わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。 (マタイによる福音書5章17、18節)
イエスはしばしば、神の掟である律法をめぐって、当時の宗教者たち、ファリサイ派の人々、律法学者たち、祭司長たち、長老たちと論じられました。
しかし、イエスが語られたのは、ただ批判するため、議論するためではありません。
律法がほんとうの意味で実践されるため、掟の背後にある神の御心が実現するためでした。
このお方が、わたしたちに、神の御心が地上でも行われるようにと祈り、歩むことを教えてくださいます。