神戸小隊 聖別会
2020年9月13日(日)
ルカによる福音書17章22~37節
「神の国に備える」
Ⅰ 救世軍の感謝祭を覚えて
今日は、救世軍が毎年秋に実施している『感謝祭』の献納日です。神さまへの感謝を特別なかたちであらわす日です。そして、救世軍の小隊・施設の働きを通して、神さまの愛と救いの御業がこの社会に現わされていくように、神さまの御心が地に行われるようにと祈り、献金を捧げしました。
どのようなことのゆえに、神さまに感謝するというのでしょうか。
聖書によれば、何よりもまず、神さまがこの世界を作り、わたしたちを作ってくださったからです。神さまは創造の主、命の造り主です。
また、神さまは、この世界とわたしたちを愛して、救われるお方だからです。人間は神さまの愛から離れ、神さまの御心に背き、自分中心に生きて互いに痛みを負わせ合います。この世界も、神さまが創造された良さ、美しさが損なわれ、傷ついています。しかし、神さまはこの世界やわたしたちを見捨てず、なおも愛し、救い、癒し、新しく生かしめてくださいます。
さらに、神さまはこの後、新しい天と新しい地を創造されるからです(参照 イザヤ65:17、黙示録21:1)。そこは、わたしたちにとっては天の住まいであり、本国です(参照 ヨハネ14:2、フィリピ3:20)。わたしたちはこの地上の生涯の後に変えるべきところを与えられています。
このように、過去・現在・未来にわたる神さまの愛と御業を思い、わたしたちは感謝を新たにするとともに、これからの歩みを確かにしていきたいと願います。
Ⅱ ロトの妻を思い出しなさい
『将来、どのようなことが起こるのか。それはいつ、どこか。』今日の聖書の箇所は、わたしたちも関心を抱く問いをめぐって、イエスさまが弟子たちに教えられた言葉です。
今日とくに26~37節の範囲に注目しますが、イエスさまは、将来について「人の子が現れるとき」(26節)、「人の子が現れる日」(30節)と表現されました。これは、イエスさまは十字架で苦しみを受け、死んで復活し、天に昇られ、その後ふたたび、まことの神の御子、救い主としてこの世界に来られることを意味しています。しかもその日、神さまの聖さと正義によってすべてものが、あるべきところに定められるのです。神さまの裁きは破滅ではなく、神さまの御心と御業の完成を意味します。神さまが創造される新しい天と新しい地、また、イエス・キリストを信じて救われた者に与えられる新しい命は、この地上の延長ではなく、まったく新しい始まりです。
ここで注目したいことは、ご自身がふたたびこの世に来られることを予告されたイエスさまが、将来への備えとして、「ロトの妻のことを思い出しなさい」と、弟子たちに語られたことです(32節)。
この言葉の背景となる出来事が旧約聖書、創世記第19章に記されています。ロトとその家族が、ソドムという町に住んでいました。この町は周辺のゴモラという町と共に神さまに対して罪を重ねており、神さまはこれらの町を滅ぼすことを決められました(創世記18:20、19:13)。その際、神さまは御使いを遣わしてロトたちを町の外へ避難させ、次のように指示されました。
命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。・・・山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。(創世記19:17)
しかし、ロトの妻は逃げる途中で後ろを振り向き、塩の柱になってしまいました(創世記19:26)。ロトの妻にとっては、ソドムの町で築き上げた人生、暮らし、人間関係、住まい、持ち物などが、まさに自分の命そのものだったのでしょう。神さまが逃れの場を備えて、導こうとされる言葉には自分の命を見いだせなかったのです。その時、ロトの妻はふりかえり、命を失いました。
こうしてみると、「ロトの妻を思い出しなさい」というイエスさまの言葉は、わたしたちにとって、いわば避難勧告・避難指示の言葉であるということができると思います。神さまから断絶し、そこで生きることがすべてだと思うような世界から、命がけで逃れなさいと言われるのです。ただ世捨て人のようになれという意味ではなく、わたしたちに命を与えられた神さまに聞き従い生きる。それが何よりの将来への備えであり、わたしたちの命が保たれる道なのです。
自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。(33節)
Ⅲ キリストによって、目を上げる
イエスさまの言葉は、わたしたちを恐れさせるものではなく、わたしたちの命に対する深い愛が込められています。わたしたち一人一人の命を大切にかぞえ、滅びてはならないと願われるからこそ、真剣に語られました。このお方が死に打ち勝ち、今も生きておられる方として、小隊・教会の主となり、わたしたちと共に生きてくださいます。イエスさまという存在こそ、神の言葉そのものです。このお方と共に生きるところに、わたしたちの本当の命があります。
あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。
(コロサイの信徒への手紙3章1~4節)