2/28/2021

この日も主と共に【216】

イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」・・・イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは・・・聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。
(ヨハネによる福音書2章19、21、22節) 

神さま、
御子イエスはわたしたちを愛してくださり、ご自分の死と復活によって、わたしたちのための神殿となってくださいました。ただ御子によって、あなたを天の父とお呼びすることができることを感謝します。祈りつつ、あなたと共に歩むことを教え、導いてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/27/2021

この日も主と共に【215】

キリストは、神の身分でありながら・・・自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
(フィリピの信徒への手紙 2章6~8節) 

神さま、
御子イエスはわたしたちと共に生きるために、わたしたちと同じ者になってくださいました。しかも、永遠に共に生きるために、十字架の死へと向かわれました。今、わたしたちがどのようなものであるとしても、死から復活された御子が共にいてくださることを感謝します。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/26/2021

この日も主と共に【214】

〔イエスは言われた。〕 わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。・・・その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。
(ヨハネによる福音書10章32、38節)

神さま、
あなたは、この世界の理解や感覚をはるかに超えておられるお方です。しかし、ご自身の方からわたしたちに寄り添ってくださり、御子イエスを通して、ご自分を明らかに示してくださいます。御子イエスを心に受け入れ、あなたの豊かな善い御心と善い御業のもとで歩ませてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/25/2021

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ(2月第3週のため)

ペドル大将がインターネット(Facebook)から
発信された聖書メッセージ

要旨を以下にご紹介します

 

みなさんには心から信頼できる友人はいますか。

他の人が何を言おうとも、 あなたの側に立ってくれる人がいますか。 

愛をもって真実を語ってくれる友人はいますか。

そのような人のことを、《誠実な友》と呼ぶことができるでしょう。 

今回は、2021年において大切に求めるべき《品性》として、《ロイヤルティ loyalty》 (誠実、忠実)について考えたいと思います。

 ***** 

《誠実、忠実》が大切であることは言うまでもないと思うかもしれません。

しかし、《誠実、忠実》〔と称するもの〕がときに問題を生み出すこともわたしたちは承知しています。 

《誠実、忠実》は、取り違えられてしまう可能性があります。人は、間違った人々や間違った物事に忠誠を誓ってしまうことがあり、それが原因となって 大きな害がもたらされることがあります。 

《誠実、忠実》は、強要される可能性もあります。たとえば、薬物の元締め、ギャングのリーダー、人身売買の首謀者が忠誠を強要することがあります。 

売買される《誠実、忠実》もあります。さまざまな企業が、ポイントカードで購買者を誘い込むような仕組みを用いています。購買者は、あたかも自分たちが買い物で得をしているかのように考えてしまうのです。 

〔このような状況の中で、〕 わたしたちはどのような《ロイヤルティ》(誠実、忠実)を求めるべきなのでしょうか。 

***** 

聖書で親しまれている物語をご一緒に考えてみましょう。 

それは、ルツとナオミの物語です〔参照 ルツ記〕。 

ルツは、義理の父、義理の 兄弟、夫と死に別れるという、大きな喪失を経験しましたが、それの後に、勇気のある決心をしました。彼女は、たとえ民族や文化的な背景が異なっているとしても、義理の母〔ナオミ〕に一生寄り添っていくと誓ったのです。彼女は、故郷に帰ろうとするナオミに対して、自分も一緒に行くと誓いました。彼女は、ナオミがふたたび人生をやり直すことができるように助けました。彼女は、次のように 力強く述べています。

わたしは、あなたの行かれる所に行き お泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神。・・・死んでお別れするのならともかく、そのほかの ことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください。
(ルツ1・16、17)

***** 

ここでさらに考えたいのは、神に対する《誠実、忠実》ということです。 

聖書には、神がモーセを励まされたことが記されています。神の召しによって、モーセは 民を導きましたが、彼らのことでフラストレーション(いら立ち)を覚えました。そのとき、神は次のように語られました。 

主、主、 憐れみ深く恵みに富む神、
忍耐強く、 慈しみとまことに満ち、
幾千代にも及ぶ慈しみを守り、 罪と背きと過ちを赦す。
(出エジプト34・6、7) 

***** 

〔ここで、神が示しておられる〕《誠実、忠実》とは、言いかえると「慈しみ」、けっして動かされることのない愛です。それは、ルツと義理の母ナオミのように、どのようなことが起こっても、長い月日をかけて労苦をともにするような関係を表しています。これこそが、イスラエルの民を約束の地に導くために、モーセにとって必要なことでした。

それゆえ、神はモーセに 対して、憐れみ深く、恵みに富み、慈しみに満ち、 終わりまで誠実であるお方として、ご自分を示されました。 『何が起ころうとも、わたしはあなたを見捨てたり、見放したりすることはない』と言われたのです。このこと自体が、神の《誠実、忠実》の表れのひとつであると言えます。 

わたしたちもまた、神に対する《誠実、忠実》へと召されています。すなわち、わたしたちは、神に対する約束に忠実であることが、また、〔神によって〕仕えるようにと召された人々に対して誠実であることが求められているのです。 

そして、人々がわたしたちの誠実な献身に接するときに、 彼らは神ご自身が《誠実》なお方であること、そして、けっして変わることのない愛を自分たちに向けてくださっていることを理解することでしょう。 

***** 

今日の世界には、さまざまな種類の《誠実、忠実》があります。なかには権力、お金、成功によって、いともかんたんに 心が変わり、〔相手に対する〕 献身から離れてしまうようなものがあります。

そのような世界において、いったいどのようにすれば、わたしたちの《忠誠》が、けっして変わることのない神の愛がどの人に対しても向けられていると伝える”しるし”となり得るでしょうか。 

どうか、これからの一週間がみなさんにとって、神の慈しみが自分にも向けられていることを知る日々でありますように。 アーメン 

(訳 立石真崇)

※本紙は、小隊における祈りの資料として、個人で訳出したものです。 日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。

この日も主と共に【213】

〔イエスは答えられた。〕 わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。
(ヨハネによる福音書10章27、28節) 

神さま、
御子イエスが、わたしたち一人一人の存在を受けとめてくださり、また、『誰も彼らをわたしの手から奪うことはできない』と言われるほどに、深い信頼と愛をわたしたちに向けてくださることを感謝します。わたしが生きることをご自分の大事としてくださる御子によって強められ、勇気をもって歩ませてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/24/2021

この日も主と共に【212】

わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。・・・わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。
(ヨハネによる福音書10章9、10節) 

神さま、
御子イエスが、良い羊飼いとしてわたしたちの間に来られ、命を豊かに生きる道へと導き入れてくださったことを感謝します。さまざまな状況をくぐり抜けるときに、御子がくりかえし、わたしたちの始まりとなってくださることに平安と力を得させてください。御子と共に見つめ、聞き、考え、語り、行うものとしてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/23/2021

この日も主と共に【211】

 〔モーセとイスラエルの民が、エジプトの軍勢から神に助けられたときの賛美〕 主はわたしの力、わたしの歌 主はわたしの救いとなってくださった。・・・誰か、あなたのように聖において輝き ほむべき御業によって畏れられ くすしき御業を行う方があるでしょうか。
(出エジプト記15章2、6節) 

神さま、
あなたは海を割いて道を作り、イスラエルの民を救われました。そして今、御子によって、死の力を打ち砕いて永遠の命の道を開き、わたしたちを救われます。心を闇から光へと向かわせてください。あなたを力とし、歌うことのできる歩みを与え、導いてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/22/2021

この日も主と共に【210】

モーセがシナイ山を下ったとき、その手には二枚の掟の板があった。モーセは、山から下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。・・・イスラエルの人々がモーセの顔を見ると、モーセの顔の肌は光を放っていた。
(出エジプト記34章29、35節)

 

神さま、
あなたの御言葉、あなたの教えは、わたしたちの心に力を与え、わたしたちのまなざしを天に引き上げ、わたしたちの命に輝きを与えてくれます。心を暗くさせるような出来事や状況に直面するときにも、心のともし火をお守りください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/21/2021

この日も主と共に【209】

・・・ イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。 ・・・すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
(マタイによる福音書17章2、5節) 

神さま、
あなたは愛する御子イエスをわたしたちの間に遣わさし、ご自分の愛と、正しさと、聖さによって、わたしたちの心を照らしてくださいます。御子の言葉を受け入れ、あなたからくる善いものによって豊かになる歩みを導いてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/20/2021

この日も主と共に【208】

人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。・・・「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
(ルカによる福音書 23章33、42、43節) 

神さま、
御子イエスは十字架の上で、ご自身にも死が迫るなか、悔い改める者に赦しを告げ、天の御国へと導かれました。どのような者にも、どのようなときにも与えられる赦しの恵みを感謝します。御子によって心を新たにされ、くり返し立ち上がるものとしてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/19/2021

この日も主と共に【207】

だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。・・・愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。 ・・・悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
(ローマの信徒への手紙 12章17、19、21節) 

神さま、
あなたは、聖霊によって、ご自分の愛をわたしたちに分け与え、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣」くために心と体を活かすように教えてくださいます(参照 15節)。悪意をふくむ出来事にみまわれるときにも、自分の正しさだけで独り歩きすることがありませんように。あなたの愛と正しさと聖さによって、心と体を保つことができるように、お守りください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/18/2021

この日も主と共に【206】

神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。 ・・・ 平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。
(ローマの信徒への手紙14章17、19節) 

神さま、
あなたは、御子イエスによって、わたしたちを神の国に属するものとしてくださいました。そして、一人一人でよく生きるだけではなく、共によく生きるようにと望まれます。身近な人々との関わりを大切にし、あなたの義と平和と喜びによって、支え合い、高め合うことができるように、聖霊の助けをお与えください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/17/2021

この日も主と共に【205】

わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。
(ローマの信徒への手紙14章8、9節)
 

神さま、
御子イエスがわたしたちのために生き、十字架で死なれ、復活されたことによって、生と死によって隔てられることのない、命の道がわたしたちの前に開かれました。それですから、人生を人と成果を競い合う場にしてしまう誘惑から遠ざけてください。御子によって、自分を大切に生き、また、人と共に生きる喜びを教え、導いてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/16/2021

この日も主と共に【204】

ヨセフの兄弟たちは、・・・ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。 ・・・ ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え・・・」 (創世記 50章15、19、20節)

神さま、
あなたは悪を見過ごしにはなさいませんが、人の成功も過ちもご自身の善き御業のために用いることがおできになります。悪意に巻き込まれるときに、悲しみや怒りに自分を支配させず、あなたの御許に留まり、あなたの善き御心と御業に連なるものとしてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/15/2021

この日も主と共に【203】

主はその偉大な御名のゆえに、御自分の民を決しておろそかにはなさらない。主はあなたたちを御自分の民と決めておられるからである。・・・
主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。
(サムエル記上 12章22、24節) 

神さま、
イスラエルの民はあなたとの約束を守らず、何度も過ちをおかしました。しかし、あなたは彼らを赦し、また、その過ちによって彼らの将来を制限せず、再出発の道を備えられました。わたしたちもまた、つまずくような経験をするときに、あなたのかぎりない愛と赦しにより頼み、なお先を見つめて立ち上がることができるように助け、導いてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ(2月第2週のため)

ペドル大将がインターネット(Facebook)から
発信された聖書メッセージ

要旨を以下にご紹介します

 

前回、わたしたちは《品性》(キャラクター)について考え、《勇気》という性質を取り上げました。 

今回は別の主題について考えます。

それは、《柔和 gentleness》 ということです。 

***** 

いくつか質問をしたいと思います。
とくに学生の方に向いている質問かもしれません。

あなたの好きな先生はだれですか。

その先生のどのような点について、あなたは感謝を覚えていますか。先生が担当している教科について理解が深いということでしょうか。あ るいは、あなたの学びを大きく変えるような《品性》を、その先生が持っていたということでしょうか。 

***** 

イエスはしばしば教師として語られましたが、あるとき、人々に次のように言われました。 

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。(マ タイ11・29) 

イエスはご自分について、「柔和で謙遜な者」と述べられたのです。

柔和と学ぶことが結び合わされているのはなぜでしょうか。 

《品性》を作り上げるために、どのように学ぶことがよいのでしょうか。 

今日の世界において、《柔和》という言葉をどれほど耳にすることができるでしょう か。
〔人を教えたり、指導したりする立場の人物について〕《柔和》という言葉はもはや、ほとんど耳にすることがなくなったのではないでしょうか。 

公共の指導者たちについて、彼らが《柔和》であると表現することがどれほどあるでしょうか。
むしろ、指導者については「意志が強い人」、「横柄な人」、「弱いものをいじめる人」といった表現がよく使われるのではないでしょうか。
そして、個人だけでなく、組織や集団にも、さらには民族についてもあてはまる場合があります。ときには、横柄で人を見下したがゆえに、自分 の立場を失う人もいます。 

***** 

イエスは教師として、ご自分を《柔和》であると述べられました。

〔そのような姿をよく表す出来事として、次のようなことがありました。〕
ある日、弟子たちの間で『誰が偉いか』という議論が起きました。そのとき、イエスは幼子を呼び寄せ、ご自身のそばに立たせて次のように言われました。 

自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のために このような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。 (マタイ18・4、5) 

イエスは柔和なお方ですが、人の言いなりになりやすいお方であるという意味ではありません。

聖書を研究している人々の指摘では、《柔和》と訳されているギリシャ語は、野生の馬が飼いならされたさまを表しているということです。言いかえれば、《柔和》とは鍛錬された強さでもあるのです。

この指摘に非常に心を惹かれます。 

***** 

ジョン・ゴワンズ大将が作った賛美には、イエスの《柔和》についてうたった、次のような歌があります(英語救世軍歌集34番)。

わたしが信じること、
それは、御子である神のうちに、
父なる神を見出すことができるということ。
イエスの柔和のうちに、
全世界に対する〔神の〕愛が 示されているということ。 

救世軍人は、『イエスのもとに行こう、そして彼に学ぼう』と人々に呼びかける者たちです。

友人に対して、近隣の人々に対して、また、民族が異なり、教育の背景が異なる人々に対しても同じように、イエスのもとで学ぶようにと招き、そして、イエスを通して神の愛を学ぶのです。

また、〔神からくるところの〕正義、希望、信仰をイエスのもとで学ぶのです。 

わたしたちが人々をイエスのもとへと招き、共にイエスに学ぶときに、わたしたちは、神が柔和なお方であり、鍛錬された強さを持っておられるお方であると知ることができるでしょう。 

***** 

いつくかの質問をいたします。
どうぞご一緒に考えてください。

これまで、教える者の大切な資質として《柔和》があるということに注目してきました。そのほかにも、あなたの学びを助ける教師には、どのような資質を見出すことができるでしょうか。 

これまで、イエスの教えには彼の柔和が深く関わってい ることに注目してきました。そのほかにも、イエスの働きのなかで彼の柔和を知ることができるのは、どのような場面においてでしょうか。 

今回も、どうぞ意見、応答、質問をお寄せください。
そして、《柔和》という品性について考えを深めたいと思います。 

***** 

これから始まる一週間、キリストがみなさんと共にいてくださり、この世界において《柔和》を追い求めることができますように。 

 (訳 立石真崇)

 ※本紙は、小隊における祈りの資料として、個人で 訳出したものです。 日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。

2/14/2021

この日も主と共に【202】

ペトロが・・・言った。
「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
イエスは言われた。
「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。・・・」
(マタイによる福音書18章21、22節) 

神さま、
あなたは生きておられ、わたしたちに関わってくださいます。あなたご自身が愛し、赦すお方であるので、わたしたちにも愛すること、赦すことを望まれます。しかし実際には、愛することも赦すことも難しい出来事がやってきます。どうか御子イエスの姿に、かぎりない愛と赦しを見出させてください。御子によって、新しく生きる出発点に立たせてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/13/2021

この日も主と共に【201】

あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。・・・ わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのですから。
(コリントの信徒への手紙一 10章31、33節)

 神さま、
あなたは、わたしたちの心も体も作られ、自分自身の喜びのためだけではなく、人々の祝福のため、また、あなたの栄光のために、活かして用いることができるようにしてくださいました。あなたの恵みの贈り物として心と体を受け取り、生活を築かせてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/12/2021

この日も主と共に【200】

〔伝道者パウロの言葉〕
わたしは、だれに対しても自由な者ですが・・・
すべての人に対してすべてのものになりました。
何とかして何人かでも救うためです。
福音のためなら、わたしはどんなことでもします。
それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。
(コリントの信徒への手紙一 9章19、22、23節) 

神さま、
パウロは、イエス・キリストを一人でも多くの人に宣べ伝えようとしましたが、相手を説き伏せるのではなく、相手の身になって考え、語り、行動しました。わたしたちも思いやりと知恵と柔軟さをもって人に向かえるように、思いと言葉と行いを導いてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/11/2021

この日も主と共に【199】

わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。・・・それは、ゆだねられている務めなのです。
(コリントの信徒への手紙一 9章16、17節)

神さま、
パウロは、イエス・キリストの福音を伝えることそのものを誇りとし、利益を得ようとは考えませんでした。信仰を、自分に好ましいものを手に入れるための手段にしてしまうことがありませんように。御子イエスを知ることそのものが人生の宝となり、喜びと力をいただいて歩むことができるように教え、導いてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/10/2021

この日も主と共に【198】

 〔パウロがコリントの教会に宛てた言葉〕わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。・・・あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか。・・・しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした。かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます。
(コリントの信徒への手紙一9章1、12節)

神さま、
パウロは福音を宣べ伝えましたが、権威を振りかざして、先輩風を吹かせることはありませんでした。イエス・キリストの福音のために、また、人の救いのために、不自由を引き受けるほどの柔軟な自由を生きられるように、聖霊の力と導きを行き巡らせてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/09/2021

この日も主と共に【197】

兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。
(ガラテヤの信徒への手紙5章13節) 

神さま、
御子イエス・キリストが、十字架の死と復活によって、わたしたちを罪と死の支配から救い出してくださったことを感謝します。罪は自由であるかのように装い、わたしたちをあなたの愛から引き離し、人のつながりを傷つけようと、心に働きかけてきます。見せかけの自由を見分けるものとしてください。あなたの愛が生きる力となる道を教え、導いてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

この日も主と共に【196】

おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。・・・割礼を受けている者が召されたのなら、割礼の跡を無くそうとしてはいけません。割礼を受けていない者が召されたのなら、割礼を受けようとしてはいけません。
(コリントの信徒への手紙一 7章17、18節)

神さま、
あなたは御子イエスによって、新しい命、新しい人生を与えてくださいました。それは、過去の自分から離れることや、理想的な自分に変身することよりも、豊かな贈り物であることを教えてください。あなたの赦しによって自分を受け入れ、また、あなたの愛によってこれからも成長し、実を結ぶものとしてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/08/2021

この日も主と共に【195】

〔イエスの言葉〕
はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
(ヨハネによる福音書12章24、25節) 

神さま、
御子イエスが「一粒の麦」となって命を捧げてくださり、わたしたちに永遠の命という実を与えてくださったことを感謝します。御子イエスを通して、あなたの愛を教えてください。自分がよく生きたいがために愛するのではなく、相手がよく生きるために愛する道を小さな歩みでも進めるように助けてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ(2月第1週のため)

ペドル大将がインターネット(Facebook)から
発信された聖書メッセージ

要旨を以下にご紹介します

 

二月を迎えました。この祈りに、みなさんを歓迎します。 

毎週、祈りに加わってくださるみなさんに、感謝を送ります。みなさんからコメントや励ましを送っていただき、とてもうれしく思っています。今月もどうぞコメントを送ってください。 〔この祈りの場において取り上げる〕主題に関する意見や応答、また質問でも結構です、それぞれの仕方で、祈りに参加してください。 

***** 

今年、わたしたちは《品性》 (キャラクター)の大切さを あらためて意識するようになりました。 

連日、〔実際に、あるいは報道で〕医療に従事する人々を見ますが、その姿に《品性》が表れています。 

また、交通渋滞のなかを運転し、荷物を運んでいる人々の姿にも《品性》が表れています。 

最近起きた、ワシントンの国会議事堂の襲撃事件にも、個人や集団の《品性》が表れていました。 

イエスはかつて、『人が結ぶ実によって、その人がどのような者であるかを知ることができる』と語られたことがあります(マタイ7・16)。 

この祈りのとき、わたしたちは《品性》の大切さについて 焦点を合わせたいと思います。 

《品性》にはいくつかの局面があります。

今回はまず、《勇気》という性質を取り上げます。 

そうしたときに、すぐに思い出される言葉があります。

『ヨシュア記』の言葉です。 

「強く、雄々しくあれ。」 〔ヨシュア1・6〕 

***** 

今、みなさんが具体的にどのようなことを恐れているのかを尋ねるつもりはありません。 

もしかすると、初めて自転車に乗る練習をした時のことを 思い出す人がいるかもしれません。 

あるいは、恐怖で心がいっぱいになる、極限の状態を思い出す人もいるかもしれません。 

〔今、〕わたしたちの多くは、『この世界がもう二度と正しい状態になることはないのではないか』と恐れを覚えています。

わたしたちの世界のほとんどを彩っているのは《恐れ》です。

わたしたちは、自分とは異なる存在に恐れを覚えます。

また、変化が起きるときにも恐れを感じます。

このような恐れがあると、わたしたちは身動きが取れなくなってしまっています。 

***** 

聖書には、勇気をもって行動した人々の物語が数多く収められています。

ダニエルやエステルなどがそうです。 そして、イエスもまた勇気をもって行動したお方であると言うことができます。 

ルカによる福音書の第7章を 読むと、イエスはファリサイ派であったシモンという人の家に招かれました。

一行が食事の席に着くと、ある女性がやって来て、イエスに感謝を表しました。〔ところが、その女性に対して〕シモンは敵意を抱き、そのことをイエスは感じ取られました。そして、事態に介入されました。すなわち、女性を守られたのです。

イエスは、シモンに向かって、ある譬(たと)えを語られました。そして、シモンのもてなしの心と、女性のもてなしの心とを対比して示されたのでした。 

イエスは〔人が敵意をあらわにするような〕事態に介入し、教えられました。それは、彼が勇気をもって、危険も引き受けたことを意味しています。

イエスの生涯、その死と復活を通して、わたしたちは神が勇気の あるお方であることを知ることができます。 

この点について、イギリスの小説家、G・K・チェスタートンは次のように述べています。 

『あらゆる宗教のなかで、 キリスト教は唯一、創造主の 徳目に勇気を加えた宗教である。』 

ハリー・エマーソン・フォスディックという人が作った賛美がありますが、その賛美には次のような祈りの言葉が含まれています。 

『この時に向かい合うために、わたしたちに知恵をお与えください。勇気をお与えください。』
〔訳注・英語救世軍歌集814番1節、未訳〕 

今、わたしたちの置かれている状況は恐れや脅威に彩られていますが、それに応じるために、わたしたちは勇気を祈り求めましょう。救世軍人一人一人に 勇気が与えられるように、そして、救世軍全体に勇気が与えられるように祈りましょう。 

***** 

いくつか質問をしたいと思います。 

あなたが勇気をもって行動したのは、どのような時でしたか。 

自分についてふり返り、また、救世軍についてふり返るとき、救世軍人が勇気をもって行動しているのは、どのような領域においてでしょうか。 

あるいはまた、わたしたちがいっそう勇気を出すべき領域はどこでしょうか。 

***** 

わたしたちの神、勇ましい お方の力によって作りかえられ、わたしたちがこれからも勇気 ある民となっていくことができますように。 

わたしたちが何ものかということ〔、すなわち、わたしたちが神によって勇気ある民とされていること〕が、わたしたちの結ぶ実によって、この世界に対して明らかになりますように。 

***** 

どうぞ、みなさんの考えを 分かち合ってください。

そして、これからも祈りに加わってください。

次回は、《品性》のもう一つの面として、《柔和 gentleness》を取り上げたいと思います。 

神様の祝福がありますように。 

(翻訳 立石真崇)

 ※本紙は、小隊における祈りの資料として、個人で訳出したものです。 日本語の読みや すさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。

2/06/2021

この日も主と共に【194】

モーセは神に言った。
「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
神は言われた。
「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。・・・」
(出エジプト記3章11、12節) 

神さま、
あなたは、この世界にご自分の愛と正しさを顕すために、あなたを信じる者たちに使命を託し、お用いになります。漠然とした人々の価値観によらず、あなたの御心に寄り添い、ものごとを見つめることができますように。あなたの愛と正しさに連なり、力を尽くすことができるように、わたしと共にいてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ(1月31日のため)

ペドル大将がインターネット(Facebook)から
発信された聖書メッセージ

要旨を以下にご紹介します

 

 一月を無事に乗り切ることができました。

わたしたちと共に歩んでくださる真実な神によって、これからも励ましを得ていきたいと願います。

 *****

興味深いことに、昨年から、「チェス」というゲームが注目されるようになりました。

その理由のひとつに、『クイーンズ・ギャンビット』というテレビ・ドラマがあげられます。幼い頃に孤児となった少女の物語を 描いた、ユニークなドラマです。

エリザベス・ハーモン〔という少女〕が孤児院の暮らしの中、チェスを習いました。彼女の 〔チェスの〕先生は、孤児院の用務員でした。孤児院から与えられる薬によって依存症になりながらも、彼女は世界レベルのチェスの選手にまで成長しました。彼女はゲームの戦略を学び、世界最高の相手と対戦するようになりました。

この物語がきっかけとなり、自分もチェスをやってみようという人が多く現れました。

 ***** 

わたしが思うのは、政治の 指導者が、新型ウイルスを相手にチェスをしているように感じているのではないかということです。

〔新型ウイルスに対して〕次にどのような手を打つべきか分かったと思うと、ウイルスが別の一手、たとえば《ウイルスの変異》というような手をくり出してきます。そうすると、 指導者たちは戦略を練り直さなくてはなりません。 

これは政治の指導者にかぎったことではありません。

 商店は品物の販売方法を変えるようになりました。 

学校も〔状況の変化に〕対応し、さまざまな教え方を作り 出しています。 

音楽家〔の活動〕はライブ 演奏から、〔インターネット配信など〕デジタルの演奏活動へと適応してきました。 

救世軍人も、オンライン形式の礼拝を作ることができるようになりました。 

若者たちは、公共の行事では〔集まって〕お祝いをすることができなくなりましたが、別のお祝いの方法を見つけています。 

これまでの一年を通して、 わたしたちは、《どのように 〔状況の変化に〕適応するか》を学んでいます。

 ***** 

みなさんは、《救世軍の母》と呼ばれるカサリン・ブースが、かつて力強く訴えたことを思い出すことができると思います。

彼女は、自分たちの核となっている固有性(アイデンティティー)は手放すことなく、手段については〔折々の事情に〕適応させていくようにと説きました。

そのような彼女の主張の源は、使徒パウロが著した『コリント人への第一の手紙』の言葉にありました。 

ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。 ユダヤ人を得るためです。・・・ 弱い人に対しては、弱い人のようになりました。 弱い人を得るためです。 すべての人に対してすべてのものになりました。 何とかして 何人かでも救うためです。
(コリントの信徒への手紙一 9・19~23より) 

わたしたちの将来にとって、《救世軍の遺伝子・DNA》を変えることなく〔状況に〕適応していくことが非常に重要です。

 ***** 

将来を予想するとき、パンデミック〔新型ウイルスの世界的流行〕から生まれてくる世界は、〔これまでの世界とは〕かなり異なることは明らかです。

わたしたちは、昔のふだんの暮らしに戻ることは考えられませんし、実際にも、戻ろうとするべきではありません。このような状況は、わたしたちにとって、また、わたしたち〔救世軍〕の使命にとって、重要な意味を持っています。 

世界のなかで見捨てられている人々を迎える場所を作るために、わたしたちはどのように 適応する必要があるでしょうか。 

どの性的同一性(アイデンティティー)を持つ人々であっても、自分が心から受け入れられていると思えるような場所を 救世軍の中に見つけることができるように、わたしたちはどのように適応することができるでしょうか。 

この地球を大切にしていくことをますます明らかにするために、わたしたちは、どのような変化を起こす必要があるでしょうか。 

いわゆる《Z世代》と呼ばれる世代の若者たちが『自分も 救世軍に来てよいのだ』と感じられるように、わたしたちはどのように適応することができるでしょうか。 

わたしたちは、救世軍の言葉遣いやシンボルがこれまでと 同じような意味をずっと持っていられると思うことはできません。わたしたちはむしろ、これまでの一年から《適応の精神》を自分たちのものとし、これから数年をかけて、自分たち作り上げていきたいと思います。

 ***** 

どうか、わたしたちが適応していくために、聖霊が一歩ずつ導いてくださると信頼することができますように。

そしてまた、神が犠牲を払ってわたしたちを愛してくださったことに対して、わたしたちも誠実でいること〔、そして、神の愛に応答すること〕ができますように。

神がわたしたちに心を開いてくださっているように、わたしたちが、また、救世軍全体が人々に対して、 心を開き続けていくことができますように。

 《適応》はたいてい《変化》を必要とします。

それは、わたしたちにとって、お互いがよりいっそう《イエスのようになる》ことを願うということでもあります。

 お一人一人に、神の祝福がありますように。アーメン 

(訳 立石真崇) 

※本紙は、小隊における祈りの資料として、個人で訳出したものです。 日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。

2/05/2021

この日も主と共に【193】

知れ、主こそ神であると。
主はわたしたちを造られた。
わたしたちは主のもの、その民 
主に養われる羊の群れ。
・・・主は恵み深く、慈しみはとこしえに
主の真実は代々に及ぶ。
(詩編 100編3、5節) 

神さま、
あなたは、わたしたちを造り、養い、導き、さらに、わたしたちの家族や子孫に対しても真実に関わってくださることを感謝します。四方がふさがれるように思うときにも、あなたの大きな恵みは変わらないことを覚え、あなたに目を向けて歩むものとしてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/04/2021

この日も主と共に【192】

主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて 神の経綸を暗くするとは。
・・・わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。わたしが大地を据えたとき お前はどこにいたのか。
(ヨブ記38章1~4節) 

神さま、
わたしたちの苦しみや悩みを軽んじられません。正解を握りしめ、遠くから見下ろされるのではなく、わたしたちに真実に向かい合い、問いかけ、わたしたちが大切なものを見出すようにと共にいてくださいます。困難に遭うときに、そこでさえもあなたが共におられることを思い起こし、歩むものとならせてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/03/2021

この日も主と共に【191】

わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。
心を騒がせるな。
おびえるな。
(ヨハネによる福音書14章26、27節) 

神さま、
人はときに、力で押さえつけることさえ平和だということがあります。その中で、御子イエスがまったく新しい平和を与えてくださり、わたしたちを内側から揺るがないように作り変えてくださることを感謝します。弁護者である聖霊に助けられ、主の真実な御言葉を学び、平安と力を得るものとしてください。
主イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン