5/31/2023

この日も主と共に【914】キリストのように生きる(7)

あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。(フィリピの信徒への手紙1章6節)

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成長や進歩を実感できることはうれしいことですが、努力がなかなか実らない時には焦りや徒労感を覚えます。信仰の成長についてもそのような思いをすることがあるかもしれません。それでも、聖書は、①神さまは確かに《善い業》を始めておられ、そして、②《キリスト・イエスの日》、すなわちイエスさまが天からふたたび来られる日までに、《善い業》を完成してくださると約束しています。わたしたちは、神さまの時があることを心に留めて歩むようにと呼ばれています。

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天の父なる神さま、自分の望むようにいかない状況に置かれるときにも、御子イエスによって、なおもあなたの《善い業》のうちにあることを思い起して歩み続けることができるように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/30/2023

この日も主と共に【913】キリストのように生きる(6)

神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(コリントの信徒への手紙一10章13節)

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《試練》や《誘惑》によって心も信仰も揺さぶられる経験をすることがあります。
しかし、神さまは、
①わたしたちの限界を知って働いてくださいます。
②《逃れる道》を備えてくださいます。
③わたしたちが《耐えられるように》支えてくださいます。
また、聖書が《あなたがた》と呼んでいることが心に留まります。《試練》や《誘惑》から逃れる道を共に祈り求め、励ましを取り次ぐために小隊・教会は集められています。

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天の父なる神さま、《試練》や《誘惑》に遭う時に、そこにもなおあなたの助けがあることを思い起こさせてください。あなたの御言葉を確かめ合い、新しい力を受け入れることができるように、小隊・教会の交わりを御心によって整え、用いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/29/2023

この日も主と共に【912】キリストのように生きる(5)

試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。(ヤコブの手紙1章12節)

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《誘惑》や《試練》は、『神さま、イエスさまを信じているのに、どうして』と神さまへの信頼が揺さぶられる出来事です。ただし《誘惑》と《試練》は別ものものです。《誘惑》は神さまを疑わせ、わたしたちの願望を誤った方向にむけ、わたしたちを神から引き離します。《試練》は辛い経験をも用いてわたしたちを鍛えます。イエスさまご自身も誘惑や試練をお受けになり、天の父である神さまへの信頼を深めて歩まれました。山道がときに険しくても頂上に至ればすばらしい景色が広がるように、神さまは神の子が見ることのできる世界を見せるために、さまざまな道のりを導かれます。

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天の父なる神さま、試練や誘惑によって揺さぶられる時に、わたしたちをお守りください。御子イエスの祈りと励ましを思い起こさせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

5/27/2023

この日も主と共に【911】キリストのように生きる(4)

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。(ローマの信徒への手紙8章28、29節)

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聖書は、神さまを信じるならものごとがうまく運ぶ、とは言いません。神さまは、わたしたちのために《御計画》を持っておられます。それはわたしたちを《御子の姿に似たものにしよう》という計画です。その計画を実現するために、一つ一つが《益》となるようにしてくださいます。願いがかなわず苦闘するような状況をも、神さまは、イエスさまと共に歩む道のり、イエスさまのように生きる道のりとしてくださいます。

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天の父なる神さま、今の自分の状況や経験する出来事があなたの計画において益とされることを覚え、心を確かにして歩めるように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/26/2023

この日も主と共に【910】キリストのように生きる(3)

〔イエスは言われた。〕わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。(ヨハネによる福音書8章31、32節)

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わたしたちの成長のためには、食物を通して栄養を取ることや書物を通して知識を得ることが必要です。それらに加えて、神の子としての成長には、神の御言葉を通して《真理》を知ることが欠かせません。イエス・キリストが語られた言葉、聖書の言葉を通して、神さまは今もわたしたちに働きかけてくださり、大切にすべきこと、必要なことを教えてくださいます。聖書はわたしたちを制約する言葉ではなく、わたしたちが神さまを知ってのびやかに生き力を与える言葉です。

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天の父なる神さま、聖書を読み、あなたの御言葉を心に蓄える歩みを導いてください。また、共に聖書を読み、学び、新しい力を受けることができるように、小隊・教会を励ましてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/25/2023

この日も主と共に【909】キリストのように生きる(2)

あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。(ローマの信徒への手紙12章2節)

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赤ちゃんが生まれた時、赤ちゃんの存在そのものがお父さんとお母さんにとっては喜びです。そして、赤ちゃんが育つことがさらに新しい喜びとなります。神さまも、わたしたちがイエスさまを信じ、神の子として新しく生き始めることを喜ばれます。そしてさらにご自分の思いを知り、関わりを深め、成長することを喜ばれます。その成長のためには新しい心が必要です。神さまとしっかりつながり、大切なことを吸収していく心です。イエスさまが与えてくださる心です。

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天の父なる神さま、あなたに喜ばれる歩みができるように、自分の成長となる歩みができるように、心を新しくし、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/24/2023

この日も主と共に【908】キリストのように生きる(1)

神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。(ローマの信徒への手紙8章29節)

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神さまは、わたしたちが《御子の姿に似たもの》となることを喜び、望んでおられます。そのために、イエス・キリストは十字架で死なれ、わたしたちを神さま子となる生き方へと移してくださいました。わたしたちは、イエス・キリストが長男で自分たち兄弟姉妹となるような神の家族に受け入れられています。神さまは、イエス・キリストと同じようにわたしたちを愛し、ご自分の力、すなわち聖霊の力をわたしたちの内に働かせて神の家族として成長させてくださいます。

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天の父なる神さま、あなたはわたしたちの人生に、御子イエスに似たものとなるという大きな目的と可能性を与えてくださいました。わたしたちの心と体をあなたの愛と力によって守り、育ててください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/23/2023

この日も主と共に【907】神の家族となって生きる(7)

神から招かれたのですから・・・愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。(エフェソの信徒への手紙4章1~3節)

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神さまは、イエス・キリストを信じるわたしたちを一人きりにはせず、教会・小隊として呼び集められます。わたしたちが教会・小隊に所属しているのは自分の意志によるとも言えますが、それと共に、《神から招かれた》からであるとも言えます。人は完全ではありませんから、人が集まる以上、教会・小隊であってもすれ違いや衝突は起こり得ます。そのことも神さまは知っておられ、ご自分の《愛》、《平和》、《霊》によって信じる者たちをつなぎ合わせてくださいます。

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天の父なる神さま、あなたの愛と平和と聖霊によって教会(小隊)とここに関わりを持つ一人一人をお守りください。そして、信じ、愛し、希望を持つ歩みを共に進むことができるように導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/22/2023

この日も主と共に【906】神の家族となって生きる(6)

だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。(ローマの信徒への手紙12章17、18節)

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心無い言葉や仕打ちは傷つきますし、悲しくなります。怒りを覚えることもあります。それでも《すべての人の前で善を行うように心がけなさい》、《すべての人と平和に暮らしなさい》と聖書が言うのは、どのような状況にあるとしても神さまがわたしたちの人生を分かち合い、一緒に作り続けてくださっているからです。神さまは、わたしたちが神のようになって相手を裁くことではなく、この世界や人々のうちに残されている良いものを発見し、つなぎ合わせていくことを、わたしたちの受け持つ分として望んでおられます。

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天の父なる神さま、嘆きや悲しみも含めてわたしのすべてをあなたの平和で覆ってください。そして世界を作るあなたのみわざに参加させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/20/2023

この日も主と共に【905】神の家族となって生きる(5)

上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。(ヤコブの手紙3章17、18節)

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《平和を実現する》ことは大切ですが、考えてみると、それは平和とは言えない状況に関わることや、平静を装っても胸の内では黒いものがうごめくような人の裏表に接することを引き受けることでもあります。また、平和を実現するつもりで自分の小さな正義を振りかざしてしまう危うさと隣り合わせになることでもあります。かじ取りの難しい道のりですが、聖書は《上から出た知恵》、神からの知恵によって歩みなさいと言います。それは裏表の無い愛と正しさに結ばれた知恵です。

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天の父なる神さま、あなたの知恵と力を与え、自分の置かれている状況から少しずつでも平和が生まれ、広がるような歩みを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/19/2023

この日も主と共に【904】神の家族となって生きる(4)

互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。(ガラテヤの信徒への手紙6章2節)

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《キリストの律法》とは、イエスさまがわたしたちに望まれる生きる筋道があることを表しています。それは人と比べて自分だけが良い人、立派な人になろうと努力することではありません。イエスさまが教えてくださる平和によってお互いに調和すること(同じ音でなくともイエスさまを基準にしてめいめいの音程を合わせること)、またお互いの歩調を合わせることです。イエスさまは、遅い人を置き去りにするような歩き方ではなく、手をさしのべ合って進むことを喜ばれます。

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天の父なる神さま、家族、学校、職場、地域、小隊・教会のそれぞれの場において、あなたの平和をお与えください。手をさしのべること、また、さしのべられた手を受けとめることを教えてください。イエスさまとみなで共に歩めるように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/18/2023

この日も主と共に【903】神の家族となって生きる(3)

わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。(ローマの信徒への手紙12章4、5節)

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聖書は、イエスさまを信じる人たちを「キリストの体」と呼んでいます。イエスさまはわたしたちを友と呼び、けっして独りにさせないとご自分のもとに集めてくださるお方です。その集まりが今日の教会・小隊です。「教会」という言葉は「呼び集められた人たち」という意味の言葉に由来します。また、「小隊」という言葉は「体」という意味の言葉に由来します。わたしたちは今も「キリストの体」につながり、イエスさまから栄養を受け、育つことができます。

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天の父なる神さま、御子イエスの体としてつながるわたしたちをお守りください。あなたの愛と力をわたしたちの心と生活に新しく注いでください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/17/2023

この日も主と共に 【902】神の家族となって生きる(2)

兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。(ガラテヤの信徒への手紙5章13節)

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神さまは、わたしたちを救うために独り子を犠牲にされました。イエスさまは神の御子でありながら、わたしたちの友となるために人となられました。聖霊は風のように世界を行き巡ることができますが、わたしたちの心に神さまの愛を注ぎ入れるために、一人一人の内に宿られます。神さまは本来、何ものにも支配されない自由なお方ですが、わたしたちを愛するためにご自分の自由を使われます。それですから、神の家族は神さまから自由をいただくと共に、その自由をどのように使うのかを学びます。愛することを学びます。

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天の父なる神さま、あなたの与えてくださる自由をたしかに受けとめて歩むことができるように、わたしたちの心をあなたの愛に引き寄せてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/16/2023

この日も主と共に【901】神の家族となって生きる(1)

天地創造の前に、神はわたしたちを愛して・・・キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。(エフェソの信徒への手紙1章4、5節)

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イエス・キリストを信じるとは、神の家族になることだと聖書は語ります。
①神さまは、わたしたちがこの世界に生まれる前からわたしたちの存在を認め、愛しておられます。
②まことの神の子はイエス・キリストお一人ですが、イエス・キリストがわたしたちと神さまとの間を仲立ちしてくださるので、わたしたちは神の子となることができます。
③わたしたちが神の家族に入ることを、神さまご自身が望んでおられ、喜んで待っていてくださいます。

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天の父なる神さま、御子イエスによって、あなたの家族として受け入れられたことを感謝します。あなたの愛のうちに確かな支えを得させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/15/2023

この日も主と共に【900】神に喜ばれて生きる(8)

金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。(ヘブライ人への手紙13章5節)

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わたしたちが信じる神さまは、《わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない》と言ってくださるお方です。考えさせられるのは、『ヘブライ人への手紙』の著者が、神さまに信頼する生活と金銭に執着する生活とを対比させているということです。この世の生活で金銭は大切であり必要です。しかし金銭はわたしたちに近づくこともあれば、離れることもあります。地上を去る時には、わたしたちが金銭を手放さなければなりません。しかし、神さまはわたしたちを手放さず、天の御国に入れてくださいます。

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天の父なる神さま、目に見えなくとも、確かで安全なあなたの御手のうちにわたしを受け入れ、心と体と暮らしに深い土台をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/13/2023

この日も主と共に【899】神に喜ばれて生きる(7)

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。(マルコによる福音書12章30節)

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音楽の演奏には、楽器を操作すること、楽譜を読むこと、指揮者やほかの演奏者と息を合わせること、伝える気持ちを持つことなどが必要です。イエスさまは、《あなたの情熱と祈りと知性と力を総動員して神を愛しなさい》と言われます。神さまはこの世界とわたしたちを作られ、ご自分の愛する独り子を与え、聖書を与え、聖霊を遣わし、小隊・教会を支え、すでにわたしたちに対する愛をさまざまに示しておられます。それですから、今の自分をのびのびと使って神さまの愛に応答し、神さまと共に生きていきなさいとイエスさまは言われます。

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天の父なる神さま、御子イエスによって、あなたの愛を受け入れ、わたしたちも一歩ずつでも真実に、あなたを愛する歩みを教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/12/2023

この日も主と共に【898】神に喜ばれて生きる(6)

不法を行う者をうらやむな、
その道を選ぶな。
主は曲がった者をいとい 
まっすぐな人と交わってくださる。
(箴言3章31、32節)

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《不法を行う者》とは、自分の力だけを頼りとして自分の望むままに生きようとする人のことです。それは精力的で充実した人生に見えますが、聖書はうらやましく思ったり、真似をしてはならないと注意します。その生き方はいつしか周囲を自分の敵か味方かで区別するようになり、神さまとも歩調が合わなくなるからです。
神さまが友情を育まれるのは《まっすぐな人》です。それは肩肘を張らず、けんか腰にならならず、神さまと向かい合うことのできる人です。神さまを信頼できる相手とし、また、神さまに尊重されるわたしとして生きる道へと、聖書は呼びかけています。

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天の父なる神さま、御子イエスによって、あなたとの親しい交わりに入らせてください。信頼できる喜びと信頼される喜びを生活にお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/11/2023

この日も主と共に【897】神に喜ばれて生きる(5)

主を畏(おそ)れる人に 主は契約の奥義を悟らせてくださる。(詩編25編14節)

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この言葉は、ある英語の聖書では次のように訳されています。《主は、ご自分を畏(おそ)れる人たちの友である。主は、ご自分の契約を彼らに教えてくださる。》神さまがわたしたちに望んでおられるのは、わたしたちが顔色をうかがってびくびくするような関わりではなく、大切なことを打ち明け、分かち合うような親しい関わりです。それはまた《契約》と呼ぶほどの大切な約束を交わす関わりでもあります。神さまはご自分を畏(おそ)れる人に《選ぶべき道を示される》お方であり(12節)、わたしたちの人生に責任を負い、祝福へと導いてくださいます。

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天の父なる神さま、あなたはわたしたちを愛し、御子イエスをわたしたちの友として、また人生の道として与えてくださいました。あなたに御心と約束によって力を得、歩む者とならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/10/2023

この日も主と共に【896】神に喜ばれて生きる(4)

あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。(ローマの信徒への手紙6章13節)

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神さまはわたしたち一人一人の人生に対して目的を持っておられ、神さまに応答して生きることを望んでおられます。《義のための道具として神に献げなさい》とは、機械のようになって教えを守れというよりも、豊かな息を吹き込まれてラッパが鳴り響くように、わたしたちの体、力、時間、持物、生活に神さまの愛が行きめぐり、神さまの愛がさまざまなかたちで実を結ぶ人生を生きよという呼びかけです。

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天の父なる神さま、わたしの心と生活にあなたの愛を行きめぐらせてください。わたしたちのうちにある淀(よど)みを聖霊の息吹によって吹き払い、あなたの生き生きとした力につながる歩みをお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/09/2023

この日も主と共に【895】神に喜ばれて生きる(3)

主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく
人の足の速さを望まれるのでもない。
主が望まれるのは主を畏れる人
主の慈しみを待ち望む人。
(詩編147編10、11節)

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神さまは、《馬の勇ましさ》や《人の足の速さ》、すなわち、わたしたちの能力や手に入れたものを見てわたしたちを評価し、喜ばれるのではありません。
神さまは、《主を畏れる人》、すなわち、神さまを礼拝する人、また、《主の慈しみを待ち望む人》、すなわち、神さまの愛を信頼する人を喜ばれます。
幼い子供が特別な何かをするわけでなくとも両親を信頼して笑顔でいる姿を、両親が喜び、愛(いと)おしむように、神さまはわたしたちの存在を、また、わたしたちの信頼を喜ばれます。

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天の父なる神さま、あなたはわたしたちを作られ、今も見守っていてくださいます。聖書を通して、あなたに喜ばれる生き方を教えてください。あなたと共に喜ぶことのできる生活に入らせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/08/2023

この日も主と共に【894】

わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。(ヨハネの手紙一1章3節)

***

聖書はたくさんの大切なことをわたしたちに伝えていますが、その中心ははっきりとしています。《御父と御子イエス・キリストとの交わり》に、わたしたちが呼ばれているということです。くだいて言いかえれば、神さまも、イエスさまも『わたしたちのところにおいで、一緒に歩んでいこう』と呼んでくださっているということです。そして、その呼びかけを自分たちだけの特権にして鍵をかけるのではなく、さらに広く伝えたいというのが救世軍を含めキリスト教会の願いです。

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天の父なる神さま、あなたはわたしたち一人一人の存在を認め、今も語りかけてくださいます。あなたに応答し、新しい交わりに入らせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/06/2023

この日も主と共に 【893】一週間の終わりの祈り

あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは・・・自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。(ペトロの手紙二2章1節)

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ペトロは《偽教師》に注意するように呼びかけます。《偽教師》とは自分勝手に聖書を解釈する人々を指しています(参照1章20節)。彼らも聖書を読んでいまが、それは自分たちだけが快適に暮らすためにすぎないとペトロはきびしく指摘しています(2章全体)。幸福を求めること自体は悪くありません。実際、聖書は有意義な人生を指南できる書物です。しかし、イエスさまがこの世に来られた目的、このお方の十字架の死と復活の意味を知ることがなければ本末転倒です。

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天の父なる神さま、つまずかせる言葉、ただ耳あたりのよい言葉、役立つ言葉、必要な言葉がわたしたちの生活にさまざまに行き交います。ご自分を真理として示し、聖書を通して語り続けくださる御子イエスに聴き、歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/05/2023

この日も主と共に 【892】神に喜ばれて生きる(2)

主は御自分の民を喜び 
貧しい人を救いの輝きで装(よそお)われる。
主の慈(いつく)しみに生きる人は
栄光に輝き、喜び勇(いさ)み
伏していても喜びの声をあげる。
(詩編149編4、5節)

***

神さまはご自分を信頼する人を喜ばれます。そして《貧しい人を救いの輝きで装(よそお)われ》る、すなわち、《へりくだる者を勝利をもって飾られ》ると聖書は言います(口語訳)。また、《栄光に輝き、喜び勇》むとは、神さまを信じる人が自分で功績を立てて立派になるという意味ではなく、神さまの栄光によって喜び躍(おど)る生き方に移されるという意味です。神さまは今も、イエス・キリストを通して、このような生き方へとわたしたちを呼んでくださっています。

***

天の父なる神さま、御子イエスによってわたしたちを受け入れ、心と体、また生活にあなたの救いの輝きをまとうものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/04/2023

この日も主と共に【891】神に喜ばれて生きる(1)

彼らは主が輝きを現すために植えられた
正義の樫の木と呼ばれる。
(イザヤ書61章3節)

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神さまは、ご自分を信頼して歩む人々を《わたしの植えた若木》と呼び、《わたしの手の業として輝きに包まれる》と語られます(参照イザヤ60章21節)。神さまと神さまを信じる人たちの関係が木を植えることに表現されるということは、わたしたちがその場でただちに結果を要求され、選別されるのではなく、これから育ち、しかるべき時に葉をつけ、実を結ぶことを望まれているということです。そして、わたしたちの成長のために神さまが関わり続けてくださるということです。神さまは今もわたしたちが存在し、育っていくことを喜ばれます。

***

天の父なる神さま、御子イエスを通してあなたの愛に留まり、育ち、実を結ぶ人生を導いてください。あなたがわたしたちに実を結ばせてくださることを信頼し、歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/03/2023

この日も主と共に【890】神と共に生きる(8)

すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。(ローマの信徒への手紙11章36節)

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自分のため、家族のため、人のため、社会のため、世界のためといった具合に、わたしたちの生活にはいろいろな目的が伴います。それらに加えて、聖書はわたしたちの人生に「神のため」という根本的な目的があると伝えています。それは《栄光が神に永遠にありますように、アーメン》という祈りに裏打ちされた人生です(36節後半)。無理にでも神さまに気に入られるようにしなければならないというのではなく、イエス・キリストによって神の子とされ、新しい自分を喜びながら、神さまに向かって成長できるということです(参照コリント二3章18節)。

***

天の父なる神さま、自分や人の評価で完結することのない、あなたの愛に向かって広々と開かれる生き方を教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/02/2023

この日も主と共に【889】神と共に生きる(7)

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(コリントの信徒への手紙二4章18節節)

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『自分はここにいていいのだ』と思える場所、人とのつながり、働きがあることは大切で、わたしたちの暮らしに活気をもたらしてくれます。ただし地上の場所、人間関係、活動は思わぬ変化もありますし、そうでなくてもいつか手放す時を誰もが迎えます。聖書は《見えないもの》、《永遠に存続する》もの、すなわち、神さまと天の御国を自分の最終的な目的地として目を注ぐようにと勧めます。そうする時、わたしたちの地上の暮らしはたとえいろいろなことがあっても、永遠の世界に向かって飛び立つ滑走路となります。

***

天の父なる神さま、変わることのないあなたの愛とあなたが備えてくださる永遠の目的地を心に留め、まなざしを高くして歩む者とならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


5/01/2023

この日も主と共に【888】神と共に生きる(6)

主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』(マタイによる福音書25章21節)

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イエスさまは、主人の財産を管理する僕(しもべ)をたとえにして、わたしたちの人生が神さまから預かっているものであり、めいめいが神さまからどのように生きたのかを問われると教えられました。神さまに気に入られる功績を立てなさいという意味ではありません。《よくやった》と神さまと一緒に喜ぶことのできる人生があるというのです。『自分で自分をほめてあげたい』と言えるように精一杯とりくむ人生は貴いものですが、聖書はさらに、神さまが一緒に喜んでくださる人生へとわたしたちを招いています。

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天の父なる神さま、いろいろなことがあっても最後には喜びをもってあなたに報告できる人生となるように、この日の導きと助けをお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン