6/28/2023

この日も主と共に【935】

あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。(ペトロの手紙一1章5節)

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イエス・キリストを信じる人は、滅びに向かって生きることが終わり、神様の救いが完成する時に向かって新しく生きるようになりました。そして、今も《神の力により、信仰によって守られています》。心に留めたいのは、わたしたちを守るのは《神の力》であるということです。自分の意志の強さや信心深さもそれぞれ意味がありますが、救いを保証するものではありません。そして、《神の力》を受け入れるために必要なものが、わたしたちの《信仰》です。《信仰》は神様を信頼し、自分の心や生き方を神様に向けて開け放ち、《神の力》を受け入れることです。ちょうど豊かな水源につながる水路によって水が流れ込み、地を潤すように、わたしたちは自分の努力ではなく、《信仰》によって《神の力》を受け入れることができます。そのようなわたしたちの《信仰》を復活されたイエス様が支えてくださいます。

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天の父なる神様、あなたは、御子イエスを死から復活させられた大きな力をもって、今もわたしたちを守ってくださいます。あなたを信頼し、あなたに守られて歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/23/2023

この日も主と共に【934】

神は豊かな憐れみにより・・・死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。(ペトロの手紙一1章3、4節)

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神様が《豊かな憐れみ》によって、わたしたちに《生き生きとした希望》を与えてくださいました。それは、《天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産》を約束されているということです。イエス様を信じる人は、この地上の歩みを終える時にすべてが終わってしまうのではありません。神様はご自分のもとにわたしたちが新しく生きるための場所を備えてくださっています。これらのわたしたちのための《希望》を支えているのは、《死者の中からのイエス・キリストの復活》です。イエス様の復活は、神様がわたしたちを愛してくださり、わたしたちが滅びることがないようにと死に立ち向かい、勝利してくださった出来事です。それですから、イエス・キリストはわたしたちの希望です。

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天の父なる神様、いろいろな希望が語られる中で、わたしたちのために死なれ、復活されたイエス・キリストに望みを見いだし、心を確かにするものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/22/2023

この日も主と共に【933】

わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ・・・てくださいました。(ペトロの手紙一1章3節)

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ペトロは、教会の仲間に宛てて手紙を送りました。あいさつと祈りによって手紙を始め(1章1、2節)、続いて神様への感謝を表します(1章3~12節)。生活の場や経験していることが違うとしても、《わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように》と歌う生き方においてわたしたちは同じところに立てる、とペトロは言います。そう言えるのは、神様が《豊かな憐れみ》をもってわたしたちを愛し続けてくださるからです。その《豊かな憐れみ》によって、《わたしたちを新たに生まれさせ》てくださいました。環境、健康、経歴、能力、知識、財産など、わたしたちの人生に大きな影響を及ぼすものは多くあります。しかし、イエス・キリストを信じる人は影響されても、支配はされません。神様がわたしたちの《父》となってくださっているからです。

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天の父なる神様、あなたの豊かな憐れみを知り、あなたへの賛美に立つものとならせてください。困難や痛みの中にもあなたに向かって歌う歩みをわたしに、小隊・教会にお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/21/2023

この日も主と共に【932】

あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。(ペトロの手紙一1章2節)

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ペトロは、イエス・キリストを信じる人々を神様から《選ばれた》人々と呼びます。神様はわたしたちのために、わたしたちよりも先に行動してくださるお方です。①《父である神があらかじめ立てられた御計画》とは、神様がわたしたちの過去・現在・将来にみな関わってくださるということです。②《霊によって聖なる者とされ》るとは、聖霊がわたしたちの心や生き方に力強く働き、わたしたちを神の子として作ってくださるということです。③イエス・キリストの《血をそそぎかけていただく》とは、イエス・キリストの十字架の死によって神様とわたしたちの関係が回復したということです。このような神様が今もわたしたちと共におられることが、《恵みと平和が・・・ますます豊かに与えられるように》と祈ることができる理由です。

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天の父なる神様、あなたはわたしを知っておられ、共にいてくださいます。あなたの恵みと平和をわたしの心と生活に、また、家族や関わる人々、小隊・教会に豊かにお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/20/2023

この日も主と共に【931】

・・・各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ・・・恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。(ペトロの手紙一1章1、2節)

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ペトロは、イエス・キリストを共に信じる教会の仲間を、①《離散》している人たち、②《仮住まい》をしている人たち、③《選ばれた》人たちと呼びます。《離散》という表現は、戦禍によって祖国を追われ、各地に散らされたイスラエル民族の歴史に由来しています。これらの呼びかけをもってペトロが伝えたいことは、さまざまな地域における教会が別々の集まりではなく、神様の目には一つであるということです。そして、地上においてさまざまな状況を通るとしても、《天》、すなわち神の国に向かって共に歩んでいるということです(参照フィリピ3章20節)。《仮住まい》といっても、地上で生きることに意味がないということではありません。地上においても神様の《恵みと平和》を受け取り、神様に希望があることを自分たちも見出しつつこの世に明らかにしていく歩みを、教会・小隊、また、わたしたちは託されています。

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天の父なる神様、あなたが御子イエスによって招いておられる神の国を目指しながら地上の歩みを続けることができますように、あなたの恵みと平和によって支えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/19/2023

この日も主と共に【930】

イエス・キリストの使徒ペトロから・・・各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。(ペトロの手紙一1章1節)

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『ペトロの手紙』は、イエス様の弟子であったペトロが年齢を重ねてから、教会の仲間を励ますために書いた手紙であると言われています(紀元62、3年頃)。ペトロは《イエス・キリストの使徒》と自分を言い表します。「救い主であるイエス様から遣わされた者」という意味です。自分をえらく見せているのではありません。彼はイエス様に近くいながらしばしば失敗をしました。しかしイエス様に赦され、立ち上がらせていただきました。イエス様はペトロに語られました。《あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい》(ルカ22章32節)。このイエス様の言葉に支えられてペトロは語り出します。今、教会・小隊、わたしたち一人一人も、ペトロのように、イエス様の励ましを取り次ぐものとされています。

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天の父なる神様、あなたは御子イエスによってわたしたちを救い、神の子という新しい生き方に入れてくださいました。イエス・キリストと共に生きる自分であることをありのままの姿において表し、恵みと力を取り次ぐものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/17/2023

この日も主と共に【929】

あなたがたは世の光である。・・・あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。(マタイによる福音書5章14、16節)

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イエス様は弟子たちを《世の光である》と言われました。「世の光になりなさい」ではありませんでした。「これから世の光になれるだろう」でもありませんでした。イエス様がすでに彼らを照らし出してくださったからです。そして、《あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい》と言われました。このイエス様の言葉によって弟子たち、またその後に続く教会・小隊、さらにイエス様を信じるわたしたち一人一人にも、存在する意味、行動する意味が与えられています。

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天の父なる神様、御子イエスによって《世の光》とされていることを覚えて歩むものとならせてください。高ぶらず、卑下せず、今の自分を喜びつつ、あなたをあがめるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

6/16/2023

この日も主と共に 【928】使命を受けて生きる(7)

わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。(コリントの信徒への手紙一15章58節)

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イエス・キリストは復活され、イエス・キリストを信じる人にも復活の希望を与えてくださいました。《死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。》(52節)イエス・キリストは今も生きておられ、ご自分に結ばれている一人一人を覚え、めいめいの働きをご自分の業としてくださり、無駄にはなさいません。このお方がわたしたちを支えていてくださいます。

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天の父なる神さま、御子イエスが復活された主であり、また、あなたが《わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神》であることを覚えて、小隊・教会に集まる兄弟姉妹と共に《主の業》に励む歩みを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(57節)


6/15/2023

この日も主と共に 【927】使命を受けて生きる(6)

真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。(ヨハネによる福音書17章17、18節)

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イエスさまは十字架にかかられる直前、弟子たちのために祈られました。その祈りにおいて明らかになったのは、弟子たちはこの世に取り残されるのではなく、むしろ世に遣わされるということでした。イエスさまご自身も神さまから遣わされたお方です。それはこの世を愛し、救うためでした(参照3章17節)。弟子たち、また彼らに続く教会・小隊、わたしたちも、この世を愛し、救おうと望まれる神の御心によって、それぞれの生活の場へと遣わされています。

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天の父なる神さま、わたしが今置かれている場所や状況の背後にあなたの大きな御心があることに心を留め、御子イエスに遣わされた者として歩むことができますように、御言葉によって導いください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/14/2023

この日も主と共に 【926】使命を受けて生きる(5)

ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです。(使徒言行録16章36、37節)

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ダビデは旧約聖書に登場するイスラエルの偉大な王です。彼は信仰をもって歩み、多くの功績を残しましたが、地上の生涯については他の人々同じように終わりを迎えました。ただし、ダビデは《彼の時代に神の計画に仕え》ました。そして、神さまは《このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです》(23節)。神さまのために生きたことの実りのすべてを自分の目で見届けられるというわけではないかもしれません。しかし、神さまはご自分の永遠のみわざにわたしたちを参加させてくださっています。

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天の父なる神さま、すぐに成果が見られない時にも、あなたの愛とみわざの広さ、大きさをを思い、あなたに信頼して歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/13/2023

この日も主と共に 【925】使命を受けて生きる(4)

キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。(エフェソの信徒への手紙5章2節)

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イエスさまはわたしたちを愛し、わたしたちを愛によって歩むものとしてくださいます。その歩みは、聖書にあるイエスさまの言葉をたどっていくと、①神を愛する歩み、②隣人を愛する歩み、③神の救いの知らせ(福音)を世界に伝える歩み、④神の家族(教会・小隊)に加わることによってイエスさまとつながる歩み、⑤イエスさまに学びながらイエスさまに似たものとして成長することのできる歩みです。《わたしの愛にとどまりなさい》というイエスさまの言葉によって、わたしたちの歩みは支えられています(ヨハネ15章9節)。

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天の父なる神さま、あなたとあなたが遣わされた御声イエスの愛をたしかなより所として歩むことができるように教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/12/2023

この日も主と共に 【924】使命を受けて生きる(3)

神がわたしたちを憐れみ、祝福し
御顔の輝きを 
わたしたちに向けてくださいますように
あなたの道をこの地が知り
御救いをすべての民が知るために。
(詩編67編2、3節)

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聖書は、神さまに《憐れみ》、《祝福》、《御顔の輝き》を求める祈りを教えてくれます。わたしたちは、神さまがわたしたちを愛し、祝福し、喜んでくださることをすなおに願ってよいのです。それはご利益の祈願や自分中心の願いごとと同じではありません。《すべての民》が神さまと共に生きることを知り、神の救いの力がすべての人に及ぶために、神さまはわたしたちの歩みを世界に向けた祝福の知らせとしてくださいます。

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天の父なる神さま、あなたが世界を救い、祝福されるために、わたしたち一人一人をあなたの愛と力の器として整え、お用いください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/10/2023

この日も主と共に 【923】使命を受けて生きる(2)

あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。(ペトロの手紙一3章15、16節)

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神さまは、イエス・キリストを信じる者の言葉や行動、生きる姿を通してこの世界に《希望》を伝えようと望まれます。まことの神さまはどのようなお方なのか。聖書から得られる真理、教訓は何か。イエス・キリストを知って発見したもの、受けとったものは何か。神さまと正しい関係を築いて生きるときにどのような幸いがあるのか。同じ楽譜を演奏するとしても楽器や演奏者によって音楽に彩りが生まれるように、神さまはわたしたち一人一人の生活を用いてくださいます。

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天の父なる神さま、神の御国の幸いを映し出すものとして、わたしの言葉や行い、日ごとのはたらきを清め、御心によってお用いください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/09/2023

この日も主と共に 【922】使命を受けて生きる(1)

あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイによる福音書28章19、20節節)

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マタイによる福音書は、イエスさまが教会全体に与えられた命令を伝えています(大宣教命令)。それは「使命」とも言えます。(使命とは使者として与えられた任務や命令のこと。)
イエスさまは、
①すべての民を救うという目的を持っておられます。
②その目的のために教会に方法を教え、わたしたちの言葉と行動を必要とされます。
③わたしたちがイエスさまの使者として歩めるように、世の終わりまで共におられます。

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天の父なる神さま、自分の目標や人の期待をかなえることで終わらない生き方、あなたの使命を帯びて主と共に進む生き方を教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/08/2023

この日も主と共に 【921】神と人のために生きる(7)

主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。・・・わたしは弱いときにこそ強いからです。(コリントの信徒への手紙二12章9、10節)

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イエスさまを信じることは、自分がなりたいと思う理想的な人や完ぺきな人になることではありません。イエスさまを信じた後にも、わたしたちには限界があり、《弱さ》があります。しかし、神さまは、そのようなわたしたちの内に《キリストの力》を宿らせくださいます。《キリストの力》は、ありのままの自分を認め、神さまに信頼し、いろいろなことが起きても神の愛から離れず、立ち上がれる生き方を可能にします。

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天の父なる神さま、自分の弱さを切り捨てる強さではなく、《キリストの力》によって自分の弱ささえも恵みの器となり得る強さをお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/07/2023

この日も主と共に【920】神と人のために生きる(6)

何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。・・・それはキリスト・イエスにもみられるものです。(フィリピの信徒への手紙2章3~5節)

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《何事も利己心や虚栄心からするのではなく》とは、自分にどのような得があるかを計算したり、自分が相手よりも上に立てるかどうかを気にして態度を決めてはならないということです。それは人を見ているようでいて、結局は自分を見ているのだというのです。聖書があえてこの点を触れるのは、わたしたちに違う世界を見せたいからです。神と親しく向き合い、人にも真実に向かい合う、イエスさまが見ておられた世界です。神の僕(しもべ)が見ることのできる世界です。

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天の父なる神さま、神と人に仕える者となられた御子イエスのもとに心を引き寄せてください。ひと足ずつ主の後に続くものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/06/2023

この日も主と共に【919】神と人のために生きる(5)

あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。(マルコによる福音書10章43、44節)

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イエスさまは、弟子たちが《偉くなりたい》と思うこと自体をお叱りにはなりませんでした。ただし、偉くなるため本当に必要なのは、支配や権力ではなく、《皆に仕える者》、《すべての人の僕(しもべ)》になることだと言われました。それはただ言いなりになる人ではなく、相手がどのような状態にいて、何を必要としているのかをよく考え、そのために自分を惜しまずに使うことができる人です。そのように生きるためには、支配や権力とは性質の違う力が必要です。イエスさまはその力を持っておられました。そしてわたしたちの救いのために十字架にかかり、ご自身を捧げてくださいました。

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天の父なる神さま、御子イエスが教えてくださった《仕える者》の歩みに加わらせてください。御子イエスの愛と力を心に注いでください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/05/2023

この日も主と共に【918】神と人のために生きる(4)

わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。(ローマの信徒への手紙12章4、5節)

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イエス・キリストを信じることは、自分の個性を無視して、何か理想的な人になることではありません。神さまを信じても、関心や得手不得手は人によって違います。神さまは、わたしたちの個性や違いを取り扱ってくださり、イエス・キリストに結ばれる《一つの体》として作り上げてくださいます。教会・小隊は、実際にはいろいろな試行錯誤や課題にぶつかることもありますが、神さまがご覧になっておられる世界の中で自分の受け持つ分を見出し、協力する集まりです。

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天の父なる神さま、御子イエスの体の一部として、あなたの愛と力を伝えあい、分かちあうものとしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/03/2023

この日も主と共に【917】神と人のために生きる(3)

神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。(コリントの信徒への手紙二1章4節)

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神さまは、イエス・キリストを信じる一人一人に神の善い業に役立つ力を贈り物として与えてくださいます(賜物)。また、神さまはわたしたちを作られたお方ですので、一人一人の個性や経験も神の贈り物の一部であるということができます。ときには受けとめ難く思われる自分の状況や経験がありますが、神さまは痛みや悲しみも含めてわたしたちを受け入れてくださり、神の慰めの業のために用いてくださいます。

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《わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる》神さま(3節)、あなたの作品として自分の姿や経験の一つ一つに意味、目的、役割があることを心に留めて歩むことができるように支え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/02/2023

この日も主と共に【916】神と人のために生きる(2)

賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。(コリントの信徒への手紙一12章4~6節)

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イエスさまを信じる人には、神の善い業に役立つ力が与えられます。それは人間の才能や特技のことではなく、聖霊によって与えられる贈り物、《賜物》です。また、神さまと人に対する《務め》、すなわち奉仕の機会や場が与えられます。教会・小隊は、自分に何ができるかを競う場所ではなく、神さまの大きな目的を知り、神さまの《働き》に参加する場所です。

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天の父なる神さま、あなたはわたしたち一人一人を違うものとして創造し、それぞれに役割を与えてくださいます。お互いが違うという喜び、また、違う者同士であっても思いと力を合わせることのできる喜びを、御子イエスによって経験させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


6/01/2023

この日も主と共に【915】神と人のために生きる(1)

わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。(エフェソの信徒への手紙2章10節)

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イエス・キリストを信じる人は一部が改善されるのではなく、すべてが新しく創造されます。そして、神さまに喜ばれる作品となります。ただの置き物、飾り物ではなく、神さまの《善い業》のために用いられる作品です。今、この世界は多くの苦しみ、悲しみ、憎しみ、迷いを抱えていますが、元々は神さまの《善い業》によって創造されました。それですから神の愛、真理、清さ、力を自らも受け入れ、この世界に携えていく神の作品が大切であり、必要とされています。

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天の父なる神さま、あなたはわたしたちに神の作品という意味と目的を与えてくださいました。あなたの愛を受け入れ、映し出すものとしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン