【説教要旨】
神戸小隊 聖別会
2020年10月18日(日)
ローマの信徒への手紙16章1~16節
「教会の挨拶」
Ⅰ 神さまの家族
教会(小隊)のなかには、ふだんの暮らしとは異なる意味合いの言葉遣いがあります。たとえば、信仰を持つ者たちがお互いを呼ぶときに用いる、「兄弟」、「姉妹」という言葉です。
聖書によれば、神さまは「天におられるわたしたちの父」であるお方です(マタイ6:9)。また、イエス・キリストは、神さまの「独り子」です(ヨハネ3:16)。そして、イエス・キリストを信じ、神さまとの正しい関係に受け入れられた者たち、救われた者たち、わたしたちもまた、「神の子」としてされました(参照 ローマ8:14~16、ガラテヤ3:26)。それゆえ、教会(小隊)で信仰生活を生きるわたしたちは、「神の家族」とされ(エフェソ2:19)、イエス・キリストによる兄弟姉妹として向かい合うことができるのです。
(なお、わたしたち救世軍は、これらに加えてさらに「戦友」という言葉も使います。同じ志に立ち、一人の指導者に従って、共に進むという心が込められています。)
Ⅱ パウロからローマの教会への挨拶
『ローマの信徒への手紙』は、伝道者パウロがまだ直接訪ねたことのないローマ教会に宛てて書いた手紙です。手紙の本論は、大切な信仰の教え(教理)や信仰生活の勧めを取り上げています。手紙の結びは、具体的な名前が数多く登場しながら、パウロの心のこもった挨拶が記されています。
今日の日曜日は、救世軍では『女性部サンデー』という趣旨を持っています。そこで、パウロが挨拶を送る人々のなかから、4名の女性に目を留めたいと思います。
① フェベ(1節)は、ケンクレアイ教会の「奉仕者」でした。「奉仕者」は教会の働きの名称で、救世軍流にいえば『ケンクレアイ小隊のフェベ軍曹』です。ケンクレアイは港町でしたので、旅をするキリスト者(迫害で逃れた人もいたでしょう)を迎えた「援助者」でした。
② プリスカ(3節、使徒言行録ではプリスキラ)は、夫アキラと共にローマからコリントへ移住し、パウロと出会いました。パウロと同じ「テント造り」をしながら、伝道と迫害・困難を共にしました(参照 使徒18章)。二人の名前が宛先に含まれていることから、夫婦がふたたびローマに戻り、伝道していることがうかがえます(5節、彼らの家の教会)。
③ ユニアス(7節)は、パウロよりも先にキリストを信じました。キリストを信じる前のパウロは教会を迫害していたので、かつては“追う側”と“追われる側”でした。しかし、キリストを信じたパウロと「同胞」となり、迫害も共に経験しました。
④ ルフォスの母(13節)は、パウロにとっても母であると言われています。そして、ルフォスという名前は、イエスさまが十字架にかかられたときに、イエスさまに代わって十字架を担ぐこととなった、キレネ人シモンの息子としても記録されています(マルコ15:21)。これが同一人物を指しているとは、文書としては断言しきれないのですが、おおいに可能性があります。もしかすると、『わたしの夫は、主の十字架を担いだのですよ。』『そうでしたか、わたしはかつて教会を迫害しましたが、その途上、復活された主にお会いしました。そして救われたのです。』といった会話がかわされたかもしれません。
このような人たちを含めて、パウロの挨拶は、個人では27名、集まりとしては5つに送られています。また、この後には、差出人としてパウロのほかに、8人の名前が記されています(21~23節)。カタカナの名前がたくさん出てきますが、これらからも、心があたたかくなるような、信仰者が共に生きる姿を知ることができます。
Ⅲ 「主に結ばれた者」として生きる
パウロとローマ教会の関係の土台にあったもの、それは、パウロがくりかえし使う言葉で「主に結ばれている」ということでした。
今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、
罪に定められることはありません。
キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、
罪と死との法則からあなたを解放したからです。・・・
神の霊に
よって導かれる者は皆、神の子なのです。
(ローマ8章1、2、14節)
教会(小隊)が「家族」、「兄弟姉妹」、「戦友」と述べるとき、ただ気心が通じている、お互いを知っている、考えが合うという意味ではありません。
神さまが、イエス・キリストによってわたしたちを死から救い出し、新しい命、永遠の命に生きる者としてくださいました。この神さまからくる“恵みの事実”が、人種・性別・年齢・社会的な立場を越えて、わたしたちを同じところに立って生きることを可能にする、神さまのもとで共に生きることを可能にするのです。
今日、献げる『一円献金』についても、わたしたちはカンボジアの救世軍の人々と直接会ったわけではありません。知らないことのほうが多いのです。しかし、主に結ばれている者たちがその地にも生きています。同じ神の恵みによって、わたしたちは共に生かされています。それゆえ、心をこめて献金をささげるのです。
主イエス・キリストに結ばれる恵みに自らが生き、また、主イエスによる兄弟姉妹と共に生き、主イエスの救いの恵みに根ざして幸いを告げる教会(小隊)として歩んで参りたく願います。