3/31/2023

この日も主と共に【864】十字架の言葉(6)

イエスは・・・「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネによる福音書19章30節)

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主イエスは道(みち)半(なか)ばにして死なれたのではありませんでした。ご自分を信じる者たちを《この上なく愛し抜かれ》、《彼らのために、わたしは自分自身をささげます》との祈りをなし遂げられました(13章1節、17章19節)。また、《ただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去る》との目的をなし遂げられました(ヘブライ9章26節)。それですから、死と恐れの道具であった十字架は、主イエスによって赦し、救い、希望のしるしとなりました。主イエスの十字架は今も、わたしたちにとって留まる場所であり、目を向ける場所です。

***

天の父なる神さま、あなたは御子イエスの十字架によってわたしたちを救い、十字架を通して今もわたしたちを招かれます。主の十字架のもとに引き寄せてください。イエス・キリストに御名によってお祈りいたします。アーメン


3/30/2023

この日も主と共に【863】十字架の言葉(5)

イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。(ヨハネによる福音書19章28節)

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主イエスの渇きは、十字架の苦しみで体が弱っている様子だけでなく、神の僕(しもべ)として苦しみを負っておられることを示しています(詩編22編16節、69編12節)。わたしたちの救いのために、わたしたちに代わって、神からもっとも遠い所に身を置いてくださったがゆえの苦しみです。主イエスは神から離れた渇き、罪の渇きを引き受けてくださり、わたしたちの命を回復してくださいます。《わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。》(6章35節、参照黙示録7章16節、21章16節)

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天の父なる神さま、わたしたちの渇きを御心に留め、御子イエスによっていやしてください。主の御言葉によって潤され、力づけられ歩みを導いください。アーメン


3/29/2023

この日も主と共に【862】十字架の言葉(4)

三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マルコによる福音書15章34節)

***

かつては《あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者》と神から呼ばれた主イエスが(1章11節)、《なぜわたしをお見捨てになったのですか》と大声で叫ばれました。主イエスは神からもっとも遠く離れた所に置かれました。本来ならば、神との関係を断ってしまっていたわたしたちこそが行くべき所でした。ただし、主イエスの叫びは、祈りの言葉でもありました(詩編22編1節)。主イエスはわたしたちの身代わりとなって神に向かい合い、祈られました。このお方に、わたしたちの救いの根拠があります。

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主よ、十字架の上で見捨てられたあなたによって、わたしたちはもはや見捨てられることはなくなりました。あなたの祈りと救いを感謝します。アーメン


3/28/2023

この日も主と共に【861】十字架の言葉(3)

イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」(ヨハネによる福音書19章26、27節)

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主イエスの十字架のそばに、母マリアと婦人たち、《愛する弟子》と呼ばれるヨハネがいました(25、26節)。母マリアにとっては、かつて《あなた自身も剣で心を刺し貫かれます》と告げられたことが現実となりました(ルカ2章35節)。その母マリアをご覧になり、主イエスは《愛する弟子》が新しい家族になると言われました。《そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取》りました(27節)。十字架の上の主イエスの言葉によって新しい家族が生まれました。その家族に小隊・教会もつながっています。

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主イエスよ、十字架の上で家族を愛されたあなたの愛によってわたしたちの家族を、また小隊・教会をお守りください。あなたの愛に根ざす歩みを助けてください。アーメン


3/27/2023

この日も主と共に【860】十字架の言葉(2)

するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカによる福音書23章43節)

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二人の犯罪人が主イエスと一緒に十字架につけられました。一人は、《お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ》と主イエスをののしりました(39節)。しかし、もう一人は、《イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください》と願いました(42節)。主イエスはその願いを聴き、応答されました。死の瞬間に救いが告げられました。主イエスは、もはやこれまでと思う時にさえもわたしたちと向かい合い、声を受けとめ、応答してくださいます。命の分かれ道に立ち、求める者のより所、希望となってくださいます。

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主イエスよ、わたしたちも十字架にかかられたあなたに心を向け、あなたの救いの言葉を望みとします。神の御国においてわたしたちのことも思い出してください。アーメン


3/26/2023

この日も主と共に【859】十字架の言葉(1)

父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。(ルカによる福音書23章34節)

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十字架につけられた主イエスは、ご自分を十字架につけた人々に対する報復を父なる神に願わず、むしろ赦しを祈られました。無知だから大目に見てやってほしいというのではありません。自分が正しいと信じて疑わず、それゆえにこそ認めたくない相手を存在もろとも否定する罪の根深さを、本人の自覚以上に主イエスが知っておられ、その上で赦しを祈ってくださったのです。この主イエスの祈りは当時の人々のためだけでなく、今のわたしたちのための祈りです。《わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。》(ローマ5章8節)

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主イエスよ、あなたの十字架に、また、あなたの祈りのとりなしに、わたしのための愛、赦し、救いがあることを見出すことができるように、わたしの心を開いてください。アーメン


3/25/2023

この日も主と共に【858】主イエスの十字架(7)

アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。・・・ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。(マルコによる福音書15章43、46節)

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主イエスは十字架の上で息を引き取られました。その場にヨセフという議員がいました。彼は《イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠して》いました(ヨハネ19章38節)。しかし、この時には《勇気を出して》、主イエスの埋葬を申し出ました。十字架はそれだけでは死の苦しみと恐れを与えるものでしたが、主イエスの十字架は新しく生きる勇気と力を与えるものとなりました。

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主イエスよ、あなたの十字架から勇気と力を得させてください。神の国に向かう道を導いてください。アーメン


この日も主と共に【857】主イエスの十字架(6)

イエスは言われた。「・・・メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。(ルカによる福音書24章25~27節)

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主イエスは十字架で苦しみ、死なれました。神の御子であるお方がどうしてそのような目に遭ったのか、と思います。しかし、主イエスは、復活された後にみずから聖書をひも解き、メシア(救い主)であるからこそ十字架についたのだと明かにされました。《わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。・・・捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。》(イザヤ書53章6、8節)

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主イエスよ、あなたの十字架の意味を知るものとならせてください。その時にこそあなたの言葉や行いの意味を悟り、あなたと共に生きる道が見えてくるからです。アーメン


この日も主と共に【856】主イエスの十字架(5)

祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。・・・」(マタイによる福音書27章41、42節)

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群衆が、宗教指導者たちが、さらには一緒に十字架につけられた犯罪人が、十字架につけられた主イエスをののしり、侮辱(ぶじょく)しました。彼らは、主イエスがほんとうにメシア(救い主)であり王であるならば、今すぐにでも十字架から降りて、自分を救うことによって証明してみせよと言いました。しかしながら、主イエスはメシア(救い主)であり、わたしたちを神の国へと導き入れてくださるお方であるからこそ、十字架から降りることはなさいませんでした。

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主イエスよ、あなたの十字架はわたしたちにとって救いのしるしです。試練や苦難に遭う時に、確かなより所として、あなたの十字架の下に留まらせてください。アーメン


3/24/2023

この日も主と共に【855】主イエスの十字架(4)

彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。(マタイによる福音書27章35、26節)

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主イエスは手足に釘(くぎ)を打たれ、十字架につけられました(参照ルカ24章39節、ヨハネ20章25、27節)。その苦しみの姿も神に従う僕(しもべ)の姿であり、わたしたちを救う神の御子の姿です(参照 詩編22編13~19節)。《彼が刺し貫(つらぬ)かれたのは わたしたちの背(そむ)きのためであり 彼が打ち砕(くだ)かれたのは わたしたちの咎(とが)のためであった。彼の受けた懲(こ)らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。》(イザヤ書53章5節)

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主イエスよ、ローマの兵士たちはくじ引きによってあなたの服を分け合いました。しかし、あなたはご自分の十字架を通して、自らわたしたちに救いを分け与えてくださいます。あなたの十字架のもとに集まり、神の愛とゆるしを分かち合う者たちの一人とならせてください。アーメン


3/23/2023

この日も主と共に【854】主イエスの十字架(3)

兵士たちは・・・イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく・・・十字架につけるために外へ引き出した。(マルコによる福音書15章16~20節)

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ローマの兵士たちは言葉や暴力によって主イエスを侮辱しました。権力を笠(かさ)に着て、嬉々(きき)として弱い者を虐(しいた)げるありさまは今の時代でもさまざまに現れます。主イエスは傷を負う者の側に立たれます。《見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。・・・彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであった・・・》(イザヤ書53章2~4節)。

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主イエスよ、苦しみをお受けになったあなたに、わたしの救い、ゆるし、いやしがあることを感謝します。アーメン


3/20/2023

この日も主と共に【853】主イエスの十字架(2)

そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。(マルコによる福音書15章22節)

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ローマの兵士たちは、主イエスに十字架(おそらくは横木)を担がせ、刑場へと連れて行きました。その途中、偶然その場に居合わせたキレネ人のシモンが、主イエスに代わって十字架を担ぐこととなりました。シモンにとっては突然の出来事でしたが、これがきっかけとなり、彼とその家族は後に主イエスを信じたと聖書から推察することができます(参照ローマ16章13節)。シモンも《自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい》という主イエスの招きに応えた一人でした(8章34節)。

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主イエスよ、わたしたちのために十字架を負われたあなたを見つめ、あなたの十字架の道に続くものとしてください。その道に救いがあることを教えてください。アーメン


この日も主と共に【852】主イエスの十字架(1)

そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」(マタイによる福音書27章16、17節)

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ローマの総督(そうとく)ピラトは、《祭りの度ごとに・・・民衆の希望する囚人を一人釈放する》という慣例を利用して(25節)、主イエスを解放しようとしました。しかし、民衆は《バラバ・イエス》という囚人の釈放を希望しました。その名前は「父の息子であるイエス」という意味があります。人を救うためにご自分を身代わりとされた、イエス・キリスト。自分が助かるために他の人に身代わりになってもらった、バラバ・イエス。対照的な二人の《イエス》の姿には、イエス・キリストの十字架がわたしたちの罪の身代わりであることがすでに示されています(コリント二5章21節)。

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主イエスよ、わたしの罪の身代わりとなり、死と滅びより救い出してくださったあなたに感謝を捧げます。アーメン


3/18/2023

この日も主と共に【851】主イエスの苦しみ(7)

群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。(マルコによる福音書15章13~15節)

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ローマの総督(そうとく)ピラトは、主イエスに罪は無いと知り、祭りの習慣となっていた恩赦(おんしゃ)によって釈放しようとしました。ところが宗教指導者たちと群衆は、バラバという人物の釈放を求め(7、11節)、主イエスを《十字架につけろ》と叫び続けました。ピラトは自分の立場や人々の反応が気になり、真実よりも《群衆を満足させ》るために、バラバを釈放し、主イエスを十字架につけることに決めました。

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主イエスよ、周囲の反応を恐れるとき、自分の身は自分で守るしかないという不安にかられるとき、わたしたちの心を確かにし、誠実であることを助けてください。アーメン


3/17/2023

この日も主と共に【850】主イエスの苦しみ(6)

ピラトは祭司長たちと群衆に、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言った。しかし彼らは、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張った。(ルカによる福音書23章4、5節)

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宗教指導者たちは、主イエスが神を冒涜する罪を犯したと判決を下(くだ)しました(マルコ14章63、64節)。そして主イエスを死に追いやるべく、夜が明けるとローマ帝国の総督ピラトのもとに主イエスを連行し、ローマ帝国に対する反乱を企(たくら)む政治犯であると訴えました(2節)。また、主イエスが強い影響力を持つ危険人物であると訴えました(5節)。主イエスを攻撃して発せられた証言が、逆説的に、主イエスの教えと働きに力があることを認める証言となりました。

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主イエスよ、あなたの言葉とみわざに生き生きと関わり、教え、励まし、力を得させてください。あなたの愛や清さに感化される歩みを導いてください。アーメン


この日も主と共に【849】主イエスの苦しみ(5)

イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。(マタイによる福音書27章3、4節)

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イスカリオテのユダは主イエスを裏切ったことを後悔しました。しかし、主イエスを捕らえる計画では仲間であったはずの人々から、《知ったことではない。お前の問題だ》と切り捨てられました。ユダは自ら命を絶ちました(5節)。そこにも裏切りがありました。人の悪意、誘惑、弱さの中、主イエスはわたしたちのための救いのため、十字架へと進まれました。《多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。》(イザヤ53章2節)

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主イエスよ、あなたの変わらぬとりなしと救いに心を向け続けるできるように助け、導いてください。アーメン


3/16/2023

この日も主と共に【848】主イエスの苦しみ(4)

人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来た。・・・祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって不利な証言を求めたが、得られなかった。(マルコによる福音書14章53、55節)

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大祭司カイアファは、ユダヤ人の意思決定機関である最高法院を夜中に開き、主イエスを尋問しました。そこはすでに主イエスを死刑にしようという目的ありきの集まりとなっていました。主イエスは数々の不利な偽証には沈黙しておられましたが、《お前はほむべきかたの子、メシアなのか》という問いに対しては《そうです》とはっきりとお答えになりました(61、62節)。数の論理、数の力に迫られても、主イエスは父なる神に従う道を歩まれました。

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主イエスよ、あなたは、ただ一人になっても父なる神従い、わたしたちを救う道に留まられました。数の力にまさる、あなたの強さにつながらせてください。アーメン


3/15/2023

この日も主と共に【847】主イエスの苦しみ(3)

ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。(ルカによる福音書22章60~62節)

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主イエスは捕らえられ、大祭司の屋敷まで連行されました。ペトロは後を追い、屋敷に潜り込みました。しかし、それが彼の勇気の限界でした。周囲の人から主イエスの《仲間》ではないかと問われ、ペトロは恐れ、三度、《わたしはあの人を知らない》と否定しました(54~59節)。ペトロの大きな過ちでした。その過ちを予告しておられた主イエスのまなざしによって、彼は立ち帰り、立ち直りました。

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主イエスよ、あなたはわたしたちのすべてを、弱さをも見ておられます。あなたの愛と赦しのまなざしを受けとめ、歩むものとならせてください。アーメン


3/14/2023

この日も主と共に【846】主イエスの苦しみ(2)

ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻(せっぷん)した。イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。(マタイによる福音書26章49、50節)

***

ゲツセマネの園で祈っておられた主イエスを捕らえようと大勢の群衆がやって来ました。群衆を先導したのは弟子の一人イスカリオテのユダでした。親しい人への挨拶を合図にして裏切りが起こりました。主イエスには敵意ある人々が迫り、弟子たちは逃げてしまいました。人の表の顔と裏の顔がさまざまにさらけ出されるなかで、主イエスはユダを《友よ》と変わらずに呼びかけ、《このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである》と、神の御心に変わらずに従われました(56節)。

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主イエスよ、人々の憎しみ、恐れ、裏切りが闇を深くする時にも、あなたは変わることのない神の御子です。闇の中の光として、わたしたちと共にいてください。アーメン


3/13/2023

この日も主と共に【845】主イエスの苦しみ(1)

〔イエスは祈り、言われた。〕アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。(マルコによる福音書14章36節)

***

主イエスは弟子たちを連れて、《オリーブ山》のゲツセマネという園(その)に行かれました(32節、ヨハネ18章1節)。そこは主イエスの祈りの場所でしたが(ルカ22章38、39節)、この時はふだんと様子が違い、《ひどく恐れ》、《わたしは死ぬばかりに悲しい》とさえ言われました(33、34節)。十字架の死という《杯》が迫っていたからです。それは主イエスにとって、人間に代わって神に裁かれる側に立つことを意味しました。祈りと苦しみの中で、主イエスは神の御心を第一に願われ、十字架の《杯》を受け入れられました。

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主イエスよ、あなたは神の御子でありながらまったくわたしたちの側に立ち、父なる神に祈ってくださいました。あなたのとりなしと救いのみわざを感謝します。アーメン


3/12/2023

この日も主と共に【844】主の晩餐(7)

彼ら〔弟子たち〕の言葉によってわたし〔イエス〕を信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。(ヨハネによる福音書17章20、21節)

***

十字架につけられる前夜、最後の晩餐において、主イエスは弟子たちのために祈られました。そればかりでなく、弟子たちの伝道によって主イエスを信じる人々のために祈られました(17章全体)。主イエスはわたしたちが、また、小隊・教会が神の愛のうちに《一つ》になることができるように、わたしたちに先立って祈ってくださっています。

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主イエスよ、あなたはすでにわたしたちのために祈ってくださっていました。あなたの広く大きな祈りに支えられ、神の愛と共に歩むものとならせてください。アーメン


3/11/2023

この日も主と共に【843】主の晩餐(6)

〔イエスは言われた。〕あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハネによる福音書16 章33 節)

***

《勇気を出しなさい》と、主イエスは弟子たちを励まされました。

そのために主イエスは、
①弟子たちを無条件で愛し(13章1節、15章9節)、
②彼らに神の言葉を教えて喜びを満たし(15章11節、16章24節)、
③平和をお与えになりました(14章27節、16章33節)。

さらに、④たのもしい《弁護者》として聖霊を遣わすと約束されました(14章16節、16章7節)。

これらの励ましと約束は、聖書を通して、今のわたしたちにも向けられています。主イエスからいただく愛と喜びと平和、また、聖霊の助けが、小隊・教会の勇気の源です。

***

主イエスよ、あなたの励ましと約束を受け入れ、苦難が存在しない道ではなく、苦難があっても勇気を出して進む道を歩まれたあなたの後に続かせてください。アーメン


3/10/2023

この日も主と共に【842】主の晩餐(5)

実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。・・・わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。(ヨハネによる福音書16 章7 節)

***

主イエスは十字架の死を目前にして父なる神に願い、残される弟子たちのために《聖霊》を送ると約束されました(14章、16、17、26節)。聖霊は、①《弁護者》であり、《世の誤りを明らかに》します(8節)。言いかえれば、主イエスに従う正しさを明らかにします。②《真理の霊》であり、主イエスに従う者たちを《導いて真理をことごとく悟らせ》ます(13節)。聖霊は、主イエスと喜びの再会が実現するまで、主イエスに従う者たちを助けます(22節)。

***

主イエスよ、あなたは《悲しみは喜びに変わる》と語り、十字架に向かって進まれました(20節)。また、わたしたちの助けとして聖霊を遣わしてくださいました。あなたの十字架の先に備えられている喜びに向かって歩む者とならせてください。聖霊の助けをお与えください。アーメン


3/09/2023

この日も主と共に【841】主の晩餐(4)

わたし〔イエス〕はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。(ヨハネによる福音書15章5節)

***

主イエスはご自分につながっているならば《豊かに実を結ぶ》と、弟子たちを励まされました。

主イエスとのつながりには、
①聖霊によって主イエスの言葉を思い起こし、学ぶこと(14章26節)、
②主イエスが与えてくださる平和を受け入れること(14章27節)、
③主イエスの愛にとどまること(9節)、
④主イエスが愛してくださったように、互いに愛し合うこと(12節)
が含まれています。

このような主イエスとのつながりを、今の小隊・教会は託されています。折々に課題はあるとしても、主の言葉に支えられています。

***

主イエスよ、《わたしもあながたがにつながっている》と呼びかけられる者たちの一人となり、あなたの愛と平和によって実を結ぶものとならせてください。アーメン(4節)


3/08/2023

この日も主と共に【840】主の晩餐(3)

わたしの父の家には住む所がたくさんある。・・・行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。(ヨハネによる福音書14章2、3節)

***

主イエスから死と別れを告げられ、弟子たちは動揺したのでしょう。主イエスは、《心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい》と語られました(1節)。主イエスにとって十字架の死には、①《わたしの父の家》、すなわち、天の父である神のもとに行く、②神の国において弟子たちのための場所を用意する、③ふたたび戻って来て弟子たちを迎えるという目的がありました。主イエスの十字架は、彼を信じる者たちのための新しい始まりです。

***

主よ、あなたは十字架の死を引き受けわたしたちの救いのために進まれました。《道、真理、命》となってくださった、あなたの後に続かせてください。アーメン(6節)


3/07/2023

この日も主と共に【839】主の晩餐(2)

イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これパンは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」・・・杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」(ルカによる福音書22章19、20節)

***

主イエスはパンとぶどう酒の杯を弟子たちに分け与え、①ご自分の十字架の死を告げられました。②ご自分の十字架には神の救いを新しく約束する意味があると教えられました。③ご自分の十字架の意味をくりかえし思い起こすように命じられました。この言葉を受けて、今日多くのキリスト教会は聖餐(せいさん)を行っています。救世軍は儀式を行いませんが、同じように十字架の意義を大切に受けとめています。

***

主よ、あなたが十字架で死なれた意味をたずね、深く心に受けとめるものとならせてください。アーメン


3/06/2023

この日も主と共に【838】主の晩餐(1)

〔イエスは〕食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。(ヨハネによる福音書13章4、5節)

***

主イエスは十字架につけられる前夜、ユダヤの祭り、過越祭(すぎこしさい)の食事を弟子たちと共にされました。その食事は主の晩餐や最後の晩餐と呼ばれています。それは主イエスが《この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた》機会でもありました(1節)。当時、客人の足を洗うのは召使いの仕事でしたが、主イエスは自ら弟子たちの汚れた足を洗われました。そのお姿に、わたしたちのありのままの姿を受け入れ、新しくする神の愛が示されました。

***

主よ、あなたはわたしの今あるところに神の愛をもたらし、いやし、新しくしてくださいます。愛と力に満ちたあなたの御手によって支えてください。アーメン


3/04/2023

この日も主と共に【837】最後の一週間(7)

十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。(マルコによる福音書14章10、11節)

***

聖書は、イエス・キリストに真心を尽くす一人の女性(マリア)の直後に、弟子でありながらイエス・キリストを裏切るイスカリオテのユダについて記します。かつて天の大軍は《民全体に与えられる大きな喜び》として救い主の誕生を告げましたが(ルカ2章10、11節)、ユダはイエス・キリストを亡き者とする計略に加担し、一部の人々だけを喜ばせました。皮肉な対照です。しかしどちらにおいてもイエス・キリストは神の御子であり、父なる神に従い、十字架に向かって進む、救い主であり続けておられます。

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主イエスよ、状況が明るくとも暗くとも、そこに居てくださるあなたと共に歩む者とならせてください。アーメン


この日も主と共に【836】最後の一週間(6)

〔イエスは言われた。〕この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。(マルコによる福音書14章8、9節)

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一人の女性(マルタとラザロの兄妹マリア)が《純粋で非常に高価なナルドの香油》を持参し、イエス・キリストの頭に注ぎかけました(3節、参照ヨハネ12章3節)。それは当時、大切な客人をもてなす行為でした。しかし周囲の人々は「もったいない」と彼女をとがめました(5節)。イエス・キリストはご自身の十字架の死の備えとして、彼女の香油は大いに意味があると語られました。イエス・キリストは彼女の真心と行いを福音に結び付けられました。

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主イエスよ、わたしたちの心と行いが、あなたと関わりを持つものでありますように。あなたの十字架の道に、救いの道に結び付くものでありますように。アーメン


3/03/2023

この日も主と共に【835】最後の一週間(5)

 〔イエスは言われた。〕はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱(さいせんばこ)に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏(とぼ)しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。(マルコによる福音書12章43、44節)

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イエス・キリストは、神殿の境内にある賽銭箱(さいせんばこ)にご覧になりました。《大勢の金持ちがたくさん入れて》いましたが(41節)、一人の貧しいやもめ(未亡人)の献金を見て、彼女が《だれよりもたくさん入れた》と告げられました。やもめの献金は少額でも彼女の生活、いいかえれば生きる可能性や自分の命を神にまったく委(ゆだ)ねている現れだったからです。そのような献げものを神は見過ごしにされません。

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天の父なる神さま、義務や強制や計算によらず、あなたを信頼し自分を委ねる歩みを教えてください。そして、あなたが約束される平安と喜びと力に与らせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


3/02/2023

この日も主と共に【834】最後の一週間(4)

徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。(マタイによる福音書21章31、32節)

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《徴税人や娼婦たち》は当時軽べつされていました。その彼らが神の《義の道》を信じるなら、宗教の指導者たちよりも優先して神の国に入る、とイエス・キリストは語られました。この直前に、宗教の指導者たちが《何の権威でこのようなことをしているのか》と尋ねていました(23節)。イエス・キリストは質問には直接にはお答えにならず、たとえ話を通して、人の思いを超える神の救いを告げられました。そこにイエス・キリストの権威が現れていました。

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天の父なる神さま、御子イエスが保証してくださる救いを受け入れ、あなたの恵みと共に歩ませてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


3/01/2023

この日も主と共に【833】最後の一週間(3)

〔イエスは〕人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」(マルコによる福音書11章17節)

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神の御子であるイエス・キリストが怒りを示されました。神殿の献(ささ)げものをするために動物の売買や両替は必要でしたが、肝心の祈りより優先されてしまっていたからです。そこで神殿の境内で《売り買いしていた人々》を力ずくで追い出されました(15節)。これはその場の感情に任せた行動というよりも、聖書に基づいて神を礼拝することを教えるという心、わたしたちに本物を伝えるという心の強い現れでした(イザヤ書56章7節、エレミヤ7章11節)。

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天の父なる神さま、『より良い』と思われるものが色々とわたしたちの心に留まりますが、必要なもの、大切にすべきものを選ぶことができるように教え、助けください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン