7/29/2023

この日も主と共に【952】

善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。(ペトロの手紙一2章20、21節)

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ペトロの時代、ギリシア・ローマ文化の世界では自由な市民と奴隷という身分の区別がありました。その奴隷の立場で家の管理を任された人が《召使い》です。教会の仲間には、日常は《召使い》として働く人たちがいたようです。彼らは《無慈悲な主人》によって《不当な苦しみ》を受けることがありました(18、19節)。ペトロは、人の僕である以前に《神の僕》であることを土台として(16節)、仕事に取り組むようにと勧めます。そして、《善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶ》ことがあるなら、その苦しみさえも《神の御心に適うこと》、すなわち神の救いの恵みにつながっていると説きます。イエス様を信じる人が苦しみの中を通る時、一人ではなく、そこでもイエス様と共に救いの道を歩んでいると聖書は励ましています。

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天の父なる神様、苦しみを受ける時、そこにも御子イエスがおられ、わたしたちの歩みの先に立っていてくださることに目を開かせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/28/2023

この日も主と共に【951】ペトロの手紙より(21)

自由な人として生活しなさい。・・・神の僕として行動しなさい。すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。(ペトロの手紙一2章16節)

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ペトロは、当時の教会の仲間たちが置かれている状況を思いやり、①国の制度(12~17節)、②社会(18~25節)、③家庭(3章1~6節)といった点を取り上げて、どのようにしてこの地上の世界を信仰に基づいて生きるかについて語ります。そして、国の制度については、それを運用する人々が《異教徒》であっても《制度に従いなさい》と勧めます。それは人間の権力を恐れるからではなく、めいめいが置かれている場所において《主のため》に善を行うことが神様の御心だからです(12、13節)。わたしたちは信仰を理由にしてこの世界を軽んじたり、否定するのではなく、この世界で神様の善い業を種まくようにと望まれています。そのために、《わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです》というイエス様の祈りがあります(ヨハネ17章15節)

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天の父なる神様、聖書を通して、イエス・キリストを知ることによって、《神の僕》として生きる道をも知ることができました。どうか、自分を成り立たせているのは他の何ものでもない、神の善い御心であると表し得る歩みを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/27/2023

この日も主と共に【950】

異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。(ペトロの手紙一2章12節)

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イエス様を信じる人は、地上においては《旅人》であり《仮住まいの身》です(11節)。そしてまた、「主を証(あか)しする人」、すなわちイエス様が神の御子であり、わたしたちの救い主であることを表す人です。そのためにペトロは、生活や行いが《立派》であるようにと勧めます。ここで言う《立派》とは、世間に評価される姿よりもむしろ、神様に愛され、救われたものとして、芯と調和を持つ姿を指しています。それがただちに周囲に理解されるとはかぎりません。ペトロの時代には、イエス様を信じることでかえって《悪人呼ばわり》される人もいたようです。しかし、《訪れの日》、すなわちイエス様がふたたびこの世に来られ、神様の愛と救いがどの人にも明らかになる時が来ると聖書は約束しています。その日まで、神様はご自分の愛と救いを伝えるために、わたしたちの生活をお用いになります。

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天の父なる神様、あなたの愛と救いの現れ出る場として小隊・教会を、また、わたしたちの生活を聖別してください。わたしたちが関わる人、出会う人にあなたの祝福を及ぼしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/26/2023

この日も主と共に【949】

愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。(ペトロの手紙一2章11節)

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イエス様を信じる人は、《天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者》となりました(1章4、5節)。天におられる神様のみもとがわたしたちの本国となりました(参照フィリピ3章20節)。そうすると、地上の生涯にはどのような意味があるでしょうか。また、どのように歩むことが大切でしょうか。ペトロは、《旅人》、《仮住まい身》として歩みなさいと語ります。それは、自分が最終的にたどり着くべき所を見つめ、今はあくまでもその途上にあることを心に留める歩みです。旅行は楽しいものですが、いつまでも暮らすわけにはいきませんし、人生をすべて消費するわけにはいきません。それと同じように、地上の生活も有益なこと、楽しいことは多くありますが、それらが人生のすべてであるかのようにみる価値観は《肉の欲》となって人を支配します。聖書は、神様に心を向けて、軽やかに進むようにとわたしたちを励ましています。

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天の父なる神様、御子イエスと共に《旅人》となることは不安定なのではなく、新しい喜びへの助走であることを教えてください。心を守り、天に向かう道のりを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/25/2023

この日も主と共に【948】

あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。(ペトロの手紙一2章9節)

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ペトロは、各地に散らされている教会の仲間に手紙を送り、場所がそれぞれ異なっていても神様の前には一つとなり、イエス様と共に生きようと呼びかけます。そして、神様によって自分たちが何者になったのか、また、これからどのように歩んでいくのかを聖書の言葉によって確認しています。《選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民》とは、旧約聖書においてイスラエル民族(ユダヤ人)を指す表現でした(イザヤ書43章20、21節、出エジプト19章6節)。しかしペトロは、今やイエス様を信じる人たちこそが、民族や国にかかわらず、新しい神の民なのだと語ります。この新しい神の民の歩みに今の教会・小隊、わたしたちも続いています。

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天の父なる神様、あなたは御子イエスによってわたしたちを救い、《暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れて》くださいました。聖書によって、あなたの《力ある業》によって自分たちが新しく作られていく希望を受け取り、神の民として歩むことができるように教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


この日も主と共に【947】

聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」(ペトロの手紙一2章6節)

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ペトロは、イエス・キリストがわたしたちにとって大切で必要なお方であることを表すために、《尊い、生きた石》であると紹介します(4節)。さらに、聖書の中から《石》という言葉に注目して、《聖書にこう書いている》と、三つの箇所を取り上げます(6~8節、参照イザヤ28章16節、詩編118編23節、イザヤ8章14節)。そして、イエス様がたしかに神様によって約束された救い主であると確認しています。言ってみれば、ペトロは、遠い地に散らされている教会の仲間を思いながら(1章1節)、実際に会うことがかなわいとしても、手紙を通して一緒に聖書を読み、神様の約束を心に留め、神様を見上げて共に歩み続けようとしています。聖書は一人で読んでも大切なことを得られる書物ですが、それだけでなく、イエス様を信じる仲間と共に読み、学び、祈り、励ましを受けることができる《神の変わることのない生きた言葉》です(1章23節)。

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天の父なる神様、あなたの《生きた言葉》によって励ましや希望を得させてください。小隊・教会につながる一人一人を励まし、共に聖書を読む仲間として支え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


この日も主と共に【946】

あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。(ペトロの手紙一2章5節)

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ペトロは、イエス・キリストを信じる人がどのように成長できるかについて三つの点を語ります。
①《生きた石》となる。《神にとっては選ばれた、尊い、生きた石》であるイエス様につながれて(4節)、イエス様に似た者となることができます。
②《霊的な家》に造り上げられる。イエス様を信じる人生は一人きりではありません。イエス様を頭とする教会(小隊)として組み合わされ、役割を与えられます(参照マタイ16章18節、コリント一12章27節)。
③《聖なる祭司》となる。《神に喜ばれる霊的ないけにえ》とは、神様に自分たちを受け入れていただくことを指しています(参照ローマ12章1、2節)。それはただイエス様によって可能になります。《聖なる祭司》とは自分で高尚な生き方をする人ではなく、お互いに祈り、支え合いながら、共にイエス様につながり続け、共に成長していく人です。

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天の父なる神様、《生きた石》、《霊的な家》、《聖なる祭司》となるという祝福と可能性に満ちた成長の道のりを見つめ、歩み続けることができるように導き、助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


この日も主と共に【945】

この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。(ペトロの手紙一2章4節)

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神様は、イエス・キリストを信じる者たちを新たに生まれさせ(1章3~12節)、聖なる者として成長させてくださいます(1章13節~2章3節)。聖なる者としてどのように成長することができるかを、ペトロは続けて語ります(2章4~10節)。その際、ペトロが《主のもとに来なさい》とあらためて呼びかけるのは、イエス様を信じることがその場かぎりの出来事ではなく、その後もイエス様との関係(交わり)を保つことも含まれるからです。ペトロはイエス様を《生きた石》であると紹介します。①イエス様は復活され、今も生きておられるゆえに関係(交わり)を持つことができます。また、②イエス様との関係においてわたしたちは支えられ、成長することができます。

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天の父なる神様、御子イエスが復活された救い主として、わたしたちをしっかりと支え、神の子として成長させてくださることを感謝します。イエス・キリストをたしかなより所として、心と生活を作り上げていくことができるように助け、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/20/2023

この日も主と共に【944】

生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。(ペトロの手紙一2章2節)

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ペトロは教会の仲間に向かって、イエス・キリストを信じるあなたがたは、《神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれ》ているのだと語ります(1章23節)。そしてこれから《混じりけのない霊の乳》のように神様の言葉を受け入れ続け、成長していきなさいと励まします。その成長のために大切なことは、①《悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口》から遠ざかることです(1節)。これらは、神様の言葉よりも人の言葉をわたしたちの心に居座らせるからです。②神様の言葉を受け入れ、《主が恵み深い方だということを味わ》うことです(3節)。この表現は、旧約聖書の『詩編』の言葉です(34編9節)。ペトロはこの手紙のやり取りも神様の言葉を受け入れ、主の恵みを味わい、成長する機会となるようにと願っています。このような成長の道のりが今も小隊・教会を通して、わたしたちの前にも開かれています。

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天の父なる神様、聖書を通し、また、あなたの言葉を共に聴く小隊・教会の交わりを通して、あなたを信頼し、あなたの恵み深さを知る歩みへと進み入らせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/19/2023

この日も主と共に【943】

あなたがたは・・・神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。(ペトロの手紙一1章23節)

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神様は、イエス・キリストを通して、わたしたちに新しい生き方を与えてくださいました。それは、①真理を受け入れ、②魂を清められ、③偽りのない兄弟愛を抱く生き方です(22節)。
ただし、これは人の意志や努力だけでは実現できません。人の意志や努力は大切ですが、良かれと思ってすることでも傷つけ合うことが起こります。
そのようなわたしたちの生き方をほんとうに新しくすることができるのは、《神の変わることのない生きた言葉》だとペトロは語ります。それは、聖書の言葉であり(24、25節はイザヤ書40章6~8節の引用)、また、神の御子イエス・キリストが告げてくださった《福音》の言葉です(25節、参照マタイ24章35節、マルコ13章31節、ルカ21章33節)。
《福音として告げ知らされた言葉》とは、神様の愛、救い、約束、信実はけっして変わらないということです。それですから、わたしたちは今置かれているその時、その所から、くりかえし神様を見上げて立ち上がることができます。

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天の父なる神様、いろいろなことが起きるとしても、わたしたちの命も存在もあなたの変わることのない愛によって根本から支えられていると言いうる生き方を教え、導いてください。

イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/17/2023

この日も主と共に【942】

あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。(ペトロの手紙一1章22節)

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ペトロは、イエス・キリストによって新しく始まる生き方を、《清い心》を持つ生き方であると語ります。ただし人は自分の意志や力で自分の魂を清くすることはかないません。そのように願い、力を尽くすこと自体は大切ですが、わたしたちが清くされるのは、《真理を受け入れ》ることによります。《真理》とは、まことの神様の言葉です(ヨハネ17章7節)。そして、神様の言葉を人々に知らせるために神の御子イエス・キリストがこの世に来られました。それですから、《真理》とはイエス・キリストの言葉でもあります(ヨハネ8章31、32節、15章3節)。さらに、イエス・キリストの言葉は、わたしたちを救うために十字架でご自分の命を捧げられた、深い愛に裏付けられています。神様の《真理》を受け入れて清くされる生き方は、神様の愛を受け入れて、イエス様から《偽りのない兄弟愛》をいただく生き方です。
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天の父なる神様、聖書を通し、御子イエスを通して、あなたの愛をこれからも知り、受け入れるものとならせてください。わたしの歩みにおいてあなたの愛が現れる歩みを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

7/15/2023

この日も主と共に【941】

あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。(ペトロの手紙一1章21節)

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神様は、わたしたちが罪の支配によって滅びることがないように、《きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血》という代償を払い(19節)、わたしたちを助け出してくださいました。イエス・キリストというお方によって示された神様の愛は、①永遠の愛です。キリストが《天地創造の前からあらかじめ知られて》いたとは(20節前半)、神様の変わらない愛の御心があったということです。②死に打ち勝つ力をともなう愛です。キリストが《この終わりの時代に、あなたがたのために現れて》くださったとは(20節後半)、神様がキリストを復活させられ、またわたしたちをも復活させてくださるということです。③神様の信実に基づく愛です。わたしたちの《信仰と希望とは》、自分たちの功績によって手に入れるものではなく、ただわたしたちを愛される《神にかかっている》のです。

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天の父なる神様、御子イエスを通して示されたあなたの大きな愛によって、わたしの心を支えてください。あなたの愛の力強さを、家族や友、接する人々の間で現わしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


夏のバザーのご案内

 


夏のバザーを行います!

7月17日(月・祝日)午後1時半~4時半

会場・神戸小隊(神戸市中央区多聞通4丁目1-9)

どうぞお越しください!


【バザーにご来場に際して】

● 駐車・駐輪のスペースがありませんので、お越しの際には公共の交通機関、まはた、近隣の駐車場・駐輪場をご利用いただきますようお願いいたします。

● 新型コロナ感染予防のため、ご来場の前に体調をご確認いただきますようお願いいたします。また、会場における消毒等の予防策にご協力をお願いいたします。


The Salvation Army Bazaar will be held for a limited time!

Date: Monday 17 July 2023, 13:30-16:30

Venue: Kobe Corps (4-1-9 Tamondori, Chuo-ku, Kobe-shi)


【Guide for Shopping】

● There’s no car/bicycle parking.

● For Covid-19 prevention, please refrain from shopping if you have a fever.

7/13/2023

この日も主と共に【940】

あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。(ペトロの手紙一1章17節)

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聖書は、イエス・キリストを信じる人にとってこの地上は人生のすべてではなく、《仮住まい》であると言います。わたしたちの本国は天にあります。ただし、《仮住まい》だからといって勝手気ままに生きてよいというのではなく、地上の生活も神様を畏れる生活であることが大切です。なぜなら、神様は《人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方》だからです。神様は、《きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血》という犠牲を払って(19節)、わたしたちを罪の支配から解放してくださいました。それは将来の予定ではなく、すでに神様の恵みとして実現しました。神様を畏れる生活とは、神様を怖がり気にすることではなく、神様に誠実に向かい合い応答することです。

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天の父なる神様、《生活のすべての面で聖なる者となりなさい》という聖書の呼びかけ(15節)が、幸福のための義務や条件ではなく、あなたがすでに与えてくださった恵みに対する応答であることを教えてください。そして応答するものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/08/2023

この日も主と共に【939】

召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。(ペトロの手紙一1章15節)

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神様は《豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ》てくださいました(3節)。そして、それは《聖なる者》になる生き方を始めることでもある、とペトロは語ります(13~16節)。人は、家族を始めさまざまな人たちと出会い、感化を受け、成長していきます。《聖なる者》とは、この世の感化で自分が作られるのではなく、イエス・キリストとの出会いを通して、神様の愛と聖さによって作られることを表しています。そのよう生き方のために大切なことは、①《いつでも心を引き締め、身を慎んで》いること、すなわち、神様の御心に対して柔軟に応答できるようになること、②神の恵みを《ひたすらに待ち望み》、《欲望にひきずられ》ないようにすること、すなわち、わたしたちの大きな祝福と喜びはこの先、イエス・キリストとふたたびお会いする時に用意されていることを見つめることです。

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天の父なる神様、あなたはわたしたちに《聖なる者》になるようにと呼びかけられます。その呼びかけの意味と幸いを知り、応答る歩みができるように教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/06/2023

この日も主と共に【938】

預言者たちは、自分たちの内におられるキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光についてあらかじめ証しされた際、それがだれを、あるいは、どの時期を指すのか調べたのです。(ペトロの手紙一1章11節)

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イエス・キリストを信じる人、将来について《生き生きとした希望》を神から与えられ(3節)、また、今も《神の力により、信仰によって守られ》ていると(5節)、ペトロは語ります。これはペトロたちが生み出した思想ではありません。ペトロは、《あなたがたに与えられる恵みのことをあらかじめ語った預言者たち》(10節)、また、《天から遣わされた聖霊に導かれて福音をあなたがたに告げ知らせた人たち》(12節)がいて、教会の仲間のために大切なことを語ってきたと言います。これは聖書の言葉を指しています。聖書は人が著した書物ですが、聖霊(神の霊)に導かれて書かれており、神様のお考えやご計画、そして何よりも救いの良い知らせ、《福音》が告げられています。聖書はわたしたちに希望や励ましを与える神の言葉です。

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天の父なる神様、聖書をあなたの言葉として読み、あなたがわたしに届けようとしておられる救いの言葉、愛の言葉、慰めの言葉、励ましのことば、望みの言葉を大切に受けとるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/04/2023

この日も主と共に【937】

あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。(ペトロの手紙一1章8節)

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ペトロによれば、神様が与えてくださる《生き生きとした希望》(3節)によって実現する生き方は、イエス・キリストを《見たことがないのに愛し、今見なくても信じ・・・喜びに満ちあふれ》る生き方です。ペトロはイエス・キリストに直接弟子として召された一人でした。それに対して、ペトロの手紙を受け取った教会の仲間は若い世代であり、イエス・キリストに直接会った経験はありませんでした。しかし、イエス・キリストは死から復活されましたので、たとえ体の目で見ることはできなくとも、どの人にも生きて関わり、愛し、救うことがおできになります。わたしたちは目に見えないものを無理に信じ込み、喜ばなければならないのではありません。復活されたイエス・キリストが人の感覚や時間や場所の限界を超えて、今もわたしたちを愛し、救い、共に生きてくださいます。このお方がわたしたちの内に愛、信頼、喜びを芽生えさせてくださいます。

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天の父なる神様、復活された御子イエスを受け入れ、目に見えなくともこのお方と共に生きる喜びに深く入らせてください。その喜びを託されている小隊・教会の歩みを励ましください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


7/01/2023

この日も主と共に【936】

今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され・・・イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。(ペトロの手紙一1章6、7節)

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ペトロは、神様が与えてくださる《生き生きとした希望》(3節)がもたらす生き方を語ります。その一つは、苦しみの中でも喜びを知る生き方です(6、7節)。当時、教会の仲間たちは各地で神様を信じ、イエス様が救い主であると証ししました。しかし、当時の社会・文化・宗教の価値観とは異なる面があり、彼らはかならずしも周囲から快く受け入れられませんでした。彼らの苦しみを思いやりながら、ペトロは、①神様を信じて苦しむとき、その苦しみは信仰を無意味にせず、むしろ信仰を鍛えて本物にする《試練》として働くこと、また、②神様が備えておられる神の永遠の国にくらべれば、地上の苦しみは《今しばらくの間》であることを伝えます。神様を信じていても苦しみに遭うことがあります。それでもなお神様の豊かな憐れみがわたしたちを支え、新しい喜びへと向かわせてくれます。

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天の父なる神様、苦しみのなかを通る時にも、あなたの憐れみと希望がなおも変わらずに与えられていることに心を向けて歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン