3/23/2021

受難節の祈り【20】

サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った。
しかし、主はサムエルに言われた。
「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
(サムエル記上16章6~7節)

主なる神さま、あなたは、わたしたちを目に映ることで判断されず、わたしたちの心をご覧になります。あなたの眼差しを覚えて励ましをいただき、また同時に、襟を正すことができますように。そして、あなたの赦しと恵みによって、御子イエスの清さを映し出す心を形作ってください。アーメン

3/22/2021

受難節の祈り【19】

わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり
嘆きもあなたには隠されていません。・・・
主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。
わたしの主よ、わたしの神よ
御自身でわたしに答えてください。 (詩編38編10、16節) 

主なる神さま、平安を失い、あなたが遠く離れてしまったと感じるときがあります。しかし実際は、周りからくる罪によって、そして、自分の内の罪によって、わたしがあなたから遠ざかっているのです。そのようなわたしたちのために、十字架の上で神に見捨てられたものとなり、とりなしてくださった御子を感謝します。御子によって祈りと共に歩ませてください。アーメン

3/20/2021

受難節の祈り【18】

正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
(ローマの信徒への手紙5章7~8節) 

主イエスよ、あなたはわたしたちのために、命を惜しまず、十字架の上で死を迎えられました。あなたの十字架を心から仰ぎ、すでに神に愛されている恵み、赦されている恵み、死から救い出されている恵み、新しい命へと招かれている恵みを日ごとに新しく受け取り、歩みます。アーメン

3/19/2021

受難節の祈り【17】

イエスは答えて言われた。
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
(ヨハネによる福音書4章13、14節) 

主イエスよ、あなたは、名もない一人の孤独と心の渇きを心に留め、喜びが泉のようにわき出る人生へと導かれました。どうぞ、わたしたちも、あなたが与えてくださる命の水を受け取ることができますように。あなたにを通して、まことの天の父を知って生きる喜びに与らせてください。アーメン

3/18/2021

受難節の祈り【16】

主はわたしたちの神、
わたしたちは主の民 
主に養われる群れ、
御手の内にある羊。
今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。
(詩編95編7節)

主なる神さま、あなたはわたしたちの命を守り、祝福に与らせてくださいます。御子イエスを通し、聖書を通し、あなたが呼び集められた信仰の交わりを通して、あなたの慈しみに満ちた御声を聴かせてください。自分の思いや人の声で心が占められそうになるときに、あなたの御言葉によって確かな道を導いてください。アーメン

3/17/2021

受難節の祈り【15】

 

民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」・・・彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。 (出エジプト記17章7節) 

主なる神さま、イスラエルの民は奴隷の苦しみから解放され、最初はおおいに喜びました。しかし、旅のきびしさのゆえに、あなたを疑い、不満を抱きました。どうか、わたしたちの心と歩みを、あなたの変わることのない恵みと力によってお守りください。あなたの信実を見つめ続けるものとしてください。アーメン

3/16/2021

受難節の祈り【14】

イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
(マタイによる福音書17章1~2節) 

主イエスよ、あなたが弟子たちの前で現された、太陽のように輝く姿、光のように白い装いは、天の父の御心に従って生きるお姿、神の御言葉に立って人生を歩み抜かれるお姿でした。御子のうるわしい装いに、わたしたちも与らせてください。表面を取り繕うものではなく、内側から命が清い輝きを放つものとしてください。わたしたちを「世の光」と呼んでくださるあなたを見上げ、後に続かせてください。アーメン

3/15/2021

受難節の祈り【13】

不信心な者を義とされる方を信じる人は、・・・その信仰が義と認められます。・・・神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は・・・信仰による義に基づいてなされたのです。
(ローマの信徒への手紙4章5、13節) 

神さま、あなたは、わたしたちがただ御子イエスを信じることによって、わたしたちを赦し、受け入れてくださいました。自分のこれまでの功績を誇る生き方から離れ、あなたの祝福を受け継ぐ生き方へと移されていることを覚え、将来に希望をもって歩むものとしてください。アーメン

3/13/2021

受難節の祈り【12】

主がすべての災いを遠ざけて
あなたを見守り
あなたの魂を見守ってくださるように。
あなたの出で立つのも帰るのも
主が見守ってくださるように。
今も、そしてとこしえに。   (詩編121編7~8節) 

主なる神さま、あなたが、わたしの人生の旅路を見守ってくださいます。そして、死から復活された御子イエスが、わたしたちと共にいてくださり、わたしたちの行く先を天のみ国へと至らせてくださいます。自分たちの歩みが心もとないときにも、あなたの守りと恵みに信頼して進むものとしてください。アーメン

3/12/2021

聖句断想 詩編3編6~8節

身を横たえて眠り
わたしはまた、目覚めます。
主が支えていてくださいます。
いかに多くの民に包囲されても
決して恐れません。
主よ、立ち上がってください。
わたしの神よ、お救いください。
(詩編6~8節) 

ある人が話してくれたことがありました。 『神さまを知って、ようやく、夜、眠れるようになりました。』 

短い言葉に、その人が多くのものを背負ってこられたのだと感じました。 

そしてまた、神がその人を、背負っているものもふくめて、受けいれてくださったのだと感じました。 

今も、夜も、昼も、御子イエス・キリストによって、神は、わたしたちと共にいてくださいます。

受難節の祈り【11】

主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。・・・」
アブラムは、主の言葉に従って旅立った。
(創世記12章1、2、4節) 

主なる神さま、あなたは75歳になっていたアブラ〔ハ〕ムを祝福し、約束の地に向かう旅路へと召されました。あなたの祝福に遅いということはありません。わたしたちも、約束された天の御国に向かう、人生の新しい一歩を導いてください。アーメン

3/11/2021

聖句断想 詩編2編7、8節

主の定められたところに従ってわたしは述べよう。
主はわたしに告げられた。
「お前はわたしの子
今日、わたしはお前を生んだ。
求めよ。
わたしは国々をお前の嗣業とし
地の果てまで、お前の領土とする。・・・」
(詩編2編7~8節) 

旧約聖書の時代において、
王が即位するときに告げられた、
神からの承認の言葉と祝福の言葉は、
新約聖書の時代において、
イエス・キリストのために新しい意味を帯びました。

イエス・キリストこそは、
人となられた神の御子であり、
神が遣わされたこの世の救い主(メシア)、
まことの王です。

イエスは王として、この世界を領土とされます。
また、わたしたちの命を求められます。

ご自分の繁栄や利益のためではなく、
神の御国のために、
そして、そこにわたしたちが生きるために。

受難節の祈り【10】

御覧ください、僕が主人の手に目を注ぎ はしためが女主人の手に目を注ぐように わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ 憐れみを待ちます。 わたしたちを憐れんでください。 主よ、わたしたちを憐れんでください。
(詩編123編2~3節) 

主なる神さま、あなたは天におられ、わたしたちに愛のまなざしを注いてくださいます。わたしたちは体の目ではあなたを見ることはできませんが、十字架にかかられた御子イエスの姿を通して、わたしたちの祈りがたしかにあなたに受け入れられていることを感謝します。主よ、わたしを憐れみ、この命を守り、支えてください。アーメン

3/10/2021

聖句断想 アモス書8章11節

見よ、その日が来ればと 主なる神は言われる。
わたしは大地に飢えを送る。
それはパンに飢えることでもなく
水に渇くことでもなく
主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。
(アモス書8章11節) 

神は、ご自分の言葉によって天地を創造されました。

また、人間に語られて、孤独ではなく、共に生きる交わりを与えられました。

主の言葉は、命の言葉であり、祝福の言葉です。

それですから、人が主の言葉を聞かなくなることは、命にかかわる危機なのです。

しかし、神はなお、わたしたちのために語りかけてくださいます。

イエス・キリストが、神の言葉が人となったお方として、わたしたちの間に来てくださいました。

受難節の祈り【9】

しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。 一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。・・・一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。
(ローマの信徒への手紙5章15、17節) 

主なる神さま、わたしたちの人生は、ただ一度の出来事で大きく変わります。罪と死はまさしくそのようにして、人間を支配するものとなりました。しかし、あなたは、罪と死の力に打ち勝つ、かけがえのない恵みを与えてくださいました。唯一の救い主、イエス・キリストを感謝します。神の恵みによって、ただ一度の人生を歩めることを感謝します。アーメン

3/09/2021

聖句断想 ゼファニヤ書2章3節

主を求めよ。
主の裁きを行い、苦しみに耐えてきた
この地のすべての人々よ
恵みの業を求めよ、
苦しみに耐えることを求めよ。
主の怒りの日に
あるいは、身を守られるであろう。
(ゼファニヤ書2章3節) 

神の裁き。

神の怒り。

それは、神に背を向ける人々にとっては恐れるべき日です。

しかし、神を信じ、主と仰ぐ人々にとっては、解放の日です。

主なる神が、愛と正義とをもってすべて治めてくださる。

そこに、わたしたちの希望と忍耐の根拠があります。

受難節の祈り【8】

すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。
「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
と書いてある。」
(マタイによる福音書4章3、4節) 

主イエスよ、あなたはまことの神の御子として、わたしたちのためにただパンを得る道ではなく、神の言葉によって生きる道を与えてくださいました。わたしたちも荒れ野と思われるような状況を通ります。そこにも共におられるあなたを覚え、神の御言葉によって力と守りをお与えください。アーメン

3/08/2021

聖句断想 コリントの信徒への手紙二4章8~10節

わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。
(コリントの信徒への手紙二4章8~10節)

おごり高ぶっているのではありません。やせ我慢をしているのでもありません。自分の弱さや限界を覚えながら、それでも望みを持ち、力を得て、立ち上がることができることを、キリスト者はそれぞれの人生で味わい、知っています。死に打ち勝ち、復活されたイエスが、わたしの内で、わたしと結び合って生きてくださるからです。

受難節の祈り【7】

そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。・・・主に信頼する者はいつくしみで囲まれる。正しき者よ、主によって喜び楽しめ、すべて心の直き者よ、喜びの声を高くあげよ。
(詩編32編1、2、10、11節)

主イエスよ、あなたが十字架で流された血潮によって、わたしたちの罪を赦し、神に心をまっすぐに向けて生きるものとしてくださったことを感謝します。災い、誘惑、主張、対立がさまざまにわたしたちを取り囲むときに、神のかわることのない愛によって心を覆い、お守りください。アーメン

3/07/2021

聖句断想 マタイによる福音書23章23節

エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
(マタイによる福音書23章23節) 

イエスの嘆きは、人々のかたくなな心のゆえでした。人は自分こそが正しいと考えると、神をしりぞけるようになります。そのうえでなおも、イエスはエルサレムに向かって進んでいかれます。かたくなになってしまった、わたしたちの心を打ち砕き、神の愛を注ぎ入れるために。

3/06/2021

聖句断想 マタイによる福音書5章17、18節

わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。 (マタイによる福音書5章17、18節) 

イエスはしばしば、神の掟である律法をめぐって、当時の宗教者たち、ファリサイ派の人々、律法学者たち、祭司長たち、長老たちと論じられました。

しかし、イエスが語られたのは、ただ批判するため、議論するためではありません。

律法がほんとうの意味で実践されるため、掟の背後にある神の御心が実現するためでした。

このお方が、わたしたちに、神の御心が地上でも行われるようにと祈り、歩むことを教えてくださいます。

受難節の祈り【6】

女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。(創世記 3章6、7節) 

主なる神さま、アダムとエバはあなたから離れることが自由であるかのように考え、約束を破り、木の実を食べました。しかし、あなたの愛から離れたとき、彼らはありのままの姿でいるができなくなりました。わたしたちも同じ罪の姿を負っています。どうぞ、あなたのもとに立ち帰らせてください。あなたに赦され、愛されているときこそ、まことの自分なのだと教えてください。アーメン

3/05/2021

聖句黙想 申命記6章4~9節

聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。 (申命記6章4~9節) 

聖書は、神はただお一人であると語ります。それは一般論として述べているではなく、どのようなことがあっても、わたしたちを愛し、救い、わたしたちの主となると御心を固く定められた、ただ一人のお方がおられるという慰めと力に満ちた言葉です。その神を愛するとき、わたしたちの心、行い、時、家族、暮らしはみな神の愛に関わるものになります。

受難節の祈り【5】

わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。 (コリントの信徒への手紙 二 6章8~10節)

主イエスよ、あなたは罪と何らかかわりのないあなたが、わたしたちの罪を背負ってくださいました。そして、あなたによって神と和解したとき、それまで知らなかった可能性と将来が自分の人生にあることを知りました。あなたの救いの恵みを受け入れ、心も人生も豊かに広がる歩みに入れてください。アーメン

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ(2月第4週のため)

ペドル大将がインターネット(Facebook)から
発信された聖書メッセージ

要旨を以下にご紹介します

 

 

わたしたちはこれまで《品性》について考えてきました。《品性》という課題に注意を促されるような一年を過ごしたからです。 

わたしたちは、〔くらしの〕 最前線に立って働く人々が、 誠実さと勇気をもって困難な 任務を遂行している姿を目の あたりにしています。

〔他方で、〕公の立場ある人々のなかに、 公の場で述べることと、私的な場で述べることとがきわめて 異なるということも見ています。 

〔そうしたときに、〕わたしたちは、《品性》のなかでも《インテグリティ integrity》(誠実)の大切さについて考えたいと思います。 

***** 

《インテグリティ》(誠実)という言葉は、「全体、完全」という意味のラテン語に由来しています。 

建築家が建物について『インテグリティがある』と言うとき、それは建物のデザインが全体としてまとまっているという意味です。 

音楽家が楽曲について『インテグリティがある』と言うとき、〔曲として〕構成がまとまっており、完結しているという意味です。 

ある人物について『インテグリティがある』と言うとき、 その人の話すことと行いが一致していることが明らかであるという意味です。「有言実行の人」ということもできます。 

『組織としてインテグリティがある』という言い方もあります。それは、その組織が表明している理念や目的が、目に映る組織の活動とどれだけ合致しているかを表します。 

《インテグリティ》は《品性》の重要な一面であり、また、 個人としての聖潔(きよめ)、組織としての聖潔(きよめ)においても重要です。 

*****

 今日明らかになりつつあることは、若い人々が教会に対して我慢できなくなっているということです。

それというのも、『自分たちには《インテグリティ》がある』と、いくら教会が主張しても、実際のところは語ることと行うことが合っていないのを見るばかりだからです。 

〔そのような言動がかみ合わない状況は、ほかにも見られます。たとえば、〕スポーツ機関が幾度となく召集されるのは、 選手とスポンサーの間で裏取引が交わされるからです。また、このパンデミックの期間、学校の教師たちは、オンライン上の不正行為から生徒たちを守らなければなりませんでした。 

わたしたちは、自分たちの 心の奥底に抱いている信念が、自分たちの行いに反映されるような世界に生きています。〔それゆえ、〕わたしたちが《インテグリティのある人々》、誠実な人々であることが必要不可欠です。 

〔そして、まさに〕救世軍人は、《インテグリティ》について確信を抱いています。自分たちの働きが、自分たちの信念を 反映することを大切に考えているのです。〔個々人に留まらず、〕みんなで《インテグリティの ある集まり》、誠実な集まりで あるということも必要不可欠です。 

*****

イエスは《インテグリティのある人物》、誠実な人物でした。 

イエスは、隣人を愛すること、敵を愛することの大切さを教えられました。そして、自らその通りにして、死なれたのです。 

イエスは、正義の問題に注意を向けることの大切さを教えられました。そして、自らもそのようになさいました。 

イエスはまた、ご自分に従う者たちにも有言実行、すなわち、自分で言った通りのことをするようにと教えられました。

マタイによる福音書7章24~27節にある、山上の説教のしめくくりになっているたとえを思い起こしましょう。 

そこで、わたしのこれらの 言葉を聞いて行う者は皆、 岩の上に自分の家を建てた 賢い人に似ている。・・・ わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に 似ている。 (マタイ7・24、26) 

もし、嵐が来たときに〔それぞれの家は〕どうなってしまうのか、結末は明らかです。

 〔このたとえが示すように、〕聞くことと行うことが合致していること、両者に《インテグリティがある》ことが、キリスト者の信仰にとって必要不可欠です。

 ***** 

イエスの生涯について考えるときに、彼のどのようなところに《インテグリティ》、有言実行が表れているでしょうか。 

あなた自身の人生を考えたときに、どのようにして《インテグリティ》、誠実さを求められてきたでしょうか。 

また、わたしたちは救世軍として、どのようなしかたで、 《インテグリティのある集まり》であるようにと求められているでしょうか。 

どうか次の一週間も、聖霊に信頼して歩みましょう。

聖霊が《インテグリティ》、誠実さをもって、わたしたちの人生を形作ってくださいますように。そして、神の御名に栄えを帰すことができるようにと願います。 

どうか良い品性を備えるものとなることができますように。 

神の祝福をお祈りいたします。 

 

(訳 立石真崇) 

 ※本紙は、小隊における祈りの資料として、個人で訳出したものです。 日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。

3/04/2021

聖句黙想 申命記8章11~14節

わたしが今日命じる戒めと法と掟を守らず、あなたの神、主を忘れることのないように、注意しなさい。あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が殖え、銀や金が増し、財産が豊かになって、心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。(申命記8章11~14節) 

神を信じると、豊かになり、幸福になるではないかと期待する人は少なくないと思います。たしかに、神は豊かに祝福してくださるお方です。しかし、豊かさを見誤って、大切なものが見えなくなってしまうことがあります。わたしたちの豊かさの根拠は、神の恵みです。

受難節の祈り【4】

あなたがたは地上に富を積んではならない。・・・富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。(マタイによる福音書6章19~21節)

主イエスよ、あなたは、地上の豊かさではなく、天の豊かさにつながるようにとわたしたちを招かれます。善い行い、敬虔なふるまいでさえも、自分の満足や人の評価を得るための手段になることがあります。そのとき心は地上につながれています。どうか天に目を向け、富を積むことができるよう導いてください。神がわたしたちを喜んで迎えてくださることを、大きな目標として歩ませてください。アーメン

3/03/2021

受難節の祈り【3】

神よ、わたしの内に清い心を創造し
新しく確かな霊を授けてください。
御前からわたしを退けず
あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
御救いの喜びを再びわたしに味わわせ
自由の霊によって支えてください。
(詩編51編12~14節) 

主なる神さま、あなたは命の創り主です。心が罪に汚れるときに、御子によって赦し、洗い清めてくださいます。心が弱るときに、聖霊によって力を与え、回復してくださいます。あなたの赦しと恵みによって生きる喜びに深く入らせてください。アーメン

聖句黙想 出エジプト記20章1~3節

神はこれらすべての言葉を告げられた。
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。・・・」
(出エジプト記20章1~3節) 

神は、イスラエルが神の民として歩むために、十の戒め(十戒)をモーセに与えられました。

「してはならない」という言葉は、けっして冷たい要求や条件ではありません。

神は、「わたしは主、あなたの神」と自らを定め、わたしたち人間に向かい合われます。

戒めの背後から、神の愛のまなざしが注がれています。

3/02/2021

受難節の祈り【2】

あなたが呼べば主は答え
あなたが叫べば
「わたしはここにいる」と言われる。
軛を負わすこと、指をさすこと
呪いの言葉をはくことを
あなたの中から取り去るなら
飢えている人に心を配り
苦しめられている人の願いを満たすなら
あなたの光は、闇の中に輝き出で
あなたを包む闇は、真昼のようになる。
(イザヤ書58章9、10節) 

主よ、わたしたちの言葉と行いが、あなたの愛と正しさを映し出すものとしてください。互いに思いやることを難しく、空しくさせる状況に遭うときにも、あなたに祈り、心の光を保たせてください。アーメン

聖句黙想 創世記9章13~16節

 

わたしは雲の中にわたしの虹を置く。
これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。
わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。
水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。
雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。
(創世記
91316節)

神がノアと結ばれた契約は、神に背いた世界に対する、愛と赦しの契約でした。

天と地上の間につくられた虹が、その契約のしるしとなりました。

その後、わたしたちは、虹よりももっと確かなしるしを与えられました。

天から降り、神とわたしたちの仲介者となってくださった、イエス・キリストがそのしるしです。

3/01/2021

受難節の祈り【1】

主は言われる。
「今こそ、心からわたしに立ち帰れ
断食し、泣き悲しんで。
衣を裂くのではなく
お前たちの心を引き裂け。」
(ヨエル書2章12、13節) 

主なる神さま、
あなたは、わたしたちの心を問われます。今、自分がどこに立っており、どのような姿でいるのかを省みさせてください。あなたを見失い、自分だけしか見えなくなるような生き方から向きを変え、あなたに立ち帰ります。罪を赦し、あなたと共に生きる喜びに入れてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

聖句黙想 マタイ15:6

日本聖書協会『聖書愛読こよみ2021』に基づく
聖書の言葉の黙想

あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。(マタイによる福音書15章6節) 

自分の都合によって《聞きたいもの》と《聞きたくないもの》をより分け、しかも、上手につじつまを合わせてしまうことがあります。

そこで、イエスは、神の言葉を無にするなと注意されます。

神の言葉のすべてが、わたしたちへの愛のあらわれであり、祝福だからです。