しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。(ペトロの手紙一4章16節)
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ペトロは、イエス様と《同じ心構え》になり(1節)、イエス様にならって《互いに仕え》るようにと勧めます(10節)。そしてさらに、《キリストの名のために非難され》ることをも喜びとするようにと勧めます(13、14節)。たいていの場合、宗教や信仰はいかに苦しみから逃れられるかに注目します。聖書にもそのような面があります。しかし、ペトロは、苦しみと喜びがイエス様において一つとなり得ることを見出しました。イエス様を信じる人が信仰のゆえに苦しみを経験する時、その苦しみの中でもイエス様と共に生きていると言うことができる。イエス様も神様の御心に従い、苦しみを受けられたからです。そして、《キリストの苦しみ》は《キリストの栄光》につながります(13節)。イエス様は十字架の苦しみと死をお受けになった後に、復活され、まことの救い主とて世界を新しくし、治められます。このようなイエス様と共に生きる人に、《キリスト者》(クリスチャン、キリストのもの)の名が与えられています。
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天の父なる神様、《キリスト者》の名に込められた意味を教え、御子イエスと共に《キリスト者》の道をたどらせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン