ブライアン・ペドル大将によるオンラインで発信されたメッセージです。
(フェイスブック) 要旨を翻訳して以下に紹介します。
〔兄弟たちは…〕ヨセフを穴から引き上げ、
銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、
彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。
(創世記37章28節)
創世記の物語は、天地創造の黎明(れいめい)から神の贖いの御業の黎明(れいめい)へと、読む者を導いていきます。
神は、人間がご自身を悲しませたにもかかわらず、恵みをもって彼らに臨み、彼らをあきらめることをなさいませんでした。 神はアブラハムとサラを召し出され、新しい未来を約束されて、彼らを故郷から導き出されました。そして、彼らの未来は、息子イサクの誕生というかたちで 実現していきました。さらに神の〔約束された〕未来はイサクの 息子、ヤコブの生涯において展開し、彼はカナンの地に定住するようになりました。
創世記第37章は、「ヤコブは、父がかつて滞在していたカナン地方に住んでいた。ヤコブの家族の由来は次のとおりである。」という言葉から始まります(創世記37・1、2)。※
そこから続く〔家族の〕物語は、〔人間のもたらす〕悲劇と、また、神の隠された摂理の働きの両方を伝えています。
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ヤコブには12人の息子がいました。
問題となったのは、ヤコブが息子たちのうち、一人だけを他の11人よりもかわいがったことでした。ヤコブはヨセフに好意を示し、特別な服であった「裾の長い晴れ着」を与えました〔3節〕。わたしたちも承知していることですが、家庭の中での「ひいき」は災いをもたらします。
そして、ヨセフ自身も、自分が〔兄弟の問題の〕原因になることを避けることができませんでした〔4~10節〕。彼は、兄たちの悪い素行を見つけては、父に告げ口をしました。また、彼は、自分が重要な存在であるということを暗示する夢を見〔たことを、 兄弟や父に悪びれずに話したために、兄たちの不興を買ってしまい〕ました。
ヨセフが十代の若者になった、ある日のことです。父〔ヤコブ〕はヨセフを使いに出し、兄たちが言いつけられたように羊を飼っているかどうか様子を確かめに行かせました。兄たちは、ヨセフが近づいてくるのを発見し、ヨセフを排除する機会が来たと考えました。彼らはヨセフの袖の長い晴れ着をはぎ取り、水の無い穴に投げ込みました〔23、24節〕。
さらに、彼らはある計画を思いつきました。それは、ヨセフを 殺してしまうのではなく、エジプトへ向かう隊商に売り飛ばすというものでした。そして、兄たちは、「ヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に 売った」のでした〔28節〕。ヤコブの息子〔であったヨセフ〕は、兄弟たちによって、銀貨20枚に 替えられてしまったのです。ヨセフは捕らわれの身となり、エジプトへ連れて行かれました。そこで、ふたたび売られて、あるエジプトの役人のもとに行くことになりました。
一方、兄たちは父ヤコブのもとへと帰りました。ヤコブは、衣服に獣の血が滲みついたヨセフの衣服を見せられ、悲しみのあまりに自分の衣服を裂き〔、愛する 息子ヨセフが死んでしまったと悲しみ〕ました。家族がなんとか慰めようとしましたが、ヤコブは彼らの慰めを拒みました。
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世界中の救世軍において、この日曜日〔9月27日〕は、『人身 取引の犠牲者のための祈りの日』として計画されています。
今日の世界における人身取引の規模は、計り知れないものです。わたしたちが想像もつかないような仕方で、犠牲者たちは苦しみを味わっています。人身取引と 戦うためには、多くの人々の応答を必要とします。 それゆえ、救世軍は、『自由のための戦い(Fight for Freedom)』という名称で、万国的な戦略を 立てています。
この日、わたしたちは、祈りにおいて『自由のための戦い』を開始します。現在の 奴隷制度というべき人身取引の犠牲となっている人々も、《神にかたどって創造された人々》です〔創世記1・27〕。それですから、わたしたちは神に向かって祈りたいのです。
ヨセフの兄弟たちは、ヨセフから人間性を奪い、売り買いする 商品としてしまいました。現代の奴隷制度というべき人身取引も、子どもたちから、女性から、男性から人間性を奪い、あるいは、 人間の身体の一部を、代金を払えば手に入る品物にしてしまっています。それですから、わたしたちは犠牲となっている人々のために祈り、神が彼らを尊んでくださるようにと祈るものです。公正で、誠実な神に向かって祈ることから、『自由のための戦い』を 始めてまいりましょう。
ヨセフの兄たちはごまかしを重ねて、父親の前から真実を隠してしまいました。人身取引もまた、目的を達成しようと、人を欺く 約束や手配を拠り所として〔行われて〕います。このような人間性に反する犯罪と戦うために、わたしたちがしなければならないことは多くあります。この戦いのためにわたしたちが努力するということは、〔旧約聖書〕ミカ書にみられる次のような《確信》を 表すということでもあります。
何が善であり
主が何をお前に求めておられるかは
お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し
へりくだって神と共に歩むこと、これである。
(ミカ書6・8)
どうか、わたしと共に次の祈りに加わっていただきたいと思います。
愛する神さま、
今日、わたしたちは人身取引の犠牲となっている人々のために祈ります。
彼らは、歪んでしまった世界のなかで人間性を奪われ、
強欲と暴力とによって捕らわれています。
どうか、犠牲となっている人々が、
あなたのうちにあって〔神に創造されたものであるという〕尊厳を
回復することができますように。
そして、わたしたちも、犠牲となっている人々について、
あなたにかたどって創造されたものであると、
一人
ひとりの尊さを明確に述べることができますように。
不正の鎖が解かれ、抑圧されている人々が自由になるために、
わたしたちをお用いください。
人身取引という罪悪が終りを迎えますように。
人身取引の
犠牲となっている人々が、回復と癒しを、
あなたのうちに見出すことができますように。
アーメン
(訳 立石真崇)
※本紙は、小隊における祈りの資料として、個人で訳出したものです。 日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。また、今回については、聖書の引用について、英語の区切りと日本語の区切りの違いから引用の範囲を変えたところがあり、※を付けています。