12/31/2022

この日も主と共に【774】クリスマスへの応答(7)

御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。(ヨハネの手紙一3章2、3節)

***

イエス・キリストを神の御子、救い主(メシア)と信じる人は《神から生まれた者》、《神の子》とされると、ヨハネは語ります(2節、5章1節)。その人には、①御子イエスにふたたびお会いするという将来の目的地点があります。②《御子に似た者》にされるという希望があります。③御子イエスによって罪を赦され、清い者にしていただけるという約束があります(1章9節、2章1節、3章4節)。

***

天の父なる神様、一年が終わり、新しい年に向かおうとしています。かわることのない神の御子、救い主でおられるイエス・キリストを見上げ、あなたのかぎりない愛と救いのもとで歩み続けるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/30/2022

この日も主と共に【773】クリスマスへの応答(6)

わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。(ヨハネの手紙一1章4節)

***

ヨハネは、イエス・キリストを《命の言(ことば)》と言い表します(1節)。しかもその命は《永遠の命》であると言います(2節)。それは、イエス・キリストを受け入れる者たちには、神が《御父》となってくださり、共に生きてくださるからです。この《御父と御子イエス・キリストとの交わり》によって教会・小隊の《交わり》は成り立っています(3、4節)。神の語りかけを聴き、喜びを見出す《交わり》です。

***

天の父なる神様、さまざまな経験をするなかにも、あなたと御子イエスとの交わりによってわたしたちを支えてくださることを感謝します。教会・小隊の交わりを祝福し、つながる一人一人にあなたの喜びを注いでください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/29/2022

この日も主と共に【772】クリスマスへの応答(5)

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。(テモテへの手紙一1章15節)

***

パウロは自分を《罪人の中で最たる者》と述べています。他の人の言動と良し悪しをくらべて評価しているのではありません。むしろ、自分が生きることを許し、支えているのは、人からの評価ではなく、さらには自分の持ち物や経歴や能力でさえもなく、ただ《わたしたちの主の恵み》、《キリスト・イエスによる信仰と愛》、このお方の《憐れみ》、《かぎりない忍耐》であると力強く述べています(14、15節)。クリスマスに対するパウロの応答であると言えます。

***

天の父なる神様、御子イエスがわたしの《キリスト、救い主》となってくださることを受け入れ、このお方の恵み、信仰、愛、憐れみ、忍耐と共に歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


12/28/2022

この日も主と共に【771】クリスマスへの応答(4)

 主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕(しもべ)を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。(ルカによる福音書2章29、30節)

***

シメオンという人がいました。彼は《主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けて》おり、その時を待ち望んでいました(26節)。そしてエルサレムの神殿で幼子のイエスさまを見つけ、《わたしはこの目であなたの救いを見た》と神をたたえました(30節)。シメオンは、見た目には小さい一人にすぎなかったイエス・キリストの姿に、豊かな神の恵み、救い、希望を見出しました。そのような信仰のまなざしを持ち続けることを、聖書は今もわたしたちに勧め、励ましています。

***

天の父なる神様、わたしたちはさまざまな状況の中を歩みますが、目に映るものを越えてある、あなたの恵みと救いを御子イエスによって見出させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/27/2022

この日も主と共に【770】クリスマスへの応答(3)

ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは・・・主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。(マタイによる福音書2章14、15節)

***

ヘロデ王に命を狙われたためにヨセフ、マリア、幼子イエスの家族はエジプトに逃れました。恐れや緊張や不安を抱える旅路であったことでしょう。しかしマタイは預言者ホセアの言葉を示し、彼らの旅路が神の救いの計画の一部であったと述べます(ホセア書11章1節)。このような経験をされたイエス・キリストが、「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束しておられます(28章20節)。

***

天の父なる神様、「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」という平安を、御子イエスによってお与えください。「インマヌエル」の名を持つ主、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(詩編23編4節)

12/26/2022

この日も主と共に【769】クリスマスへの応答(2)

起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。(マタイによる福音書2章13節)

***

ヘロデ王はユダヤ人ではありませんでしたが、ローマ帝国の後ろ盾を得てユダヤ地方の王となっていました。そのため《占星術の学者たち》が《ユダヤ人の王》を拝みに来たと聞くと不安を抱きました(2、3節)。そして、自分の立場や権威を守るために、《学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させ》ました(16節)。

《光が世に来たのに・・・光よりも闇の方を好んだ。》(ヨハネ3章19節)

***

天の父なる神様、御子イエスがわたしたちの心を訪ねてくださる時に、心を開き、大切な友としてお迎えするものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照 黙示録3章20、21節)


歳末助け合い「社会鍋」~追加のお知らせ(2)


 歳末助け合い「社会鍋」を今週も実施いたします。

大丸神戸店 東側入口(三宮寄り)そば

午後1時から4時の予定。

ご支援をいただき感謝いたします。

引き続きましてご協力をお願いいたします。

この日も主と共に【768】クリスマスへの応答 (1)

 ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。(マタイによる福音書2章2節)

***

《占星術の学者たち》が東方からエルサレムにやって来ました(1節)。彼らは星の動きを見て、《ユダヤ人の王》の誕生を理解しました。かつてユダヤ人が捕虜となって東方に連行された歴史から推測すれば(バビロン捕囚)、《ひとつの星がヤコブから進み出る》といった聖書の言葉が言い伝えとして残っていた可能性があります(民数記24章17節)。学者たちは、羊飼いたちのように一晩ではなく、何ヶ月、何年も時間をかけてイエス・キリストにお会いしました。それもまた神が導かれた、かけがえのない出会いでした。

***

天の父なる神様、クリスマスの出来事の意味と祝福をひと時ではなく、イエス・キリストに向かって歩み続ける日々を通して知り、受け取るものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/25/2022

アドベントの黙想 2022【24】

 《第24日》

クリスマスの祝福をお祈りいたします。

***


東方の占星術の学者たちは、王であったとも伝えられている。

そうであるとするならば、学者たちが幼子を見つけたということは、王たちが“諸王の王”を見つけたことを意味する。

そこで、「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(マタイによる福音書2章11節) ※


神の御前にひざまずくことはすばらしいことである。

神の御前にひざまずく時、

わたしたちの人生は、神の物語の中にある。

わたしたちは、神の主権を知る。

わたしたちは、神がすべてのものの上におられることを知る。

わたしたちは、神の愛を経験する。永遠なるお方の愛、全能のお方である愛を。

わたしたちは、神にケアされていることを知る。

そして、わたしたちは、神が顧みてくださるという安全を得る。


神に対してへりくだることは必要だ。

ただし、それは人を卑屈にさせるものではない。

神に対してへりくだる時、

言葉にできないほどに、神に大切にされていることがわかる。

自分がいるべき所にいることがわかる。

自分のすべてを神が知っておられることがわかる。

自分のすべてを神が受け入れてくださっていることがわかる。

自分の立ち帰るべき故郷が、神のもとにあることがわかる。


***

※原文(英語)では、この聖句は24個の単語から成り立っている。


12/24/2022

この日も主と共に【767】降誕(7)

いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。(ルカによる福音書2章14節) 

*** 

イエス・キリストがお生まれになった夜、天の大軍が神を賛美しました。それは、神がおられる《天》とわたしたちが生きる《地》がつながったことを告げる賛美でした。イエス・キリストの誕生によって《天》が《地》に向かって開かれ、近づいたのです。しかし、情報や武器が世界中を飛び交い、力を競うことに象徴されるように、人は今も《地》と《天》を引き離し、かえって《地》をどこまでも広げようとします。今年のクリスマスを迎えるにあたり、思いを新たにして、天の大軍の賛美に共に参加しましょう。 

*** 

天の父なる神様、御子イエスを大切に受け入れ、あなたの愛のまなざしを知って、この世界や自分の人生を顧みるものとならせてください。そして、あなたの栄光と地の平和をうたう賛美に加わらせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/23/2022

アドベントの黙想 2022【23】

《第23日》

クリスマスの祝福をお祈りいたします。

***


「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。」(マタイによる福音書2章9節) ※


この言葉は、東方の学者たちの旅路が完結したことを語っている。


学者たちは、学問を修め、深い見識を持っていた。

それにもかかわらず、彼らは謙虚で、星に従うこと、星に導かれることを受け入れた。


学者たちは、創造主である神が今もなおご自分の民のうちにあって働き続けておられる出来事を探し求め、期待していた。


学者たちは、星が現れた時に、その光に反応し、胸が高鳴った。


学者たちが、想像をはるかに超える出来事を発見することができたのは、彼らの心が開いていたからだ。


そして、人となられた神ご自身と出会うことができた。


もし、わたしたちも当方の学者たち同じであるならば、同じことが今も起きる。


神との出会いが。


***

※原文(英語)では、この聖句は23個の単語から成り立っている。

 

この日も主と共に【766】降誕(6)

あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。(ルカによる福音書2章12節) 

*** 

イエス・キリストがお生まれになった夜、天使が知らせを最初に届けた《あなたがた》とは、信心深い生活がかなわず、神の祝福から程遠いとみなされていた羊飼いたちでした。
羊飼いたちは、
①知らされた出来事を確かめました(15節)。
②出かけて行き、幼子を探しました(16節)。
③人々に伝えました(17節)。
④神を崇め、賛美しました(20節)。
そして、
⑤ふたたび仕事に戻りました(20節)。
彼らの野宿の仕事は、見た目は同じでも新しく変わりました。神の恵みが現れる場所、神を賛美する場所となりました。 

*** 

天の父なる神様、羊飼いたちのように、御子イエスがわたしたちの喜びであることを見出し、新しい力と新しい歩みを得るものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/22/2022

クリスマスの賛美 2022【4】エサイの根より

 


今年のアドベント、クリスマスにあたり、

賛美をお届けします。


第4回目

『エサイの根より』

(讃美歌96番)


Key and Arr. by Y.T.


神様の祝福をお祈りいたします


これまでの賛美は下をクリックしてください

クリスマスの賛美 2022

(YouTube再生リスト)


アドベントの黙想 2022【22】

 《第22日》

クリスマスの祝福をお祈りいたします。

***

「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(コリントの信徒への手紙二8章9節) ※


この聖書の言葉は、神の心をわたしたちに示している。


神は全能のお方であり、神にはどのようなことも可能である。

しかし、ご自分が創造されたものたちを強制的に服従させようとはお考えにならない。


それならば、神は何を目的としておられるのだろうか。


ある人が次のように述べている。


「キリストはご自分の冠(かんむり)を外して、わたしたちに冠をかぶらせてくださった。ご自分の高貴な衣を脱いで、わたしたちの古びた衣を覆ってくださった。・・・キリストが天から地上へと降られたのは、わたしたちを地上から天へと送るためであった。」


イエスは、ご自分の豊かさをわたしたちと分かち合うために、その妨げになるものをみな手放されたのだ。


神の愛は、犠牲をいとわない。

物惜しみをしない。

そして、応答するようにと、わたしたちを招いている。


***

※原文(英語)では、この聖句は22個の単語で成り立っている。


この日も主と共に【765】降誕(5)

彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 (ルカによる福音書2章6、7節) 

*** 

イエス・キリストの誕生は、ヨセフとマリアにとって予想外の状況で実現しました。
①《皇帝アウグストゥス》によって住民登録の命令が出され、マリアは身重でありながらベツレヘムまで旅をしなければなりませんでした。
②旅先で泊まる場所がなく、マリアは家畜を飼う場所でお産をしなければなりませんでした。
しかし神は、皇帝の命令も家畜の飼い葉桶もご自分の計画のために用いられ、救い主を与える約束を実現されました。 

*** 

天の父なる神様、あなたはわたしたちを愛し、救うために、わたしたちの思いを超える状況や物事をもお用いになります。あなたの大きく広い御業で守り支えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/21/2022

アドベントの黙想 2022【21】

《第21日》
クリスマスの祝福をお祈りいたします。
***

「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイによる福音書25章40節)

この言葉は、わたしたちが他の人々を大切にすること、あるいは大切にしないことは、イエスに対して同じことをしているのだと教えている。

良いことも、悪いことも。


イエスは、他の人に対して行うことは、ご自分に対して行っているようなものである、と言われたのではない。

彼は、他の人に対して行うことは、ご自分に対して行っていることだ、と言われた。

それだけ、イエスはわたしたち一人一人にとって身近でいてくださり、ご自分と一つにしておられる。

わたしたちはイエスと表裏一体の間柄なのだ。


イエスの愛は、わたしたちに資格を求めない。

イエスの愛は、彼ご自身がどのようなお方であるかに根拠がある。

それだからこそ、イエスご自身、わたしたち一人一人を大切にしてくださるのだ。

ご自分のこととして。


神は、ご自分の創造されたものと一つになってくださる。

そのことを、飼い葉桶に寝かされた幼子の姿は示している。

***

この日も主と共に【764】降誕(4)

〔マリアは言った。〕わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。(ルカによる福音書1章47節) 

*** 

天使を通して伝えられた神の御言葉を受け入れたマリアは、自分は《幸いな者》であると喜び、歌いました(48節)。その理由として、①神が自分に目を留めてくださった(48節)、②神が自分に偉大なことをしてくださった(49節)、さらに、③神の《憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及》ぶことを知った(50節)と歌は続きます。この喜び歌にわたしたちも加わることができます。御子イエスと聖霊によって、《信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力》が、わたしたちにも向けられています(エフェソ1章19節)。 

*** 

天の父なる神様、マリアのうたう幸いのもとに立たせてください。あなたに覚えられ、慈しみを受け、大きな御力に守られる喜びに加わらせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/20/2022

アドベントの黙想 2022【20】

《第20日》

クリスマスの祝福をお祈りいたします。

***


イエスは語られた。

神がもっとも大切なこととして命じておられることは、愛することだ、と。


マタイがその言葉を書き留めている。

「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」と、イエスに質問した人がいた。

イエスはお答えになった。

「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」(マタイによる福音書22章37節) ※


神がもっとも大切なこととして命じておられることは、

奉仕することではない。

規則に従うことではない。

礼拝を執り行うことでさえない。

もちろんそれらは大切なことだ。

しかし、もっとも大切ことは、愛することだ。

しかも、神を愛することなのだ。


飼い葉桶に寝かされた幼子に表されたのは、愛であった。

権力ではない。

武力ではない。

富ではない。


イエスを通して、神はわたしたちを招いておられる。

神を愛するように、と。

神との関係に生きるように、と。

神に近づくように、と。

神の愛を受け取るように、と。

神が共におられることを知るように、と。

そして、わたしたちがなぜ生まれたのか、その理由を発見するように、と。


***

※マタイによる福音書22章37節は、原文(英語)では20個の単語から成り立っている。


歳末助け合い「社会鍋」~追加のお知らせ

 


 歳末助け合い「社会鍋」

本日20日(火)から23日(金)まで、

実施場所が変わります。

大丸神戸店 西側入口(元町寄り)そば

午後1時から4時の予定。

※天候等の事情により変更する場合があります


毎年ご支援をいただき感謝いたします。

今年もご協力をお願いいたします。

この日も主と共に【763】降誕(3)

マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカによる福音書1章38節) 

*** 

マリアは《身ごもって男の子を産む》と天使に告げられ時、初めは《どうして、そのようなことがありえましょうか》と驚き、戸惑いました(31、33節)。しかし、最後には《お言葉どおり、この身に成りますように》と応答しました。あきらめて運命を受け入れたという意味ではありません。マリアは、①神の計画を、②神の御言葉を、③神の霊である聖霊の力を受け入れました。《主のはしため》とは、主の僕(しもべ)という意味です。その人は、《神にできないことは何一つない》ことの証人となる、と聖書は語ります(37節)。 

*** 

天の父なる神様、マリアのように、あなたが新しい出来事を創造されるお方であることを驚きと喜びをもって知ることができますように。聖書を通して教えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/19/2022

アドベントの黙想 2022【19】

《第19日》
クリスマスの祝福をお祈りいたします。 

*** 

 マリアが過ごした時間を考えてみよう。 

 彼女は、驚くような知らせを天使から聞いた。 
神から与えられた役割があると言われる。 
予想もしていなかったその役割を負うようにと求められる。 
その衝撃に対処しなければならなかった。 

 ヨセフは最初、結婚を止めにしようとした。 
『子供を宿した自分は受け入れられていないのだ。』 
そう感じる視線を、何ヶ月も周囲から投げつけられた。 
子を胎に宿す日々は、長い旅のようだった。 
拒絶もされた。 
共感してくれる人は少なかった。 
理解してくれる人は少なかった。 
進むべき道を一緒に探してくれる人は少なかった。 

 そうして、子供が生まれた。 
辱められているようにさえ思われる状況のなかでの出産だった。 
そこに訪ねて来る人たちもいたが。 

 それらの後で、マリアは、自分自身のための時間を持つことができた。 
それは、生まれた子どもと一緒に過ごす時間でもあった。 

 「しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」(ルカによる福音書2章19節) 

 マリアには静かな時間が必要だった。 これまでをふりかえるために。 
自分が経験したことは、どういうことだったのかと思い巡らすために。 
じっくりと考えるために。 
喜ぶために。 
そして、愛するためにも。 

 わたしたちも静かな時間が必要だ。 
ふりかえるために。 
思い巡らすために。 
じっくりと考えるたに。 
喜ぶために。 
礼拝を捧げるために。

この日も主と共に【762】降誕(2)

〔天使は言った。〕・・・あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。
(ルカによる福音書1章31~33節) 

*** 

マリアは《身ごもって男の子を産む》と天使に告げられました。
その男の子は、
①「主は救う」という意味の《イエス》という名を持つお方、すなわち「救い主」です。
②《いと高き方の子》と呼ばれるお方、すなわち「神の御子」です。
③《ダビデの王座》を受け継ぐお方、すなわち「平和の王」です。
このようなお方であるイエス・キリストが、今もわたしたちと共にいると聖書は約束しています。 

*** 

天の父なる神様、御子イエスがわたしの友、味方でいてくださる幸いを教え、心の土台としてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

この日も主と共に【761】降誕(1)

天使は、彼女のところに来て言った。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
(ルカによる福音書1章28節) 

*** 

ナザレという町に暮らしていた女性マリアのところに、天使ガブリエルがやって来ました(26、27節)。神の独り子イエス・キリストが地上にお生まれになるために、マリアが母として選ばれたのです。
天使は《おめでとう》とマリアを祝福しました。元々は『喜びなさい』という意味の言葉です。その理由は、《主があなたと共におられる》からでした。
イエス・キリストは、インマヌエル(神は我々と共におられる)とも呼ばれるお方です。このお方を通して、神は、わたしたちにも祝福と喜びを与えてくださいます。 

*** 

天の父なる神様、さまざまな出来事が起きる中にも、御子イエスによって、あなたの祝福と喜びの中にわたしのための場所がなおもあることを見出させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/18/2022

アドベントの黙想 2022【18】

《第18日》 
クリスマスの祝福をお祈りいたします。 

*** 

クリスマスの物語は、天の使いが姿を現したときにはいつも人々が驚いたと伝えている。 
もっともなことだ! 

それだから、羊飼いたちに対する天の使いの第一声が、彼らを安心させようとする言葉であったことは驚くことではない。 

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」(ルカによる福音書2章10節)※ 

これらの言葉は、羊飼いたちを落ち着かせたと同時に、興奮させた。 

彼らは、天の使いの知らせに衝撃を受けた。 
しかし、その衝撃の先に向かった。 
そして、知らされたことに基づいて行動した。 
イエスを見つけるために出発したのだ。 

今日も、神からの知らせに対して応答しようとする者は同じ道をたどる。 

イエスについて初めて耳にする時、そして、人生を変えてしまうほどの影響がイエスにあると聞かされる時、人々は驚き、不安を覚えることがある。
さらには、恐れを覚えることさえある。
いったい何を聞かされたのかと問う時がある。
未知のものに接して恐れを覚える時がある。
新しい視点を得たと感じる時がある。
その知らせに関わり合いになりなくないと思う時がある。
その知らせを受け取ることによって、どのような結果がもたらされるのか気になる時がある。

そうしてみると、羊飼いたちは良い判断をした。
彼らは、自分自身で確かめようとした。
彼らは、この後の人生を、『またとない機会を逃したのではないか』と思いながら生きることはしたくないと考えた。
彼らは、またとない機会を逃さなかった。
彼らは、イエスを見つけた。 彼らは、喜びに満たされた。
そして今度は、彼らが出かけていき、できるかぎり多くの人々に良い知らせを伝えたのだった。 

***
※原文(英語)では、この文が18個の単語からなっている。

12/17/2022

アドベントの黙想 2022【17】

《第17日》
クリスマスの祝福をお祈りいたします。
***

天使が知らせを携えてきた。
その知らせは、一度しか起こらない出来事を伝えるものだった。
それは、神の御子がお生まれになったという出来事だ。

そして、天使は神を賛美した。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
(ルカによる福音書2章14節)※

その言葉には、いいかげんな気持ちはない。
その言葉には、わずかな疑問さえもない。
それは、究極の賛美だ。
それは、神からの究極の贈り物に対する応答だ。

そして、天使は平和を告げた。
神からの平和を。
神と共にある平和を。
内にあるものの平和を。
心の平和を。

すべての平和は神の内に見出すことができる。
御子の誕生は、平和の道なのだ。
平和は御子の内にある。

そして、御子と正しく共にいるならば、
そのものの内にも平和はある。
わたしたちが共に御子を受け入れるならば、
御子はわたしたちに平和を与えてくださる。
人のあらゆる理解を超える、神の平和を。

***
※原文(英語)では、この文は17個の単語でできている。

この日も主と共に【760】メシア(救い主)の約束(7)

この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。・・・ハレルヤ、全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた。・・・王の王、主の主・・・(ヨハネの黙示録11章15節、19章6、16節) 

*** 

音楽家ヘンデルが作った『メサイア』、そのなかで広く知られている『ハレルヤ・コーラス』は、『ヨハネの黙示録』の言葉を歌詞にしています。イエス・キリストはわたしたちの救いのために十字架にかかり、復活され、天に昇られました。そしてふたたびこの世に来られ、神の御国を完全に与えてくださいます。今はすべてが明らかではなく、理不尽に感じる場合さえあります。しかし、イエス・キリストをメシア(救い主)と信じる人に、希望は残されています。 

*** 

天の父なる神様、あなたは御子イエスによってわたしたちに将来を示し、道を開かれます。あなたの御国を待ち望み、賛美の歌声を合わせて歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/16/2022

アドベントの黙想 2022【16】

《第16日目》 
クリスマスの祝福をお祈りいたします。 
 *** 

幼子のイエスは、人から期待される存在ではなかった。 

神が人となられたのに。 

その目的は、わたしたちの幸いのためであったのに。 


しかし、そのような神は、当時も今も、人が常日頃から抱いている期待とは大きくかけ離れていたのだ。 

人は、愛する神を何よりも先に求めていたというわけではなかった。 

人が求めていたのはむしろ、力強い神だ、そう、全能の神だ。 

何よりもまず、愛する神を求めようという人はいるだろうか。 

これは今もなお、多くの人に投げかけられている課題である。 


このような人のありさまを知ったうえで、イエスは大切なことを弟子たちに教えられた。 

「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(ヨハネによる福音書13章35節) ※ 


イエスに従うことは、儀式を行うことではない。 

目に見えるしるしを手にすることではない。 

ある地位に就くことではない。 

何か力を得ることではない。 

さらに言えば、善い行いができるかどうかの問題でもない。 


イエスに従う者を見分ける、はっきりとしたしるしは、愛だ。 

それゆえ、イエスに従う道は純粋で、一本の道なのだ。 

 *** 
※原文(英語)では、この文は16個の単語から成り立っている。

この日も主と共に【759】メシア(救い主)の約束(6)

・・・見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り 「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み 権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え 彼の支配はとこしえに続き その統治は滅びることがない。(ダニエル書7章13、14節) 

*** 

メシア(救い主)を表す言葉の一つは《人の子》です。これはダニエルが見た、世界を永遠に治める王の幻に由来します。イエス・キリストはご自分をしばしば《人の子》と呼ばれました。自分こそが偉いと主張されたのではありません。むしろ、《人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである》と語られました(マルコ10章45節)。 

*** 

天の父なる神様、わたしたちを救うために十字架を負い、命を献げてくださった御子イエスを見上げ、このお方のうちに神の力と助けを見出すものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメ

12/15/2022

クリスマスの賛美 2022【3】We wish you a Merry Christmas

 



今年のアドベント、クリスマスにあたり、

賛美をお届けします。


第3回目

『We wish you a Merry Christmas』


Key and Arr. by Y.T.


神様の祝福をお祈りいたします


これまでの賛美は下をクリックしてください

クリスマスの賛美 2022

(YouTube再生リスト)


アドベントの黙想 2022【15】

《第15日目》 
クリスマスの祝福をお祈りいたします。 

*** 

ヨハネによる福音書は次のように語る。 
「わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光」であったと(1章14節後半)。

これまでに世に出された文章の中でも、ヨハネの文章は広く評価されている。 
その文章の中で、ヨハネは、自分が直接体験したことを記しているのだと強調している。 

ヨハネは目撃者(eyewitness)だった。 
イエスに従った他の弟子たちも、そうだった。 
彼らは、イエスと共に生きた。 
彼らは、イエスをよく見て学んだ。 
彼らは、イエスに耳を傾けた。 
彼らは、イエスに問いかけた。 
彼らは、イエスに教えられ、悟った。 

彼らは、イエスがどのようなお方を確かめる、かけがえのない機会を得た。 
イエスは、うそ偽りのないお方だ。 
イエスは、信頼できるお方だ。 
イエスは、真に優れたお方だ。 

そして、彼らは、全面的に確信した。 
神の言(ことば)が「肉となって、わたしたちの間に宿られた」のだ、と(1章14節前半)。 
イエスは、まことに神であり、まことに人である、と。 
それでいて一人のお方なのだ、と。 

もし、あなたが、そのようにイエスを知ったならば、
イエスについて悟ったならば、
あなたも、そのことを自分の胸の内に秘めておくことはできないだろう。 

それだからこそ、ヨハネはどうしても自分の経験を共有したかったのだ。

 ***

この日も主と共に【758】メシア(救い主)の約束(5)

起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い 暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で 主の栄光があなたの上に現れる。(イザヤ書60章1、2節) 

*** 

預言者イザヤは、メシア(救い主)が神を信じる民を光のように照らし、新しい国に導く希望を告げました。その国は特定の民族に偏らず、地のすべての国と民の祝福の中心となります(3、11節)。その言葉通り、イエス・キリストは世の光として来られ、神の国の良い知らせ(福音)を世界に告げられました。それですから、キリストを受け入れる者たちの生涯は神の国につながっています。神の国が将来、完全なかたちで実現するという希望の下にあります。 

*** 

天の父なる神様、あなたの御国を来たらせてください。今この時も御子イエスによって心を照らし、導いてください。そして、天の御国に至らせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/14/2022

この日も主と共に【757】メシア(救い主)の約束(4)

・・・若枝のように この人は主の前に育った。見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。(イザヤ書53章2、3節) 

*** 

預言者イザヤは、メシア(救い主)を意味する《若枝》という言葉を、神の《僕(しもべ)》と呼ぶ人物にも用いています(52章13節)。ただし、神の僕(しもべ)は人々に待ち望まれず、むしろ軽蔑され、無視される存在でした(3節)。じつは神の僕(しもべ)は人々の身代わりとして痛みや病を負ったのですが、人々はそのことを悟らなかったのです(4節)。これは、イエス・キリストがこの世に来られた意味を、多くの人が悟らなかったことを前もって示しています(参照 ヨハネ1章5節)。 

*** 

天の父なる神様、御子イエスがこの世に来てくださった意味を、わたしたちの痛みを担い、救ってくださるという意味を、大切に受け入れるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

アドベントの黙想 2022【14】

《第14日目》 クリスマスの祝福をお祈りいたします。 

*** 

ヨハネによる福音書は、イエスの誕生について、神が人となられたと告げる。
 
そして、イエスが「恵みと真理とに満ちていた」と述べる(1章14節)。 


わたしたちも、「恵み」や「真理」についてそれぞれに測りを持っていると言えるだろう。 

しかし、神の御子は「恵みと真理とに満ちていた」というのだ。 

それゆえ、イエスだけが「父の独り子」であり、神の栄光を表すことができたのだ。 


もし、わたしたちがイエス・キリストを受け入れるのならば、それは「真理」を受け入れることにもなる。 

それは、神がわたしたちを完全理解しておられると知ることである。 

それは、神に対して隠れることはできないし、その必要はないと知ることである。 


そうしてみると、今度はイエス・キリストを敬遠したくなるという場合がある。 

そう感じるのも無理からぬことかもしれない。 

しかし、イエスを避けることが束の間の安心に思えるとしても、そうする必要は無いのだ。 

なぜなら、イエスは「真理」と同時に「恵み」にも満ちておられるからだ。 

イエスの恵みは、赦しの恵み、そして、人を新しくする恵みだからだ。 


イエスにおいて、恵みと真理は結び合っている。 

イエスのうちに、この上ない恵みと真理がある。 

イエスを迎え入れよう。

この日も主と共に【756】メシア(救い主)の約束(3)

見よ、このような日が来る、と主は言われる。
わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。
王は治め、栄え 
この国に正義と恵みの業を行う。
(エレミヤ書23章5節) 

*** 

預言者エレミヤは、イザヤと同じく、メシア(救い主)をダビデの家系から登場する王として伝えます。とくに注目されるのは(6節)、当時は北(イスラエル)と南(ユダ)に分裂していた国を両方ともメシアが救い、平和と回復をもたらされると述べていることです。このメシアの姿には、イエス・キリストの《十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられ》るという、神の救いがすでに表わされています(コロサイ1章20節)。 

*** 

天の父なる神様、さまざまな主張や対立が心や生活に迫り動揺や痛みを覚える時に、御子イエスの平和と回復によってわたしたちを支え、お守りください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/13/2022

アドベントの黙想 2022【13】

《第13日目》
クリスマスの祝福をお祈りいたします。 

 *** 

『世界よ、喜べ!主が来られた。全地よ、王を迎え入れよう。』※

この言葉は、すべてを包み込む祝いに一緒に加わるようにと、わたしたちを招く。
この言葉は、喜びと希望と信仰を沸き立たせる。 

イエスが来られた!
神が人となられた。 
いまだかつて聞いたことのない出来事が起きた。 
神が、わたしたちと共にいてくださる。 
神が、わたしたちと同じところにいてくださる。 
神が、わたしたちのためにいてくださる。 

しかし、喜びを得ることは容易ではない。 

それにはいろいろな理由がある。
自分のせいである場合もあれば、そうではない場合もある。
喜びが得られないのは、腐敗した人々、私利私欲に走る人々、搾取する「持てる者たち」のせいだけではない。
あるいは、抑圧されている人々、無視されている人々、幻滅させられた「持たざる者たち」の問題だけでもない。

深い喜びは、わたしたちの内面が平和を知ならければ得られないのだ。 

それだからこそ、クリスマスの賛美は、イエスを迎えるようにと、わたしたちを招く。

このお方こそ、喜びをもたらすお方(Joy-bringer)。
その喜びには力がある。
神の恵みと真理が伴っているからだ。 
じつにかけがえのない喜びが、この世界にもたらされたのだ! 

*** 
※原文(英語)では、この一文が9個の単語からできています。

この日も主と共に【755】メシア(救い主)の約束(2)

エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊 思慮と勇気の霊 主を知り、畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。(イザヤ書11章1~3節) 

*** 

預言者イザヤはメシア(救い主)について、《エッサイの株・・・その根》から育つ《若枝》と表現しました。《エッサイ》はダビデ王の父です。その言葉の通り、イエス・キリストはダビデ王の子孫として誕生しました(参照 マタイ1章1~17節)。ただしイエス・キリストは権力者や支配者にはならず、すべての人を神の平和のもとに導く神の僕(しもべ)となられました。それが神から遣わされた真の王の姿でした。 

*** 

天の父なる神様、あなたは平和の指導者として御子イエスを与えてくださいました。さまざまな思い煩いがわたしたちの心を占めようとするときに、御子イエスの知恵と識別、思慮と勇気によって守り、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/12/2022

この日も主と共に【754】メシア(救い主)の約束(1)

エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために イスラエルを治める者が出る。・・・彼は立って、群れを養う 主の力、神である主の御名の威厳をもって。(ミカ書5章1、3節) 

*** 

南王国ユダで活動した預言者ミカは、神が遣わされるメシア(救い主)がベツレヘムに現れると告げました。それから約740年後、ミカの預言の通り、イエス・キリストがベツレヘムでお生まれになりました(参照 マタイ2章1~6節、ルカ2章4~7節)。ベツレヘムは、ダビデ王の故郷という由緒はあったとはいえ、都エルサレムにくらべれば小さな田舎町でした。その小さなものを神は御心に留め、世界全体に関わる大きな出来事の出発点となさいました。 

*** 

天の父なる神様、あなたは小さいものに目を留め、愛と力を豊かに注がれます。今、あなたのまなざしがわたしたちにも注がれていることを教え、力づけてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

アドベントの黙想 2022【12】

《第12日目》 
クリスマスの祝福をお祈りいたします。 

 *** 

ヨハネによる福音書は次のように語る。 

「しかし、言(ことば)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」(1章12節) 

たしかに、イエスを心から迎え入れる者たちだけが、彼を知る喜びに満ちた人生に入ることができる。 

それは、祝福されている人生。 

それは、無条件で受け入れられている人生。 

それは、神の愛で守られている人生。 

それはまた、イエスと共にいるからこそ、可能な人生。

そのためには、イエスとわたしに《関係》があることが必要だ。 

《関係》とは、神が望んでおられるもの。 

神は、《関係》を持つ人生にわたしたちを招いておられるのだ。 

イエスがわたしたちと同じ者となられたのは、わたしたちがイエスのようになるためであった。 

わたしちは、神の子になるように望まれ、招かれているのだ。 

***

12/11/2022

アドベントの黙想 2022【11】

《第11日目》 

クリスマスの祝福をお祈りいたします。 

*** 

ヨハネによる福音書は次のように語る。
「言(ことば)は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」(1章11節) 

イエスは、認められなかっただけではなく、拒絶されたのだ。(参照10節) 
「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった・・・。」(ルカ2章7節) 
あの時から、拒絶は始まっていたのだ。 
そして、33年後、十字架刑において完了した。 

なんという反抗だろう。
なんと哀しいほどに、愚かなことだろう。 
まるで自分たちが神の命運を握っているかのようにしている。 
そして、力ずくで神にとって代わろうとしている。 

しかし、愛はあきらめない。 
愛は何ものよりも強い。 
そして、神は愛だ。 

イエスにおいてご自身を示された神は、わたしたちに受け入れられるために、いつも用意して、待っておられる。

12/10/2022

アドベントの黙想 2022【10】

《第10日目》 
クリスマスの祝福をお祈りいたします 

*** 

 ヨハネによる福音書は第1章10節で次のように語る。

 「言(ことば)は世にあった。世は言(ことば)によって成ったが、世は言(ことば)を認めなかった。」

 なぜ「認めなかった」のだろう?
 気が散っていたせいか?
 関心が無かったせいか? 
 怒りにとらわれていたせいか? 
 心が傷ついていたせいか?
 価値観が自己中心だったせいか?
 ビジョン(幻)が欠けていたせいか?
 心の中にある思いがあやふやだったせいか?
 まちがった期待を抱いていたせいか? 

 イエスは言われた。 

『さがし求めよ。そうすれば見つけ出せる』* 

 イエスはたしかに約束された!イエスご自身がたしかな約束だ!
 イエスは、どの人の目にも明らかに、この世界に向かってご自分を示された。
 クリスマスに。
 幼い子どもとして。
 もう一度、このお方に目を向けてみよう。このお方を通して神を知ろう。
あなたは今、どこで、どのようにして、神を認め、受け入れているだろうか?
教えてほしい。
 

 *** *
参照 マタイ7章7節

この日も主と共に【753】知恵と教訓(7)

恋しい人は言います。
「恋人よ、美しいひとよ さあ、立って出ておいで。・・・姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。」(雅歌2章10、11、14節) 

*** 

『雅歌』は男女がお互いを愛おしむ歌で、神を信じる者たちに対する神の愛、また、教会に対するイエス・キリストの愛を表すものとして読み続けられています(参照 コリント二11章2節、エフェソ5章25~27節)。
『自分など、どれほどのものであろうか』と心が閉じ、立ちどまってしまう時に、イエスさまはわたしたちを愛し、美しいと喜び、ご自身に向かって『出ておいで』と呼んでくださいます。
その呼びかけに応じる時にこそ、わたしたちの人生に新しい一歩が生まれるのだと聖書は語っています。 

*** 

天の父なる神様、御子イエスを通してあなたの愛を知り、また、あなたにお応えするものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/09/2022

アドベントの黙想 2022【9】

《第9日目》 
クリスマスの祝福をお祈りいたします 

 *** 

 『この幼い子どものように、
自分を低くする者こそ、
もっとも偉大な者である。』* 

幼い子ども。

幼い子どもは、
誰かに頼らなければならない。 

幼い子どもは、
弱く傷つきやすい。 

『幼い子どものように』とは、
謙虚であるということ。 

そのような者が、
もっとも偉大な者だというのか? 

たしかに、イエスはそう言われた。 

『真の偉大さは謙虚さのうちに見出される』と、イエスは言われたのだ。 

*** 

※参照 マタイ18章4節 

*原文(英語)では、この文章が9個の単語からなっています。

この日も主と共に【752】知恵と教訓(6)

何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。・・・神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。(コヘレトの言葉3章1、11節) 

*** 

『コヘレトの言葉』もソロモン王に由来する書物ですが(1章1、12節)、『箴言』とは異なる視点で教訓を伝えます。この世界は《すべては空しい》と口にせざるを得ない状況で満ちています(1章2節)。それでも神はめいめいに命と日々を与えておられます。人生を神からの贈り物として受け取り、自分の務めを果たして生きることが幸福の秘訣です。その時に、《時宜にかなう》(口語訳、その時にかなって美しい)神のみわざのうちに生かされているからです。 

*** 

天の父なる神様、この時も場所もあなたからの贈り物として受け取り、歩むものとならせてください。この状況の中から、あなたの美しいみわざを見出させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/08/2022

アドベントの黙想 2022【8】

クリスマスの祝福をお祈りいたします。 
《第8日目》
*** 

神からのメッセージがある。
イエスについてのメッセージがある。
わたしたちに向けられたメッセージがある。

 『彼は、自分の民を彼らの罪から救うであろう。』*

救う、と言われる。
何から?
誰から?
まわりの人々から救うというのか?
まわりの勢力から救うというのか?
他人の罪から救うというのか?
ちがう。
あなた自身の罪からあなたを救う、と言われるのだ。

わたし自身に関わるメッセージがある。
わたしの奥深くに届けられるメッセージがある。

このメッセージをよくよく考える必要がある。
そして、へりくだることも必要になるだろう。
神がおられる、その所において。 

 ***
参照 マタイ1章21節
*の一文が原文(英語)では8個の単語からなっています。

この日も主と共に【751】知恵と教訓(5)

二つのことをあなたに願います。
わたしが死ぬまで、
それを拒まないでください。
むなしいもの、偽りの言葉を 
わたしから遠ざけてください。
貧しくもせず、金持ちにもせず 
わたしのために定められたパンで 
わたしを養ってください。
(箴言30章7、8節)
 

*** 

『箴言』にはソロモンに由来するとされる言葉とは別に、《ヤケの子アグルの言葉》や《マサの王レムエルが母から受けた諭しの言葉》、また《有能な妻についての詩》も加えられています(30、31章)。アグルやレムエルの詳細は不明ですが、イスラエル人ではなく東の民族であると考えられています。神からの知恵と教えは、さまざまな人が考え、分かち合い、幸福に至るようにと提供されています。 

*** 

天の父なる神様、聖書を通して人生の幸いを得る知恵を教えてください。あなたの知恵を分かち合い、実を結ぶ道を共に歩む集まりとして小隊・教会をお守りください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/07/2022

アドベントの黙想 2022【7】

《第7日目》 


 途方に暮れる世の中だ! 


 ヘロデ王が、イエスの命を狙ったのさ。 

マリアに生まれた赤ん坊が〈脅威〉だというのだ。 

そして、幼い男の子を一人残らず殺してしまった。 

念のためにだ、と。 

それが王の命令だ、と。 

言葉にできない邪悪さ。 

耐えられない悲しみ。 


今でも、罪のない人たちが
惨たらしく命を奪われている。 

爆弾で。 

銃弾で。 

ガスで。 

餓死で。 

それをするのは、権力を執拗に求める者たち。 

無慈悲な暴君たちだ。 


途方に暮れる世の中だ! 

もし、そうでもないというのなら、 

世の中に取り込まれているのだ。 


 (参照、マタイ2章16~18節)

***
クリスマスの祝福をお祈りいたします

この日も主と共に【750】知恵と教訓(4)

心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。(箴言3章5、6節) 

*** 

旧約聖書の『箴言』は格言・教訓の書物です。その大部分はダビデ王の子、《世界中の王の中で最も大いなる富と知恵》を得たと伝えられるソロモン王の名前でまとめられています(列王記上10章23節)。ソロモンは《主を畏れることは知恵の初め》という原則を掲げ(1章7節、9章10節)、個人・家庭・社会の幸福の秘訣をいろいろな表現で伝えています。皮肉なことに、ソロモン自身は晩年、神の御心から離れてしまいました(列王記上11章4~6節)。そのような彼の生涯も含め、『箴言』から多くを学ぶことができます。 

*** 

天の父なる神様、わたしたちが求めるよりも先に、あなたはわたしたちの幸いを望まれます。あなたからの知恵に学び、実を結ぶ生き方ができるように導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

この日も主と共に【749】知恵と教訓(3)

〔ヨブは主に答えて言った。〕
あなたのことを、耳にしてはおりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
(ヨブ記42章5節) 

*** 

ヨブや友人たちの言葉が出尽くした時、《主は嵐の中からヨブに答えて仰せに》なりました(38章1節、40章6節)。むしろ、神がヨブに《答えてみよ》と求められました(4節、参照38章3節、40章2、7節)。その時、ヨブはそれまでにないほどに深く、神を知りました。家族・健康・財産を理不尽なまでに失った傷や痛みは、(たとえ後に家族や財産をふたたび得られたとしても)帳消しにはなりません。しかし、たとえそうでも新しく生きてゆける道があることを、ヨブは神のもとで見出したのでした。 

*** 

天の父なる神様、喜びと悲しみの両方を通してあなたを知り、新しく生きる望みと力を豊かに得させてください。わたしたちの道、命、真理となられたイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(ヨハネ14章6節)

アドベントの黙想 2022【6】

《第6日目》 

***
 
途方に暮れることが起きてしまった! 

落ち着かない。 

どうしたらよいか。 

気持ちが整理できない。 

それが、マリアとヨセフが投げ込まれた世界だった。 

急転直下の事態だ。 

何の前触れもなく、マリアが身ごもった。 

赤ん坊だって! 

神の子だって! 

これは驚いた。 

どうしたらいいんだ? 

途方に暮れることが起きてしまった! 

しかし、その時、二人は・・・ 

神に耳を傾けた。 

神を信頼した。 

神に従った。 

そして、歩み続けた。 

信仰によって。 

*** 

(注)英語で「at sixes and sevens」という数字にちなんだ慣用表現があり、日本語では「混乱して、途方に暮れて」という具合に訳せるそうです。 

*** 

クリスマスの祝福をお祈りいたします

この日も主と共に【748】知恵と教訓(2)

このような時にも、見よ 
天にはわたしのために証人があり 
高い天には 
わたしを弁護してくださる方がある。
わたしのために執り成す方、
わたしの友
神を仰いでわたしの目は涙を流す。
(ヨブ記16章19、20節) 

*** 

ヨブの災いを知り、三人の友人が訪ねてきました。ヨブは、自分など生まれなければよかったと嘆きました(参照3章1節、34章5、6節)。友人たちは慰め、諭(さと)そうとしましたがうまくいきません。
ヨブは、《神がわたしを餌食として》、《戦士のように挑みかかり》、《悪を行う者にわたしを引き渡し》たとさえ述べました(9、11、14節)。
しかしヨブは同時に、神がなおも《友》であり、《弁護してくださる方》でもあると信じていました。それが彼の心の支えでした。 

*** 

天の父なる神様、苦しみ悩む時にも、訴える声をも聞いてくださるあなたに心を向けるものとならせてください。十字架の上で裁きと執り成しを身に示された、仲保者イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/05/2022

アドベントの黙想 2022【5】

《第5日目》 

5分間。 

ほんの5分間であっても、 一生残るものがある。 
どのようなことでも生まれる。 
愛も。 
憎しみも。 
創造的な考えも。 
希望も。 
絶望も。 
そして、救い主もお生まれになった。 

ほんの5分間が、 心を開くことがある。 
挑戦を投げかけることがある。 
洞察を与えることがある。 
人生を変えることがある。 

5分間。 

 ほんの5分間であっても、 読むことができる
 ・・・神の救いの物語を 

その物語を、 見ることができる。 
受け入れることができる。 
一生涯、抱き続けることができる。 

 そのような5分間を作ろう。

***
クリスマスの祝福をお祈りいたします

この日も主と共に【747】知恵と教訓(1)

わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。(ヨブ記1章21節) 

*** 

ヨブは《無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生き》、家族・財産に恵まれていました(1節)。ところが、悪意ある存在《サタン》の謀(はかりごと)によって家族や財産を奪われてしまいました。しかし、ヨブは神を非難しませんでした(22節)。《主は与え、主は奪う》とは、自分の始まりにも終わりにも、神が共におられると信じる言葉です。ヨブの心のまなざしに、わたしたちも並ぶように聖書は招いています。 

*** 

天の父なる神様、さまざまなことが起きる時にも、ヨブのように、あなたを信頼するものとならせてください。あなたは与えることも、取ることも、さらに、再び与えることもおできになると、死より復活された御子イエスを通して教えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/04/2022

アドベントの黙想 2022【4】

 4冊の書物がある。

それぞれが物語を紡いでいる。

マタイ。
マルコ。
ルカ。
ヨハネ。

きめ細やかに織りなされた物語。
感動(インスピレーション)に満ちた物語。
心の沸き立つ物語。
人生を豊かにする物語。
それは二千年経った今も変わることがない。

これらの物語はすべて、
イエスについて語っている。
・・・そして、今も、
わたしたちに読まれるのを待っている。

***
クリスマスの祝福をお祈りいたします。

クリスマスの賛美 2022【2】ひいらぎかざろう

 



今年のアドベント、クリスマスにあたり、
賛美をお届けします。

第2回目


『ひいらぎかざろう』


Key and Arr. by Y.T.


神様の祝福をお祈りいたします


クリスマスの賛美 2022【3】We wish you a Merry Christmas

12/03/2022

アドベントの黙想 2022【3】

三人で一つの家族。 
マリア、ヨセフ、そしてイエス。

脅威とみなされ、
ヘロデ王に追われた。

逃れる。 
避難する。 
友が欲しい。 
安全が欲しい。 
そして、ようやくたどり着いた。 

命の危険にさらされ、
安全のために逃れなければならない
身の上を、
神は知っておられる。 

***
クリスマスの祝福をお祈りします

この日も主と共に【746】帰還と再建(7)

モルデカイは再びエステルに言い送った。「・・・この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」(エステル記4章13、14節) 

*** 

神殿再建からエズラのエルサレム帰還の間のこと、ペルシア国ではイスラエル人の娘エステルが王妃に選ばれました(紀元前479年頃、エズラ記6章と7章の時期)。大臣ハマンはイスラエル人を《ユダヤ人》と呼んで嫌い、民族ごと滅ぼそうと企てました。彼女は叔父モルデカイの叱咤(しった)激励(げきれい)を受けて勇気を出し、計画を練り、王妃の立場を活かして仲間を助けました。エステルの場合は神から奇跡的な力や助けを経験しませんでしたが、彼女に備わっていた才覚、人間関係、境遇を通して神の御心と御力が現わされました。 

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天の父なる神様、エステルのように、わたしたちにも《この時のためにこそ》という役割があることを教えてください。それを担う勇気と知恵と力をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

12/02/2022

クリスマスの賛美 2022【1】あめつちなりし日

 




2022年のアドベント、クリスマスにあたり
賛美をお届けします。


『あめつちなりし日』

(救世軍歌集40番)


Key arr. by Y.T.

アドベントの黙想 2022【2】

二人の人がいた。 
二人は、それぞれ驚いた。 
二人は、それぞれ挑戦を受けた。 
二人は、それぞれ受け入れた。 
二人は、二度旅をした。 
二人は、一つとなっていた。 
マリアとヨセフ。 
神に対する信頼をあらわした二人。 

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※注・「二度の旅」とは、ベツレヘムに向かう旅(イエスが生まれることになる旅)と、エジプトに向かう旅(イエスが逃れることになる旅)を指しています。 

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クリスマスの祝福をお祈りします

この日も主と共に【745】帰還と再建(6)

わたしの神よ、わたしを御心に留め、お恵みください。(ネヘミヤ記13章31節) 

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祖国の都エルサレムの復興のために、エズラは祭司・書記官として礼拝と教育を受け持ち、ネヘミヤは献酌官・長官・総督として行政や対外的な交渉を受け持ちました。自分の手当てを返上し、異民族の妨害を防ぎ、住民登録・区画整理・商取引・警備の整備も行いました。ただし、彼はただ実務をこなしたのではありませんでした。《神よ》と呼びかける、ネヘミヤの個人的な祈りが9ヶ所あります(参照1、3、5、6、13章)。彼は祈りながら、神のため、人々のために自分の務めを果たしました。 

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天の父なる神様、ネヘミヤのようにあなたに祈り、日ごとの務めに向かい合うものとならせてください。あなたが、御子イエスを信じる者たちの取り組みをけっして無駄になさないことを感謝します。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照Iコリント15章58節)

12/01/2022

アドベントの黙想2022【1】

ただ一人の幼子。 
神から与えられた、ただ一つの贈り物。 
わたしたちを生かす、ただ一つの命。 
この幼子に託された、ただ一つの目的。 
ただ一人の主。 
このお方こそ、イエス。 
一つの教会を建て上げることができるのは、このお方だけ。
わたしたちが一つの神の軍隊(救世軍)であるのも、このお方による。 

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今週11月27日(日)から、クリスマスに備えるアドベント(待降節)が始まりました。
また、今日から12月が始まりました。
12月25日のクリスマスまで、R・ストリート中将という海外の士官による黙想の言葉(心を静かにして祈る助けとなる言葉)を訳して紹介します。
神様の祝福をお祈りいたします。

この日も主と共に【744】帰還と再建(5)

今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。(ネヘミヤ記8章10節) 

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ネヘミヤの指揮の下、エルサレムの城壁は52日間で再建されました(6章15節、7章1節)。その数日後、ユダヤの暦では新年となる《第七の月》に人々は集まり、エズラから《律法》(神の御言葉)を学びました(1~12節)。そして、律法に従って《仮庵》の祭り(礼拝)を再開し(13~18節)、それまでの行いを悔い改め(9章)、律法に従って新しく歩むことを誓約しました(10章)。神の御言葉に耳を傾け、神を知ることを通して、イスラエルの人々の心と暮らしには新しい道が開かれました。 

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天の父なる神様、わたしたちが喜びに満たされて生きることをあなたは望み、聖書を通して教えてくださいます。あなたの御言葉と共に歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

11/30/2022

この日も主と共に【743】帰還と再建(4)

わたしは彼らに言った。「・・・エルサレムは荒廃し、城門は焼け落ちたままだ。エルサレムの城壁を建て直そうではないか。・・・」神の御手が恵み深くわたしを守り、王がわたしに言ってくれた言葉を彼らに告げると、彼らは「早速、建築に取りかかろう」と応じ、この良い企てに奮い立った。(ネヘミヤ記2章17、18節) 

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エズラがエルサレムに帰還してから十数年後、ペルシア王の《献酌官》であったネヘミヤが町の再建を導きました(1章11節、紀元前445年頃)。ネヘミヤは、①神に祈り(1章4~11節)、②具体的な計画を立て(2章5~8節)、③機会を待ちました(約四ヶ月)。そして王の承認と支援を得ることができました。神は人の思いを越える仕方で祈りを聴いておられ、応えてくださいます。 

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天の父なる神様、あなたに祈り続ける心と歩みを、あなたの恵み深い御手によって守り、支えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

11/29/2022

この日も主と共に【742】帰還と再建(3)

エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。(エズラ記7章10節) 

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神殿の再建から約60年後、《イスラエルに対する主の戒めと掟の言葉に精通した、祭司であり書記官》であったエズラが、一団を率いてバビロンからエルサレムに帰還しました(1~11節、紀元前458年頃)。エズラはこの時の体験を、《わたしは、わが神なる主の御手の加護によって勇気を得》たとふりかえっています(28節)。彼は、神殿だけでなく人々の心や生活も神の御言葉によって再建されるようにと願い、《主の律法》を教えました。 

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天の父なる神様、あなたは聖書を通してわたしたちに語りかけ、何を信じ、どのように歩むことが幸いであるかを教えてくださいます。あなたの御言葉によって養い、導いてください。御言葉を共に学び合う集まりとして、小隊・教会につながる一人一人を励まし、強めてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

11/28/2022

この日も主と共に【741】帰還と再建(2)

預言者ハガイとイドの子ゼカリヤが、ユダとエルサレムにいるユダの人々に向かってその保護者であるイスラエルの神の名によって預言したので、シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開した。神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた。(エズラ記5章1、2節) 

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心燃えて神殿再建に着手したはずのイスラエルの人々は、周辺の他民族の妨害や自分たちの不安定な生活のため、約15年工事を中断してしまいました。しかし神は預言者ハガイやゼカリヤを通して、人々を励まされました。その結果、工事は再開し、新しい神殿が完成しました(紀元前515年)。 

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天の父なる神様、あなたは聖書を通して、わたしたちの目に映ることが世界のすべてではないことを教えてくださいます。あなたの祝福、見上げるべき希望、目標にたどり着くために必要な忍耐と力をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

この日も主と共に【740】帰還と再建(1)

彼らも「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」と唱和して、主を賛美し、感謝した。主の神殿の基礎が据えられたので、民も皆、主を賛美し大きな叫び声をあげた。(エズラ記3章11節) 

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ペルシア帝国のキュロス王は寛容な政治を行い、イスラエルの民の帰還と神殿の再建を許可しました(1章1~4節、紀元前538年)。指導者ゼルバベル(シェシュバツァル)と祭司イエシュアを先頭に、人々は都エルサレムに帰りました。彼らは昔の祭壇を修復して神を礼拝し(1~5節)、神殿の再建に着手しました(8~9節)。彼らの再出発、祈り、労働を支えたのは、《神の人モーセの律法》や《イスラエルの王ダビデの定め》として残されていた神の言葉でした。 

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天の父なる神様、聖書を通してあなたの御言葉をくりかえし受け入れ、御言葉を土台として、また、道を照らす光として歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

11/26/2022

この日も主と共に【739】捕囚の時代の預言者(7)

ダニエルよ、お前を目覚めさせるために来た。お前が嘆き祈り始めた時、御言葉が出されたので、それを告げに来た。お前は愛されている者なのだ。この御言葉を悟り、この幻を理解せよ。(ダニエル書9章22、23節) 

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預言者ダニエルは、同時代に活動した預言者エレミヤの文書を読み(2節)、祖国と同胞のために神の憐れみと導きを祈りました(4~19節)。そうしたところ、彼は天の使いを通して、将来における神の御心を教えられました。神に愛される人は、神の《御言葉》を聴く人、御言葉を悟り、心の目を覚ます人であることをダニエルの姿は教えてくれます。今も、小隊・教会の働き、わたしたちの信仰の歩みには、神から語られた御言葉である“聖書”が不可欠です。 

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天の父なる神様、聖書を通してあなたの御声に耳を傾け、あなたの御心と御業をよりよく知るものとならせてください。あなたに愛されている者として導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

11/25/2022

この日も主と共に【738】捕囚の時代の預言者(6)

この神は生ける神、世々にいまし
その主権は滅びることなく、
その支配は永遠。
この神は救い主、助け主。
天にも地にも、不思議な御業を行い
ダニエルを獅子の力から救われた。
(ダニエル書6章27、28節) 

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ダニエルを捕虜にしたバビロニア王国は滅び、支配者はメディア王国(1節)、ペルシア王国(9章)へと変わりました。しかし、ダニエル自身は変わることなく神を信じました。また、異国人でありながら国の役人として誠実に働きました。周囲の妬みと策略によって獅子の洞窟に投げ込まれたこともありましたが、神が天使を送られたので危険から守られました(5~25節)。ダニエルの忍耐、落ち着き、誠実、勇気は、神に信頼する者の幸いを証ししています。 

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天の父なる神様、脅威や不安がせまり、戦いのような状況に置かれるときに、ダニエルのような揺るがぬ歩みができるように、あなたの守りと力をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

11/24/2022

この日も主と共に【737】捕囚の時代の預言者(5)

ダニエルは宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心し、自分を汚すようなことはさせないでほしいと侍従長に願い出た。・・・彼らの顔色と健康は宮廷の食べ物を受けているどの少年よりも良かった。(ダニエル書1章8、15節) 

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預言者ダニエルは捕虜としてバビロニア国に連行された若者でした。《イスラエル人の王族と貴族》の出身であったため、ダニエルと友人には勉学の機会と《宮廷の肉類と酒》が与えられました(3~6節)。しかし宮廷の食事には、神が律法で禁じられた食材が含まれている可能性がありました。ダニエルたちは異国でも神に従うことを第一とし、宮廷の食事を辞退しました。その結果かえって健康と知恵に恵まれました(17~20節)。異国にも神の守りがありました。 

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天の父なる神様、ダニエルと仲間たちのように、どこにおいてもあなたと共にいることを大切にする知恵と力を与え、あなたの祝福の下に置いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

11/23/2022

この日も主と共に【736】捕囚の時代の預言者(4)

この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。・・・その岸には・・・あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水が聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。(エゼキエル書47章9、12節) 

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祖国の都や神殿は破壊されてしまいましたが、《神の幻》によって預言者エゼキエルは、《主がそこにおられる》と呼ばれる新しい都(48章35節)と、《主の栄光》に満ちた新しい神殿(43章5節)が建てられる希望を伝えました(40~48章)。これは、わたしたちの将来に神の国という希望があることを示しています(黙示録21、22章)。その希望は今も、イエス・キリストを信じる者に与えられます。 

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天の父なる神様、豊かな川の流れのように、あなたの愛と力をわたしたちの内に、家庭に、生活の場に、小隊(教会)に新しく注ぎ入れてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

11/22/2022

この日も主と共に【735】捕囚の時代の預言者(3)

枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。・・・そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。 (エゼキエル書37章4~6節) 

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預言者エゼキエルは、枯れた骨が生きた人間に生き返るという不思議な幻を見ました。その幻は、《我々の望みはうせ、我々は滅びる》と生きることを諦(あきら)めるイスラエルの民に対する、神の救いの約束でした(11節)。神はまた、新しい《牧者》によって民を救うと約束されました(24節、参照34章23~31節)。これらの約束は《良い羊飼い》であるイエス・キリストにおいて実現しました(ヨハネ10章14節) 

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天の父なる神様、御子イエスによって生きる望みと力を、新しい風のように力強く吹き入れてください。あなたが共に生きようと呼んでくださる道を進ませてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン