下のビデオ・メッセージは9月20日の日曜日のために発信されたものです。祈りの手引きとして日本語に訳しました。
ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。(創世記32章31節)
顔と顔を合わせる ―― みなさんは、最後に人と顔を合わせて会ったのがいつであったのかを覚えていますか。
おそらくみなさんは、ある人についてメディアやオンラインによって見聞きすると、『このような人ではないか』という印象を持たれることでしょう。そして、実際に機会が訪れて、その人と面と向かって会うことになったとします。相手は想像したとおりの人でしょうか。あるいは、まったく違った人でしょうか。
〔そのようなことを考えると、〕顔を合わせて会うということには大切な意味があります。
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ヤコブもまた人生において、そのような〔相手と顔を合わせる重要な出会いを経験する〕瞬間がありました。
創世記第32章を読むと、彼は〔両親である〕イサクとリベカのもとに帰ろうとしています。故郷を離れてから二十年が経ち、今では妻二人、息子十一人、娘一人となった家族を連れて帰ることになりましたが、彼は〔その途中で〕双子の兄、エサウと会わなければなりませんでした。それはヤコブにとって恐ろしいことでした。〔それというのも〕二十年前、 〔兄と父をだまして長子の権利を手に入れたいきさつがあり、〕ヤコブには、人をだまし、利用 する詐欺師であるという評判が付けられていたからです。
もし二人が面と向かって会ったならば、兄は何をしようとするでしょうか。ヤコブはどうするでしょうか、ふたたび逃げるのでしょうか。あるいは、自分の過去と向かい合うでしょうか。
ヤボク川まで近づいたときに、ヤコブは家族を先に行かせ、自分だけが残りました。しかし、一人きりの時間はそう長くありませんでした。〔それというのも〕 ヤコブが気づかないうちに何者かが近づき、彼と格闘したのです。
二人の格闘は夜明けまで続きました。相手はヤコブの腿(もも)の関節を打ちましたが、ヤコブは降参しませんでした。そして相手に向かって、「祝福してくださるまでは話しません」と言いました。相手は、「お前の名は何というのか」と尋ね、そして、「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と戦って勝ったからだ」と告げました〔創世記32・25~29〕。
夜が明け、ヤコブはとても驚くべきことが起きたことを理解しました。
わたしは顔と顔とを合わせて 神を見たのに、なお生きている。 (創世記32・31)
彼は神と格闘し、顔と顔を合わせ、それでも生かされました。それは、神が自分の身に起こしてくださったことを語り伝えるためだったのです。
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ヤコブがエサウに近づいた時、それは、彼が〔兄弟に対して罪を犯したという〕自分の過去と向かい合う時でもありました。そのような場面においてさえ、〔ヤボク川の出来事があったように、〕 彼は一人きりではありませんでした。
わたしたちも、自分の過去と 向かい合わなければならない経験をした人は多いことでしょう。〔しかし、〕そのような時において、わたしたちは自分の過去と 格闘して終わるのではなく、神と格闘することができる〔、そしてついには神から祝福され、新しい出発をすることができる〕のです。
ある人々は、自分たちの国の 歴史の中で行われてきた不正と向かい合っています。その不正とは、人種差別や植民地の抑圧的な支配であったりします。
不当に告発されてきた過去と格闘している人々もいます。
あるいは、自分たちの行いを 深く恥じるような過去と格闘している人々もいます。
わたしたちは、自分の過去と 格闘するなかにあって、正しい お方である神、また、恵みをお与えになる神と向かい合っているということに気が付くことでしょう。
これら〔例として挙げたような自分たちの抱える〕の現実と格闘する時に、わたしたちは神とも格闘しています。この神こそは、わたしたちを祝福してくださるお方であり、この世界に対する 祝福となるようにとわたしたちを召してくださるのです。
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ヤコブはついに兄弟エサウと会いました。彼らは抱き締め合い、共に泣きました〔創世記33・4〕。ヤコブはエサウに言いました。
兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。この わたしを温かく迎えてくださったのですから。(創世記33・10)
〔人間の〕現在と過去との間に、 〔神からくる〕愛によって和解がもたらされ、両者は結び合わされたのでした。
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これからの一週間、どうか神に信頼し、銘々が自分の人生の中にある困難にも、国の中にある困難にも、救世軍の中にある困難にも向かい合うことができますように。
困難と向かい合いつつ、同時に、神と向かい合うことができますように。
神は、わたしたちを祝福し、この世界に対する祝福となるようにと招いてくださるお方です。
新しい一週間に、神の祝福がありますように。アーメン
(訳 立石真崇)
※日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。