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ガラテヤの教会に《キリストの福音を覆そうとしている》人々が現れました(1章7節)。彼らは『神に認められるためにはイエスを信じるだけでなく、ユダヤ人に与えられた神の掟(律法)を守らねばならない』と主張しました。これに対してパウロは、《もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしま》うと語り、《人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる》と断言します(16、21節)。わたしたちの救いの根拠は、自分の努力や成果ではなく、ただイエス・キリストにあります。
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天の父なる神さま、わたしたちを愛し、救うために御子イエスを遣わしてくださったことを感謝します。《キリストがわたしの内に生きておられる》ことが命となり、力となる歩みを教え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン