ペドル大将がインターネット(Facebook)から
発信された聖書メッセージ
要旨を以下にご紹介します
2020年の最後の月にあたり、この一年がユニークで、興味深く、そして挑戦的な年であったと述べるならば、多くの方がうなずいてくださると思います。
わたしたちは今もなお、パンデミック〔新型ウイルスの世界的流行〕のなかで生きています。予想もしなかったことが、今も、わたしたちの生活に影響を及ぼしています。
この一年間、地域社会が一つにまとまり、弱い立場に置かれている人々、必要を抱えている人々、保護を必要としている人々のケアを支えてきました。それらのなかに、人間性(ヒューマニティー)の最高の姿を目撃してきました。
しかしまた、人間性(ヒューマニティー)の最悪の姿も見てきました。人種差別によって犠牲になった命がありました。また、〔人種差別による暴力に反対する〕抗議活動が、参加者のさまざまな意見の違いから、かえって 暴力を伴うものとなってしまいました。
こういったことの一つ一つによって、わたしたちは鼓舞されたり、あるいは、疲れ果てたりと、両方を経験しています。
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イエスが「平和の君」として来られた、わたしたちの世界は、混乱し、複雑にからみ合い、 たえず変化し、不確実で、人々を困惑させるような世界です。
イエスは、政治の体制や制度の硬直した宗教が偏見を持ち、抑圧的になり得ることをよく 知っておられました。そして、〔そのようなことによってご自分も〕苦しみを味わわれました。 イエスが生きておられたのは二千年も前のことですが、彼の言葉は、今もなお現実的な妥当性があります。なぜなら、彼は神の御子であり、〔この世界を〕 永遠という視点から見ておられたからです。
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それならば、イエスは平和についてどのように教えておられるでしょうか。
イエスが宣教の働きを開始されたときに、山上の説教の中で次のように言われました。
平和を実現する人々は、 幸いである、 その人たちは 神の子と呼ばれる。 (マタイ5・9)
また、ご自分が〔十字架の死によって〕弟子たちのもとから去っていくこと、また、〔天に昇られた後に、〕約束された聖霊が降ることについて、弟子たちに備えさせるために、次のようにも語られました。
わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が 与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。(ヨハネ14・27)
このように語られたイエスは、風と波に対して、「黙れ。静まれ」と言われたお方でもあります(マルコ4・39)。
また、シモンの家で、ご自分の足に油を注いだ女に対して、イエスは「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(ルカ7・50)と語られました。
また、多くのことを弟子たちに教えたのちに、イエスは次のように話されました。
これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。 あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハネ16・33)
天の使いはイエスの誕生を告げるときに、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と賛美しました(ルカ2・14)。
また、イエスが復活後に弟子たちに姿を現わされた時には、「あなたがたに平和があるように」と告げられました(ヨハネ20・21)。
イエスが地上において、際立った存在であるゆえんは、「平和」にあります。(♰)
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神の平和を他の人々と分かち合うことが、イエスのしようとされていたことであることは明らかです。わたしたちも、イエスに従う者たちとして、同じようにしなければなりません。
しかし、わたしたちは、まず自分自身のために平和を得ていなければ、他の人々と分かち合うことはできません。
それゆえ、わたしたちに必要なことは、神との関係の中で生きることを確かにしていくことであり、また、自分たちの理解を越えるようなことであるとしても、神の平和を受け取っていくことです。不思議なことですが、この平和が、わたしたちの「心と考えとをキリスト・イエスによって守」ってくれるのです(フィリピ4・7)。
このようにわたしたちの焦点を神に定め(イザヤ26・3)、 〔神の〕平和を受けとめることによって、わたしたちは、人生の嵐の中でも神の平和を経験することができ、その平和を人々と分かち合うことができるようになります。
そして、わたしたちが平和を現すもの、平和をもたらすもの、平和を築くものとなるならば、「神の子」と呼ばれます〔参照 マタイ5・9〕。なぜなら、その時、わたしたちはまさしく神の本質であり、神の性質であるものを人々と分かち合っていることになるからです。
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それですから、このアドベントの季節、さらにこの後にも、わたしたちは《平和の民》でありたいと願います。
聖霊がわたしたちのうちに 宿っておられますから、どうかわたしたちの存在自体が、その居る場所、状況、暮らしに平和をもたらすものであるようにと願います。
また、わたしたちは神の御言葉を分かち合うものとされていますから、どうかわたしたちの言葉が平和の言葉となるようにと願います。
みなさんがどこにいようとも、どのような状況に置かれるとしても、今、神の平和を経験することができますように。
(訳 立石真崇)
※本紙は、小隊における祈りの資料として、個人で訳出したものです。 日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。また、今回は日本語で内容の流れをたどりやすくするために一部、文章の位置を移動し、(♰)でしるしをつけています。