ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。(ルカによる福音書15章20節)
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「放蕩(ほうとう)息子」のたとえで、《父親》は帰ってくる《息子》を遠くに見つけました。家を飛び出し、好き放題をした挙句に人生に失敗した息子でした。しかし、父親は彼を《憐れに思い》、自ら《走り寄って》迎えました。当時は年長者が走るなど想像し難い姿でした(参照レビ記19章32節)。しかしイエス・キリストは、息子のためなら恥も外聞もかなぐり捨てる父親をあえて描かれました。それがわたしたちを愛し、待ち続けておられる天の父、神の姿だからです。
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天の父なる神さま、わたしたちがどこにいるとしても、あなたはわたしたちを見つけ、御子イエスによって近づいてくださいます。あなたに心を向け、わたしたちがまことに生きるべき所へと立ち返らせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン