11/21/2020

ブライアン・ぺドル大将によるメッセージ(11月15日のため)

ブライアン・ぺドル大将によるメッセージがインターネット(Facebook)で配信されました。以下に要旨を訳してご紹介します。

 

親御さんにお尋ねします。
『家族で旅行に出た時、子供が一緒にいなかったことに気付いたことはありますか。』

あるいは、勤めている方々にお尋ねします。『会議に出席する時に、ある議題について同僚たちが自分に賛成してくれるものと思っていたのに、そうはいかなかったという経験はありますか。』

人々が自分の側にいると思っていたのに、実際はそうではなかったというのは耐え難いことです。『他の人が〔自分と共に〕いてくれる』と想像することには危うさが伴います。

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わたしたちは『出エジプト記』を読み進んでおり、〔奴隷から〕解放された神の民が聖なる神と共に旅をしたことに、どのような意味があったのかを学んでいます。その旅路は人々にとっても、また、神にとっても、かならずしも心地よいものではありませんでした。

彼らが荒れ野で不平を述べたために、神は、マナと呼ばれる
食物を日々お与えになりました。また、イスラエル〔の民〕が聖なる民である意味を理解することができるように、十戒を授けられました。しかし、〔十戒を受けるために〕シナイ山に登ったモーセは、もう帰ってきても良い頃だろうと人々が考えてもなお姿を見せませんでした。モーセの不在によって、〔人々の〕不安がかき立てられました。彼らは、〔自分たちを〕導いてくれるものを目に見えるもので欲しいと叫びました。そこで、モーセの兄弟、アロンは人々に装飾品を差し出すようにと命じました〔33章1~3節〕。そしてついにモーセが山から降りてきた時、アロンはなんと、装飾品をただ火に投げ入れただけで、金の子牛が出てきたと話しました〔33章24節〕。そんなことがあるでしょうか!

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神ご自身も、心のかたくなな民に対して、耐えられなくなっている様子が明らかになります。

主はモーセに仰せになった。
「さあ、あなたも、あなたがエジプトの国から導き上った民も、ここをたって、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『あなたの子孫にそれを与える』と言った地・・・に上りなさい。しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない。」(33章1~3節)

モーセがすべきことは何だったでしょうか。

神の民が、〔神を〕忠実に信頼せず、偶像を拝もうという時に、指導者として何をすべきだったでしょうか。

神の計画されたことが軌道から外れてしまいそうな時に、指導者であるということにはどのような意味があるのでしょうか。

モーセが指導者として行ったことは、民のために執り成し、彼らを導くことでした。

*****

神と〔イスラエルの〕民の関係が絶たれてしまったのにもかかわらず、モーセは「臨在の幕屋」を用意し、その入り口で神と会見をしました〔33章7節〕。主は、「その友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られ」ました(33章11節)。そのような親しい交わりの中で、モーセは神の民の将来のために執り成しました。

彼は主に向かって次のように訴えました。

「もし、あなた御自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください。一体何によって、わたしとあなたの民に御好意を示してくださることが分かるでしょうか。あなたがわたしたちと共に行ってくださることによってではありませんか。そうすれば、わたしとあなたの民は、地上のすべての民と異なる特別なものとなるでしょう。」

すると、神は次のようにお答えになりました。

「わたしは、あなたのこの願いもかなえよう。わたしはあなたに好意を示し、あなたを名指しで選んだからである。」(33章15~17節)

神の民の指導者とは、《執り成す人》です。そして主は、「憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち」たお方として、友〔であるモーセ〕に応えてくださったのでした(34章6節)。

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今、パンデミック〔新型ウイルスの世界的流行〕のなかにあって、わたしたちは、困難な状況に置かれている友人たちにどのように寄り添うことができるかを模索しています。わたしたちは、なんとかして彼らと一緒にいるということを伝えて、安心させたいと願っています。

ある教師たちは、教え子のケアをしなければならないという大きなプレッシャーのもとで今も働いています。あ

るいはまた、自分の健康状態に関して先行きが見えない状況を過ごしている人々もいることでしょう。そのような人たちが、お互いの存在によって安心を得られるようにすることも必要です。

わたしたちはこの困難な時に、自分たちが共にいるということを知ってもらいたいと願っています。多くの場合には、何か〔言葉〕を語る必要もありません。わたしたちが存在しているということが重要になるのです。

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わたしたちはまた、この困難な日々のなかで、救世軍に神の臨在があるようにということも祈りたいと思います。

不確かな状況のなかを歩むときにも、憐れみに満ちた神が共におられると信頼しましょう。

未知の領域を進むときにも、聖なる神が恵みにあふれて、共にいてくださることにより頼みましょう。

変わることのない愛と真実に満ちておられる神にしっかりとつながり、神から与えられた使命に従事しましょう。

そして、へりくだり、神の御顔を求め〔て祈り〕ましょう。

イヴォンヌ・フィールドは、そのような祈りの核心をとらえて賛美しています。その言葉に耳を傾けましょう。

主よ、
もしあなたの臨在が共にないのであれば、

どうぞ、ここからわたしたちを去らせないでください。 

あなたがわたしたちに先立って歩んでくださらないなら、
人々はどのようにして、
わたしたちが神の民であると知るでしょうか。
 

主よ、
もし あなたの恵みが与えられないのであれば、

わたしたちは この場所を越えていくことはできません。 

もしあなたの祝福がなければ、
人々はどのようにして、
わたしたちがあなたの御名のもとで

進んでいると知るでしょうか。 

それですから、わたしたちは あなたの臨在のなかに留まります。

そして、へりくだり、あなたの恵みを求めます。 

全能の父、主なる神、救い主よ、
わたしたちは あなたと顔と顔を合わせて
お会いしたいのです。
 

あなたの栄光を、わたしたちの上に輝かせてください。 

確信を強め、霊感を与え、必要を満たしてください。 

全能の父、主なる神、救い主よ、
あなたの聖なる臨在こそが、
わたしたちの道しるべです。

 (イヴォンヌ・フィールド、英語救世軍歌集1031番)


(訳 立石真崇)

※本紙は、小隊における祈りの資料として、個人で訳出したものです。日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。