これらを備えていない者は、視力を失っています。近くのものしか見えず、以前の罪が清められたことを忘れています。(ペトロの手紙二1章9節)
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わたしたちの信仰は、たとえば双六(すごろく)の“あがり”のように、信じることでおしまいなのではありません。むしろ、イエス様を信じた時から新しく始まります。イエス様によって新しく生き、育ち、実を結ぶことができます(3~5節)◆
そのような信仰と人生の大切さをいま一度確認するために、ペトロは《怠惰で実を結ばない者》という正反対の姿を示します(8節)◆
そのような人は《近くのものしか見え》ない、すなわち、この地上の生活における成功や幸福に心が傾き、神様と天の国を見失います◆
深刻なことに、《以前の罪が清められたこと》をも忘れてしまいます。すなわち、イエス様を知る前の自分が罪の奴隷というべき状態であったこと、そのような自分をイエス様が救い出してくださったことを忘れてしまいます◆
神様の愛を見失い、自分の救いを忘れ、この世の自分だけを見る生き方です。
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天の父なる神様、《わたしの愛にとどまりなさい》と呼んでくださるイエス様を受け入れ、あなたの愛を覚えて歩むものとならせてください。あなたの愛や人生の本当の目的地を見失わせるような誘惑や災いからお守りください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照ヨハネ15章9節)