参謀総長 リンドン・バッキンガム中将によるメッセージ
2020年10月18日のため
フェイスブックで発信されたメッセージの要旨を翻訳、紹介します。
モーセは神に尋ねた。
「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。
彼らに、『あなたたちの先祖の神が、
わたしをここに遣わされたのです』と言えば、
彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。
彼らに何と答えるべきでしょうか。」
(出エジプト記3章13節)
ブロンウィン中将とわたしは共に、救世軍の士官として世界のさまざまな地で奉仕する恵みに与ってきました。どの地においても経験してきたことは、わたしたちの名前〔Bronwyn ブロンウィンとLyndon リンドン〕をどのように読むのかということについて人々が苦労するということです。わたしたちの名前はいろいろな読み方をされました。とくに妻の場合はそうでした。
しかし、わたしたちの方から〔正しい読み方を〕主張することはありませんでした。なぜなら、人が誰かの名前を知るということは、相手との関係が新しく変わることを意味するからです。
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『出エジプト記』の始めにおいて、わたしたちは、イスラエル人が抑圧されていく次第をみました。新しいファラオ〔エジプトの王〕がイスラエル人を奴隷にしました。また、モーセがナイル川から、命からがら助け出されたこともみました。
〔王女の子として成人した〕モーセは、〔エジプト人がイスラエル人を虐げる場面、イスラエル人同士がけんかをする場面に遭遇し〕争いに介入しましたが、〔エジプト人を殺したことによって〕かえって自分の命を 危険にさらすことになりました。
〔追っ手から逃れてミディアン地方にたどりつき、長い年月を過ごした〕ある日、モーセは羊の群れを連れて、荒れ野の奥に行き、ホレブ山に着きました〔3・1〕。そのとき突然、彼は、何ものかによって引き止められていることに気づきます。柴が燃えていたのですが、炎で燃え尽きることがなかったのです。モーセは好奇心から、 柴に近づきました。そのとき、 「モーセよ」と呼ぶ声がしました。そうです、神がモーセの注意をご自分に向けられたのです。
神は 語られました。
わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。
わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。(3・10)
神は、神の民〔イスラエル〕を解放するために、モーセを神の民〔イスラエル〕の指導者として召されたのです。
* * *
モーセは、燃える柴の中から 神の声を聞きました。しかし、 彼は疑問や異論を持ちました。「もし、イスラエル人がわたしを信じなかったらどうするのですか。もし、わたしの話を聞こうとしなかったらどうするのですか。わたしはけっして雄弁ではありません。どのようにしたら、あなたがわたしを遣わされたことを、人々は確信できるのでしょうか。」
モーセはさらに重要な質問を 投げかけます。それは、神がどのようなお方であるのかに関わる問いでした。
「彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、 彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」(3・13)
この問いにこそ、 モーセと神の対話の核心があります。神はモーセの名前を知っておられました。今度は、モーセが神の御名を知るときなのです。 神の民〔イスラエル〕を導くなかで、モーセは神の御名にどのような意味があるのかについて知っていくことになります。
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燃える柴における神とモーセの出会いは、神の召命について 考えを促します。
まず明らかにしたいことは、神は、〔神からの〕 使命(ミッション)を果たす人生へとわたしたちを招かれるということです。神は、この〔神からの〕使命を果たすために、わたしたちが力を尽くすことのできる《天職 vocation》を備え、それぞれを 異なった働きにつかせてくださいます。ある人は、《天職》として、神の民〔教会・救世軍〕を導く働きに召されていることでしょう。これには、救世軍の士官としての職務も含まれています。
そうすると、この〔モーセと神の出会いの〕物語から、神の召命についてどのようなことを学ぶことができるでしょうか。
注目したいのは、モーセが好奇心によって近づいたところで、 神の声を聞いたということです。みなさんが目にするもののなかで、〔モーセのように、〕心が惹かれ、神のもとへと招かれるようなものがあるでしょうか。
次に注目したいのは、神がモーセの疑問や確信の無さも受けとめられたということです。今日のわたしたちにも、次のような問いを抱えるのではないでしょうか。
『しかし、神さま、わたしは この国にいる人々とは肌の色も違います。どのようにして彼らに受け入れられるのでしょうか。』
『しかし、神さま、どのようにしてミレニアル世代〔注・2000年頃に成人になった世代〕の人々に、あなたの救いをよりよく伝えることができるでしょうか。』
『しかし、神さま、経験の浅い自分が、どのようにして〔人々を〕導くことができるでしょうか。』
わたしたちの問いを神は受けとめてくださいます。
しかしながら、次に注意を向けたいことは、モーセが神の御名を知らないときにも、神がモーセの名前を知っておられたということです。
神は、モーセが不正に 直面した出来事から、彼の勇気を知られました。モーセが羊の群れを飼い、また、〔この後にも〕ご自分の民〔イスラエル〕を導くところから、彼の責任感を知られました。 神は、わたしたちの人格、性格、能力を御心に留め、それらも合わせてわたしたちを招かれます。 神は、〔ご自分の民を〕解放される神、救われる神です。モーセのような、みなさんのような、わたしのような、ごくふつうの人々を通して、神は働かれ、ご自分のすばらしい目的を成し遂げられるのです。
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わたしは、このように神と向かい合う救世軍人が多くいることを強く思います。
みなさんも 《燃える柴》に近づかれるとき、聖なる神の臨在に気付かれることでしょう。神が自分の人生を 召しておられることを知るとき、疑問や異論が浮かぶかもしれません。憤慨することもあるかもしれません。しかし、神はあなたの名前を知っておられます。そして、神は、ご自分の御名を知るようにとあなたを招かれます。神の民〔教会・救世軍〕を導く経験を通しても、神を見出し、神と親しく 共に生きるようにと招かれるのです。
どうか、みなさんが、自分の 人生に対する神の召命を理解することができるようにと求めていかれますように。そして、神が自分の名前をも知っていてくださるという確信を得ることができますように。そして、神の招き〔に応答する人生〕を通して、神の御名を知るものとなりますように。
神は、みなさんを招いておられます。 アーメン!
(訳 立石真崇)
※小隊における祈りの資料として、
個人で訳出しました。
〔 〕は翻訳上、日本語を補った箇所です。