ペドル大将がインターネット(Facebook)から
発信された聖書メッセージ
要旨を以下にご紹介します
2021年へようこそ!
『ようやく新年になった。 2020年に別れを告げることができて、なんとうれしいことか』というような声が、世界のあちらこちらで交わされているのが聞こえてきそうです。
これまでの数ヶ月、ある人々にとっては神経をすり減らす、不安定なときでした。予想もつかないほどに人々が痛みを経験する日々であり、ときには、 ただ圧倒されるような日々でした。
〔そのような日々のなかで〕 わたしは三つの事実に信頼を 置いて、祈り続けました。
第一に、わたしは、わたしの 罪のために死んでくださった イエス・キリストを知っているということです。
第二に、墓の中から復活されたお方として〔イエス・キリストを〕知っているということです。
第三に、このお方はふたたび〔天からこの地へと〕ふたたび来られるということです。
それですから、暗く憂うつに思われるときにも、道がはっきりと見えないときにも、わたしは、いくつかの言葉を口ずさみ、心の慰めとしてきました。
それは、
〔イエス・キリストがつけられた〕「十字架」、
〔イエス・キリストが復活された〕「墓」、
〔イエス・キリストが昇られた〕
「空」
といった言葉でした。
そして、神はけっして動かされることはなく、今もたしかに存在しておられると、自分に 言い聞かせながら今に至っています。
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ふりかえると、わたしはいつも、まだ何も書かれていない 〔書物の〕一頁のように、新しい一年を喜んできました。不可能に思われることに対しても 望みを抱き、信仰と勇気によって待ち続けました。そして、 わたしの神である主がわたしに先立ってくださることを見出してきました。
それらを心に留めながらも、現在は、前を見つめようとすると《影》に覆われてしまいます。わたしは、〔神が御心に定めておられる〕約束の日があることを見ようとしていますが、それが〔いつ、どのように〕実現するかについては確かなことがわかりません。
その《影》とは、パンデミック〔新型コロナウイルスの世界的流行〕によって今も引き起こされている、強烈な現実のことです。それらがもたらす予期せぬ影響によって、わたしたちは際限のない努力を要求されています。信仰を持つ人々が〔これからますます〕必要とされるでしょう。
思ってもみなかった明るい 兆しとしては、ワクチンを巡る取り組みがあります。ワクチンによって助かった事例、死者の数もいくらか減少したという事例が伝えられています。 しかし、依然として世界規模で雇用が失われ、経済が打撃を受けています。
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〔妻である〕ロザリー・ペドル中将とわたしが待ち望んでいるのは、世界各地の救世軍人を訪ね、国際的な救世軍として お互いがもう一度結び合うことです。
わたしは、『ニュー・ノーマル』〔新しい生活様式〕という明るい展望が開かれることを期待しています。詳しいことをみな 知っているわけではありませんが、『ニュー・ノーマル』〔新しい生活様式〕のなかに、家族と共に過ごせるようになること、友人たちと共に礼拝できるようになることが含まれるように望んでいます。また、神がわたしたちのために、また、2021年の救世軍のために備えておられるすべてのことを、制限されることなく受けとめる自由が 含まれるようにと望んでいます。
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わたしは信仰に満ちた人でありたいと願っています。ただし、その信仰が適切に位置付けられているかどうかについて、とても注意をしています。
わたしにとって信仰とは神に対する信仰です。神こそが主権者であり、アルファでありオメガであるお方〔始めであり終わりであるお方〕です。試練に 遭ってしまうと働かなくなる 信仰や、パンデミック〔新型 ウイルスの世界的流行〕のような状況で沈み込んでしまう信仰は、わたしが求めている信仰ではありません。わたしは、神がわたしたちと共におられることを知りたいと願っていますし、たしかにその通りであると確信しています。
ヘブライ人への 手紙11章1節には、次のように記されています。
信仰とは、望んでいる事柄を 確信し、見えない事実を確認することです。
