そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」(マタイによる福音書27章16、17節)
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ローマの総督(そうとく)ピラトは、《祭りの度ごとに・・・民衆の希望する囚人を一人釈放する》という慣例を利用して(25節)、主イエスを解放しようとしました。しかし、民衆は《バラバ・イエス》という囚人の釈放を希望しました。その名前は「父の息子であるイエス」という意味があります。人を救うためにご自分を身代わりとされた、イエス・キリスト。自分が助かるために他の人に身代わりになってもらった、バラバ・イエス。対照的な二人の《イエス》の姿には、イエス・キリストの十字架がわたしたちの罪の身代わりであることがすでに示されています(コリント二5章21節)。
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主イエスよ、わたしの罪の身代わりとなり、死と滅びより救い出してくださったあなたに感謝を捧げます。アーメン