1/23/2021

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ(1月17日のため)

ペドル大将がインターネット(Facebook)から
発信された聖書メッセージ

要旨を以下にご紹介します

 

『競争を走り抜こう』 

昨年、しばしばお互いが口にしたことは、『今週さえ乗り切ることができれば、どうにかなるでしょう』ということでした。 

今もなお、良くないニュースを耳にしますが、〔新型ウイルスに対する〕ワクチンに関する 良い知らせも聞かれるようになりました。そうしたことをふまえながら、『なんとかなると信じよう』とお互いに声をかけ合い、このパンデミック〔新型ウイルスの世界的流行〕の期間を乗り切っていきたいと願っています。 

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ある長距離選手が話してくれたことですが、彼らは、競争の最終地点が見えると、何かに 突き動かされ、ゴールにたどり着こうと力が湧いてくるということでした。

なるほどと思います。

しかし〔そのような話に 対して、〕現状は、次のような 問いを投げかけています。 

『それでは、このパンデミック〔新型ウイルスの世界的流行〕には終わりが来るのですか?』 

もし、はっきりとしたゴールがないのであれば、わたしたちはどのようにして競争を終えることができるでしょうか。 

ここで、新約聖書の中からヘブライ人への手紙を思い起こしたいと思います。この手紙では、キリスト者の生活が長距離走にたとえられています。 

こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている 以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に 定められている競走を忍耐 強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。 (ヘブライ12・1、2) 

心に留めたいのは、この手紙が書かれたのは、気落ちし、 疲れ果てている人々のためで あるということです。彼らは 疲労のために、もはや一歩も 進むことができないと考える ような状況でした。どうでしょうか、〔彼らの姿はわたしたちにとって〕身近に感じられるのではないでしょうか。 

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昨年はいくつもの行事が取り止めになりました。

〔それらに 加えて、〕わたしたちが消耗させられてきたのは、弱さを抱える人々や医療に従事している人々が犠牲を払っているかたわらで、議論に明け暮れ、自己主張をくり返す人々がいるということです。

このような一年によって、わたしたちの活力は大きな打撃を受けました。そして、わたしたちの希望も挑戦を受けています。 

〔そのような状況の中で聖書を読むときに〕注意されるのは、この新約聖書の手紙の著者が、わたしたちに目の前の競争を走り続けるようにと励ましていることです。 

わたしたちの前にある競争は、いわば《駅伝》です。

そして、わたしたちの先頭に立っておられる選手こそは、ナザレの人イエスです。彼は、「御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです」。(12・2後半) 

〔訳注〕英語の聖書(NIV)では、 「御自分の前にある喜びのゆえに」という解釈・翻訳になっている。 

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わたしたちの前に用意された競争は、〔今の時点では、〕苦痛や疲弊という区間に入っています。しかし、使徒パウロが述べているように、「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、 神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」〔フィリピ3・13、14〕。 

すでに先代の信仰者たちによって、《たすき》は受け継がれてきました。そして、今はまさに、わたしたちが走るようにと呼ばれているのです。 

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わたしたちは、科学者や医療研究者の話に耳を傾けていますが、この新型ウイルスがすぐには無くならないことが明らかになりつつあります。すでにウイルスが変異しているということも見聞きしています。他のウイルスと同様、この新型コロナウイルスは当分の間、わたしたちの間に存在することになるでしょう。

そして、新型ウイルスが医療従事者に及ぼしている影響〔の深刻さ〕を見るときに、わたしたちは地域社会において、自分自身のために、また、お互いのためにあらゆる予防策を講じなければなりません。 

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今は明確なゴールを見定めにくい状況にありますが、確かなことは、この競争が、新型コロナウイルスに立ち向かうものであるということです。

今はまだ途上で、ウイルスを克服していませんが、わたしたちは競争にはかならず最終地点があると 知っています。それですから、たゆまぬ努力によって走り続けることができるはずです。 

わたしたちは、神が真実な お方であり、〔究極的には競争のゴールにおいて〕わたしたちを迎えてくださることをも知っています。

わたしが確信をもってはっきりと述べたいことは、 神が、ご自分の民となった人々の嘆きをたしかに聞いておられるということです。わたしたちのために、神は自ら行動してくださいます。 

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神は、わたしたちを失望に 陥らせることのないお方です。 

今日も、わたしたちは、救世軍とそこに集う人々、そしてわたしたちの世界を、神の守りの 御手のうちに委ねます。 

神の祝福がありますように。 

 

(訳 立石真崇) 

※本紙は、小隊における祈りの資料として、個人で訳出したものです。 日本語の読みやすさを考慮して日本語を補った箇所があり、〔 〕で区別しています。