2/15/2021

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ(2月第2週のため)

ペドル大将がインターネット(Facebook)から
発信された聖書メッセージ

要旨を以下にご紹介します

 

前回、わたしたちは《品性》(キャラクター)について考え、《勇気》という性質を取り上げました。 

今回は別の主題について考えます。

それは、《柔和 gentleness》 ということです。 

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いくつか質問をしたいと思います。
とくに学生の方に向いている質問かもしれません。

あなたの好きな先生はだれですか。

その先生のどのような点について、あなたは感謝を覚えていますか。先生が担当している教科について理解が深いということでしょうか。あ るいは、あなたの学びを大きく変えるような《品性》を、その先生が持っていたということでしょうか。 

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イエスはしばしば教師として語られましたが、あるとき、人々に次のように言われました。 

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。(マ タイ11・29) 

イエスはご自分について、「柔和で謙遜な者」と述べられたのです。

柔和と学ぶことが結び合わされているのはなぜでしょうか。 

《品性》を作り上げるために、どのように学ぶことがよいのでしょうか。 

今日の世界において、《柔和》という言葉をどれほど耳にすることができるでしょう か。
〔人を教えたり、指導したりする立場の人物について〕《柔和》という言葉はもはや、ほとんど耳にすることがなくなったのではないでしょうか。 

公共の指導者たちについて、彼らが《柔和》であると表現することがどれほどあるでしょうか。
むしろ、指導者については「意志が強い人」、「横柄な人」、「弱いものをいじめる人」といった表現がよく使われるのではないでしょうか。
そして、個人だけでなく、組織や集団にも、さらには民族についてもあてはまる場合があります。ときには、横柄で人を見下したがゆえに、自分 の立場を失う人もいます。 

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イエスは教師として、ご自分を《柔和》であると述べられました。

〔そのような姿をよく表す出来事として、次のようなことがありました。〕
ある日、弟子たちの間で『誰が偉いか』という議論が起きました。そのとき、イエスは幼子を呼び寄せ、ご自身のそばに立たせて次のように言われました。 

自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のために このような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。 (マタイ18・4、5) 

イエスは柔和なお方ですが、人の言いなりになりやすいお方であるという意味ではありません。

聖書を研究している人々の指摘では、《柔和》と訳されているギリシャ語は、野生の馬が飼いならされたさまを表しているということです。言いかえれば、《柔和》とは鍛錬された強さでもあるのです。

この指摘に非常に心を惹かれます。 

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ジョン・ゴワンズ大将が作った賛美には、イエスの《柔和》についてうたった、次のような歌があります(英語救世軍歌集34番)。

わたしが信じること、
それは、御子である神のうちに、
父なる神を見出すことができるということ。
イエスの柔和のうちに、
全世界に対する〔神の〕愛が 示されているということ。 

救世軍人は、『イエスのもとに行こう、そして彼に学ぼう』と人々に呼びかける者たちです。

友人に対して、近隣の人々に対して、また、民族が異なり、教育の背景が異なる人々に対しても同じように、イエスのもとで学ぶようにと招き、そして、イエスを通して神の愛を学ぶのです。

また、〔神からくるところの〕正義、希望、信仰をイエスのもとで学ぶのです。 

わたしたちが人々をイエスのもとへと招き、共にイエスに学ぶときに、わたしたちは、神が柔和なお方であり、鍛錬された強さを持っておられるお方であると知ることができるでしょう。 

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いつくかの質問をいたします。
どうぞご一緒に考えてください。

これまで、教える者の大切な資質として《柔和》があるということに注目してきました。そのほかにも、あなたの学びを助ける教師には、どのような資質を見出すことができるでしょうか。 

これまで、イエスの教えには彼の柔和が深く関わってい ることに注目してきました。そのほかにも、イエスの働きのなかで彼の柔和を知ることができるのは、どのような場面においてでしょうか。 

今回も、どうぞ意見、応答、質問をお寄せください。
そして、《柔和》という品性について考えを深めたいと思います。 

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これから始まる一週間、キリストがみなさんと共にいてくださり、この世界において《柔和》を追い求めることができますように。 

 (訳 立石真崇)

 ※本紙は、小隊における祈りの資料として、個人で 訳出したものです。 日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。