主に向かって喜び歌おう。(詩編95編1節)
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聖霊を受けた弟子たちは、心を合わせて神を礼拝しました。《パンを裂くこと、祈ること》という表現は、弟子たちが神殿と家庭のどちらにおいても神を礼拝したことを表わしています。また家庭の礼拝では、実際に食事もしていたようです(46節)。弟子たちは食事の機会にイエスさまと過ごしたことを思い起こし、神の愛を確認したのだろうと思います。弟子たちの礼拝と交わりは結び合っていました。それは今も教会・小隊が大切にしたいと願っていることです。
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天の父なる神さま、わたしたちの小隊(教会)、またそれぞれの家庭や暮らしの場を、あなたへの礼拝の場として清め、お守りください。どの場所にあってもあなたを見上げ、あなたの愛を受けとるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン