5/02/2024

この日も主と共に【1008】

あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。(ペトロの手紙一2章25節)

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イエス様はペトロに《わたしの羊の世話をしなさい》と語られ、ご自分の働きを託されました(ヨハネ21章15~17節)。

ペトロはイエス様の言葉に従い、イエス様が天に昇られた後に人々に福音を宣べ伝えるため、またイエス様を信じた人々のために生涯をかけました。ペトロにとってイエス様を愛することと教会を愛することは一つになりました。

ペトロが願ったことは、何が本当に自分を支え、救ってくれるのかを知らずにさまよう私たち人間が、《魂の牧者であり、監督者》であるイエス様のもとに戻ってきて、イエス様と共に生きるようになることでした。

その願いと働きが今日の教会・小隊に続いています。私たちは、イエス様との関係においては自分自身が羊であり、また人々との関係においてはお互いが羊飼いでもあります。

***

天の父なる神様、神であるあなたを愛することと、あなたが作られたこの世界を愛することはつながっていることを、イエス様によって教えてくださいました。イエス様の《足跡》をたどるために(21節)、イエス様に導かれる羊の群れである教会・小隊また私たち一人一人を守り、力づけてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

4/30/2024

この日も主と共に【1007】

イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。(ヨハネによる福音書21章15節)

***

イエス様はご自分が《良い羊飼い》であるだけでなく(10章11節)、弟子たちにも《羊飼い》になるようにと望まれました。《羊》とはイエス様を通して天の父である神様を知った人々を意味しています。

ただしイエス様が望まれる《羊》の世話とは、考えや気持ちの合う人同士で親切にし、安心安全に暮らすという意味ではありません。イエス様はペトロに、望まないところに連れて行かれ、その延長で死を迎えるとも告げられました(18、19節)。

イエス様は、『あなたが私を愛するなら、私が自分の命をかけた人々のためにあなたも命をかけてほしい』と言われます。

たいへん重い言葉です。それは愛の重さです。それほどまで私たちを重く受けとめてくださったイエス様の愛と言葉によって今の教会・小隊は集められ、導かれています。

***

天の父なる神様、イエス様に愛される群れのうちに受け入れられていることを感謝します。互いに愛し合いなさいとのイエス様の招きを大切に受けとり、応答するものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/25/2024

この日も主と共に【1006】

わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。(ヨハネによる福音書10章16節)

***

イエス様は、人々に対してご自分を《良い羊飼い》として示されました(10章11節)。

ここで注目したいことは、歴史上においては、イエス様は紀元一世紀のパレスチナにおいて、ユダヤ人として生きたお方であるということです。それですからイエス様が《羊》としてまず見ておられるのは、紀元一世紀のユダヤの人々です。

しかし、イエス様は当時の同じ民族だけがまとまり、幸せになることだけを考えておられませんでした。すでに《ほかの羊》がいることを見ておられ、導こうとされました。そのようなイエス様に従い、また聖霊の力を受けて、弟子たちは福音を広く宣べ伝え始めました(参照使徒1章8節)。

それですから今、私たちは教会・小隊につながるときに、イエス様のもとに集まっていると言うことができ、またイエス様の御言葉を伝える働きに参加しています。

***

天の父なる神様、イエス様が見ておられ、またそのためにご自身を捧げられた、大きな神の民に私も受け入れられていることを心に留めて、イエス様に従い歩みむものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/24/2024

この日も主と共に【1005】

わたし〔イエス〕は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。(ヨハネによる福音書10章11節)

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《主は羊飼い》と歌われた神様のもとから(詩編23:1)、独り子であるイエス様が私たちの世界に来られました。そして、イエス様ご自身も私たちに《良い羊飼い》として向かい合われます。そして、私たちのために《命を捨てる》と言われます。

良い羊飼いは自分の都合で一方的に羊を操(あやつ)ろうとはせず、羊の状態に注意を払い、むしろ羊が生きる調子に寄り添います。イエス様は私たちを愛されますが、ご自分の愛を押し付けたり、愛を大義名分にして従わせることはなさいません。どこまでも私たちの命に寄り添い、私たちの生きる速さに合わせて歩もうと望まれます。

しかしそれだけではなく、私たちのためにこれからの道のりを見つめてくださり、私たちに先立って道を切り開いてくださいます。死から復活されたお方として、死を越えてもなお新しく生きる道があることを私たちに教え、一緒に進もうと呼んでくださっています。

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天の父なる神様、イエス様が《良い羊飼い》とし今も私たちと共にいてくださることを感謝します。さまざまな出来事の中で、自分が自分自身に寄り添うことが難しい場合もあります。その時にすらイエス様が共におられることを教え、支えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

4/19/2024

この日も主と共に【1004】

見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。・・・わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。(エゼキエル書34章11、15節)

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イスラエルの民が政治、社会、宗教のいずれにおいても混迷を深めた時、神様は嘆きを隠されませんでした。そして預言者エゼキエルを通して、当時の責任ある人々に厳しく語られました。《まことに、わたしの群れは略奪にさらされ、わたしの群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌食になろうとしているのに、わたしの牧者たちは群れを探しもしない。牧者は群れを養わず、自分自身を養っている。》(8節)そしてついに神様は、自らが羊飼いとして立つと宣言されました。《わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。》(16節)このお言葉の成就として、神の御子イエス・キリストがこの世に来られました。そして、旧約聖書のイスラエルの民や新約聖書の信仰者たちだけでもなく、今の私たちをも神様の群れに入れてくださいます。

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天の父なる神様、あなたの養いと憩いをお与えください。神の群れの一つとして小隊につながる一人ひとりをお守りください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/17/2024

この日も主と共に【1003】

主は羊飼い、
わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
(詩編23編1~3節)

***

神様は私たちの《主》であり、《羊飼い》です。どこか遠いところで、私たちとは無関係に存在しておられるのではありません。《羊飼い》が羊に一日中付き添い、養い、守るように、神様は責任をもって私たちに関わり続けてくださり、力と愛を注ぎ、私たちを生きたものとして存在させてくださいます。神様が私たちを《正しい道に導かれる》のは、私たちが神様の要求される要件を満たしているからではなりません。あるいは、これまでの功績を認められたり、将来有望であると期待されたからでもありません。ただ神様が私たちに対して《主》であろうとご自分を定めてくださったがゆえに、私たちを導いてくださいます。愛する独り子を犠牲にしても、私たちを救い、導かれます。

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天の父なる神様、あなたは今日も私の《羊飼い》です。あなたを信頼し、《正しい道》を指し示す導きによって歩むものとならせてください。《わたしは何も欠けることがない》という喜びの歌に加わらせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/16/2024

この日も主と共に【1002】

キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。・・・つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。(コリントの信徒への手紙一15章20、22節)

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イエス・キリストが死から復活されたことが、なぜ私たちにとって大切なのか。伝道者パウロは、イエス様の復活が《初穂》であり、イエス様を信じる者たちも《キリストによってすべての人が生かされる》からだと語ります。イエス様の復活によって、イエス様を信じる者たちもみな死から復活するものとしていただいたのです。その復活の次第はパウロ自身も言葉にし尽くせない《神秘》ですが、たしかなことは《朽ちないもの・・・死なないもの》を着ることであり、《死は勝利に飲み込まれた》と言えることです(51、54節)。復活されたイエス様によって、私たちはまるごと神様の愛に飲み込まれ、生かされています。

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天の父なる神様、復活されたイエス様によって示された、あなたの愛と救いをもって私たちを覆ってください。私のすべてがあなたの愛のうちにあるという平安と力をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/12/2024

この日も主と共に【1001】

イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。・・・」(ルカによる福音書24章38、39節)

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復活されたイエス様が弟子たちに姿を現された時、弟子たちは《亡霊》を見ていると思い、恐れました(37節)。

イエス様は、
①十字架の傷がついた手と足を見せて、十字架で息を引き取る以前のご自分と同じであることを示されました(38~40節)。
それと同時に、②弟子たちの食べ物を食べてみせられ、イエス様が霊のように生き返ったのではなく、新しい体をもって復活されたことも示されました(41~43節)。
また、③弟子たちの《心の目を開いて》聖書を教えられ(45節)、ご自分の復活によって、聖書に約束されていた神様の御心が成就したことを教えられました(44~49節)。

復活されたイエス様のお姿は、まったく神様の御心に調和したお姿であり、神様の御言葉と力を体現されたお姿でした。そのような新しい姿を、イエス様を信じる時に私たちも新しくいただくことができます。

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天の父なる神様、あなたの御言葉と力を受け入れて歩むものとならせてください。復活されたイエス様が説き明かされた神の言葉の恵みを私たちにも新しくお与えください。そのために聖書を共に読む小隊・教会の歩みを励ましてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/10/2024

この日も主と共に【1000】

十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。・・・」(マルコによる福音書16章14、15節)

***

十一人の弟子たちはイエス様から特別に選ばれた人々でしたが、他の弟子たちが復活されたイエス様にお会いしたと伝えても、なかなか信じようとしませんでした(11、13節)。後悔や恐れや不安に身も心も縛り上げられていました。そのような弟子たちの前に復活されたイエス様が現れ、彼らの《不信仰とかたくなな心をおとがめに》なりました。ただし、弟子たちとの関係を終わりにされたのではありませんでした。むしろ、彼らがふたたび信じる者となるように、そして神に対して開かれた心を持つことができるように、復活されたイエス様は戦われました。そして、十一人を《全世界》へと遣わされました。復活されたイエス様は私たちのために戦い、私たちを新しい歩みへと押し出してくださいます。

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復活された主であるイエス様、あなたの力強い愛を受け入れて歩むものとならせてください。あなたと向かい合うことを妨げるものが私たちの心や生活にあるならば、それらを明らかにし、取り除いてください。アーメン

4/09/2024

この日も主と共に【999】

イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。・・・わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28章18~20節)

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復活されたイエス様はガリラヤの山で弟子たちとお会いになり、天へと引き上げられました(16節、参照ルカ24章52節)。弟子たちの中には、その場においてもなお《疑う者》がいました。イエス様の復活が自分とどのような関わりがあるのか、まだよくわからなかったのです。しかし、イエス様は弟子たちに《近寄って来て》、お話になりました(18節)。そして、①ご自分の権能によって彼らを弟子としてふたたびお立てになり、②世界に福音を伝える使命を託し、③世の終わりまで共にいると約束されました。復活されたイエス様は、後悔、恐れ、無力、絶望で閉ざされそうになっていた弟子たちに、新しい力、目的、役割、将来を、与えてくださいました。

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復活された主イエス様、あなたは弟子たちに《世の終わりまで、いつもあなたがた共にいる》と約束されました。その約束の下に今の小隊・教会も、私たち一人一人もあることを感謝します。あなたが私たちを新しい道のりに押し出してくださることを覚え、あなたに信頼して歩むものとならせてください。アーメン

4/08/2024

この日も主と共に【998】

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。(ローマの信徒への手紙6章4節)

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イエス様が私たちのために死なれたことにより、私たちは罪の支配から解放されました。また、イエス様が死から復活されたことにより、私たちは神様と共に生きることができるようになりました。それは、《新しい命》と言えるような神様からのすばらしい贈り物です。私たちの地上の生涯は誰もが死に向かっています。私たちの命はそのままでは死につなげられています。しかし、イエス様は私たちを死ぬための存在ではなく、生きるための存在にしてくださいました。《わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。》(8節)

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天の父なる神様、御子イエスの死と復活に結び合わされ、イエス様が共におられるという平安をいただいて歩むものとならせてください。そして、イエス様を死から復活させられた、あなたの大きな御力をもって私の内も外もお守りください。また、あなたの与えてくださった家族、神の家族である小隊・教会の一人一人を顧みてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

4/06/2024

この日も主と共に【997】

しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。(使徒言行録2章24節)

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イエス様の弟子たちに聖霊が降った時、ペトロは力強く人々に語りました。①イエス様が《神から遣わされた方》であること(20節)。②イエス様の十字架の死は、人の目から見れば死刑であったが、神が《お定めになった計画》によって神の救いの成就となったこと(23節)。③神の救いはイエス様の死だけでなく、死からの復活に現れたこと(24節)。そしてペトロは、《イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかった》と言います(24節)。イエス様が死に支配されることのないお方であるとは驚くことです。しかし、さらに驚くべきことは、復活されたイエス様が、私たちをも死に支配されないようにしてくださるということです。私たちを神の愛によって生きるものへと新しくしてくださるということです。

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天の父なる神様、あなたと共に生きることのできる一瞬一瞬が、すでに復活されたイエス様からの贈り物です。今も生きておられるイエス様によってあなたの愛のうちに立ち、力と支えをいただいて歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

4/05/2024

この日も主と共に【996】

我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ 降り注ぐ雨のように 大地を潤す春雨のように 我々を訪れてくださる。(ホセア書6章3節)

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旧約聖書の預言者ホセアが生きた時代、イスラエルの民の心は神様から遠ざかっていました。社会には不正や不道徳が広がり、周辺国との戦乱に進んでいきました。一部の人々は、《さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし 我々を打たれたが、傷を包んでくださる。二日の後、主は我々を生かし 三日目に、立ち上がらせてくださる》と語り、神様に対する悔い改めと再出発を訴えました(1、2節)。しかしその取り組みは実を結びませんでした。それでもなお神様の愛と信実は変わりませんでした。この後、イエス様が復活されたお方、死から立ち上がられたお方として、私たちを訪ねてくださいました。イエス様が私たちを《主を知る》人生に入れてくださいました。

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天の父なる神様、あなたは御子イエスの死と復活を通して、ご自分のかぎりない愛を示されました。イエス様を通してあなたを知り、あなたの救いの中を歩むものとならせてください。復活されたイエス様が訪ねてくださる所として、小隊・教会とここにつながる一人一人の生活を祝福してください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/04/2024

この日も主と共に【995】

マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走った・・・(ヨハネによる福音書20章1~4節)

***

墓の中にイエス様の体がないことを発見したマグダラのマリアは、《走って行って》弟子たちに告げました。それを聞いた二人の弟子は《一緒に走っ》て墓に向かいました。この時点では、彼らは何が起こったのかまるで分かりませんでした。しかし、何かが変わり始めました。悲しみや恐れで動けない状態から、走り出しました。そして走り出した先に、イエス様の言葉を思い起こし、復活されたイエス様とお会いし、イエス様と共に新しく生きる道が開けていきました。

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天の父なる神様、私たちはすべてのことを見通して歩むことができません。しかし、復活されたイエス様が私たちの光となってくださり、あなたの愛を、救いを、御心を知ることのできる歩みへと呼んでくださいました。復活の証人となった弟子たちのように、私たちにも新しく走り出す力をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


4/03/2024

この日も主と共に【994】

なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。(ルカによる福音書24章5~7節)

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『ルカによる福音書』は、墓の中で、天の使いが《輝く衣を着た二人の人》の姿で婦人たちに現れ、イエス様の復活を告げたと伝えます。墓は死が圧倒的な力をふるい、誰も抵抗できない場所です。しかし、イエス様の復活は墓が示す死の力を無力にしました。墓そのものが壊されたのではなく、イエス様が《お話しになったこと》、すなわち神の御言葉が墓のただ中で語られたことによって、イエス様の復活とその力が明らかになりました。今も私たちは死に捉えられています。信仰があっててもそれは変わりません。しかし、神の御言葉が私たちの心のただ中にある時、私たちの終わりは死ではなく、復活されたイエス様と共にあります。

***

主イエスよ、あなたの御言葉を受け入れ、あなたと共に、またあなたの御力と共にある歩みを導いてください。小隊(教会)につながる一人一人がこれからもあなたの御言葉を共に思い起こし、歩むことたできるように力づけてください。アーメン

4/02/2024

この日も主と共に【993】

婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。(マルコによる福音書16章8節)

***

イエス様の復活を知らされた時、婦人たちはたいへん恐れ、口を開くことができませんでした。それも無理からぬことだったと思います。人は死によって終わるはずの世界がくつがえされたからです。しかし、婦人たちはやがて口を開きました。(それゆえこの聖書の証言が残っています。)イエス様の復活が神様のかぎりない愛、力、救いがあることを知ったからです。

***

天の父なる神様、あなたは愛する独り子イエス様を死に引き渡されたほどに、そして、イエス様を死から復活させられたほどに、私たちを愛し、救うためにはかり知れない力を現わされました。イエス様の復活によって示されたあなたの愛と救いの大きさを心を開いて受け入れるものとならせてください。そして、まことにイースターにふさわしい喜びの声を上げるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

4/01/2024

この日も主と共に【992】

婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。(マタイによる福音書28章8、9節)
***
復活されたイエス様が婦人たちの行く手に立たれ、《おはよう》と語られました。今も、イエス様は復活されたお方として私たちの行く手にも立ってくださいます。私たちのために新しい一日の始まりを告げてくださいます。
***
天の父なる神様、あなたは御子イエス様の復活によって、この世が生み出すことのできない希望と喜びを私たちに与えてくださいました。復活されたイエス様と共に生きる喜びを新しく教え、その道のりを導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

3/30/2024

レントの祈り 2024【40】

その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。
(ヨハネによる福音書19章42節)

***

主イエスよ、私たちの目に見えるものがすべてではないということを教えてください。深い沈黙のなかでも、あなたの大いなる御業(みわざ)がたしかに行われていることを信じるものとならせてください。アーメン

3/29/2024

レントの祈り 2024【39】

神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。(マタイによる福音書27章40節)

***

主イエスよ、あなたは私たちを救うために十字架につけられ、あざけられ、死に至る苦しみをお受けになられました。十字架という惨(むご)たらしい出来事を通して、私たちはかぎりない愛と赦しを見出すことができます。あなたは私たちの救い主です。アーメン

3/28/2024

レントの祈り 2024【38】

イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。(ルカによる福音書22章15節)

***

主イエスよ、あなたは十字架を前にして弟子たちと共に過ごす時間を大切になさいました。そして、今、私たちに対しても同じように過ごすことを望んでおられます。私もあなたが共にいてくださることを、また、あなたと共に生きることを心から願い求めます。アーメン

3/27/2024

レントの祈り 2024【37】

イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
(マルコによる福音書14章3節)

***

主イエスよ、マリアがあなたのために香油の壺を割り、あなたに注ぎかけたように、私の人生もあなたの栄光のために砕かれ、注ぎ出されるものとしてください。アーメン

3/26/2024

レントの祈り 2024 【36】

はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
(ヨハネによる福音書12章24、25節)

***

主なる神様、私に惜しみなく愛を注いでくださいます。それですから、私もあなたの愛を自由に分かち合うものとならせてください。アーメン

3/25/2024

レントの祈り 2024【35】

一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。
(マルコによる福音書11章15節)

***

主イエスよ、あなたは、神殿がまことに神を礼拝するにふさわしい場所であるように、これを汚れのないもの、清いものにしようと決意なさいました。今、私自身もあなたの宮です。あなたを礼拝するうえでふさわしくないものを私から除き、清くしてください。アーメン


3/23/2024

レントの祈り 2024【34】

わたしは迷い出て、
 ついに卑しめられました。
今からは、
 あなたの仰せを守らせてください。
(詩編119編67節)

***

愛する主よ、《卑しめられ》るときにも、あなたはその状況を通して大切なことを、なによりも御前にへりくだることを私に教えくださいます。あなたの《仰せ》(御言葉)を喜び、守るものとならせてください。アーメン

3/22/2024

レントの祈り 2024【33】

激しく攻められて
倒れそうになったわたしを
主は助けてくださった。
(詩編118編13節)

***

主なる神様、さまざまな出来事のために、私の人生に調和を失っている部分があるならば、どうぞ教えてください。そして、あなたによって確かな土台をいただいて歩むことができるように導いてください。アーメン 

3/21/2024

レントの祈り 2024【32】

彼は悪評を立てられても恐れない。
その心は、固く主に信頼している。
(詩編112編7節)

***

主なる神様、あなたは私に問題がまったく無くなるとは約束されませんでした。しかし、問題が起こるなかでも私を導いてくださいます。あなたが信頼できるお方でいてくださることを感謝します。アーメン

3/20/2024

レントの祈り 2024【31】

彼らは呪いますが
あなたは祝福してくださいます。
(詩編109編28節)

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主なる神様、あなたの子供として歩む時に、誤解され、また、拒まれることがあるとしても、あなたの愛がけっして変わることがないこと、また、あなたが愛をもって私を見つめ、ほんとうの私を知っていてくださることを心に留めていることができますように。アーメン


3/19/2024

レントの祈り 2024【30】

主は渇いた魂を飽かせ
飢えた魂を良いもので満たしてくださった。
(詩編107編9節)

***

主なる神様、私に必要なのはあなたです。あなた以外のものでは結局、飢えや渇きが残ります。ただあなただけが私をほんとうに満たしてくださいます。あなたに感謝します。アーメン

3/18/2024

レントの祈り 2024【29】

主はなお、災いにある彼らを顧み
その叫びを聞き
彼らに対する契約を思い起こし・・・
(詩編106編44、45節)

***

神様、あなたは誠実なお方です。ご自分で約束されたことを守られるお方です。あなたの誠実さによって慰めを得させてください。そして、あなたのように誠実に約束を守るものとならせてください。アーメン


3/16/2024

レントの祈り 2024【28】

天が地を超えて高いように
慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。
東が西から遠い程
わたしたちの背きの罪を遠ざけてくださる。
(詩編103節11、12節)

***

父なる神様、あなたの御前では私の罪を隠すことはできません。そして、隠す必要もありません。なぜなら、あなたは私たちを罪から清め、私たちを癒そうと望んでくださるお方だからです。あなたの慈しみに感謝します。アーメン

3/15/2024

レントの祈り 2024【27】

慈しみと裁きをわたしは歌い
主よ、あなたに向かって、ほめ歌います。
完全な道について解き明かします。・・・
わたしは家にあって
無垢な心をもって行き来します。
(詩編101編1、2節)

***

父なる神様、あなたは私たち一人一人に、なすべき働きを与えてくださっています。あなたが託してくださった務めに心を込めてあたることができるように、いつでも、どこでもあなたと共にいるものとならせてください。アーメン

3/14/2024

レントの祈り 2024【26】

わたしの胸が思い煩いに占められたとき 
あなたの慰めが
 わたしの魂の楽しみとなりました。
(詩編94編19節)

***

全能の神様、今日という一日も、世界を贖われたお方によって自分の命が支えられているのだということを心に留めるものとならせてください。そして、その事実によって心に平安をお与えください。アーメン

レントの祈り 2024【25】

いかに幸いなことでしょう
主よ、あなたに諭され
あなたの律法を教えていただく人は。
(詩編94編12節)

***

聖なるお方、父なる神様、あなたの御言葉に自分自身を明け渡す時に、あなたはただちに私の道を正しく、安全なものとしてくださいます。あなたが導かれる道はやさしい道ではないかもしれませんが、最善の道であることを信じます。アーメン

3/12/2024

レントの祈り 2024【24】

主よ、あなたは
御業を喜び祝わせてくださいます。
わたしは御手の業を喜び歌います。
(詩編92編5節)

***

神様、あなたは道を作られるお方です。道のないところにも道を通されるお方です。あなたの道がどのようなものであり、また、そこであなたがどのように御業を行われるのかを私たちはすべて理解することはできませんが、私たちのために備えてくださった道を信じ、歩む者とならせてください。アーメン

3/11/2024

レントの祈り 2024【23】

あなたは主を避けどころとし
いと高き神を宿るところとした。
(詩編91編9節)

***

主なる神様、今日もわたしを御心に留めてください。たとえどのような試練や、どのような悪に直面するとしても、あなたが私に対して抱いておられる目的はいささかも揺るがないことを信じます。アーメン

3/09/2024

レントの祈り 2024【22】

いと高き神のもとに身を寄せて隠れ
全能の神の陰に宿る人よ
主に申し上げよ
「わたしの避けどころ、砦
わたしの神、依り頼む方」と。
(詩編91編1、2節)

***

偉大なる神様、悪しきものとその危険を恐れるよりも、あなたの守りを信頼し、あなたによりいっそう望みを置くものとなることができるように助けてください。アーメン

3/08/2024

レントの祈り 2024【21】

主よ、あなたは代々に
 わたしたちの宿るところ。
山々が生まれる前から
大地が、人の世が、生み出される前から
世々とこしえに、あなたは神。
(詩編90編1、2節)

***

力強い神様、移ろいやすいこの世において、あなたはけっして変わることのないお方、永遠の神として私に臨んでくださいます。今日も、あなたが信頼すべきお方であり、私を支えてくださることを心に留めます。アーメン

 

3/07/2024

レントの祈り 2024【20】

主よ、あなたの道をお教えください。
わたしはあなたのまことの中を歩みます。
御名を畏れ敬うことができるように
一筋の心をわたしにお与えください。
(詩編86編11節)

***

主なる神様、あなたのために自分自身を聖別する時に、もっとも大きな妨げとなるのはあなたから目をそらすことです。どうぞ、立ち止まり、耳を傾け、深く考えることができるように教えてください。そして、《一筋の心》をお与えください。アーメン

3/06/2024

レントの祈り 2024【19】

しかし、神は憐れみ深く、罪を贖われる。
彼らを滅ぼすことなく、繰り返し怒りを静め
憤りを尽くされることはなかった。
(詩編78編38節)

***

主イエスよ、あなたは思いやりと慈しみと赦しに満ちておられるお方です。あなたに似た者にしてください。他の人々の欠け目に対して耐えられないと感じる時に、あなたが私に対して今までどれほど忍耐深くいてくださったのかを思い起こさせてください。アーメン

3/05/2024

レントの祈り 2024【18】

わたしは主の御業を思い続け
いにしえに、
 あなたのなさった奇跡を思い続け
あなたの働きを
 ひとつひとつ口ずさみながら
あなたの御業を思いめぐらします。
(詩編77編12、13節)

***

主なる神様、否定的な思いが大水のように私の心をいっぱいにすることがあります。そのような時に、あなたの思いやりに満ちた導きが、私のこれまでの人生にあったことを思い起こさせてください。そして、否定的な思いに打ち勝つことができるように助けてください。アーメン

3/04/2024

レントの祈り 2024【17】

万軍の主、わたしの神よ
あなたに望みをおく人々が
わたしを恥としませんように。
イスラエルの神よ
あなたを求める人々が
わたしを屈辱としませんように。
(詩編69編7節)

***

主イエスよ、この世界であなたと交わりをもって生きる時、『そのような生き方をするあなたはいったい何者か』という目を向けられることがあります。そのような時に、あなたご自身も同じ経験をされたこと、そして、『お前はいったい何者だ』という声の中でも十字架に向かって歩まれたことを思い起こさせてください。そして、あなたの勝利の歩みに続くことができるように、力をお与えください。アーメン


3/02/2024

レントの祈り 2024【16】

民よ、どのような時にも神に信頼し
御前に心を注ぎ出せ。
神はわたしたちの避けどころ。
(詩編62編9節)

***

天の父なる神様、このレントの季節は、私の内を見つめる時であると同時に、私の外を見つめる時でもあります。今日、自分の言葉や行いを通して、信仰を励ますことのできる人が私にもいるかもしれないと思います。主よ、そのような出会いと機会を大切に受けとめることができるように教え、導いてください。アーメン

3/01/2024

レントの祈り 2024【15】

わたしの咎をことごとく洗い
罪から清めてください。
(詩編51編4節)

***

主イエスよ、あなたに願うすべを持っていないのが、ありのままの私です。しかし、そのような私のためにも、あなたは〔十字架で〕血潮を流されました。そして、ご自分のもとに来るようにと、わたしを呼んでくださいます。ああ、神の小羊よ、みもとにまいります。アーメン



2/29/2024

レントの祈り 2024【14】

涸れた谷に鹿が水を求めるように
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
(詩編42編2節)

***

主イエスよ、私の体は水をたえず必要とするように、私の魂はあなたをたえず要としています。あなたを慕い求めます。私の魂の飢え渇きが満たされるのは、あなたのうちに憩い、あなたを信頼する時にこそ、魂の飢え渇きが満たされると証しするものとならえてください。アーメン


2/28/2024

レントの祈り 2024【13】

主に信頼し、善を行え。
この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
主に自らをゆだねよ
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
(詩編37編3、4)

***

主なる神様、
私の人生のうちにあなたのための場所を備え、確保することができるように、私に必要のないもの、取り除くべきものが何かを教えてください。アーメン


2/27/2024

レントの祈り 2024【12】

いかに幸いなことでしょう 
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう 
主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
(詩編32編1、2節)

神様、
あなたは赦されるお方です。それゆえに、私たちは告白し、悔い改めることができます。あなたの恵みと慈しみをさまたげるものを明らかにし、私たちを導いてください。あなたのかぎりない憐れみと赦しを感謝します。アーメン

2/26/2024

レントの祈り 2024【11】

主の御声は水の上に響く。
栄光の神の雷鳴はとどろく。
主は大水の上にいます。
(詩編29編3節)

***

主なる神様、
あなたは私にいつでも語りかけてくださいます。雷鳴がとどろくような時にも、静けさに包まれる時にも、あなたはたしかに声をかけてくださいます。どのような状況においても耳を澄まして、あなたの小さくささやかれるような声を聞くができるように助けてください。
アーメン


2/24/2024

レントの祈り 2024【10】

主よ、あなたの道をわたしに示し
あなたに従う道を教えてください。
(詩編25編4節)

***

天の父なる神様、あなたの道を知りたい、そして、あなたの道を歩みたいと、私は願います。あなたの道がどれほど高く、深いかを知ることはできませんが、それでも、私はただ一つのことを知っています。私が向かう所、どこにおいても、あなたは共にいてくださいます。どうぞ、あなたの全能の御手をもって私を導いてください。アーメン

2/23/2024

レントの祈り 2024【9】

 主は羊飼い、
わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
(詩編23編1~3節)

***

良い《羊飼い》でおられる神様、あなただけが、わたしを回復させ、満ち足りたものとすることがおできになります。この世をさまようことからお救いください。この世の道の行き着く先では、私は消耗し、燃え尽きるしかありません。むしろ、私を清くし、新しいものとするあなたの義の道を歩ませてください。アーメン


2/22/2024

レントの祈り 2024【8】

わたしの神よ、わたしの神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか。
なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず
呻きも言葉も聞いてくださらないのか。・・・
だがあなたは、聖所にいまし
イスラエルの賛美を受ける方。
わたしたちの先祖はあなたに依り頼み
依り頼んで、救われて来た。
(詩編22編2、4、5節)

***

愛する主よ、見捨てられ、ひとりぼっちだと感じ 心が圧倒される時にも、今日もあなたの御手が私に添えられており、あなたによって導かれているのだと ふりかえることができるように助けてください。あなたの御名を声にする時に、あなたはすぐ近くにいてくださることを感謝します。アーメン

2/21/2024

レントの祈り 2024【7】

戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが 
我らは、我らの神、主の御名を唱える。
彼らは力を失って倒れるが 
我らは力に満ちて立ち上がる。
(詩編20編7、8節)

***

主なる神様、自分自身を誇ることがけっしてないように導いてください。御子キリストの死によって、私をお救いください。むなしいものが私を惹きつけ、楽しいと思わせる時には、それらをみな、御子キリストの血潮が流された十字架のもとにお捧げします。アーメン

2/20/2024

レントの祈り 2024【6】

主はわたしに与えられた分、
わたしの杯。
主はわたしの運命を支える方。
(詩編16編5節)

***

主イエスよ、あなたが私たちのために与えてくださる《杯》とは、あらゆる犠牲を終わらせるための、ご自分の犠牲です。それですから、私があなたから受ける《杯》は、あふれるほどに豊かな救いです。あなたが自己を犠牲にしてさえも私たちを救おうとされる、救い主でいてくださることを感謝します。アーメン

レントの祈り 2024【5】

主の仰せは清い。
土の炉で七たび練り清めた銀。
(詩編12編7節)

***

聖なる神様、あなたが語られる一つ一つの言葉は聖なる言葉です。あなたは真理を誇張して語られません。あなたは愛と恵みと憐れみをもって語ってくださいます。それですから、あなたの御言葉を清く、真実な言葉として信じることができることを感謝します。アーメン

2/17/2024

レントの祈り 2024【4】

あなたは必ず御覧になって
御手に労苦と悩みをゆだねる人を
顧みてくださいます。
不運な人は
 あなたにすべてをおまかせします。
あなたはみなしごをお助けになります。
(詩編10編14節)

***

主よ、
私が困難に遭い、悲しみを味わう時にも、それはあなたが私と共にいてくださらないからではないということを心に留めていることができるように助けてください。あなたは私の居場所となり、力となってくださいます。それですから、私はけっして無力ではなく、望みがあることを感謝します。
アーメン


2/16/2024

レントの祈り 2024 【3】

恵みと慈しみの主よ、
 わたしに答えてください
憐れみ深い主よ、
 御顔をわたしに向けてください。
(詩編69編17節)

***

主よ、あなたの愛は完全で、慈しみに満ち、けっして変わることはありません。あなたはご自分の愛で私を覆ってくださいます。あなたの愛を妨げるものは、どのようなものでもあなたに告白します。どうぞあなたの愛を私のうちに自由に行き巡らせてください。今日も、あなたが新しい恵みを私にあらわしてくださることを感謝します。アーメン


2/15/2024

レントの祈り 2024 【2】

虐げられている人に
 主が砦の塔となってくださるように
 苦難の時の砦の塔と
 なってくださるように。
主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。
あなたを尋ね求める人は
 見捨てられることがない。
(詩編9章9、10節)

***

神様、あなたは大いなるお方、私の《砦の塔》となってくださいます。私に敵対するものが押し迫る時に、あなたは私の逃れ場となってくだり、私を安全に守ってくださることを感謝します。イエス様の力強い御名によってお祈りいたします。アーメン

2/14/2024

レントの祈り 2024 【1】

いかに幸いなことか

神に逆らう者の計らいに従って歩まず・・・
主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。
(詩編1編1、2節)

***

主よ、感謝します。あなたの御言葉は、私にとって戒めであり、また、約束です。さまざまなものごとが私を取り囲み、心を乱し、陥れようと迫るとき、私の心に語りかけられている、あなたの御言葉を思い起こします。私の魂にいのちと力をもたらしてくださる、あなたの御言葉を感謝します。アーメン

***

レント(受難節)の期間に入りました。
この期間は、アメリカの救世軍(アメリカ東部軍国霊的生活成長部)の作成した祈りの手引きを参考にして、聖書の言葉と祈りを分かち合っていきたいと思います。

2/13/2024

この日も主と共に【991】ペトロの手紙二(18)

こうして、わたしたちの主、救い主イエス・キリストの永遠の御国に確かに入ることができるようになります。(ペトロの手紙二1章11節)

***

ペトロは、イエス様を信じる人に《わたしたちの主、救い主イエス・キリストの永遠の御国に確かに入る》という到着地が備えられていると語ります◆

《確かに入る》という部分は、《入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられる》とも言い表すことができます(口語訳)。先にペトロは信仰・徳・知識・自制・忍耐・信心・兄弟愛・愛を《加えなさい》と勧めましたが(7節)、その「加える」という言葉を受け身に表したものが「豊かに与えられる」という表現に相当します◆

信仰・徳・知識・自制・忍耐・信心・兄弟愛・愛をイエス様からの贈り物として確かに受け取り、イエス様に結び合わされて生きる人には、さらに《永遠の御国》が豊かに備えられていると、ペトロは語ります。それは自力で勝ち取る場所ではなく、イエス様が「おかえり」と言って迎えてくださる場所です。

***

天の父なる神様、あなたは、御子イエスを信じる教会・小隊の歩みを、また、わたしたちの歩みを《わたしたちの主、救い主イエス・キリストの永遠の御国》へと至らせてくださいます。そのような道のりの一歩として、この日も歩ませてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

***

神様の守りがありますように

2/10/2024

この日も主と共に【990】ペトロの手紙二(17)

兄弟たち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、いっそう努めなさい。これらのことを実践すれば、決して罪に陥りません。(ペトロの手紙二1章10節)

***

ペトロは、《わたしたちの主イエス・キリストを知る》ために、信仰・徳・知識・自制・忍耐・信心・兄弟愛・愛を備えるようにと勧めます。これらはみなイエス様からの贈り物ですが、《力を尽くして》自分のものにする必要があると言います(5~8節)。それはたとえば音楽家の楽器を贈られたとしても、ただ楽器を手にすれば演奏できるというわけではなく、自分で音を出し、練習することによって演奏できるようになることと似ています◆

そのような生き方には確かな手応えがあると、ペトロは続けて語ります。イエス様を知ることによって、わたしたちは神様に《選ばれている》、すなわちわたしたちがこの世に生まれる前から神様の御心に覚えられていることを知ることができます。また、《召されている》、すなわちこの世において私のために神様が御心を持っておられることを知ることができます。そして、《決して罪に陥りません》。イエス様が闇から光へ、死から命へと、絶えずわたしたちを向かわせてくださるからです。

***

天の父なる神様、イエス様を知り、共に生きる幸いを教えてください。そして実際にそのように歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

2/09/2024

この日も主と共に 【989】ペトロの手紙二(16)

これらを備えていない者は、視力を失っています。近くのものしか見えず、以前の罪が清められたことを忘れています。(ペトロの手紙二1章9節)

***

わたしたちの信仰は、たとえば双六(すごろく)の“あがり”のように、信じることでおしまいなのではありません。むしろ、イエス様を信じた時から新しく始まります。イエス様によって新しく生き、育ち、実を結ぶことができます(3~5節)◆

そのような信仰と人生の大切さをいま一度確認するために、ペトロは《怠惰で実を結ばない者》という正反対の姿を示します(8節)◆

そのような人は《近くのものしか見え》ない、すなわち、この地上の生活における成功や幸福に心が傾き、神様と天の国を見失います◆

深刻なことに、《以前の罪が清められたこと》をも忘れてしまいます。すなわち、イエス様を知る前の自分が罪の奴隷というべき状態であったこと、そのような自分をイエス様が救い出してくださったことを忘れてしまいます◆

神様の愛を見失い、自分の救いを忘れ、この世の自分だけを見る生き方です。

***

天の父なる神様、《わたしの愛にとどまりなさい》と呼んでくださるイエス様を受け入れ、あなたの愛を覚えて歩むものとならせてください。あなたの愛や人生の本当の目的地を見失わせるような誘惑や災いからお守りください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照ヨハネ15章9節)


2/08/2024

この日も主と共に 【988】ペトロの手紙二(15)

これらのものが備わり、ますます豊かになるならば、あなたがたは怠惰で実を結ばない者とはならず、わたしたちの主イエス・キリストを知るようになるでしょう。(ペトロの手紙二1章8節)

***

イエス様を信じる者たちには《尊い信仰》が与えられており(1節)、また、その信仰は、①徳、②知識、③自制、④忍耐、⑤信心、⑥兄弟愛、⑦愛に結びつくとペトロは語ります(1、5~7節)。そしてさらに続けて、これら七つのものは《備わり、ますます豊かになる》ものである、とも語ります◆

イエス様は、徳・知識・自制・忍耐・信心・兄弟愛・愛を惜しみなくわたしたちに与え、わたしたちの一部として定着させてくださり、これからも増やしてくださいます。そう言えるのはイエス様が、《人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ》と約束してくださるお方だからです(ヨハネ15章5節)◆

ペトロは迫害や困難が迫る中でも、《わたしたちの主イエス・キリストを知る》ことによって成長し、豊かに生きる望みがあると教会の仲間を励まします。

***

天の父なる神様、《わたしたちの主イエス・キリスト》を知って豊かになる幸いを教えてください。イエス様が与えてくださる贈り物を活かして用いる生き方を教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


2/06/2024

この日も主と共に【987】ペトロの手紙二(14)

あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。(ペトロの手紙二1章5~7節)

***

《信仰》を豊かにするものとして最後、第七に《愛》が挙げられます。イエス・キリストを信じる《信仰》は《愛》と結び合うとペトロは語ります。伝道者パウロも《愛はすべてを完成させるきずな》であると述べています(コロサイ3章14節)◆

イエス様は、神の愛をわたしたちに示してくださいました(参照ヨハネ一4章9、10節)。それですから、わたしたちに《愛》が勧められるということは、わたしたちもイエス様に似た者となるようにと望まれているということです◆

イエス様は《神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟》と語られました(マルコ3章35節、参照マタイ12章50節、ルカ8章21節)。聖書はイエス様を信じる者について、《イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としない》と述べます(ヘブライ2章11節)。このようなイエス様から、信仰も、愛も、《命と信心とにかかわるすべてのもの》を受け取り(3節)、わたしたちの歩みは続きます。

***

主イエスよ、わたしたちを救うためにあなたが開いてくださった救いの道に入らせてください。その歩みを続けるために、信仰を、そして、愛をお与えください。アーメン


2/02/2024

この日も主と共に【986】ペトロの手紙二(13)

力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、信心には兄弟愛を・・・加えなさい。(ペトロの手紙二1章5~7節)

***

《信仰》を豊かにするものとして第六に《兄弟愛》が挙げられます。《兄弟愛》とは、信じる者たちが兄弟のようにお互いを思いやり、支え合うことを意味しています◆

一つ前の《信心》は、神様の言葉に聴き従うことを意味していますが、神様の言葉のまことの意味を御子イエス様が教えてくださいました。そして、弟子たちに、《わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる》と語られました(ヨハネ13章34、35節)。そして、ご自分の十字架の死によって愛を示されました◆

それですから、《兄弟愛》もまたイエス様からの大切な贈り物です。ペトロは、教会・小隊が《真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱く》集まりであると述べています(ペトロ一1章22節)。ここに、わたしたちの信仰の歩みの大切な道しるべがあります。

***

天の父なる神様、わたしたちは一人一人が異なるとしても、みなイエス様に愛されていることを覚え、《兄弟愛》を育むものとならせてください。そのために教会・小隊を力づけてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/30/2024

この日も主と共に【985】ペトロの手紙二(12)

力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を・・・加えなさい。(ペトロの手紙二1章5~7節)

***

《信仰》を豊かにするものとして、第五に《信心》が挙げられます(参照3節)。《信心》とは神様を畏(おそ)れ敬い、神様の言葉を大切に聴き、神様に従うことです。神様にふさわしい者となることを追い求めることです。それらがお仕着せではなく、自分にとってあたりまえの生き方になることです◆イエス様を信じる者にとって、《忍耐》はそれ自体が目的なのではなく、《神様の本性》にあずからせていただくためという目的があります(4節)。それですから《忍耐》に並んで《信心》も大切です。伝道者パウロも若者テモテを励まします。《信心のために自分を鍛えなさい。・・・信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。》(テモテ一4章7、8節)◆イエス様は今も《命と信心とにかかわるすべてのもの》を教会・小隊に、また、わたしたちに与えてくださいます(3節)。

***

天の父なる神様、まことに目指すべき人生の目的に向かって生きるものとならせてください。あなたと共に人生を形づくることができるように助けてください。そのためにイエス様によって、あなたの恵みと力と忍耐をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/27/2024

この日も主と共に【984】ペトロの手紙二(11)

力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を・・・加えなさい。(ペトロの手紙二1章5~7節)

***

《信仰》を豊かにするものとして第四に《忍耐》が挙げられます。一つ前に《自制》が挙げられましたが、ときには自分で制することのできない事態にみまわれることもあります。当時、迫害の迫る中にあったペトロもそうであったことでしょう。そのときに《忍耐》が大切になります◆

聖書の言う《忍耐》には、逆境と思われる状況の下でもしっかりと留まり続けるという意味合いがあります。それは困難だけを見つめるというよりも、そこにも《忍耐と慰めの源である神》がおられると信じて立つことです(ローマ15章5節)◆

イエス様はペトロや弟子たちに、《立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ》幸いを教えられ(ルカ8章15節)、《忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい》と励まされました(ルカ21章19節)。そしてわたしたちを救うために、自らも十字架に留まられました。今日、わたしたちも、《聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。》(ローマ15章4節)

***

天の父なる神様、

イエス様の忍耐につながる歩みを導いてください。忍耐と共に、約束された慰めと希望をお与えください。

イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

1/26/2024

この日も主と共に【983】ペトロの手紙二(10)

力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を・・・加えなさい。(ペトロの手紙二1章5~7節)

***

ペトロは、信仰を豊かにする第三のものとして《自制》を挙げます。《自制》は、英語では「セルフ・コントロール self-control」と言いかえられる言葉で、自分の欲しいと思うままに行動するのではなく、自分の感情と行いを制御できる姿を指しています◆

知識は大切ですが、知ることによってかえって誘惑にさらされる場合や道を誤る場合もあります。あるいはまた、信仰生活についてみても、聖書から教わることがかえって『自分は人よりも真理に近い』という自負になってしまい、神様が望まれる生き方からそれてしまう危うさがあります。《知識》と共に《自制》も大切であることを、聖書は教えてくれます◆

伝道者パウロも《霊の結ぶ実》、すなわち、聖霊の力によって生きる人に与えられる実について語るときに、まず《愛》を挙げ、そのしめくくりに《節制》を挙げています(参照ガラテヤ5章22、23節、元の言葉は《自制》と同じ)。

***

天の父なる神様、イエス様はあなたの御心に従い、わたしたちを救うことにご自分のすべてを注がれました。愛に満ちた御子の自制のお姿を仰ぎつつ、わたしたちも自分の思いと言葉と行いとを健全に治めることができるように教え、助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/25/2024

この日も主と共に【982】ペトロの手紙二(9)

力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を・・・加えなさい。(ペトロの手紙二1章5~7節)

***

ペトロは、《信仰》を豊かにする第二のものとして、《知識》を挙げます。最初に挙げた《徳》は、正しいことや善いことを大切にし、判断とふるまいができる姿を指しています。それは信仰をもつ者にとって、神様が教えてくださる大切なこと(真理)に立って生きることでもあります◆そうすると、神様がどのようなお方か、何を望んでおられるか、この世界や人や私自身をどのように見ておられるかといったことを知ること、すなわち《知識》が役立ちますし、必要です◆もちろん人間が神様について完全に知ることはできません。しかし、神様は、御子イエス・キリストを通して、また聖書の言葉を通して、さらにイエス様につながる教会・小隊を通して、必要十分な真理を今も教えてくださいます。神様といつまでも、どこまでも共に生きるための真理を知ることができます。《永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。》(参照ヨハネ17章3節)

***

天の父なる神様、これからもイエス様を知り、それによってあなたを知り、大切なことをわきまえる歩みを導いてください。聖書に聴き、幸いを知る喜びを、わたしたちにお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/24/2024

この日も主と共に【981】ペトロの手紙二(8)

力を尽くして信仰には徳を・・・加えなさい。(ペトロの手紙二1章5節)
***
ペトロは《信仰》に七つのものを加えることを勧めます。《信仰》だけでは不十分という意味ではなく、《信仰》を健全に、豊かにするために与えられているものを確かめています◆第一に挙げられるのは《徳》です。《徳》とは正しいことや善いことを大切に追い求め、実行し、品性を身に着けることです。これは当時の教会にとっては、さまざまな思想や価値観が混在する文化や社会において、ときには敵意を向けられる場合があるとしても、神様が大切にしておられることに自分たちの価値観や人生の優先順位を置くことを意味しました。それはまた、神様の言葉に立って勇気をもって生きる姿であるとも言えます◆《徳》の源はイエス様ご自身にあります(参照3節、新共同訳では《力ある業》と訳されている)。イエス様は人々の期待や評価ではなく、神様の御心に従い、十字架に至る道を歩まれました(参照フィリピ2章6~8節)。そして、わたしたちを救い、同じ道を共に歩むようにとわたしたちを招いてくださいます。
***
天の父なる神様、《勇気を出しなさい》と語られるイエス様に心を向け、あなたの御心に従って歩まれたイエス様の歩みに続くものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照ヨハネ16章33節)

1/23/2024

この日も主と共に【980】ペトロの手紙二(7)

だから、あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。(ペトロの手紙二1章5~7節)

***

イエス様はわたしたちに、《神の力》と《尊い約束》とを与えてくださった(3、4節)。《だから・・・》とペトロは言葉を続け、《信仰》に《徳》、《知識》、《自制》、《忍耐》、《信心》、《兄弟愛》、《愛》の七つを加えなさいと勧めます(5~7節)◆このように何か良いものを一つずつ備えていくという表現は、当時の文学や教えにおいてはよくみられたようです。しかし、ペトロはどこでも聞けるような教訓を述べているのではありません。イエス様が《命と信心とにかかわるすべてのもの》をすでに用意して、与えてくださっているので(3節)、わたしたちはそれらをたしかに受け取り、《神の本性》にあずかるもの、すなわち、聖なる者にしていただこうと呼びかけています◆自力で理想的な人物になる道でははく、イエス様からの贈り物によって、神様に望まれているものとなる道をペトロは示しています。

***

天の父なる神様、豊かに実を結ばせてくださると約束してくださるイエス様を信頼し、イエス様につながる歩みができるように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照ヨハネ15章5節)

1/20/2024

この日も主と共に【979】ペトロの手紙二(6)

この栄光と力ある業とによって、わたしたちは尊くすばらしい約束を与えられています。それは、あなたがたがこれらによって、情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただくようになるためです。(ペトロの手紙二1章4節)

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《尊い信仰》を確認するために(1節)、ペトロは、イエス様から《神の力》とならんで(3節)、《尊くすばらしい約束》をもいただいていることを挙げます。

イエス様は人を救うために神様から選ばれた唯一の神の御子で、《尊い、生きた石》と呼ばれます。そして十字架で《尊い血》を流されました(参照ペトロ一1章19節、2章4、6節)。そのイエス様がみずからが保証となって、わたしたちを《天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者》にしてくださいます(ペトロ一1章4節)。

また、イエス様の約束にはわたしたちが《神の本性》にあずかる、すなわち《聖なる者》になるという目的が含まれています(参照ペトロ一1章6節)。

わたしたちは、イエス様を近寄りがたい存在として遠くから信じなければならないのではなく、イエス様に似た者と言っていただけるほどに近づいてよいのです。イエス様がそれを望み、招いてくださいます。

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主イエスよ、あなたの《尊い約束》を受け入れ、この世で尽きることも朽ちることもない、新しい生き方を導いてください。あなたに似た者に成長する喜びを教えてください。アーメン

1/19/2024

この日も主と共に【978】ペトロの手紙二(5)

主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。それは、わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです。(ペトロの手紙二1章3節)

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教会の仲間たちに《恵みと平和が・・・ますます豊かに与えられる》ようにと願い(2節)、お互いの信仰を確認することから手紙の本題が始まります(3~11節)◆ます大切なこととして挙げられているのは、《命と信心とにかかわるすべてのもの》、すなわち、神様と共に生きるために必要な一切をイエス様が与えてくださるということです。人間の真心や敬虔や努力にも大切な意味がありますが、信仰はそれらに留まらない、イエス様によって《神の力》を受け、生かされることです◆イエス様が《神の力》を与えることができるのは、《栄光と力ある業とで召し出してくださった方》、ご自分の十字架の死と復活によって神様の愛と力を現わされ、わたしたちを救うお方だからです。イエス様を知ることが、信じる者の力の源泉です。

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天の父なる神様、あなたはわたしたちの真の必要を満たしてくださるお方です。イエス様を通して、あなたの御力を受け入れて歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/18/2024

この日も主と共に【977】ペトロの手紙二(4)

神とわたしたちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。(ペトロの手紙二1章2節)

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『ペトロの手紙二』は、手紙を送る人の自己紹介、手紙を送る相手への呼びかけから始まり、《恵みと平和》が与えられるように》と続きます◆当時、《恵みと平和》という言葉はふだんの挨拶として使われていたようです。ただし、この手紙においては挨拶以上に重みのある祈りの言葉であると言えます。なぜなら、《神とわたしたちの主イエスを知ることによって》与えられる《恵みと平和》を信じ、願うからです◆神様はわたしたちを愛して、イエス様を遣わされました。イエス様はわたしたちを救うために、十字架でご自身を犠牲にしてくださいました。それですから、神様とイエス様を知ることによって与えられる《恵みと平和》とは、神様の愛を知って生きる人への贈り物であるとも言えます。小隊・教会は、そのような人生の幸いを知り、お互いに祈り合うことを知ったものたちの集まりです。

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天の父なる神様、あなたがわたしたちを愛しておられること、また、御子イエス様がわたしたちの主であることをますます知ることができますように。この世の力では生み出すことのできない、豊かな《恵みと平和》に共にあずからせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/16/2024

この日も主と共に【976】ペトロの手紙二(3)

・・・わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たちへ。(ペトロの手紙二1章1節)

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『ペトロの手紙二』は、手紙を受け取る仲間を《わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たち》と呼びかけます。

その多くはおそらくペトロなど《使徒》より若い世代であり、ユダヤ人だけでなく外国人も含まれていたと思われます。しかし、イエス様を信じる人は、たとえお互いの年齢や生まれ育ちが異なっていても、神様の前に等しいと手紙は最初に確認します。しかも、イエス様に直接お会いし、教えを受けた《使徒》にも等しいと言えるほどにです。

そのように言えるのは、わたしたちにとって《信仰》とは、人の宗教的な考え方や心がまえを指すのではなく、神様が人を信じて生きる者にしてくださるという神様からの贈り物(恵み)だからです。

わたしたちは、今も、《わたしたちの神と救い主イエス・キリスト》によって、神様との正しい関係に入れていただき(義)、信仰を受けることができます。

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天の父なる神様、あなたは《救い主イエス・キリスト》をとおして、あなたと共に生きるものとしてくださいました。イエス・キリストに焦点を合わせてものごとを見つめ、歩むことができるように支え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/15/2024

この日も主と共に【975】ペトロの手紙二(2)

イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロ・・・(ペトロの手紙二1章1節)
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『ペトロの手紙二』を書き始めた《シメオン・ペトロ》は、自分が《イエス・キリストの僕であり、使徒》であると名乗ります。それらは彼が自分の立場や使命をどのように受けとめているかを表しています。
①《使徒》とは、イエス様から任命されて、この世に派遣された者という意味です。
②《僕》(しもべ)とは、イエス様にお仕えし、イエス様の命じられることに従う者という意味です。
《使徒》と《僕》という短い二つ言葉に、イエス様から新しい人生へと招かれ、イエス様に応答して生きるという姿が表れています。
今、わたしたちは《使徒》ではありません。しかし、イエス様からの招きとイエス様に対する応答という点では、わたしたちの前にも同じ道のりが開かれています。わたしたちもイエス様を通して無償の救いが与えられ、神の子となるようにと招かれています。それは、神様の恵みを受け入れ、神様に応答し、イエス様に従う者となることです。
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天の父なる神様、あなたはイエス様を通してわたしたちを呼んでくださり、導かれます。イエス様に聴き従い、あなたにお応えする新しい生き方を教えてください。そのために小隊・教会とつながる一人一人を守り、育ててください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

1/13/2024

この日も主と共に【974】ペトロの手紙二(1)

イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロ・・・(ペトロの手紙二1章1節)

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ペトロは手紙の書き出しにあたり自分を《シメオン・ペトロ》と自己紹介します◆ペトロは元の名前を「シモン」といいます(マルコ1章16節)。イエス様が《メシア、生ける神の子》であると告白したことから、イエス様から「ケファ」(岩)という新しい名前をいただきました。「ケファ」をギリシャ語で表したものが「ペトロ」です(マタイ16章16~18節、コリント一15章5節)。また、《シメオン》は「シモン」をギリシャ語で表したものの一つです(使徒15章14節)◆こうしてみると、《シメオン・ペトロ》という自己紹介からは、イエス様に出会い、イエス様を信じたからこそ今の自分があるという思いが伝わります。また、自分の手紙を受け取る人々が自分と同じユダヤ人だけでなく、ギリシャ語を使うユダヤ人以外の人々がいることを心に留めて、あるいはそのような人々にも神様の家族として挨拶しようという思いが伝わります◆ペトロはイエス様との出会いによって、新しい自分を生きるものとなり、また、まわりの人や世界を見るまなざしを新しくされ、広くされました。

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天の父なる神様、イエス様を信じ、イエス様に聞き従い、心が広くされる新しい人生を生きるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/12/2024

この日も主と共に【973】ペトロの手紙一(43)

愛の口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストと結ばれているあなたがた一同に、平和があるように。(ペトロの手紙一5章14節)

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ペトロは手紙の結びにおいて、教会の仲間に向けて《愛の口づけ》による挨拶を勧めます。

《口づけ》とは当時、親しい人同士の挨拶として一般的に行われていました。おそらく手紙を回覧した教会にはそれぞれ、ユダヤ人や異邦人(ユダヤ人以外の人々)、あるいは当時の文化から、自由な市民や奴隷など、さまざまな背景や立場を持つ人々が集まっていたと思われます。

しかし、イエス様を信じる者たちにはみな同じ《平和》が与えられているとペトロは語ります。それは、イエス様が十字架の死によって神様と人との間に回復してくださった平和であり、死から復活して弟子たちに告げてくださった平和です(参照ローマ5章1節、ヨハネ20章21、26節)。そしてまた、イエス様が教会に残してくださった平和です(ヨハネ14章27節)。迫害の迫るペトロや当時の教会にとっても、そして、今のわたしたちにとっても、イエス様の平和は変わりません。イエス様ご自身が変わることのないお方だからです。

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主イエスよ、あなたの平和をわたしの心に、生活に、家族や周囲の人たちとの関係に、教会・小隊にお与えください。平和の主であるあなたと共に歩ませてください。アーメン

1/11/2024

この日も主と共に【972】ペトロの手紙一(42)

共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています。(ペトロの手紙一5章13節)

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晩年のペトロを支える一人に《マルコ》という人がいました(別名ヨハネ)。

エルサレムで母マリアと暮らし、母子共にイエス様を信じ、自宅を弟子たちの集会のために開放しました。この頃にペトロと知り合っていたと思われます。

いとこのバルナバに誘われてパウロの伝道旅行に参加しました(参照使徒12章12、25節、コロサイ4章10節)。しかし、何らかの理由で途中で離脱したため、バルナバとサウロには対立が生じました(参照使徒13章13節、15章36~40節)。

しかし後年、パウロはマルコを《協力者》として信頼しており(フィレモン24節、参照テモテ二4章11節)、ペトロも《わたしの子》と表現しています。

イエス様を信じる人生にも問題は起こり得る。それでもなお神様が支え、転機や成長や和解を与えてくださり、神の家族として新しい道へと導いてくださる望みがあることを、彼らの姿から知ることができます。

神様ご自身が、イエス様を信じる者たちを神の子として保ち続けてくださるからです。

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天の父なる神様、
さまざまなことが起きる時にも、あなたがわたしたちを神の家族として受け入れ続けてくださっていることに心と生活の足場を保たせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/10/2024

この日も主と共に【971】ペトロの手紙一(41)

共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています。(ペトロの手紙一5章13節)

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ペトロは晩年、キリスト教会に対する迫害の中で捕らえられ、ローマで殉教の死を遂げたと言われています。

彼は『ペトロの手紙一』の結びにおいて、手紙の差出人として教会の仲間たちを《共に選ばれてバビロンにいる人々》と紹介します。

《バビロン》は旧約聖書の時代において、イスラエルの国(北と南に分裂した後の南の王国ユダ)を滅ぼした国です。イスラエルの人々は侵略され、国を滅ぼされ、捕虜として連行されました(バビロン捕囚)。

ペトロがローマを《バビロン》と表現したのには、まず教会の所在地を伏せて迫害の危険を抑える意味があったと思われます。そればかりでなく、かつてバビロンからの解放と祖国へ帰還を約束し、実現された神様を信頼し、神様がこれからも教会を助け、新しい局面へと導き出してくださるという希望に立っていたからだと思います(参照エレミヤ25章11~13節、29章10~14節)。

ペトロは捕らわれの身でも、天を目指す《旅人》として歩み続けました(2章11節)。

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天の父なる神様、地上で生きる日がすべてなのではなく、御子イエスによってあなたの御許、天へと続く道の途上にあることを覚えて、これからの日々も歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

1/09/2024

新年を迎える祈り【35】

幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。・・・イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。(ルカによる福音書2章40、52節)

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イエス様は、ベツレヘムでお生まれになった後、身の安全を守るためにエジプトに逃れ、その後ガリラヤ地方のナザレに移られました。

ナザレにおける暮らしについては、聖書はごく短く伝えるだけです。ベツレヘムの誕生にまつわって起きたさまざまな出来事、また、身の安全を守るためにエジプトに逃れたような“非日常”から、ごくふつうに暮らす“日常”へと移っていったと言えます。

その“日常”を通しても、イエス様は、
①身体的な面、
②精神的な面、
③神様との関係における霊的な面、
④他の人々との関係における社会的な面
において、全人的に豊かに成長されました。

クリスマスから年末年始を過ごし、新年もしばらくの日をすごして、だんだんと“日常”へと戻りつつありますが、これからの日々も神様と共に歩む時、神様の恵みによって成長する時であることを心に留めたいと思います。

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天の父なる神様、
御子イエス様は人となってお生まれになり、わたしたちと同じ時をかぞえながら歩まれ、成長されました。自分に与えられている時を、あなたと共に歩むため、イエス様と共に歩むために用い、成長するものとならせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

1/06/2024

クリスマスの祈り&新年を迎える祈り【34】

・・・主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。(マタイによる福音書2章19~21節)

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主の天使がヨセフの夢に現れ、ヘロデ王がイエス様の命を狙っていると告げました。そこでヨセフとマリアとイエス様はエジプトへ逃れました(13~15節)。ヘロデ王が亡くなったのち、三人は《イスラエルの地へ帰って来》ました。しかし、ヘロデの後を継いだアルケラオは父に劣らぬ暴君であり、ふたたび身の安全を考えなければなりませんでした。そうしたところ、《夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住》みました(22~23節)。イエス様は神様の御子でありながら、この世では安全な居場所を求めて避難する生活を経験されました。そのうえで自らが《道》となり、わたしたちを神様のみもとへ、神の国へと導いてくださいます(参照ヨハネ14章6節)。

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天の父なる神様、さまざまなことが起きる中で、イエス様をまことの道として歩むことができるように、聖霊の助けと導きをお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/05/2024

クリスマスの祈り&新年を迎える祈り【33】

占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。・・・(マタイによる福音書2章13~15節)

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イエス様にお会いした占星術の学者たちに対して《ヘロデのところへ帰るな》とお告げがありました。そこで彼らは《別の道を通って自分たちの国へ帰って行》きました(12節)。これを知ったヘロデ王は《だまされた》と逆上し、《人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させ》るという恐ろしい行動に出ました(16節)。ヨセフとマリア、イエス様は辛うじてエジプトへ逃れました。ヘロデ王の欲望と暴力、その犠牲となった多くの小さい者たちの犠牲は、今も人間が抱える深い闇を表しています。その闇の中でわたしたちを照らし、救う光として、イエス様はご自身を捧げるために歩まれます。

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天の父なる神様、わたしの心の闇を、わたしたちの世界の闇を御子イエス様によって照らし、あなたの救いへと導き入れてください。あなたの光を受け入れるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/04/2024

クリスマスの祈り&新年を迎える祈り【32】

・・・東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。(マタイによる福音書2章9~10節)

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占星術の学者たちは《星》に導かれ、イエス様のもとにたどり着きました。《幼子は母マリアと共におられた》という表現は、学者たちの心が家族全員に向かったというよりも、幼子イエス様に集中していたことを表しています。彼らは《ひれ伏して幼子を拝み》、《黄金、乳香、没薬を贈り物として献げ》ました。これらはどれも貴重な品であり、一般の人々にはおよそ手の届かないものでした。しかし、学者たちは幼子イエス様が真の意味で貴いお方であること、すなわち、《王》また《メシア》(救い主)であることを認め、自分たちの最善をもって心を表しました(2、4節)。このような学者たちの旅路と礼拝に加わるようにと、聖書は今日のわたしたちも呼びかけています。

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天の父なる神様、あなたはわたしたちを救うため、貴いお贈り物として御子イエス様をわたしたちに与えてくださいました。イエス様を受け入れ、わたしたちも東方の学者たちのように、まごころから応答するものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/03/2024

クリスマスの祈り&新年を迎える祈り【31】

ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。(マタイによる福音書2章7、8節)

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《ユダヤ人の王》に会いに来たと占星術の学者たちが尋ねて来た時、ヘロデ王は《メシア》(救い主)が生まれた可能性があると察しました。そこで宗教家たちを集めて、《メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただし》ました(4節)。彼らは預言者の言葉によって、メシアの生まれる場所が《ユダヤのベツレヘム》であると特定することができました(5、6節、参照ミカ5章2節)。

ヘロデ王はその情報を占星術の学者たちに伝え、《わたしも言って拝もう》と言いました。しかし、それは本心ではありませんでした。ヘロデ王は後に、イエス様を亡き者にしようと恐ろしい命令を出します。

しかし、神様は人の不誠実な言葉さえも用いて学者たちを導き、イエス様にお会いする旅路を守られました。

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天の父なる神様、誠実で真実な言葉や不誠実な偽りの言葉、さまざまな言葉が飛び交う中で、大切なことを聞き分ける落ち着いた心をお与えください。また、人の思いや言葉を越えて誠実でいてくださるあなたの言葉に聴くものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/02/2024

クリスマスの祈り&新年を迎える祈り【30】

・・・占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイによる福音書2章1、2節)

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《東の方》で、イエス様の誕生を《星》によって知った《占星術の学者たち》がいました。詳細はわかりませんが、彼らは国では見識が高く、重要な地位にあったと思われます。しかし、星に《ユダヤ人の王》の意味を理解した彼らは、自分たちの経歴や立場を脇に置いて、イエス様にお会いする旅に出ました。

他方、エルサレムで学者たちを迎えたヘロデ王とエルサレムの人々は、《不安》を抱きました(3節)。ヘロデはローマ帝国の後ろ盾によって王を名乗っており、ユダヤ人はローマ帝国とヘロデの二重の支配を受けていました。そこにさらに《王》と呼ばれる存在が登場すれば、いびつでもそこそこ成り立っている日常が危うくなる可能性が生まれるからです。

新しい一歩をふみ出した学者たちと、日常が脅かされることに不安を抱くヘロデ王とエルサレムの人々は、対照的な仕方で、神様を信じる世界、信仰の世界にはある種の冒険が伴うことを伝えています。

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天の父なる神様、あなたはわたしたちのために新しいことを行われます。あなたを信頼し、新しい一歩を進ませてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/01/2024

クリスマスの祈り&新年を迎える祈り【29】

新年おめでとうございます。

暦は新しくなりましたが、教会におけるクリスマスの期間はなお続きます。

そこでなおしばらく「クリスマスの祈り&新年を迎える祈り」と題して、聖書の言葉とお祈りを分かち合っていきたいと思います。

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シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカによる福音書2章28~32節)

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エルサレムの神殿にシメオンという人が来ていました。彼は、《主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けて》いました(25、26節)。シメオンはヨセフとマリアとイエス様を見つけ、イエス様に会ったことを大いに喜びました。《この僕を安らかに去らせてくださいます》という言葉は、《万民のために整えてくださった救い》であるイエス様にお会いしたことによって、自分のいっさいが神様の救いの御手のうちにあるー地上においても、たとえそうでなくともーという確信を与えられたことを示しています。シメオンは、イエス様を抱きつつ、神様の大きな御手に抱かれていました。

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天の父なる神様、《彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え・・・生涯、彼を満ちたらせ わたしの救いを彼に見せよう》との約束を、御子イエス様によって、わたしたちの人生にも真実なものとしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照詩編91編14~16節)