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《自由》はときに、自分の望むままに『したいこと』をすること、あるいは、『したくないこと』をしないでいられることであると理解されがちです。しかし、《自由》といいながら実際は欲望の虜(とりこ)になっている場合があると、パウロは注意します。そして、イエス・キリストが与えてくださった《自由》は、《肉に罪を犯させる》ためではなく、《愛によって互いに仕え》るためのものだと語ります(13節)。イエス・キリストご自身、神の独り子でありながら、わたしたちの救いのために十字架に至る道を選ばれました。イエス・キリストの十字架は、愛するのための自由を何よりもわたしたちに教えてくれています。
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天の父なる神さま、御子イエスが得させてくださった自由を正しく生きるものとならせてください。《わたしの軛を負い、わたしに学びなさい》との主の招きお応えし、従うものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照 マタイ11章29節)