8/25/2020

命の言葉『恐れと戦う信仰』詩編56編

神の御言葉を賛美します。主の御言葉を賛美します。
神に依り頼めば恐れはありません。人間がわたしに何をなしえましょう。 (詩編56編11、12節)

 
詩編56編には、多くの対照的なものがみられます。恐れと信仰が対峙しています。敵が「共に集まって身をひそめ」、わざわいを企みますが〔2, 5, 6節〕、詩編の作者は信仰を告白し、祈ります。敵は作者を妨害しますが〔5節〕、神は作者の祈りを聞かれます。敵は作者に対立しますが、神は作者の味方です。敵は自分たちの悪賢い計画に頼りますが、作者は力強い神の約束を信頼します。

詩編の作者は、恐れを覚える状況について、神がそれを突然に、あるいは少しずつでも、取り除いてくださるとは述べません。神が最終的に救い出してくださる時、そして、あざける敵から解放してくださる時は、まだ来ていません。それでも、「…敵は退きます。これによって神がわたしを守られることを知ります」と語ります〔9節〕この詩編は、人の生涯はたえず脅威にさらされ、対立や苦闘や困難のただ中に置かれるものであるということを、わたしたちに思い起こさせます。しかし、良い知らせをもたらします。神はわたしたちの味方でいてくださり、それゆえに、わたしたちも作者と声を合わせて「神に依り頼めば恐れはありません」(5, 12節)と言えるのです。〔神を〕信頼することによって、詩編の作者は恐れるものから、恐れないものへと変わることができました。
 
モーセは、〔この詩編と〕同じような信仰の飛躍(思い切って信じること)をイスラエルの人々に呼びかけました。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。 … 主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(出エジプト14:13, 14)イエスもまた、「恐れることはない。ただ信じなさい」とヤイロに語られました(マルコ5:36)。
 
このような〔信頼して恐れないという〕応答が可能になるのは、この詩編をふまえれば、神がわたしたちを知っておられ、わたしたちも神が自分たちの味方であることを知るからです。神は、わたしたちの涙を数えておられます。また、わずかな値段で売られている雀を忘れず、また、わたしたちの髪の毛の数までも一本残らず数えておられます(ルカ12:6, 7)。〔神を〕信頼することは、人間の勇気のある行いではありません。それはむしろ、『神が与えてくださる人生は、人間の脅かしをはるかに高く超えたところにある』という確信によって、わたしたちにもたらされるのです。
 
パウロは言いました。「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。」(ローマ8:31)神と自分たちを隔てるものは何もないと、パウロは確信していました。このような信頼によってこそ、わたしたちは恐怖に直面することがあっても、ひるむことはないのです。

〔 〕は文脈上、言葉を補って訳した箇所
Words of Life 2002.8.11 (tr. 2020.8)