人にも、存在する意味、行動する意味が与えられています。

***

天の父なる神様、御子イエスによって《世の光》とされていることを覚えて歩むものとならせてください。高ぶらず、卑下せず、今の自分を喜びつつ、あなたをあがめるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

6/16/2023

この日も主と共に 【928】使命を受けて生きる(7)

わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。(コリントの信徒への手紙一15章58節)

***

イエス・キリストは復活され、イエス・キリストを信じる人にも復活の希望を与えてくださいました。《死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。》(52節)イエス・キリストは今も生きておられ、ご自分に結ばれている一人一人を覚え、めいめいの働きをご自分の業としてくださり、無駄にはなさいません。このお方がわたしたちを支えていてくださいます。

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天の父なる神さま、御子イエスが復活された主であり、また、あなたが《わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神》であることを覚えて、小隊・教会に集まる兄弟姉妹と共に《主の業》に励む歩みを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(57節)


6/15/2023

この日も主と共に 【927】使命を受けて生きる(6)

真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。(ヨハネによる福音書17章17、18節)

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イエスさまは十字架にかかられる直前、弟子たちのために祈られました。その祈りにおいて明らかになったのは、弟子たちはこの世に取り残されるのではなく、むしろ世に遣わされるということでした。イエスさまご自身も神さまから遣わされたお方です。それはこの世を愛し、救うためでした(参照3章17節)。弟子たち、また彼らに続く教会・小隊、わたしたちも、この世を愛し、救おうと望まれる神の御心によって、それぞれの生活の場へと遣わされています。

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天の父なる神さま、わたしが今置かれている場所や状況の背後にあなたの大きな御心があることに心を留め、御子イエスに遣わされた者として歩むことができますように、御言葉によって導いください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/14/2023

この日も主と共に 【926】使命を受けて生きる(5)

ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです。(使徒言行録16章36、37節)

***

ダビデは旧約聖書に登場するイスラエルの偉大な王です。彼は信仰をもって歩み、多くの功績を残しましたが、地上の生涯については他の人々同じように終わりを迎えました。ただし、ダビデは《彼の時代に神の計画に仕え》ました。そして、神さまは《このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです》(23節)。神さまのために生きたことの実りのすべてを自分の目で見届けられるというわけではないかもしれません。しかし、神さまはご自分の永遠のみわざにわたしたちを参加させてくださっています。

***

天の父なる神さま、すぐに成果が見られない時にも、あなたの愛とみわざの広さ、大きさをを思い、あなたに信頼して歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/13/2023

この日も主と共に 【925】使命を受けて生きる(4)

キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。(エフェソの信徒への手紙5章2節)

***

イエスさまはわたしたちを愛し、わたしたちを愛によって歩むものとしてくださいます。その歩みは、聖書にあるイエスさまの言葉をたどっていくと、①神を愛する歩み、②隣人を愛する歩み、③神の救いの知らせ(福音)を世界に伝える歩み、④神の家族(教会・小隊)に加わることによってイエスさまとつながる歩み、⑤イエスさまに学びながらイエスさまに似たものとして成長することのできる歩みです。《わたしの愛にとどまりなさい》というイエスさまの言葉によって、わたしたちの歩みは支えられています(ヨハネ15章9節)。

***

天の父なる神さま、あなたとあなたが遣わされた御声イエスの愛をたしかなより所として歩むことができるように教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/12/2023

この日も主と共に 【924】使命を受けて生きる(3)

神がわたしたちを憐れみ、祝福し
御顔の輝きを 
わたしたちに向けてくださいますように
あなたの道をこの地が知り
御救いをすべての民が知るために。
(詩編67編2、3節)