この聖書の言葉、また、11章の全体は、神がご自分の民との間に結ばれた、申し分のない 契約です。信仰によって、わたしたちは神と関りを持ちます。 不可能と映る状況に対しても、神であるお方と共にあって、 わたしたちは神の歴史の一部となるのです。
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わたしにとって有益に思われることは、挑戦、混沌、不安定、疑い〔が入り混じる現状である〕にもかかわらず、なお「エベン・エゼル(助けの石)」を置き、 立ち上がることができるということです〔参照 サムエル記上7・12〕。
イスラエルの民が最強の敵であるペリシテ人と対峙した物語のなかに、わたしたちは、勇気と信仰を見出したいものです。彼らは〔神から遣わされた預言者〕サムエルに立ち返り、究極的には、神ご自身に立ち返りました。そして神が彼らに代わって戦われ、敵を打ち破られました。「エベン・エゼル」は、その勝利の記念として置かれた石であり、「今まで、主は我々を助けてくださった」という真理を 明瞭に表すものでした。
わたしは、国際的な救世軍を指揮する特権に与かっています。しかし、わたしたちが平安を 得ることができるのは、〔人間の働きによるのではなく、〕わたしたちの神が真実なお方であり、わたしたちに代わって戦ってくださるお方であること、そして、そのような神の御手のうちに 救世軍があると知るときです。
神は、わたしたちを助けてくださいます。神は、鷲が雛を翼に載せるようにして、わたしたちを運んでくださいます〔申命記32・11〕。
わたしたちは、全能の神の陰に宿ることができます〔詩編91・1〕。
神は御力をもって、盾となってわたしたちを 守ってくださいます〔詩編5・13、18・31〕。
そして、わたしたちは輝かしい勝利を収めることができます〔ローマ8・37〕。
わたしたちが確信をもってこの新しい年を迎えることのできる唯一の道は、〔わたしたちの思いを超えて〕すべてをかなえることがおできになるお方としてご自身を示される、神に対する信仰をもつときです〔エフェソ3・20〕。
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わたしが提唱した、『宣教への召命 Call to Mission(コール・ トゥ・ミッション)』は、神が 救世軍に与えられた召命であると信じています。
一つ一つの 小隊、施設がこの召命を受けています。そしてまた、すべての兵士・士官にこの召命が与えられています。それは、わたしたちに次のことを問うものです。
《備える》 この世界に対する宣教のために備え、使命を 果たすために生きること。
《従事する》 神に従う信仰をもって、神の計画に主体的に参加すること。
《責任を担う》 自分に託された務めをけっして手放さず、他の人に負わせないこと。
もし、世界の歴史の中で、 救世軍の存在、使命、愛と奉仕を必要が必要とされるときがあるとするならば、今がまさにとそのときです!
この2021年、わたしたちの祈りは、新型ウイルスやその他の抑圧によって収容所に閉じ込められたようになるのではなく、外に向かっていく救世軍でありたいということです。
聖霊によって動かされ、愛に強く 促され、神がわたしたちと共にいてくださるがゆえに救いの 戦いの備えができているものでありたいと願います。
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『幸いな年でありますように』というのがわたしの願いです。ただし、その願いは困難に向かい合うなかで、また、場合によっては、幸福が遠ざかるように思われるなかで、実現していくことでしょう。
わたしはみなさんのために、また、みなさんが愛しておられる方々のために、あなたが奉仕している人々のために祈ります。
折々に困難にみまわれるとしても、全能の神が御手をもって わたしたちをとらえてくださり、恵みをもって支えてくださいますように。
これまでもわたしたちを助けてくださった主が、この新しい年においても、わたしたちと共にいてくださると信じます。
神の祝福をお祈りいたします。
(訳 立石真崇)
※本紙は、小隊における祈りの資料として、個人で訳出したものです。 日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。また、今回は日本語で読みやすさを優先させたいことと、紙面の都合から、英語で似た表現がくり返されたときには、日本語ではひとつにまとめた箇所があります。