4/30/2023

この日も主と共に【887】新しい一週間のための祈り

わたし〔イエス・キリスト〕のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。(マタイによる福音書7章24、25節)

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岩を土台として家を建てるとはたしかに安全かつ安心に思われますが、実際にそうしようとするなら、相当根気と継続を必要とする地味な作業だと思います。しかし、それがイエスさまの言葉を聞いて行うことに似ているとイエスさまご自身が言われます。ただちに成果が出るとはかぎらない、いくたびも手を止めそうになりながら、それでも主イエスが語り続けてくださる言葉に耳を傾け、自分の心を掘り下げ、生活を掘り下げていく。それがわたしたちの信仰の歩みです。

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天の父なる神さま、わたしたちの人生の奥深くにまで関わってくださる御子イエスの愛によって、たしかな人生を築くものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/29/2023

この日も主と共に【886】神と共に生きる(5)

世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。(ヨハネによる福音書2章17節)

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『何かをなし遂げたい』、『何かを手に入れたい』と思うこと自体は大切なことです。そのような思いによって心が生き生きとして、くらしに張り合いが生まれることも多くあるからです。ただし、わたしたちの心やくらしに神さまを受け入れる余地が無いならば、築き上げるものは《世》や《世にある欲》の一部となり、やがては過ぎ去ると聖書は言います。しかし、《神の御心を行う人》、すなわち神さまの愛によって心やくらしを築き上げる人は《永遠に生き続けます》。神さまご自身も神さまの愛もかわることがないからです。

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天の父なる神さま、御子イエスによってあなたの愛に留まり、この地上で終わることのない生き方に入らせてください。あなたが用意してくださる永遠の住まいに至るまで導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/28/2023

この日も主と共に【885】神と共に生きる(4)

堅固な思いを、あなたは平和に守られる
あなたに信頼するゆえに、平和に。
どこまでも主に信頼せよ、
主こそはとこしえの岩。
(イザヤ書26章3、4節)

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神さまを信頼する《こころざしの堅固なもの》を、神さまは《全(まった)き平安》をもって守ってくださいます(参照、口語訳)。わたしたちはいろいろな願いや目あてを持ち、それらを原動力にして暮らしを営んでいます。しかし、『このままでよいのだろうか』というような不安や、『もっと何かをしなくてはならないのではないか』というような焦(あせ)りが暮らしに入り込むことがあります。神さまは今も聖書を通して、わたしたちに必要な人生の道のりを教えて、心を支えてくださいます。

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天の父なる神さま、聖書を通して、自分にとって大切で必要な目あてを知ることができますように。そこに向かって、あなたを信頼しつつ進むことができますように。《全き平安》によってお守りください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/27/2023

この日も主と共に【884】神と共に生きる(3)

あなたを造り、母の胎内に形づくり あなたを助ける主は、こう言われる。恐れるな、わたしの僕ヤコブよ。わたしの選んだエシュルンよ。わたしは乾いている地に水を注ぎ 乾いた土地に流れを与える。あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ あなたの末にわたしの祝福を与える。(イザヤ書44章2、3節)

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わたしたちの命を造ってくださった神さまがおられます。神さまは、わたしたちを助けてくださるお方で、恐れるなと励ましてくださいます。そして、ご自分を信頼する者には恵みと力をかぎりなく与えると約束してくださいます。

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天の父なる神さま、あなたが今日もわたしたちの命を守り、支えてくださることを感謝します。困難や不安を覚える時にも、あなたはなおも共にいてくださいます。どうぞ。あなたの助けと力をお与えください。わたしたちの家族もあなたの恵みと力によっておおってください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/25/2023

この日も主と共に【883】神と共に生きる(2)

天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも・・万物は御子(みこ)〔イエス・キリスト〕において造られた・・・御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。(コロサイの信徒への手紙1章16、17節)

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イエス・キリストは神の御子であり、神の愛をこの世界に示されたお方です。それですから、《万物は御子において造られた》ということは、イエス・キリストによってこの世界の一つ一つが神の愛につながれているということです。この世界には、また、わたしたちの人生にはさまざまなことが起こりますが、イエス・キリストは今も生きておられ、わたしたちが生きていることを望み、神の愛によって支えてくださいます。

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天の父なる神さま、この世界の一つ一つ、また、わたしの生活の一つ一つを、あなたは愛によって支えておられます。御子イエスを通してあなたの愛を知り、新しく歩む力を得させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/24/2023

この日も主と共に【882】神と共に生きる(1)

富に依存する者は倒れる。
神に従う人は木の葉のように茂る。・・・
神に従う人の結ぶ実は命の木となる。
(箴言11章28、30節)

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《富に依存する者》とは、地上で手に入れるものによって自分の豊かさや自分の価値を示そうとする人です。それは大地に根を下ろさず、養分を吸い上げることができない木のようであって、やがては倒れてしまうと聖書は言います。それに対して、《神に従う人》とは神さまが手入れをし、育ててくださる人です。かならずしも思い通りに枝を伸ばし、葉をつけられるということではないかもしれませんが、神さまが最後まで責任をもち、実を結ばせてくださいます。

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天の父なる神さま、あなたの変わることのない愛につながる人生を教えてください。そして、生き生きとした木のように成長し、実を結ぶことのできる人生を導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

4/23/2023

この日も主と共に【881】新しい週の祈り

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。(ヨハネによる福音書20章19節)

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弟子たちは恐れて家に閉じこもっていました。集まっていても彼らには中心がありませんでした。主イエスが死んでしまわれたからです。いいえそれよりも先に自分たちが主イエスを見捨てたからです。そのような弟子たちの真ん中に、復活された主イエスから来てくださいました。十字架の傷あとを示され、聖霊をお与えになりました(20、22節)。ふたたびご自身が弟子の中心となってくださいました。

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天の父なる神さま、復活された御子イエスが今も生きておられ、わたしの心に、また、わたしたちの教会・小隊の真ん中にいてくださることを感謝します。御子イエスの平和と共に歩ませてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/22/2023

この日も主と共に【880】一週間の終わりの祈り

我らの魂は主を待つ。
主は我らの助け、我らの盾。
我らの心は喜び
聖なる御名に依り頼む。
(詩編33編20、21節)

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天の父なる神さま、

一週間の終わりを迎えようとしています。

あなたがわたしたちを御心に留めてくださり、わたしたちが自分で気づかないところにまで目を注ぎ、守りと助けを備えてくださったことを感謝します。

また、聖書を通してわたしたちに語りかけ、教えてくださったことを感謝します。

喜び、力が湧き、希望をもって進むことのできた時がありました。

その一方で困難にぶつかり、動揺し、不安の中で足踏みをするような時もありました。

それですから、あなたを待ち望みます。
あなたが共にいてくださるという約束を待ち望みます。

明日、御子イエス・キリストが復活された日曜日に新しく立ち上がらせていただくために、今この時からみもとに引き寄せてください。

イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/19/2023

この日も主と共に【879】詩編(7)

息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。(詩編150編6節)

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『詩編』は、《主の教え》を愛する人は幸いであるという宣言から始まり(1編1、2節)、《主を賛美せよ》という呼びかけをもって締めくくります。神は《息あるもの》すべてのために場所を用意しておられ(1節)、ご自分の《力強い御業》を現わされます(2節)。そして、わたしたちを存在そのものから受け入れてくださいます(3~5節)。この聖書の呼びかけは、イエス・キリストによって今も有効です。

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天の父なる神さま、あなたはわたしたちに御子イエスを与え、自分の手で自分が安心できる世界を築き、人に知ってもらいたい部分を自分で取捨選択し、誰が聞いているのかもわからず歌い続けるような生き方に終止符を打ってくださいました。自分のありのままがみなあなたに喜ばれ、聞かれる歌となるような人生を導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/18/2023

この日も主と共に【878】詩編(6)

深い淵(ふち)の底から、主よ、あなたを呼びます。・・・イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに 豊かな贖いも主のもとに。(詩編130編1、7節)

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《深い淵》とは、苦しみや悲しみや痛みが大水のように押し寄せる状況です。追い打ちをかけるように、わたしたちの《罪》が神との間を深く隔(へだ)てています(3、4節)。しかし、どん底と言わざるをえない状況からささげる祈りであっても、神は聴いてくださると聖書は約束します。神の御子イエスがわたしたちの身代わりとなって死のどん底にまで行かれ、死から復活されました。このお方によってわたしたちは主を待ち望み、救いを待ち望むことができます。

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天の父なる神さま、わたしたちの祈りに感謝や喜びだけでなく嘆きが伴う時も、それらを聞いてくださることを感謝します。あなたの慈しみと救いへと導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/15/2023

この日も主と共に【877】詩編(5)

主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。(詩編104編24節)

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神はこの世界のすべてを作り、さまざまな自然の法則をも備えて、支えておられます(1~9節)。また、神は命あるものすべてに、必要な糧・場所・時間を与えてくださいます(10~30節)。それが世界のほんとうの姿なのだと聖書は語ります。わたしたちの暮らしの中には、自分で自分の場所を手に入れ、自分で豊かになり、誰かに奪われないように守っていかなくてはならないと思わせる物ごとが多くあることも確かです。しかし、神はわたしたちを一人きりにしておかれないと、聖書はくりかえし語っています。

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天の父なる神さま、あなたの愛と知恵と力によってわたしたちを囲み、お守りください。喜びも悲しみもあなたへの歌となる歩みを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照33、34節)


4/14/2023

この日も主と共に【876】詩編(4)

なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻(うめ)くのか。神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
「御顔(みかお)こそ、わたしの救い」と。
(詩編42編6節)

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《昼も夜も、わたしの糧(かて)は涙ばかり》としか言えない日々(4節)。
神に見放されたように感じられる日々(3、10節)。
《お前の神はどこにいる》と心を折られるような日々(4、11節)。
そのような日々があることを聖書は知っています。その上でなお《神を待ち望め》と語ります。その言葉に心と祈りを合わせる時、くじけそうになる自分とは別に、神に支えられて立ち上がる自分が形づくられます。復活され、わたしたちの内に生きてくださるイエス・キリストが呼び覚ましてくださる、新しい自分です。

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天の父なる神さま、あなたの信実によって心を支えてください。心が渇く時に力と勇気を注ぎ入れてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/13/2023

この日も主と共に【875】詩編(3)

あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもってわたしを囲んでくださる方。(詩編32編7節)

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『詩編』は賛美の言葉、祈りの言葉によって、神がどのようなお方であるかを豊かな表現でわたしたちに伝えてくれます。詩編32編は神が、①わたしたちの罪と過ちを赦し、ご自分と共に生きられるように救い出してくださる(1~5節)、また、②わたしたちに目を注ぎ続け、行くべき道を教えてくださる(8、9節)と述べています。わたしたちの内にあるものも、わたしたちには見えない先にあるものも神は知っておられ、救いと導きを与えてくださいます。

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天の父なる神さま、御子イエスによって、《あなたの慈しみに生きる人》の交わりの中にわたしを受け入れてください(6節)。《主に信頼する者は慈しみに囲まれる》という約束によって導いてください(10節)。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/12/2023

この日も主と共に【874】詩編(2)

主の律法は完全で、魂を生き返らせ 主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え 主の戒めは清らかで、目に光を与える。(詩編19編8、9節)

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わたしたちが信じる神は生きておられ、わたしたちと共に生きることを望まれます。そのために神は、①この世界の自然を通してご自身の力を示されます(2~7節)。②《主の律法、定め、命令、戒め》、すなわち聖書の言葉を通してご自身の御心を示されます(8~11節)。③わたしたちの心に触れ、ご自身の愛と救いを示されます(12~15節)。

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天の父なる神さま、あなたは生きておられ、今も《わたしの岩、わたしの贖(あがな)い主(ぬし)》でおられます。《どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない 心の思いが御前に置かれますように。》御子イエスの贖いと聖霊の助けによって、わたしたちの歩みを支えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(15節)


4/11/2023

この日も主と共に【873】詩編(1)

いかに幸いなことか・・・主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び 葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。(詩編1編1~3節)

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『詩編』の言葉は二つの人生を提示します。一つは、神に逆らって歩き、望み通りのはずなのにむなしく、やがては消え去っていく人生です。もう一つは、《主の教え》を愛し、神と共に歩み、どのような状況があっても支えられ、愛と力を注がれ、かならず実を結ぶ人生です。イエス・キリストは十字架の上で死なれましたが、復活されました。このお方こそが、神によって実を結ぶ人生の何よりの保証です。

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天の父なる神さま、御子イエスを通して、あなたの教えを、また、あなたご自身を喜ぶ生き方を教えてください。そして、豊かに実を結ぶ人生を導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/08/2023

この日も主と共に【872】十字架の意味(7)

〔イエスは言われた。〕はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(ヨハネによる福音書12章24節)

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イエス・キリストの十字架の死は《一粒の麦》であり、わたしたちを救うという《多くの実》を結びました。イエス・キリストの十字架はどのようなことがあってもわたしたちを救い、生かす、神の新しい命があることを示しています。

『死中に活路を求める』や『禍転じて福と成す』というのではありません。十字架で死なれ、なおかつ死から復活されたお方が信実に招いておられます。

この招きには、《わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる》という約束が伴っています。(12章26節)。

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主イエスよ、あなたの十字架によって、神の国の豊かな実りに参加し、生きるものとならせてください。アーメン


この日も主と共に【871】十字架の意味(6)

あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。(フィリピの信徒への手紙1章29節)

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キリストのために苦しむことも恵み、とパウロは言い切ります。イエス・キリストの十字架の苦しみと死はわたしたちの救いのためでした。それですから、キリストを信じながら苦しみを味わうことはむなしい経験ではなく、それも《キリストとその復活の力》を知る道となります(参照3章10、11節)。イエス・キリストの十字架は、神の御子がすべてにおいてわたしたちと連帯してくださることを示しています。《キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです》(3章21節)。

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主イエスよ、あなたの十字架はどのようなことがあってもあなたがわたしたちと共におられるしるしです。十字架を仰ぎ、望みをもって歩む者とならせてください。アーメン

この日も主と共に【870】十字架の意味(5)

事は成就した。わたしは・・・渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。(ヨハネの黙示録21章6、7節)

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イエス・キリストは《世の罪を取り除く神の小羊》として十字架で死なれ、三日目に復活されました(1章29節)。イエス・キリストの十字架の死は敗北ではなく、罪に対する完全な勝利となりました。罪は死をもたらしますが、イエス・キリストは滅びることのない新しい命を与えてくださいます。イエス・キリストを信じる者たちは《小羊の血と自分たちの証しの言葉》によって(12章11節)、《勝利を得る者》となることができます。

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天の父なる神さま、御子イエスが十字架の上ですでにわたしたちの救いのために戦い、勝利を収めてくださったことを思い、力と勇気を得るものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

4/05/2023

この日も主と共に【869】十字架の意味(4)

わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。(ローマの信徒への手紙5章8節)

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イエス・キリストの十字架は、神がわたしたちを愛しておられることを示しています。神はわたしたちのために、御子の十字架というはっきりとした愛のしるしをこの地上に与えてくださいました。そして聖霊によって、神の愛は今もわたしたちの心に注がれています(3節)。それですからわたしたちは一人ではありません。地上の何ものも《わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。》(8章39節)

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天の父なる神さま、さまざまな出来事に遭い困難を覚える時に、あなたが御子の十字架と聖霊によって今もわたしを愛し、支えておられることを思い起させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/04/2023

この日も主と共に【868】十字架の意味(3)

キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。・・・そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。(ペトロの手紙一2章21、24節)

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神の愛や正しさを大切にしようとして、かえって周囲との摩擦(まさつ)を経験し、苦しむことがあるなら、その苦しみも主イエスは知っておられるとペトロは言います。主イエスご自身も人々から理解されず、拒(こば)まれ、十字架の苦しみと死を受けられたからです。しかし、《ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅(おど)さず、正しくお裁(さば)きになる方にお任(まか)せになりました。》(23節)主イエスの十字架は、苦難の中でもなお神と共に歩む道を指し示す《模範》です。

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天の父なる神さま、御子イエスの十字架に《悪に負けることなく、善をもって悪に打ち勝》つ道を見出し、御子の後に続かせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(ローマ12章21節)


この日も主と共に【867】十字架の意味(2)

キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。(ペトロの手紙一3章17、18節)

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ペトロは、イエス・キリストの十字架がわたしたちを罪から救い出す「犠牲(ぎせい)」であったと語ります。それは、①わたしたちの身代わりの犠牲、②わたしたちを神のもとへと導くための犠牲、③他の誰もなし得ない、唯一の決定的な犠牲です。このイエス・キリストの十字架の犠牲を、聖書では「贖(あがな)い」と呼びます。「代償(だいしょう)を払って取り戻す」という意味です。イエス・キリストがご自分を代償とするほどに、わたしたちは大切に覚えられ、探し求められています。

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天の父なる神さま、御子イエスの十字架の犠牲によってわたしたちを罪と死の力から助け出し、あなたの愛のうちに受け入れてくださっていることを感謝します。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/03/2023

この日も主と共に【866】十字架の意味(1)

十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。(コリントの信徒への手紙一1章18節)

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イエス・キリストが十字架につけられた意味を、伝道者パウロは《十字架の言葉》という表現によって語ります。十字架は本来死刑の道具であり、人の罪、死、弱さ、無力さを表します。しかし、イエス・キリストの十字架はわたしたちを救い、新しい命を与え、神の作品という正しい生き方に移し、将来の希望を与えてくれます。人の救いや幸福は人の能力や功績によらず、十字架につけられたイエス・キリストによって与えられます。わたしたちの考え方や価値観を逆転させるほどの《神の力、神の知恵》が、イエス・キリストの十字架に示されています(参照22~24節)。

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主イエスよ、心を開いて《十字架の言葉》を聴くことができますように、《神の力、神の知恵》を受け取ることができますように。わたしたちを顧みてください。アーメン


4/01/2023

この日も主と共に【865】十字架の言葉(7)

イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。(ルカによる福音書23章46節)

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主イエスが十字架につけられてから六時間が経ちました。太陽が隠れ、辺り一帯が暗くなる中(44、45節)、主イエス《父よ、わたしの霊を御手にゆだねます》と叫ばれました。これが十字架の上の最後の言葉となりました。この言葉は聖書に記されていた祈りの言葉でしたが(詩編31編6節)、主イエスが祈られたことによって新しい祈りとなりました。死が一切の終わりとはならず、天の父である神に自らをゆだねてなお先に望みを持つことができるように、主イエスがわたしたちのために道を拓いてくださったからです。

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主イエスよ、天の父の御心にすべてをゆだねられたあなたによって、わたしたちも天の父を信頼し、あなたを信頼して歩むものとならせてください。死に打ち勝つ道を歩まれたあなたの後に続かせてください。アーメン