***

聖書は、神さまに《憐れみ》、《祝福》、《御顔の輝き》を求める祈りを教えてくれます。わたしたちは、神さまがわたしたちを愛し、祝福し、喜んでくださることをすなおに願ってよいのです。それはご利益の祈願や自分中心の願いごとと同じではありません。《すべての民》が神さまと共に生きることを知り、神の救いの力がすべての人に及ぶために、神さまはわたしたちの歩みを世界に向けた祝福の知らせとしてくださいます。

***

天の父なる神さま、あなたが世界を救い、祝福されるために、わたしたち一人一人をあなたの愛と力の器として整え、お用いください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/10/2023

この日も主と共に 【923】使命を受けて生きる(2)

あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。(ペトロの手紙一3章15、16節)

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神さまは、イエス・キリストを信じる者の言葉や行動、生きる姿を通してこの世界に《希望》を伝えようと望まれます。まことの神さまはどのようなお方なのか。聖書から得られる真理、教訓は何か。イエス・キリストを知って発見したもの、受けとったものは何か。神さまと正しい関係を築いて生きるときにどのような幸いがあるのか。同じ楽譜を演奏するとしても楽器や演奏者によって音楽に彩りが生まれるように、神さまはわたしたち一人一人の生活を用いてくださいます。

***

天の父なる神さま、神の御国の幸いを映し出すものとして、わたしの言葉や行い、日ごとのはたらきを清め、御心によってお用いください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/09/2023

この日も主と共に 【922】使命を受けて生きる(1)

あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイによる福音書28章19、20節節)

***

マタイによる福音書は、イエスさまが教会全体に与えられた命令を伝えています(大宣教命令)。それは「使命」とも言えます。(使命とは使者として与えられた任務や命令のこと。)
イエスさまは、
①すべての民を救うという目的を持っておられます。
②その目的のために教会に方法を教え、わたしたちの言葉と行動を必要とされます。
③わたしたちがイエスさまの使者として歩めるように、世の終わりまで共におられます。

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天の父なる神さま、自分の目標や人の期待をかなえることで終わらない生き方、あなたの使命を帯びて主と共に進む生き方を教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/08/2023

この日も主と共に 【921】神と人のために生きる(7)

主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。・・・わたしは弱いときにこそ強いからです。(コリントの信徒への手紙二12章9、10節)

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イエスさまを信じることは、自分がなりたいと思う理想的な人や完ぺきな人になることではありません。イエスさまを信じた後にも、わたしたちには限界があり、《弱さ》があります。しかし、神さまは、そのようなわたしたちの内に《キリストの力》を宿らせくださいます。《キリストの力》は、ありのままの自分を認め、神さまに信頼し、いろいろなことが起きても神の愛から離れず、立ち上がれる生き方を可能にします。

***

天の父なる神さま、自分の弱さを切り捨てる強さではなく、《キリストの力》によって自分の弱ささえも恵みの器となり得る強さをお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/07/2023

この日も主と共に【920】神と人のために生きる(6)

何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。・・・それはキリスト・イエスにもみられるものです。(フィリピの信徒への手紙2章3~5節)

***

《何事も利己心や虚栄心からするのではなく》とは、自分にどのような得があるかを計算したり、自分が相手よりも上に立てるかどうかを気にして態度を決めてはならないということです。それは人を見ているようでいて、結局は自分を見ているのだというのです。聖書があえてこの点を触れるのは、わたしたちに違う世界を見せたいからです。神と親しく向き合い、人にも真実に向かい合う、イエスさまが見ておられた世界です。神の僕(しもべ)が見ることのできる世界です。

***

天の父なる神さま、神と人に仕える者となられた御子イエスのもとに心を引き寄せてください。ひと足ずつ主の後に続くものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/06/2023

この日も主と共に【919】神と人のために生きる(5)

あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。(マルコによる福音書10章43、44節)

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イエスさまは、弟子たちが《偉くなりたい》と思うこと自体をお叱りにはなりませんでした。ただし、偉くなるため本当に必要なのは、支配や権力ではなく、《皆に仕える者》、《すべての人の僕(しもべ)》になることだと言われました。それはただ言いなりになる人ではなく、相手がどのような状態にいて、何を必要としているのかをよく考え、そのために自分を惜しまずに使うことができる人です。そのように生きるためには、支配や権力とは性質の違う力が必要です。イエスさまはその力を持っておられました。そしてわたしたちの救いのために十字架にかかり、ご自身を捧げてくださいました。

***

天の父なる神さま、御子イエスが教えてくださった《仕える者》の歩みに加わらせてください。御子イエスの愛と力を心に注いでください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/05/2023

この日も主と共に【918】神と人のために生きる(4)

わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。(ローマの信徒への手紙12章4、5節)

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イエス・キリストを信じることは、自分の個性を無視して、何か理想的な人になることではありません。神さまを信じても、関心や得手不得手は人によって違います。神さまは、わたしたちの個性や違いを取り扱ってくださり、イエス・キリストに結ばれる《一つの体》として作り上げてくださいます。教会・小隊は、実際にはいろいろな試行錯誤や課題にぶつかることもありますが、神さまがご覧になっておられる世界の中で自分の受け持つ分を見出し、協力する集まりです。

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天の父なる神さま、御子イエスの体の一部として、あなたの愛と力を伝えあい、分かちあうものとしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/03/2023

この日も主と共に【917】神と人のために生きる(3)

神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。(コリントの信徒への手紙二1章4節)

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神さまは、イエス・キリストを信じる一人一人に神の善い業に役立つ力を贈り物として与えてくださいます(賜物)。また、神さまはわたしたちを作られたお方ですので、一人一人の個性や経験も神の贈り物の一部であるということができます。ときには受けとめ難く思われる自分の状況や経験がありますが、神さまは痛みや悲しみも含めてわたしたちを受け入れてくださり、神の慰めの業のために用いてくださいます。

***

《わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる》神さま(3節)、あなたの作品として自分の姿や経験の一つ一つに意味、目的、役割があることを心に留めて歩むことができるように支え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/02/2023

この日も主と共に【916】神と人のために生きる(2)

賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。(コリントの信徒への手紙一12章4~6節)

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イエスさまを信じる人には、神の善い業に役立つ力が与えられます。それは人間の才能や特技のことではなく、聖霊によって与えられる贈り物、《賜物》です。また、神さまと人に対する《務め》、すなわち奉仕の機会や場が与えられます。教会・小隊は、自分に何ができるかを競う場所ではなく、神さまの大きな目的を知り、神さまの《働き》に参加する場所です。

***

天の父なる神さま、あなたはわたしたち一人一人を違うものとして創造し、それぞれに役割を与えてくださいます。お互いが違うという喜び、また、違う者同士であっても思いと力を合わせることのできる喜びを、御子イエスによって経験させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/01/2023

この日も主と共に【915】神と人のために生きる(1)

わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。(エフェソの信徒への手紙2章10節)

***

イエス・キリストを信じる人は一部が改善されるのではなく、すべてが新しく創造されます。そして、神さまに喜ばれる作品となります。ただの置き物、飾り物ではなく、神さまの《善い業》のために用いられる作品です。今、この世界は多くの苦しみ、悲しみ、憎しみ、迷いを抱えていますが、元々は神さまの《善い業》によって創造されました。それですから神の愛、真理、清さ、力を自らも受け入れ、この世界に携えていく神の作品が大切であり、必要とされています。

***

天の父なる神さま、あなたはわたしたちに神の作品という意味と目的を与えてくださいました。あなたの愛を受け入れ、映し出すものとしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/31/2023

この日も主と共に【914】キリストのように生きる(7)

あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。(フィリピの信徒への手紙1章6節)

***

成長や進歩を実感できることはうれしいことですが、努力がなかなか実らない時には焦りや徒労感を覚えます。信仰の成長についてもそのような思いをすることがあるかもしれません。それでも、聖書は、①神さまは確かに《善い業》を始めておられ、そして、②《キリスト・イエスの日》、すなわちイエスさまが天からふたたび来られる日までに、《善い業》を完成してくださると約束しています。わたしたちは、神さまの時があることを心に留めて歩むようにと呼ばれています。

***

天の父なる神さま、自分の望むようにいかない状況に置かれるときにも、御子イエスによって、なおもあなたの《善い業》のうちにあることを思い起して歩み続けることができるように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/30/2023

この日も主と共に【913】キリストのように生きる(6)

神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(コリントの信徒への手紙一10章13節)

***

《試練》や《誘惑》によって心も信仰も揺さぶられる経験をすることがあります。
しかし、神さまは、
①わたしたちの限界を知って働いてくださいます。
②《逃れる道》を備えてくださいます。
③わたしたちが《耐えられるように》支えてくださいます。
また、聖書が《あなたがた》と呼んでいることが心に留まります。《試練》や《誘惑》から逃れる道を共に祈り求め、励ましを取り次ぐために小隊・教会は集められています。

***

天の父なる神さま、《試練》や《誘惑》に遭う時に、そこにもなおあなたの助けがあることを思い起こさせてください。あなたの御言葉を確かめ合い、新しい力を受け入れることができるように、小隊・教会の交わりを御心によって整え、用いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/29/2023

この日も主と共に【912】キリストのように生きる(5)

試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。(ヤコブの手紙1章12節)

***

《誘惑》や《試練》は、『神さま、イエスさまを信じているのに、どうして』と神さまへの信頼が揺さぶられる出来事です。ただし《誘惑》と《試練》は別ものものです。《誘惑》は神さまを疑わせ、わたしたちの願望を誤った方向にむけ、わたしたちを神から引き離します。《試練》は辛い経験をも用いてわたしたちを鍛えます。イエスさまご自身も誘惑や試練をお受けになり、天の父である神さまへの信頼を深めて歩まれました。山道がときに険しくても頂上に至ればすばらしい景色が広がるように、神さまは神の子が見ることのできる世界を見せるために、さまざまな道のりを導かれます。

***

天の父なる神さま、試練や誘惑によって揺さぶられる時に、わたしたちをお守りください。御子イエスの祈りと励ましを思い起こさせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

5/27/2023

この日も主と共に【911】キリストのように生きる(4)

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。(ローマの信徒への手紙8章28、29節)

***

聖書は、神さまを信じるならものごとがうまく運ぶ、とは言いません。神さまは、わたしたちのために《御計画》を持っておられます。それはわたしたちを《御子の姿に似たものにしよう》という計画です。その計画を実現するために、一つ一つが《益》となるようにしてくださいます。願いがかなわず苦闘するような状況をも、神さまは、イエスさまと共に歩む道のり、イエスさまのように生きる道のりとしてくださいます。

***

天の父なる神さま、今の自分の状況や経験する出来事があなたの計画において益とされることを覚え、心を確かにして歩めるように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/26/2023

この日も主と共に【910】キリストのように生きる(3)

〔イエスは言われた。〕わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。(ヨハネによる福音書8章31、32節)

***

わたしたちの成長のためには、食物を通して栄養を取ることや書物を通して知識を得ることが必要です。それらに加えて、神の子としての成長には、神の御言葉を通して《真理》を知ることが欠かせません。イエス・キリストが語られた言葉、聖書の言葉を通して、神さまは今もわたしたちに働きかけてくださり、大切にすべきこと、必要なことを教えてくださいます。聖書はわたしたちを制約する言葉ではなく、わたしたちが神さまを知ってのびやかに生き力を与える言葉です。

***

天の父なる神さま、聖書を読み、あなたの御言葉を心に蓄える歩みを導いてください。また、共に聖書を読み、学び、新しい力を受けることができるように、小隊・教会を励ましてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/25/2023

この日も主と共に【909】キリストのように生きる(2)

あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。(ローマの信徒への手紙12章2節)

***

赤ちゃんが生まれた時、赤ちゃんの存在そのものがお父さんとお母さんにとっては喜びです。そして、赤ちゃんが育つことがさらに新しい喜びとなります。神さまも、わたしたちがイエスさまを信じ、神の子として新しく生き始めることを喜ばれます。そしてさらにご自分の思いを知り、関わりを深め、成長することを喜ばれます。その成長のためには新しい心が必要です。神さまとしっかりつながり、大切なことを吸収していく心です。イエスさまが与えてくださる心です。

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天の父なる神さま、あなたに喜ばれる歩みができるように、自分の成長となる歩みができるように、心を新しくし、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/24/2023

この日も主と共に【908】キリストのように生きる(1)

神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。(ローマの信徒への手紙8章29節)

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神さまは、わたしたちが《御子の姿に似たもの》となることを喜び、望んでおられます。そのために、イエス・キリストは十字架で死なれ、わたしたちを神さま子となる生き方へと移してくださいました。わたしたちは、イエス・キリストが長男で自分たち兄弟姉妹となるような神の家族に受け入れられています。神さまは、イエス・キリストと同じようにわたしたちを愛し、ご自分の力、すなわち聖霊の力をわたしたちの内に働かせて神の家族として成長させてくださいます。

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天の父なる神さま、あなたはわたしたちの人生に、御子イエスに似たものとなるという大きな目的と可能性を与えてくださいました。わたしたちの心と体をあなたの愛と力によって守り、育ててください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/23/2023

この日も主と共に【907】神の家族となって生きる(7)

神から招かれたのですから・・・愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。(エフェソの信徒への手紙4章1~3節)

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神さまは、イエス・キリストを信じるわたしたちを一人きりにはせず、教会・小隊として呼び集められます。わたしたちが教会・小隊に所属しているのは自分の意志によるとも言えますが、それと共に、《神から招かれた》からであるとも言えます。人は完全ではありませんから、人が集まる以上、教会・小隊であってもすれ違いや衝突は起こり得ます。そのことも神さまは知っておられ、ご自分の《愛》、《平和》、《霊》によって信じる者たちをつなぎ合わせてくださいます。

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天の父なる神さま、あなたの愛と平和と聖霊によって教会(小隊)とここに関わりを持つ一人一人をお守りください。そして、信じ、愛し、希望を持つ歩みを共に進むことができるように導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/22/2023

この日も主と共に【906】神の家族となって生きる(6)

だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。(ローマの信徒への手紙12章17、18節)

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心無い言葉や仕打ちは傷つきますし、悲しくなります。怒りを覚えることもあります。それでも《すべての人の前で善を行うように心がけなさい》、《すべての人と平和に暮らしなさい》と聖書が言うのは、どのような状況にあるとしても神さまがわたしたちの人生を分かち合い、一緒に作り続けてくださっているからです。神さまは、わたしたちが神のようになって相手を裁くことではなく、この世界や人々のうちに残されている良いものを発見し、つなぎ合わせていくことを、わたしたちの受け持つ分として望んでおられます。

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天の父なる神さま、嘆きや悲しみも含めてわたしのすべてをあなたの平和で覆ってください。そして世界を作るあなたのみわざに参加させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/20/2023

この日も主と共に【905】神の家族となって生きる(5)

上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。(ヤコブの手紙3章17、18節)

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《平和を実現する》ことは大切ですが、考えてみると、それは平和とは言えない状況に関わることや、平静を装っても胸の内では黒いものがうごめくような人の裏表に接することを引き受けることでもあります。また、平和を実現するつもりで自分の小さな正義を振りかざしてしまう危うさと隣り合わせになることでもあります。かじ取りの難しい道のりですが、聖書は《上から出た知恵》、神からの知恵によって歩みなさいと言います。それは裏表の無い愛と正しさに結ばれた知恵です。

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天の父なる神さま、あなたの知恵と力を与え、自分の置かれている状況から少しずつでも平和が生まれ、広がるような歩みを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/19/2023

この日も主と共に【904】神の家族となって生きる(4)

互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。(ガラテヤの信徒への手紙6章2節)

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《キリストの律法》とは、イエスさまがわたしたちに望まれる生きる筋道があることを表しています。それは人と比べて自分だけが良い人、立派な人になろうと努力することではありません。イエスさまが教えてくださる平和によってお互いに調和すること(同じ音でなくともイエスさまを基準にしてめいめいの音程を合わせること)、またお互いの歩調を合わせることです。イエスさまは、遅い人を置き去りにするような歩き方ではなく、手をさしのべ合って進むことを喜ばれます。

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天の父なる神さま、家族、学校、職場、地域、小隊・教会のそれぞれの場において、あなたの平和をお与えください。手をさしのべること、また、さしのべられた手を受けとめることを教えてください。イエスさまとみなで共に歩めるように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/18/2023

この日も主と共に【903】神の家族となって生きる(3)

わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。(ローマの信徒への手紙12章4、5節)

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聖書は、イエスさまを信じる人たちを「キリストの体」と呼んでいます。イエスさまはわたしたちを友と呼び、けっして独りにさせないとご自分のもとに集めてくださるお方です。その集まりが今日の教会・小隊です。「教会」という言葉は「呼び集められた人たち」という意味の言葉に由来します。また、「小隊」という言葉は「体」という意味の言葉に由来します。わたしたちは今も「キリストの体」につながり、イエスさまから栄養を受け、育つことができます。

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天の父なる神さま、御子イエスの体としてつながるわたしたちをお守りください。あなたの愛と力をわたしたちの心と生活に新しく注いでください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/17/2023

この日も主と共に 【902】神の家族となって生きる(2)

兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。(ガラテヤの信徒への手紙5章13節)

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神さまは、わたしたちを救うために独り子を犠牲にされました。イエスさまは神の御子でありながら、わたしたちの友となるために人となられました。聖霊は風のように世界を行き巡ることができますが、わたしたちの心に神さまの愛を注ぎ入れるために、一人一人の内に宿られます。神さまは本来、何ものにも支配されない自由なお方ですが、わたしたちを愛するためにご自分の自由を使われます。それですから、神の家族は神さまから自由をいただくと共に、その自由をどのように使うのかを学びます。愛することを学びます。

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天の父なる神さま、あなたの与えてくださる自由をたしかに受けとめて歩むことができるように、わたしたちの心をあなたの愛に引き寄せてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/16/2023

この日も主と共に【901】神の家族となって生きる(1)

天地創造の前に、神はわたしたちを愛して・・・キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。(エフェソの信徒への手紙1章4、5節)

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イエス・キリストを信じるとは、神の家族になることだと聖書は語ります。
①神さまは、わたしたちがこの世界に生まれる前からわたしたちの存在を認め、愛しておられます。
②まことの神の子はイエス・キリストお一人ですが、イエス・キリストがわたしたちと神さまとの間を仲立ちしてくださるので、わたしたちは神の子となることができます。
③わたしたちが神の家族に入ることを、神さまご自身が望んでおられ、喜んで待っていてくださいます。

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天の父なる神さま、御子イエスによって、あなたの家族として受け入れられたことを感謝します。あなたの愛のうちに確かな支えを得させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/15/2023

この日も主と共に【900】神に喜ばれて生きる(8)

金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。(ヘブライ人への手紙13章5節)

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わたしたちが信じる神さまは、《わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない》と言ってくださるお方です。考えさせられるのは、『ヘブライ人への手紙』の著者が、神さまに信頼する生活と金銭に執着する生活とを対比させているということです。この世の生活で金銭は大切であり必要です。しかし金銭はわたしたちに近づくこともあれば、離れることもあります。地上を去る時には、わたしたちが金銭を手放さなければなりません。しかし、神さまはわたしたちを手放さず、天の御国に入れてくださいます。

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天の父なる神さま、目に見えなくとも、確かで安全なあなたの御手のうちにわたしを受け入れ、心と体と暮らしに深い土台をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/13/2023

この日も主と共に【899】神に喜ばれて生きる(7)

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。(マルコによる福音書12章30節)

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音楽の演奏には、楽器を操作すること、楽譜を読むこと、指揮者やほかの演奏者と息を合わせること、伝える気持ちを持つことなどが必要です。イエスさまは、《あなたの情熱と祈りと知性と力を総動員して神を愛しなさい》と言われます。神さまはこの世界とわたしたちを作られ、ご自分の愛する独り子を与え、聖書を与え、聖霊を遣わし、小隊・教会を支え、すでにわたしたちに対する愛をさまざまに示しておられます。それですから、今の自分をのびのびと使って神さまの愛に応答し、神さまと共に生きていきなさいとイエスさまは言われます。

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天の父なる神さま、御子イエスによって、あなたの愛を受け入れ、わたしたちも一歩ずつでも真実に、あなたを愛する歩みを教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/12/2023

この日も主と共に【898】神に喜ばれて生きる(6)

不法を行う者をうらやむな、
その道を選ぶな。
主は曲がった者をいとい 
まっすぐな人と交わってくださる。
(箴言3章31、32節)

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《不法を行う者》とは、自分の力だけを頼りとして自分の望むままに生きようとする人のことです。それは精力的で充実した人生に見えますが、聖書はうらやましく思ったり、真似をしてはならないと注意します。その生き方はいつしか周囲を自分の敵か味方かで区別するようになり、神さまとも歩調が合わなくなるからです。
神さまが友情を育まれるのは《まっすぐな人》です。それは肩肘を張らず、けんか腰にならならず、神さまと向かい合うことのできる人です。神さまを信頼できる相手とし、また、神さまに尊重されるわたしとして生きる道へと、聖書は呼びかけています。

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天の父なる神さま、御子イエスによって、あなたとの親しい交わりに入らせてください。信頼できる喜びと信頼される喜びを生活にお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/11/2023

この日も主と共に【897】神に喜ばれて生きる(5)

主を畏(おそ)れる人に 主は契約の奥義を悟らせてくださる。(詩編25編14節)

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この言葉は、ある英語の聖書では次のように訳されています。《主は、ご自分を畏(おそ)れる人たちの友である。主は、ご自分の契約を彼らに教えてくださる。》神さまがわたしたちに望んでおられるのは、わたしたちが顔色をうかがってびくびくするような関わりではなく、大切なことを打ち明け、分かち合うような親しい関わりです。それはまた《契約》と呼ぶほどの大切な約束を交わす関わりでもあります。神さまはご自分を畏(おそ)れる人に《選ぶべき道を示される》お方であり(12節)、わたしたちの人生に責任を負い、祝福へと導いてくださいます。

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天の父なる神さま、あなたはわたしたちを愛し、御子イエスをわたしたちの友として、また人生の道として与えてくださいました。あなたに御心と約束によって力を得、歩む者とならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/10/2023

この日も主と共に【896】神に喜ばれて生きる(4)

あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。(ローマの信徒への手紙6章13節)

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神さまはわたしたち一人一人の人生に対して目的を持っておられ、神さまに応答して生きることを望んでおられます。《義のための道具として神に献げなさい》とは、機械のようになって教えを守れというよりも、豊かな息を吹き込まれてラッパが鳴り響くように、わたしたちの体、力、時間、持物、生活に神さまの愛が行きめぐり、神さまの愛がさまざまなかたちで実を結ぶ人生を生きよという呼びかけです。

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天の父なる神さま、わたしの心と生活にあなたの愛を行きめぐらせてください。わたしたちのうちにある淀(よど)みを聖霊の息吹によって吹き払い、あなたの生き生きとした力につながる歩みをお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/09/2023

この日も主と共に【895】神に喜ばれて生きる(3)

主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく
人の足の速さを望まれるのでもない。
主が望まれるのは主を畏れる人
主の慈しみを待ち望む人。
(詩編147編10、11節)

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神さまは、《馬の勇ましさ》や《人の足の速さ》、すなわち、わたしたちの能力や手に入れたものを見てわたしたちを評価し、喜ばれるのではありません。
神さまは、《主を畏れる人》、すなわち、神さまを礼拝する人、また、《主の慈しみを待ち望む人》、すなわち、神さまの愛を信頼する人を喜ばれます。
幼い子供が特別な何かをするわけでなくとも両親を信頼して笑顔でいる姿を、両親が喜び、愛(いと)おしむように、神さまはわたしたちの存在を、また、わたしたちの信頼を喜ばれます。

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天の父なる神さま、あなたはわたしたちを作られ、今も見守っていてくださいます。聖書を通して、あなたに喜ばれる生き方を教えてください。あなたと共に喜ぶことのできる生活に入らせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/08/2023

この日も主と共に【894】

わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。(ヨハネの手紙一1章3節)

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聖書はたくさんの大切なことをわたしたちに伝えていますが、その中心ははっきりとしています。《御父と御子イエス・キリストとの交わり》に、わたしたちが呼ばれているということです。くだいて言いかえれば、神さまも、イエスさまも『わたしたちのところにおいで、一緒に歩んでいこう』と呼んでくださっているということです。そして、その呼びかけを自分たちだけの特権にして鍵をかけるのではなく、さらに広く伝えたいというのが救世軍を含めキリスト教会の願いです。

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天の父なる神さま、あなたはわたしたち一人一人の存在を認め、今も語りかけてくださいます。あなたに応答し、新しい交わりに入らせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/06/2023

この日も主と共に 【893】一週間の終わりの祈り

あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは・・・自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。(ペトロの手紙二2章1節)

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ペトロは《偽教師》に注意するように呼びかけます。《偽教師》とは自分勝手に聖書を解釈する人々を指しています(参照1章20節)。彼らも聖書を読んでいまが、それは自分たちだけが快適に暮らすためにすぎないとペトロはきびしく指摘しています(2章全体)。幸福を求めること自体は悪くありません。実際、聖書は有意義な人生を指南できる書物です。しかし、イエスさまがこの世に来られた目的、このお方の十字架の死と復活の意味を知ることがなければ本末転倒です。

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天の父なる神さま、つまずかせる言葉、ただ耳あたりのよい言葉、役立つ言葉、必要な言葉がわたしたちの生活にさまざまに行き交います。ご自分を真理として示し、聖書を通して語り続けくださる御子イエスに聴き、歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/05/2023

この日も主と共に 【892】神に喜ばれて生きる(2)

主は御自分の民を喜び 
貧しい人を救いの輝きで装(よそお)われる。
主の慈(いつく)しみに生きる人は
栄光に輝き、喜び勇(いさ)み
伏していても喜びの声をあげる。
(詩編149編4、5節)

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神さまはご自分を信頼する人を喜ばれます。そして《貧しい人を救いの輝きで装(よそお)われ》る、すなわち、《へりくだる者を勝利をもって飾られ》ると聖書は言います(口語訳)。また、《栄光に輝き、喜び勇》むとは、神さまを信じる人が自分で功績を立てて立派になるという意味ではなく、神さまの栄光によって喜び躍(おど)る生き方に移されるという意味です。神さまは今も、イエス・キリストを通して、このような生き方へとわたしたちを呼んでくださっています。

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天の父なる神さま、御子イエスによってわたしたちを受け入れ、心と体、また生活にあなたの救いの輝きをまとうものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン