11/30/2020

アドベントの賛美【2】いと高き神に栄光あれ

クリスマスに備える

「アドベント、待降節」に入っています。

 アドベントにあたり賛美をお送りします。 

ピアノ演奏

『いと高き神に栄光あれ』 

クリスマスに向かう歩みに、 

神さまの祝福がありますように。

この日も主と共に【157】インマヌエル(わたしたちと共におられる神)

それゆえ、わたしの主が御自ら
あなたたちにしるしを与えられる。
見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマヌエルと呼ぶ。
(イザヤ書 7章14節) 

・・・この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
(マタイによる福音書1章23節) 

神さま、
あなたは、「インマヌエル」、わたしたちと共におられる神です。そのしるしとして御子が来てくださり、新しい命、永遠の命を与えてくださいました。あなたの変わることのない愛と信実を感謝します。御子と共に生き、また、あなたと共に生き、命の喜びを知る歩みを導いてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/29/2020

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ(11月22日のため)

ペドル大将がインターネット(Facebook)から
発信された聖書メッセージ 

要旨を以下にご紹介します

  

雲は臨在の幕屋を覆い、 主の栄光が幕屋に満ちた。 (出エジプト記40章34節) 

今回で『出エジプト記』による祈りの時をしめくくりたいと思います。 

この書物は、神が人間を〔神の民として〕ご自分に似たものとするために、どのように働かれたのかを伝える、注目すべきものでした。

 この書物の始まりでは、イスラエルの民がファラオ〔エジプト王〕の非道な支配によって抑圧されていましたが、終わりでは自由の身となって生きるものとなります。また、この書物の始まりではファラオのために都市が建設されますが、終わりではイスラエルの民が神を礼拝するための「幕屋」が建設されます。

出エジプト記第29章をみると、神は次のように語られました。 

わたしはイスラエルの人々のただ中に宿り、彼らの神となる。彼らは、わたしが彼らの神、主であることを、すなわち彼らのただ中に宿るために、わたしが彼らをエジプトの国から導き出したものであることを知る。わたしは彼らの神、主である。(出エジプト29・45、46) 

幕屋は、天地万物の創造主である神が宿られる場所でした。 

イスラエルの民は、わたしたちもまた承知しているように、宇宙を創造されたお方が、人間の建てた幕屋に宿られることなどあり得ないと知っていました。しかし、神は恵みとして、奴隷から解放された人々〔イスラエル〕と会うための場所〔幕屋〕を選ばれました。 

***** 

出エジプト記が強調していることは、幕屋の建設が、神の指示に完全に従って行われたということです。それとともに、人間の理解力や熟練した技術も、幕屋の建設のために用いられました(参照 36・1)。人々は強制されてではなく、喜びと自発的な心によって幕屋を建てました。

出エジプト記第35章には次のように記されています。 

モーセを通じて主が行うようお命じになったすべての仕事のために、進んで心からするイスラエルの人々は、男も女も皆、随意の献げ物を主に携えて来た。(35・29) 

ファラオの工事監督が労働を強制したのとは対照的に、イスラエルの民は、自由の中で聖なる幕屋を建てました。彼らは神の救いの恵みについて理解するようになり、その恵みに対して自由に応答したのでした。

出エジプト記の最後の章では、幕屋が完成したときに、「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた」と記されています(40・34)。神の栄光が、荒れ野において、人間の手によって建てられた幕屋を満たしました。 

***** 

さて、出エジプト記の物語の中心人物はモーセでした。 

彼は幼い頃、ナイル川から引き上げられ、エジプト王家の恩恵を受けて育ちましたが、同胞であるヘブライ人〔イスラエル人〕と共にあることを選び取りました。命が助かるために逃げなければなりませんでしたが、柴の燃える場所において神とお会いしました。その場所でモーセは、神が自分の人生に目的を持っておられること、神に召されていること〔召命〕を知りました。

〔モーセに対する〕召命は、人々を抑圧するような権力と対決することを意味しました。そして、かたくなな人々を指導することを意味しました。また、神と顔と顔を合わせて語り合うことも含まれていました。神の民〔イスラエル〕のために神に執りなす勇気も必要としました。

神はモーセをよく知られ、また、彼が行うことを知られました。彼の人柄を知り、信頼されました。 

荒れ野で四十年を過ぎた後、イスラエルの民が約束の地にまさに入るところまでに至ったことが『申命記』に記されています。その〔申命記の〕終わりの部分において、神はモーセを高いところに連れていかれ、将来について 彼に教えられたことが記されています。 

主はモーセに言われた。「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」(申命記34・4) 

モーセは、神の〔考えておられる〕将来を見ましたが、彼自身はその将来に向かうことはできませんでした。彼は〔越えられない〕境界線と向かい合わなければなりませんでした。 

***** 

『詩編』のなかで一つだけ、モーセによるものとされている詩編があります。詩編第90編です。

今、モーセがネボ山の頂に立っている様子を思い浮かべてみましょう。彼は〔自分が越えられることがないと分かった〕境界線を目の前にしながら、詩編第90編に収められているような祈りをささげました。

わたしたちの神、主の喜びが わたしたちの上にありますように。 わたしたちの手の働きを わたしたちのために確かなものとし わたしたちの手の働きを どうか確かなものにしてください。(詩編90・17) 

***** 

モーセは、自分の働きを神に委ねました。そして、神が自分の働きを受け取り、確立してくださるように祈りました。また、神がその働きを強め、ご自分のすばらしい目的に仕えるものとなるようにと祈りました。 

モーセのように、わたしたちも、自分に対する《召命》として担ってきた働きをもはや続けることができないというような《境界線》に至ることがあるでしょう。そこに至るまでには、さまざまな理由があることでしょう。しかし、それは、わたしたちの働きが終わってしまうという意味ではありません。モーセと同じように、わたしたちもまた、自分の働きを神の御手に委ねることができます。

解放を与えてくださる神が、わたしたちの働きを確立し、強め、そこに神の祝福を与えてくださるように願い求めましょう。神が「わたしたちの手の働きを・・・確かなもの」にしてくださると信頼しましょう。アーメン 

(訳 立石真崇) 

※本紙は、小隊における祈りの資料として、個人で訳出したものです。 日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。

カロル『荒野の果てに』


アドベントに入り、聖別会前に会館の前でカルを演奏しました。

クリスマスの祝福がみなさんにありますように。

アドベントの賛美【1】Piano Solo - O Little Town

今日より、

クリスマスに備える「アドベント、待降節」

が始まりました。

 アドベントにあたり賛美をお送りします。

 
 

ピアノ演奏

『O Little Town ~ 小さな町ベツレヘム』 

クリスマスに向かう歩みに、

神さまの祝福がありますように。

11/28/2020

この日も主と共に【156】ペレ・ヨエツ(驚くべき助言者)

ひとりのみどりごが わたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子が わたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。
(イザヤ書 9編5節) 

神さま、
あなたは、「驚くべき指導者」、「霊妙なる義士」(口語訳)、「不思議な助言者」(新改訳)、はかり知れない知恵と真理があなたのもとにあります。その御名を帯びて御子イエスが来られ、わたしたちの赦し、回復、救いを成し遂げてくださいました。あなたのすばらしい知恵と御業に守られ、あなたの愛によって実を結ぶものとしてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/27/2020

この日も主と共に【155】サル・シャローム (平和の君)

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。
(イザヤ書 9章5節)

神さま、
あなたは、「平和の君」です。わたしたちを愛して、命を損なう一切の力と支配を退け、ご自身の平和を告げてくださいます。そのために、あなたの御名を帯びて御子イエスが来てくださいました。今、御子を受け入れます。どうぞ、わたしたちの心、家庭や生活の場、この国や世界に、あなたの平和を御心のままに現してください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/26/2020

この日も主と共に【154】ヤハウェ・ゴーエレーク(あなたを贖う主)

あなたは知るようになる
主なるわたしはあなたを救い、あなたを贖う者・・・
わたしがあなたに与える命令は平和
あなたを支配するものは恵みの業。
(イザヤ書 60章16、17節) 

神さま、
あなたは、わたしたちを「贖う主」です。犠牲をいとわれず、わたしたちをご自分のものとして取り戻してくださいました。そのために御子イエスが十字架の上で貴い命を捧げられ、わたしたちは罪と死の力から解放されました。行く手にさまざまな出来事が起こり、心が揺さぶられるときにも、あなたが変わることなく共にいてくださることを思い起こして、力を得させてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/25/2020

この日も主と共に【153】ヤハウェ・マパルティ(主はわたしの逃れ場)

主よ、わたしの力よ、
わたしはあなたを慕う。
主はわたしの岩、砦、逃れ場
わたしの神、大岩、避けどころ
わたしの盾、救いの角、砦の塔。
(詩編 18編2、3節) 

神さま、
あなたは、わたしの「逃れ場」、危険や災いからわたしを救い出してくださるお方です。困難が立ちはだかり、自分の知恵や力では越えること難しいと思われるときに、あなたの支えはいささかも変わらないことを思い起こさせてください。そして、死から復活された御子イエスによって、新しい命と力を注ぎ入れてください。困難にある人々が、あなたによって平安と勇気を得ることができますように。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/24/2020

この日も主と共に【152】エル・デボート(すべてを知っておられる神)

主にあってわたしの心は喜び
主にあってわたしは角を高く上げる。・・・
岩と頼むのはわたしたちの神のみ。・・・
主は何事も知っておられる
神 人の行いが正されずに済むであろうか。
(サムエル記上 2章1~3節) 

神さま、
あなたは、「何事も知っておられる神」です。わたしたちの行いや言葉の一つ一つをご存知であり、また、言葉にならない思いをも知っておられます。そればかりでなく、わたしたちに変わることのない愛、救い、希望を教えてくださいます。あなたに学ぶ楽しみ、あなたの恵みを新しく知る喜びとともに歩ませてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/23/2020

この日も主と共に【151】エル・ラフム(憐れみ深い神)

あなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。・・・あなたの神、主は憐れみ深い神であり、あなたを見捨てることも滅ぼすことも、あなたの先祖に誓われた契約を忘れられることもないからである。
(申命記 4章29、31節) 

神さま、
あなたは、「憐れみ深い神」です。わたしたちがどのような状況にあっても、わたしたちを見放さず、祝福の約束を果たしてくださいます。わたしのために祈りをささげてくれる人々に、また、その祈りを聞いてくださるあなたに感謝します。わたしも、あなたの祝福を祈り合う一人としてください。あなたに心を向ける歩みを支えてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/21/2020

ブライアン・ぺドル大将によるメッセージ(11月15日のため)

ブライアン・ぺドル大将によるメッセージがインターネット(Facebook)で配信されました。以下に要旨を訳してご紹介します。

 

親御さんにお尋ねします。
『家族で旅行に出た時、子供が一緒にいなかったことに気付いたことはありますか。』

あるいは、勤めている方々にお尋ねします。『会議に出席する時に、ある議題について同僚たちが自分に賛成してくれるものと思っていたのに、そうはいかなかったという経験はありますか。』

人々が自分の側にいると思っていたのに、実際はそうではなかったというのは耐え難いことです。『他の人が〔自分と共に〕いてくれる』と想像することには危うさが伴います。

*****

わたしたちは『出エジプト記』を読み進んでおり、〔奴隷から〕解放された神の民が聖なる神と共に旅をしたことに、どのような意味があったのかを学んでいます。その旅路は人々にとっても、また、神にとっても、かならずしも心地よいものではありませんでした。

彼らが荒れ野で不平を述べたために、神は、マナと呼ばれる
食物を日々お与えになりました。また、イスラエル〔の民〕が聖なる民である意味を理解することができるように、十戒を授けられました。しかし、〔十戒を受けるために〕シナイ山に登ったモーセは、もう帰ってきても良い頃だろうと人々が考えてもなお姿を見せませんでした。モーセの不在によって、〔人々の〕不安がかき立てられました。彼らは、〔自分たちを〕導いてくれるものを目に見えるもので欲しいと叫びました。そこで、モーセの兄弟、アロンは人々に装飾品を差し出すようにと命じました〔33章1~3節〕。そしてついにモーセが山から降りてきた時、アロンはなんと、装飾品をただ火に投げ入れただけで、金の子牛が出てきたと話しました〔33章24節〕。そんなことがあるでしょうか!

*****

神ご自身も、心のかたくなな民に対して、耐えられなくなっている様子が明らかになります。

主はモーセに仰せになった。
「さあ、あなたも、あなたがエジプトの国から導き上った民も、ここをたって、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『あなたの子孫にそれを与える』と言った地・・・に上りなさい。しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない。」(33章1~3節)

モーセがすべきことは何だったでしょうか。

神の民が、〔神を〕忠実に信頼せず、偶像を拝もうという時に、指導者として何をすべきだったでしょうか。

神の計画されたことが軌道から外れてしまいそうな時に、指導者であるということにはどのような意味があるのでしょうか。

モーセが指導者として行ったことは、民のために執り成し、彼らを導くことでした。

*****

神と〔イスラエルの〕民の関係が絶たれてしまったのにもかかわらず、モーセは「臨在の幕屋」を用意し、その入り口で神と会見をしました〔33章7節〕。主は、「その友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られ」ました(33章11節)。そのような親しい交わりの中で、モーセは神の民の将来のために執り成しました。

彼は主に向かって次のように訴えました。

「もし、あなた御自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください。一体何によって、わたしとあなたの民に御好意を示してくださることが分かるでしょうか。あなたがわたしたちと共に行ってくださることによってではありませんか。そうすれば、わたしとあなたの民は、地上のすべての民と異なる特別なものとなるでしょう。」

すると、神は次のようにお答えになりました。

「わたしは、あなたのこの願いもかなえよう。わたしはあなたに好意を示し、あなたを名指しで選んだからである。」(33章15~17節)

神の民の指導者とは、《執り成す人》です。そして主は、「憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち」たお方として、友〔であるモーセ〕に応えてくださったのでした(34章6節)。

*****

今、パンデミック〔新型ウイルスの世界的流行〕のなかにあって、わたしたちは、困難な状況に置かれている友人たちにどのように寄り添うことができるかを模索しています。わたしたちは、なんとかして彼らと一緒にいるということを伝えて、安心させたいと願っています。

ある教師たちは、教え子のケアをしなければならないという大きなプレッシャーのもとで今も働いています。あ

るいはまた、自分の健康状態に関して先行きが見えない状況を過ごしている人々もいることでしょう。そのような人たちが、お互いの存在によって安心を得られるようにすることも必要です。

わたしたちはこの困難な時に、自分たちが共にいるということを知ってもらいたいと願っています。多くの場合には、何か〔言葉〕を語る必要もありません。わたしたちが存在しているということが重要になるのです。

*****

わたしたちはまた、この困難な日々のなかで、救世軍に神の臨在があるようにということも祈りたいと思います。

不確かな状況のなかを歩むときにも、憐れみに満ちた神が共におられると信頼しましょう。

未知の領域を進むときにも、聖なる神が恵みにあふれて、共にいてくださることにより頼みましょう。

変わることのない愛と真実に満ちておられる神にしっかりとつながり、神から与えられた使命に従事しましょう。

そして、へりくだり、神の御顔を求め〔て祈り〕ましょう。

イヴォンヌ・フィールドは、そのような祈りの核心をとらえて賛美しています。その言葉に耳を傾けましょう。

主よ、
もしあなたの臨在が共にないのであれば、

どうぞ、ここからわたしたちを去らせないでください。 

あなたがわたしたちに先立って歩んでくださらないなら、
人々はどのようにして、
わたしたちが神の民であると知るでしょうか。
 

主よ、
もし あなたの恵みが与えられないのであれば、

わたしたちは この場所を越えていくことはできません。 

もしあなたの祝福がなければ、
人々はどのようにして、
わたしたちがあなたの御名のもとで

進んでいると知るでしょうか。 

それですから、わたしたちは あなたの臨在のなかに留まります。

そして、へりくだり、あなたの恵みを求めます。 

全能の父、主なる神、救い主よ、
わたしたちは あなたと顔と顔を合わせて
お会いしたいのです。
 

あなたの栄光を、わたしたちの上に輝かせてください。 

確信を強め、霊感を与え、必要を満たしてください。 

全能の父、主なる神、救い主よ、
あなたの聖なる臨在こそが、
わたしたちの道しるべです。

 (イヴォンヌ・フィールド、英語救世軍歌集1031番)


(訳 立石真崇)

※本紙は、小隊における祈りの資料として、個人で訳出したものです。日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。

この日も主と共に【150】エリ・マレキ(神はわたしの王)

主をたたえよ
日々、わたしたちを担い、救われる神を。・・・
神よ、あなたの行進が見える。
わたしの神、わたしの王は聖所に行進される。
(詩編 68編20、25節)
 

神さま、
あなたは、「わたしの王」、命を助け出し、ご自分の恵みと守りのなかに迎え入れてくださるお方です。死から復活された御子イエスによって、死と恐れの支配から解放し、「キリストの勝利の列」に加えてくださいました。さまよう人生ではなく、神の御国にまで続く人生を与えられたことを感謝します。どうかあなたの愛のなかでのびやかに歩み、生きる喜びを新たにしてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン
(参照 コロサイの信徒への手紙2:13~15)

11/20/2020

この日も主と共に【149】ヤハウェ・オセヌー(わたしたちを造られた主)

わたしたちを造られた方
主の御前にひざまずこう。
共にひれ伏し、伏し拝もう。
主はわたしたちの神、わたしたちは主の民
主に養われる群れ、御手の内にある羊
(詩編 95編6、7節) 

神さま、
あなたは、「わたしたちを造られた方」です。一人一人を大切に覚え、共に生きるようにと御声をかけてくださいます。あなたに守られ、養われて、健やかに生きるものとしてください。苦しみや痛みを受けているものたちを顧み、御手をもって支え、平安と新しい力をお与えください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/19/2020

この日も主と共に【148】エロヒム・ハイイム(生ける神)

主は真理の神、命の神、永遠を支配する王。・・・
御力をもって大地を造り
知恵をもって世界を固く据え
英知をもって天を広げられた方。
(エレミヤ書 10章10、12節) 

神さま、
あなたは、「命の神」、生ける神です。あなたによって、世界は命にあふれるものとして創られており、わたしたちも生かされています。自分の命の根拠はあなただけにあることを深く心に留め、あなたの祝福と導きのもとで歩ませてください。自分の考えがすべてであるという高ぶりからお守りください。自分に快いものや願望を満足させるものを神と見紛えてしまう誘惑からお守りください。
イェス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/18/2020

この日も主と共に【147】エロヘイ・ケデム(いにしえの神)

いにしえの神は難を避ける場所
とこしえの御腕がそれを支える。・・・
主はあなたを助ける盾
剣が襲うときのあなたの力。
(申命記 33章27、29節) 

神さま、
あなたは、「いにしえの神」です。あなたは、すべてものものが生まれる前にすでにおられ、一つ一つに始まりをお与えになりました。また、これからもわたしたちの先に立って、道を開いてくださいます。なぜこのようになったのか、これからどうなるのかと心に影が差すときにも、あなたによって一筋の道がたしかに備えられていることを覚えて、平安を得て歩むものとしてください。
イェス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/17/2020

この日も主と共に【146】エル・ハガードール (偉大な神)

あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。(申命記 10章 17、18節)

神さま、
あなたは、「偉大な」お方です。あなたは愛と力に満ちておられ、公正にものごとを治められるお方です。そして、あなたと共に生きることができるようになるために、御子イエスが“道”となってわたしたちの間に来てくださいました。御子によって、小さくとも心を込めて、あなたの愛に応える一歩を、あなたの正しさを映し出す一歩を進むことができますよう導いてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン
(参照 ヨハネ14:6)

11/16/2020

この日も主と共に【145】エル・ハシャマイム (天の神)

すべて肉なるものに糧を与える方に感謝せよ。
慈しみはとこしえに。
天にいます神に感謝せよ。
慈しみはとこしえに。
(詩編 136編25、26節) 

神さま、
あなたは、「天にいます神」、すべてのものを創り、とこしえの恵みをもって治めておられるお方です。あなたを信頼する者たちを救い出し、命の糧を与えてくださいます。そのために、御子イエス・キリストが「命のパン」として、わたしたちのあいだに来てくださいました。あなたに愛されていることを生きる力として歩み、あなたの愛を映し出す実を結ぶものとしてください。
イェス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン
(参照 ヨハネ6:35)

11/14/2020

この日も主と共に【144】エロヒ・ツァデキ (わたしの義なる神)

呼び求めるわたしに答えてください
わたしの正しさを認めてくださる神よ。
苦難から解き放ってください
憐れんで、祈りを聞いてください。・・・
主よ、わたしたちに御顔の光を向けてください。
(詩編 4編1、7節) 

神さま、
あなたは、「わたしの義」となってくださるお方です。わたしたちが、あなたの愛にしっかりと根を張って、まっすぐに成長することができるように、正しい道筋と導きを与えてくださいます。主張と対立がくりかされる世界に、あなたの憐れみと助けを求めます。御子イエスによって、あなたの愛と正しさと共に歩むものとしてください。
イェス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

11/13/2020

この日も主と共に【143】エロヒ・ティシュアティ(わたしの救いの神)

神よ、わたしの内に清い心を創造し
新しく確かな霊を授けてください。・・・
神よ、わたしの救いの神よ
流血の災いからわたしを救い出してください。
恵みの御業をこの舌は喜び歌います。
(詩編 51編12、16節) 

神さま、
あなたは、「わたしの救いの神」です。あなたの愛から遠く離れ、罪によって心も体も損なわれていくわたしたちを、あなたは助け出してくださいました。わたしたちに清い心、新しい人生を創造してくださることを感謝します。新鮮な風が吹きわたるように、ご自身の聖霊の清い息吹をわたしたちに満たして、新しく歩みだすものとしてください。
イェス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

11/12/2020

この日も主と共に【142】ヤハウェ・マゲン(主はわたしの盾)

> ・・・あなたに従う者を固く立たせてください。
心とはらわたを調べる方 
神は正しくいます。
心のまっすぐな人を救う方 
神はわたしの盾。
(詩編 7編10、11節) 

 

神さま、
あなたは、「わたしの盾」となってくださる主です。
わたしたちの人生の旅路に共に立ってくださり、
罪の誘惑を退け、災いから守ってくださいます。
あなたの助けと守りが先立って備えられていることを心に留め、あなたに喜ばれ、わたしたち自身も喜びをもって生きることができるように導いてください。
イェス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/11/2020

この日も主と共に【141】ヤハウェ・ウジ (主はわたしの力)

主をたたえよ。
嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました。
主はわたしの力、
わたしの盾
わたしの心は主に依り頼みます。
主の助けを得て
わたしの心は喜び躍ります。・・・
(詩編 28編6、7節) 

神さま、
あなたは、「わたしの力」となってくださるお方です。何もないところから新しいものを創造し、また、信じる者たちを救い、死をも打ち破られるお方です。人の命を虚しくするさまざまな問題や困難に遭遇するとき、人を活かす大きな御力によってお守りください。あなたを信頼し、勇気をいただいて歩むものとしてください。
イェス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/10/2020

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ(11月8日のため)

ブライアン・ペドル大将が、インターネット(Facebook)で発信したメッセージの要旨を紹介します。

  

 わたしたちは、『出エジプト記』を19章まで読み進んできました。

イスラエル〔の民〕は奴隷として抑圧され、ファラオ〔エジプトの王〕の暴政に縛られていましたが、もはや自由の身になりました。

モーセに導かれて、ヘブライ人〔と呼ばれていたイスラエルの民〕は紅海〔葦の海〕を渡り、シナイの荒れ野に到着しました。イスラエルの民はシナイ山を前にして宿営し、モーセは神にお会いするために山を登りました。

主はモーセをご自分のもとへと招き、次のように語れました。

イスラエルの人々に告げなさい。
あなたたちは見た
わたしがエジプト人にしたこと
また、あなたたちを鷲の翼に乗せて
わたしのもとに連れて来たことを。
今、もしわたしの声に聞き従い
わたしの契約を守るならば
あなたたちはすべての民の間にあって
わたしの宝となる。
世界はすべてわたしのものである。
あなたたちは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。(3~6節)
 

神がイスラエル〔の民〕にお与えになったものは、神からの召命、すなわち〔神の民になるという〕使命でした。ファラオの圧政から解放されることは、それ自体が目的ではありませんでした。それはイスラエルの使命の始まりだったのです。

イスラエルが「聖なる国民」になるとは、神の〔聖なる〕ご性質を体現する民にならなければならないということです。それは世界の諸民族の中で唯一無二の〔ユニークな〕存在となりなさいと言われたのです。

また、〔神からの〕使命には「祭司の王国」になることも含まれていました。イスラエルはこの後、アロンとその子孫に続くところの祭司〔の職務〕を立てていくこととなります。
ただし、イスラエル〔の民〕が祭司として召されたのは、〔自分たちのためだけではなく、〕世界の諸民族のためでした。なぜなら、世界はすべて神のものだからです(5節)。

イスラエルは、聖なる神の御前で世界の諸民族を代表するために召されたのです。それはまた、諸民族のために祈り、執り成すようにという召命でもありました。そして、イスラエルは諸国の平和のために働くという召命でもありました。なぜなら、神は、変わることのない愛と慈しみの神でおられるからです。

*****

来週、世界の多くの場所において、『第一次世界大戦休戦記念日(Armistice Day)』のための追悼礼拝が行われます。

1918年11月11日の11時、休戦協定が結ばれて第一次世界
大戦が終わりました。この大戦は短期間で終わるであろうと予想されたのですが、数百万人の犠牲を出す結果となりました。そして、今後はいつまでも続くであったはずの平和も、二十年後にもう一つの世界大戦に至るような種を蒔くことになったのです。

わたしたちの世界は、1918年に休戦協定が結ばれたあの日からは大きく変わりました。世界の紛争は、もはや国同士の問題ではすまなくなりました。わたしたちの世界は、『他の人々』を憎むことを動機とするような、『過激な一派の活動』によって苦しむようになりました。この『過激な一派の活動』は、一つの国の中においてさえ活動の場を手に入れ、市民同士の対立を生み出します。

今なお、『休戦協定』が結ばれることが重要です。そして、救世軍が1918年の時と同じように、〔世界の平和をもたらす〕奉仕のために存在することも重要です。

このような〔平和のための〕奉仕を進めることによって、救世軍は、「祭司の王国」が意味していることがらの一端を表しています。

このとき、わたしたちは、現代の平和を願い求めて公に祈りをささげます。この世界の神でおられるお方の御前に、世界の国々を執り成すのです。聖なる祭司〔として神に召されたもの〕として、わたしたちは平和のために祈り、また、平和のために働きたいのです。

*****

イスラエルにおける祭司の職務には、いわば、イスラエル〔の人々〕と神との間の仲介者としての働きがありました。『救世軍人』と呼ばれるわたしたちもまた、他の人々と〔神との間〕の仲介者ついて行動するように召される時があります。〔その最たる例は、〕声を上げることのできない人々のために、声を上げることです。

第二次世界大戦が終わる頃のことです。救世軍人の一団が東ヨーロッパを訪ねました。住まいを失った人々のためが暮らしの場所を得られるように支援をするためでした。その一団の中に、スタンレー・プリースという名の士官がいました。彼は妻と娘を連れて参加していました。

東ドイツまで来た時、彼らはあるユダヤ人の少女と出会いました。彼女は、どうにかしてポーランドにいる叔父のところに行こうとしていましたが、残念なことに、正式な手続きの書類がそろっていませんでした。そこで、スタンレー・プリースは、自分の娘が身につけていた救世軍の制服を少女の肩にかけ、国境の警備を通り抜けたのでした。

スタンレー・プリースとその家族、またその他のメンバーは、〔彼らの置かれた状況において、〕祭司としての働きを果たしました。見捨てられた人々と彼らの親族との間を執り成すものとなりました。誰からも顧みられない人々がいるところで、〔彼らのために〕声を上げたのです。このような祭司としての働きをとおして、聖なる神の憐れみは具体的に現されるのです。

*****

このパンデミック〔新型ウイルスの世界的流行〕の間も、救世軍はさまざまな手立てを講じながら、「祭司の王国」、「聖なる国民」のなんたるかを身をもって表しています。

『主よ、あなたの平和の器としてください』という、アシジのフランシスコの祈りを、わたしたち自身の祈りとして心に抱き、また、言葉にしていきましょう。

平和が実現するために、どうか神が、救世軍の奉仕を祝福してくださいますように。また、『第一次世界大戦休戦記念日』を覚えて世界各地でささげられる祈りを祝福してくださいますように。

ご一緒にお祈りをいたしましょう。アーメン

(訳 立石真崇)

※小隊における祈りの資料として訳したものです。日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。また、今回は、聖書の引用について、日本語の聖書の言葉の区切りに合わせました。

この日も主と共に【140】エル・ハヤ(わたしの命の神)

昼、主は命じて慈しみをわたしに送り 
夜、主の歌がわたしと共にある 
わたしの命の神への祈りが。・・・
神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
「御顔こそ、わたしの救い」と。
わたしの神よ。
(詩編 42編9、12節) 

神さま、
あなたは、「わたしの命の神」です。あなたは、わたしたちが生きることを強く望まれ、昼も夜も見守っていてくださいます。そして、どのようなときにも祈ることができるように、御子イエスを、また、ご自身の聖霊を与えてくださいました。あなたに依り頼み、あなたの愛によって、命をよりよく生きるものとしてください。
イェス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/09/2020

メッセージ「神によって可能となること」ルカによる福音書18章18~30節

【説教要旨】
聖別会 2020年11月8日(日)
ルカによる福音書18章18~30節 
「神によって可能となること」

 Ⅰ 何に関心を向けるのか 

先日、人間の心と体に関する、ある学びに参加しました。その主題は、“人間の注意力”に関するものでした。

話を聞いて興味深かったのは、『人間がものを見る時は、じつは、“見たいもの”を選んで見ている』ということでした。『人間の注意の仕方には違いがあり、そのために、みな同じものを見ていても受けとめかたが異なる』というのです。(このような注意の仕方の違いを利用した遊びが、柏寿会でもよく楽しんでいる“まちがいさがし”だそうです。)そして、人間の注意の仕方の違いをふまえて設備・道具を整えることによって、社会や暮らしの安全を高めることができると学びました。 

この話を聞いて、わたしたちの人生にも通じるものがあるように思いました。

わたしたちは同じもの見て生きているように思いがちですが、じつは、何を注意して見ているか、また、どこに焦点を合わせているかによって、世界も生きる営みも大きく変わるのではないかと考えさせられました。

聖書は、そのようなわたしたちにイエス・キリストを示します。そして、このお方に焦点を合わせる時にこそ、見えてくる世界、人生があると、告げています。 

Ⅱ 金持ちの議員とイエスさま 

イエスさまのところに、「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができる」か知りたいとう、ある金持ちの議員がやってきました(18、23節)。

彼には地位も財産もあり、誰からみても申し分のない暮らしをしていました。しかし、「永遠の命」の確証、すなわち、神さまに認められ、地上の命を越えても、いつまでも祝福を受けて生きられるという確証を欲していました。人生には自分の努力だけでは獲得できない、何か大切なものがあることを感じながら、どうすればよいのか見えなかったのです。 

イエスさまはこの議員に向かい合われ、
① 人間の善行に関わらず、神こそ唯一の善いお方であると示し(19節)、
② 旧約聖書の掟(十戒)、とくに行いに関わる掟(第5~9番目)によって、人生をふり返る時を備えられました(20節)。
そして、③ 「わたしに従いなさい」と招かれました(22節)。

その際、「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分け」るようにと語られましたが、これは“取引条件”ではなく、「天に富を積む」ためです。イエスさまは、議員の心が地上における自身の成功ではなく、天に、すなわち神さまのもとあるようにと、招かれたのでした(参照 12章34節)。 

しかしながら、議員は財産を手放すことができませんでした。これこそが自分の人生の実り、天からの祝福と考えていたからです。彼は非常に悲しみながら、とうとうイエスさまの招きに応答することができませんでした(23、24節)。

そのありさまをご覧になって、イエスさまは語られました。 

財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。
金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。(24、25節) 

この議員の姿は、自分の人生をどのように見つめているのか、何を大切に考えているのかを、わたしたちに問いかけます。

財産があり豊かであることは幸いです。しかし、それらは神さまの恵みであっても、神ではありません。わたしたちの人生の究極的な保証は、別のところにあるのです。 

Ⅲ 神さまが可能にしてくださる人生 

財産のある者、すなわち神に祝福されていると思われる人でも、神の国に入ることは難しいというイエスさまの言葉は、居合わせた人々を困惑させました。

しかし、イエスさまは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われました(27節)。

それは“人間が救われること”を指しています。

神さまを見失い、めいめいが欲するところに心を向け、同じ世界にいながら共に生きる道を見いだせず、自分たちに対して『どうして救われるだろうか』と望みを失う、わたしたちのただ中に、神さまはイエス・キリストを救い主として遣わしてくださいました。

神の御子が幼子としてお生まれになるという、まことに小さな一点から、神さまは、すべての人が救われるという大きな御業を実現されました。 

それですから、わたしたちに必要なのは、イエス・キリストに心を向け、このお方の招きに応答することです。このお方を知る時に、わたしたちは神さまの愛を知ります。このお方の後に従って歩む時、わたしたちの歩みは、天に心を定める歩みとなります。 

小隊(教会)は、イエス・キリストにわたしたちの人生の焦点を定めるところです。そして、このお方に従いながら、神に救われ、受け入れられている喜びをともに見出していくところです。

家族や財産も、自分の人生の価値を証明する手段ではなく、それらを神さまの御手にゆだね、神さまの大きな可能性のなかで生きていくようにと、イエスさまは、今も、わたしたちを招いておられます。 

しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。 (フィリピの信徒への手紙3章7~9節)

この日も主と共に【139】エロヒ・ティハラティ(わたしの賛美する神)

わたしの賛美する神よ
どうか、黙していないでください。・・・
恵み深く、慈しみによって 
わたしを助けてください。・・・
わたしはこの口をもって
主に尽きぬ感謝をささげ 
多くの人の中で主を賛美します。
(詩編 109編1、21、30節)

神さま、
あなたは、「わたしの賛美する神」です。わたしを慈しみ、害するものが迫るときに助けてくださいます。心が塞ぎ言葉を失いそうになるときに、あなたへの祈りと賛美の言葉を与え、感謝と信頼と共に歩ませてください。
イェス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/07/2020

この日も主と共に【138】エロヒム・マハセ・ラヌ(神はわたしたちの避けどころ)

わたしの救いと栄えは神にかかっている。
力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。
民よ、どのような時にも神に信頼し
御前に心を注ぎ出せ。
神はわたしたちの避けどころ。
(詩編 62編8、9節) 

神さま、
あなたは、わたしたちの「避けどころ」となってくださるお方です。わたしたちを変わることなく愛してくださり、立つべきところを教えてくださいます。不安や動揺を覚えるときにも、あなたに守られ、支えられていることを思い起こさせてください。心を定めて、歩むべき道のりを進むものとならせてください。
イェス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/06/2020

この日も主と共に【137】エル・クゥル(あなたに命を与える神)

ヤコブよ、あなたを創造された主は 
イスラエルよ、あなたを造られた主は 
今、こう言われる。
恐れるな、わたしはあなたを贖う。
あなたはわたしのもの。
わたしはあなたの名を呼ぶ。
水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。
大河の中を通っても、あなたは押し流されない。
火の中を歩いても、焼かれず 
炎はあなたに燃えつかない。
(イザヤ書 43章1、2節) 

神さま、
あなたは、命を与えるお方、わたしたちを造られたお方です。わたしたちは偶然に存在しているのではなく、あなたの愛によって作られました。あなたの愛を深く知り、それによって、自分の人生に与えてくださった尊さと目的を真摯に受け取るものとしてください。家族や友も、あなたに愛され、生かされている喜びと平安のなかを歩ませてください。
イェス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/05/2020

この日も主と共に【136】ヤハウェ・マギネヌ(主はわたしたちの守り)

いかに幸いなことでしょう 
勝利の叫びを知る民は。 
主よ、御顔の光の中を彼らは歩きます。 
絶えず、御名によって喜び躍り
恵みの御業にあずかって奮い立ちます。・・・
主は我らの盾 
イスラエルの聖なる方は我らの王。
(詩編 89編16、17、19節) 

神さま、
あなたは、わたしたちの「盾」となってくださるお方、わたしたちを守ってくださるお方です。そのために、御子がわたしたちのところに来てくださいました。あなたの恵みと助けがあることを心にとめ、自分の務めに最善を尽くすことができますように。力と勇気をお与えください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/04/2020

ブライアン・ペドル大将によるビデオ・メッセージ(2020年11月1日のため)

ブライアン・ペドル大将がFacebookを通して、ビデオメッセージを発信しました。 

その要旨を以下に紹介します。 

 

この日も主と共に【135】ヤハウェ・ボレ(造り主なる主)

あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。 
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。 
倦むことなく、疲れることなく 
その英知は究めがたい。 
疲れた者に力を与え
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
(イザヤ書 28章28、29節) 

神さま、
あなたは、「すべてのものの造り主」です。あなたの慈しみによって、いまこのときも保たれています。よりよく生きるたいと願い、力を尽くしても、思うように実が結ばず、自分自身をすり減らすようなときに、失望の闇から守り、あなたの知恵と力によって助けてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/03/2020

メッセージ「神の国に入る人は誰か」ルカによる福音書18章15~23節

【要旨】
神戸小隊 聖別会
2020年11月1日(日)
ルカによる福音書18章15~23節
「神の国に入る人はだれか」 

Ⅰ 神の家族へと招かれるイエスさま 

新型ウイルスの対応のために、礼拝・集会のプログラムについて、新しい工夫が続いています。

この秋、救世軍ではインターネットを利用して、各地から賛美を持ち寄る『音楽祭』が行われることになりました。 

神戸小隊からも参加を申し込み、賛美の動画を作成しました。今年の救世軍のテーマソングを、いろいろな楽器の伴奏に合わせて歌いました。また、現在、小隊に集うことが難しい方々がおられることを思い、昨年と今年の小隊の様子を撮影した写真を動画に収めました。歌を録音するときには、ちょうど帰省中であったご家族や生後数ヶ月の赤ちゃんも参加して、一緒に歌うことができ、わくわくする思いで過ごしました。

聖書は、イエス・キリストによって、神さまのもとに集められた人々、すなわち小隊(教会)の姿を「神の家族」と表現しています(エフェソ2章19節)。その聖書の御言葉が生き生きと心に思い起こされました。 

今回、ご一緒に賛美に心を合わせ、アイデアを出し合い、それぞれの役割を受け持ち、協力ができたことは有意義な経験でした。それとともに心に留めたいのは、イエスさまが、わたしたち一人一人の心に働きかけ、賛美に向かわせてくださったということです。

「神の家族」は、人間が掲げる理念ではありません。小隊(教会)で親しい人が増えたから、神の家族だというのでもありません。イエスさまが「神の家族」となるようにと、わたしたちを招いてくださいました。こからもイエスさまの招きを受けとめ、お応えすることによって開かれていく道をご一緒に歩みたいと思います。

Ⅱ 子供と神の国の教え 

イエスさまを訪ねてさまざまな人がやって来ましたが、「乳飲み子までも連れて来た」人たちがいました(15節)。その理由は、イエスさまに「触れていただくため」でした。これは神さまの祝福を祈ることを意味しています。乳飲み子の将来を思い、神さまの祝福が何より必要であると考えた大人たち(おそらく両親か親類)がいました。彼らはイエスさまを信頼し、イエスさまによる神の祝福を願ったのでした。 

しかしながら、乳飲み子とイエスさまの間に道を通そうとする大人がいた一方で、その道を遮ろうとする大人がいました。それはイエスさまの弟子たちでした。多忙な先生を支えようという、彼らなりの思いやりであったのかもしれません。しかしその結果、自分の価値観で人を判断してしまう誤り、自分の信仰心でイエスさまと人との出会いを妨げる誤りを犯してしまいました。

 このやり取りを見ていたイエスさまは、弟子たちを制し、乳飲み子たちを呼び寄せられました。そして、この機会をとらえて神の国について教えられました。

子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。(16、17節) 

イエスさまが「乳飲み子」、「子供」を例にして強調されるのは、《徹底して信頼し、受け取る姿》です。

この点は、ルカがこの出来事の前後に書き記す、(たとえに登場する)ファリサイ派の人(11、12節)、金持ちの議員(18~23節)の姿と比べると、よりいっそう際立ちます。ファリサイ派の人も金持ちの議員も見た目には信仰熱心でしたが、結果として、神さまと共に生きることができませんでした。それは、神さまに信頼するよりも、神さまに対して自分を証明することに関心があったからです。

これに対して「乳飲み子」は、自分自身の力では生きていくことができません。命も体も生活もみな、まったく人の手にゆだね、相手の愛がなければ生きていくことはできません。

神さまと人間の関係も同じだと、イエスさまは教えられます。神さまに愛され、受け入られる姿にこそ、まことに人間らしい姿、人間らしい生き方がある。そのように生きてゆきなさいと、イエスさまは招いてくださいました。

それはまた、イエスさまをこの世界に遣わされた神さまご自身の御心でもありました。 

耳を傾けて聞き、 わたしのもとに来るがよい。 聞き従って、魂に命を得よ。
(イザヤ書55章3節)  

このようなイエスさまの招きは、十字架の死にまで続きました。イエスさまの十字架は、わたしたちのための神の愛を示し、救いの約束を示しています。十字架は、イエスさまの招きのしるしです。

Ⅲ イエスさまの招きに応えよう、 ただ神さまに信頼して生きよう 

イエスさまは今も、わたしたちを新しい人生へ、「神の家族」へ、神の国へと招いてくださいます。小隊(教会)は、イエスさまの招きを聴き、お応えする集まりです。また、イエスさまの招きを伝えていく集まりです。

どうぞ、ご一緒にイエスさまのもとに集い、神の国の始まりに立ち、喜びをいただいて出発したいと願います。 

悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。(使徒言行録2章38、39節)

この日も主と共に【134】ヤハウェ・シャンマー(主がそこにおられる)

〔預言者エゼキエルの言葉〕
神の幻によって、わたしはイスラエルの地に伴われ、非常に高い山の上に下ろされた。その南側に都のように建設された物があった。・・・
この都の名は、その日から、「主がそこにおられる」と呼ばれる。
(エゼキエル書 40章2節、48章35節) 

神さま、
あなたは、わたしたちと共にいてくださるお方、「苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」お方です(参照 詩編46編2節)。そのしるしとして、御子イエスがわたしたちのところに来てくださいました。周囲にさまざまな状況が起きるときに、そこにもあなたがいてくださることを思い、平安と力を得て歩むものとならせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

11/02/2020

この日も主と共に【133】エル・エムナ(真実な神)

あなたは知らねばならない。
あなたの神、主が神であり、信頼すべき神であることを。
この方は、御自分を愛し、その戒めを守る者には千代にわたって契約を守り、慈しみを注がれる・・・。
(申命記 7章9節) 

神さま、
あなたは、「信頼すべき神」、真実なお方です。あなたの御心には偽りや偏りはなく、あなたの教えと約束は変わることがありません。あなたの誠実を土台として、幸いに至る日々を建て上げることができますように。さまざまな価値観が行きかうなかで、大切なものを選び取ることができますように。あなたが、わたしたちを約束の相手として受け入れ、共にいてくださることを感謝します。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン