9/09/2020

バッキンガム参謀総長のメッセージ (9月6日のために)

今回は、バライアン・ペドル大将に代わり、参謀総長であるリンドン・バッキンガム中将によるメッセージが発信されました(Facebook)。

「参謀総長」は、「大将」を補佐する職務で、世界全体の救世軍の第2番目のリーダーとあたります。

祈りの手引きとして、以下に掲載します。

内容は以下の通りです。 

主はアブラムに言われた。 
「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」
(創世記12章1節)


みなさんは、何かを作り上げようとして、結局うまくいかなかったということはありませんか。海辺で砂の城を作っていたところに、波が打ち寄せて壊れてしまった。あるいは、荷物を保管するために建物に倉庫を設置したのに、最初の強い嵐で壊れてしまった。手がけていた事業が望むようなかたちで進まなかったなど。計画が望む方向に進まないときに、失望や落胆を味わうことでしょう。そのようなときに、あきらめてしまいたくなるのも、もっともなことです。

神が、ご自分の〔天地〕創造の計画が急激に悪化していくのをご覧になったときに、どのようなお心であっただろうかと思います。
 
(※)創世記第6章の御言葉を思い起こしてみましょう。

主は…地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。(創世記6章6節)

悲しみは、新しく始めようとすることを妨げようとするものです。ご自分にかたどって創造された被造物〔である人間〕が、責任を負うことを拒み、争いごとにのめり込み、自分の功績を打ち立てようとするありさまをご覧になって、神はご自分が始められたことを廃止しようとは考えられなかったでしょうか。(※)
 
しかしながら、創世記第11章の終わりにくると、読者の前にターニング・ポイント(転換点)が示されるのです。ノアの子孫のなかに登場するアブラム〔後の
アブラハム〕という人物、サライ〔後のサラ〕という女性と結婚した彼こそが、まさにその〔転換点となる〕人でした。ファンファーレもなしに、神は次の一手を打たれました。恵みによって、神は新しい始まりを起こされるのです。
 
創世記第12章の初めにおいて、神はアブラムに語られました。

あなたは生まれ故郷
父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを 大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
あなたを祝福する人を わたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。(創世記12章1~3節)


神は、家族、土地、習慣、言葉といった馴染みのあるものから離れるようにと〔アブラムとサライの〕二人を召し出されました。そうすることによって、新しい
始まりを作られました。神は〔むしろ〕、ご自分の約束された土地、家族、名声を信頼するようにと、彼らを招かれたのです。
 
なぜ神がアブラムとサライを選ばれたのかについては伝えられていません。しかし、物語を読み進むにつれて、わたしたちは、アブラムとサライが称賛に値する資質を多く持っていたことを知ることができます。たとえば、アブラムは、土地を選ぶときに自分の甥にあたるロトを優先させました。また、〔神に対して罪を重ねた〕ソドムとゴモラの町のために、〔神に〕執り成しました。
 
しかし、エジプトにおいては、アブラムは自分自身を守るために、サライを妹だとごまかしたこともありました。二人が神と共に、またお互いに旅路を進むなかで、神の約束を危険にさらしてしまうこともありました。
 
それでも、新約聖書、『ヘブライ人への手紙』の著者は次のように書いています。

信仰によって、アブラハムは・・・行き先も知らずに出発したのです。
(ヘブライ人への手紙11章8節)


アブラムとサライは、自分たちを新しい未来へと召してくださった神を信じることを学びました。神は、計画が破綻したときにも、容易にあきらめることはなさいませんでした。ハレルヤ。恵みによって、神は〔たとえ一つの歩みがうまくいかなかったとしても、〕ご自身の目的の実現のために、別の歩みを取られるのです。神は、わたしたち一人一人をあきらめることはなさいません。むしろ、恵みによって、地上のすべての民を祝福するという、ご自身のすばらしい目的に仕えるものとして、わたしたちを召してくださるのです。
 
新しい始まりが必要だと痛切に感じている方がおられるでしょう。人間関係が壊れる痛みを経験し、未来など考えられないという思いで過ごしている方もおられるでしょう。このパンデミック(新型ウイルスの世界的流行)のあいだ、事業が行き詰まるのを眺めることしかできず、将来どのようになるのかと思っておられる方もおられるでしょう。ふたたび始めようとしている人々、たとえば社会に復帰しようとしている受刑者、新しい人生を希望している難民の人々のために労している方もおられるでしょう。
 
今の時代において、神が新しく始めてくださると知ることには、どのような意味があるでしょうか。わたしたちをご自分の新しい始まりへと召される神を信頼することには、どのような意味があるでしょうか。
 
わたしたちの人生には、これまでもそうであったように、ジョン・ゴワンズ大将によって書かれた次の賛美の言葉が頼りになる時が折々にあることでしょう。

『神はもはや、わたしのための計画など持っておられない』
と思い込まないでください。
『探し求めるべき将来などない』
と思い込まないでください。
あなたのために、神は新しい計画を、聖い計画を立てておられます。
『神は、わたしの悔い改めなど顧みられない』
と考えないでください。
なぜなら、〔人生において〕果たさねばならない一つ一つのことについて、
神の恵みを願い求める者たちに、
神は〔求めに応えて恵みを〕与えてくださるからです。
神は愛のうちに、あなたのための計画を立てておられます。
神は今もなお、あなたをとても大切にしておられるからです。
(ジョン・ゴワンズ、英語版救世軍歌集490番)
〔訳注・日本の救世軍歌集では15番「神の心の奥底に」、2節に相当〕

神の祝福がみなさんにありますように。
 
(訳 立石真崇)
 
※小隊における祈りの資料として、個人で訳出しました。〔 〕は翻訳上、日本語を補った箇所です。また、今回は日本語としての読み易さを優先させて、原文と聖書の引用の位置を変え、その箇所を(※)の記号で挟んでいます。