キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。・・・そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。(ペトロの手紙一2章21、24節)
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神の愛や正しさを大切にしようとして、かえって周囲との摩擦(まさつ)を経験し、苦しむことがあるなら、その苦しみも主イエスは知っておられるとペトロは言います。主イエスご自身も人々から理解されず、拒(こば)まれ、十字架の苦しみと死を受けられたからです。しかし、《ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅(おど)さず、正しくお裁(さば)きになる方にお任(まか)せになりました。》(23節)主イエスの十字架は、苦難の中でもなお神と共に歩む道を指し示す《模範》です。
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天の父なる神さま、御子イエスの十字架に《悪に負けることなく、善をもって悪に打ち勝》つ道を見出し、御子の後に続かせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(ローマ12章21節)