9/11/2020

この日も主と共に【89】神に作られた驚くべきもの

あなたは、わたしの内臓を造り
母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
わたしはあなたに感謝をささげる。
わたしは恐ろしい力によって
驚くべきものに造り上げられている。
(詩編 139編13、14節)

神さま、
あなたがわたしたに命を与え、また、体も与えてくださいました。わたしの体は、自分でも知り尽くすことができないほどに精密に作られています。あなたの深い愛とはかり知れない知恵を感謝します。あなたに信頼し、また、あなたの御心と共に、心も体を大切に用いることができるようにお守りください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。

9/10/2020

この日も主と共に【88】命の実を結ぶ木

神に従う人は木の葉のように茂る。・・・
神に従う人の結ぶ実は命の木となる。
知恵ある人は多くの魂をとらえる。
(箴言11章28、30節)

神さま、
あなたは、ご自身に従う者たちに知恵を与え、人生に実を結ばせてくださいます。そして、お互いの励ましや力となるようにと、一人一人の人生を用いてくださいます。これまでにも、さまざまな出会を与えられたことを感謝します。これからも、「わたしにつながっていなさい」と招いてくださる主イエスによって(ヨハネ15:4)、生き生きとした実を結び、分かち合うものとしてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/09/2020

バッキンガム参謀総長のメッセージ (9月6日のために)

今回は、バライアン・ペドル大将に代わり、参謀総長であるリンドン・バッキンガム中将によるメッセージが発信されました(Facebook)。

「参謀総長」は、「大将」を補佐する職務で、世界全体の救世軍の第2番目のリーダーとあたります。

祈りの手引きとして、以下に掲載します。

内容は以下の通りです。 

主はアブラムに言われた。 
「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」
(創世記12章1節)


みなさんは、何かを作り上げようとして、結局うまくいかなかったということはありませんか。海辺で砂の城を作っていたところに、波が打ち寄せて壊れてしまった。あるいは、荷物を保管するために建物に倉庫を設置したのに、最初の強い嵐で壊れてしまった。手がけていた事業が望むようなかたちで進まなかったなど。計画が望む方向に進まないときに、失望や落胆を味わうことでしょう。そのようなときに、あきらめてしまいたくなるのも、もっともなことです。

神が、ご自分の〔天地〕創造の計画が急激に悪化していくのをご覧になったときに、どのようなお心であっただろうかと思います。
 
(※)創世記第6章の御言葉を思い起こしてみましょう。

主は…地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。(創世記6章6節)

悲しみは、新しく始めようとすることを妨げようとするものです。ご自分にかたどって創造された被造物〔である人間〕が、責任を負うことを拒み、争いごとにのめり込み、自分の功績を打ち立てようとするありさまをご覧になって、神はご自分が始められたことを廃止しようとは考えられなかったでしょうか。(※)
 
しかしながら、創世記第11章の終わりにくると、読者の前にターニング・ポイント(転換点)が示されるのです。ノアの子孫のなかに登場するアブラム〔後の
アブラハム〕という人物、サライ〔後のサラ〕という女性と結婚した彼こそが、まさにその〔転換点となる〕人でした。ファンファーレもなしに、神は次の一手を打たれました。恵みによって、神は新しい始まりを起こされるのです。
 
創世記第12章の初めにおいて、神はアブラムに語られました。

あなたは生まれ故郷
父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを 大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
あなたを祝福する人を わたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。(創世記12章1~3節)


神は、家族、土地、習慣、言葉といった馴染みのあるものから離れるようにと〔アブラムとサライの〕二人を召し出されました。そうすることによって、新しい
始まりを作られました。神は〔むしろ〕、ご自分の約束された土地、家族、名声を信頼するようにと、彼らを招かれたのです。
 
なぜ神がアブラムとサライを選ばれたのかについては伝えられていません。しかし、物語を読み進むにつれて、わたしたちは、アブラムとサライが称賛に値する資質を多く持っていたことを知ることができます。たとえば、アブラムは、土地を選ぶときに自分の甥にあたるロトを優先させました。また、〔神に対して罪を重ねた〕ソドムとゴモラの町のために、〔神に〕執り成しました。
 
しかし、エジプトにおいては、アブラムは自分自身を守るために、サライを妹だとごまかしたこともありました。二人が神と共に、またお互いに旅路を進むなかで、神の約束を危険にさらしてしまうこともありました。
 
それでも、新約聖書、『ヘブライ人への手紙』の著者は次のように書いています。

信仰によって、アブラハムは・・・行き先も知らずに出発したのです。
(ヘブライ人への手紙11章8節)


アブラムとサライは、自分たちを新しい未来へと召してくださった神を信じることを学びました。神は、計画が破綻したときにも、容易にあきらめることはなさいませんでした。ハレルヤ。恵みによって、神は〔たとえ一つの歩みがうまくいかなかったとしても、〕ご自身の目的の実現のために、別の歩みを取られるのです。神は、わたしたち一人一人をあきらめることはなさいません。むしろ、恵みによって、地上のすべての民を祝福するという、ご自身のすばらしい目的に仕えるものとして、わたしたちを召してくださるのです。
 
新しい始まりが必要だと痛切に感じている方がおられるでしょう。人間関係が壊れる痛みを経験し、未来など考えられないという思いで過ごしている方もおられるでしょう。このパンデミック(新型ウイルスの世界的流行)のあいだ、事業が行き詰まるのを眺めることしかできず、将来どのようになるのかと思っておられる方もおられるでしょう。ふたたび始めようとしている人々、たとえば社会に復帰しようとしている受刑者、新しい人生を希望している難民の人々のために労している方もおられるでしょう。
 
今の時代において、神が新しく始めてくださると知ることには、どのような意味があるでしょうか。わたしたちをご自分の新しい始まりへと召される神を信頼することには、どのような意味があるでしょうか。
 
わたしたちの人生には、これまでもそうであったように、ジョン・ゴワンズ大将によって書かれた次の賛美の言葉が頼りになる時が折々にあることでしょう。

『神はもはや、わたしのための計画など持っておられない』
と思い込まないでください。
『探し求めるべき将来などない』
と思い込まないでください。
あなたのために、神は新しい計画を、聖い計画を立てておられます。
『神は、わたしの悔い改めなど顧みられない』
と考えないでください。
なぜなら、〔人生において〕果たさねばならない一つ一つのことについて、
神の恵みを願い求める者たちに、
神は〔求めに応えて恵みを〕与えてくださるからです。
神は愛のうちに、あなたのための計画を立てておられます。
神は今もなお、あなたをとても大切にしておられるからです。
(ジョン・ゴワンズ、英語版救世軍歌集490番)
〔訳注・日本の救世軍歌集では15番「神の心の奥底に」、2節に相当〕

神の祝福がみなさんにありますように。
 
(訳 立石真崇)
 
※小隊における祈りの資料として、個人で訳出しました。〔 〕は翻訳上、日本語を補った箇所です。また、今回は日本語としての読み易さを優先させて、原文と聖書の引用の位置を変え、その箇所を(※)の記号で挟んでいます。

この日も主と共に【87】神のかたち


神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
(創世記 1章27節)


神さま、 あなたは、ご自分にかたどってわたしたちを創造してくださいました。 わたしたちの命に価値と尊厳を与え、共に生きるように祝福してくださることを感謝します。 世界では今も、命が軽んじられ、傷つけられる出来事がくりかえされています。 人となって世に来られた、神の御子イエス・キリストの救いによって、 人としてのまことの姿を回復し、命の尊さを帯びて生きるものとしてください。 イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/08/2020

この日も主と共に【86】神に作られたもの

あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
まだその一日も造られないうちから。 

(詩編139編15、16節)

神さま、
わたしたちは生まれた時や場所を自分で選ぶことはできません。
しかし、わたしたちはみな存在することを望まれ、命も体もつくられ、かけがえのないものとして覚えられています。
あなたの大きな愛を感謝します。
自分の負っているものや成し遂げたものよりも確かなもの、あなたの愛の眼差しに自分の原点を置いて生きるものとしてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/07/2020

ルカによる福音書17章22~37節「神の国の現れる日」

【説教要旨】
神戸小隊 聖別会
2020年9月6日(日)
ルカによる福音書17章22~37節
「神の国の現れる日」 

Ⅰ 「今」と「これから」を見つめる生き方

9月最初の日曜日を迎えました。先週は防災の日(9月1日)にちなんで、防災を考えるニュースや番組に多く接しました。そのなかで個人的に心に留まったのが、「ローリング・ストック」という言葉でした。それは、災害が起きた時のために食品を買いためておき、定期的に備蓄品を確認して、一部を使い、使った分を買い足していくという取り組みです。これによって、日頃から緊急時の備えを身近に意識して過ごすことができるということでした。

今年は、新型ウイルスが、災害ではないものの同じように、世界的に深刻な影響をもたらしています。また、海外ではバッタが大量に発生し、大群となって植物を食べ尽くして移動する蝗害(こうがい)を起こしています。あるいは、猛暑・水害・大型台風といった極端な気候の変化も見られます。将来に備えながら今を過ごすことが大切であることを、あらためて思います。

しかしまた考えてみると、「今」と「これから」を見つめる生き方を、キリスト教会はすでに知っているということもできます。神の御子イエス・キリストが人となってこの世に来られ、わたしたちの救いを成し遂げてくださいました。そして天に昇られ、やがてふたたび来られると約束されました(再臨)。現在と将来が結び合う生き方を、イエス・キリストはわたしたちに与えてくださいます(参照 ヘブライ13:8)。

Ⅱ イエス・キリストの受難と再臨

イエスさまは、宗教家の集まりのひとつ、ファリサイ派の人々と語られました(20、21節)。彼らは、神さまがこれからどのように御業を現わされるのかに関心を寄せ、「神の国」という言葉を使ってイエスさまに質問をしました。

これは、弟子たちとっても心ひかれる内容であったと思います。当時、イエスさまの評判は広がり、高まっていました。そのままいけば、イエスさまの弟子として栄誉に与かる将来も描けるような状況でした。

そうしたときに、イエスさまは弟子たちに向かい、話を掘り下げて語られました(22~35節)。その際、イエスさまは、旧約聖書で「救い主(メシア)」を象徴する言葉である「人の子」という表現をご自分に使われました(22、24、25、30節、参照 ダニエル7:13)。また、「神の国」に対応するように「人の子の日」、「人の子の現れる日」という言葉を使われました。神さまの救いの御業の中心となるお方として、ご自身を示されたのです。

しかし、そこで掲げられたのは、栄光ではなく、苦しみでした。

人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。(25節)

「必ず・・・(する)ことになっている」という表現は、神さまが定めておられる事がらを指します。イエスさまはすでにご自分の苦しみと死について予告されましたが(9:22、44)、あらためてそれが「神の国」のために、「救い主(メシア)」として引き受けるべきものであることを示されました。

イエスさまに苦しみと死が定められているということは、何を意味するでしょうか。

一つは、イエスさまを拒否するということは、神さまの愛を拒否するということです。それほどまでに人間が神さまと断絶し、神さまに反していることが表れています。しかしまた、イエスさまが苦しみと死を避けることなく受けてくださることによって、神さまがこの世界を見捨てず、人間を救うという、神の強い救いの意思、深い愛も表されました。イエス・キリストの受難と死、さらに三日目の復活は、わたしたちの罪を明らかにし、それだけでなく、そのわたしたちを愛し、救われる神を示しています。わたしたちのために苦しみ、死なれ、復活されたイエス・キリストのもとに、神の国(神の支配)があります。

Ⅲ キリストと共に今も、これからも

イエスさまは、ご自身の苦しみと死の予告と共に、「人の子」が現れる様子を「電がひらめいて、大空の端から端へと輝くよう」であるとも述べておられます(24節)。それは、この世の時や空間に妨げられることなく、神の御子、救い主としてのまことに栄光に輝く姿をもって、イエスさまとふたたびお会いできる将来があるという意味です(参照 9:32)。これがキリスト者、教会が将来について与えられている希望です。

今は、わたしたちはイエスさまを肉眼では見ることができません。しかし、小隊・教会の礼拝において、わたしたちは神の御子、救い主であるイエスさまの輝きを知ることができます。「世の光」として、イエスさまは今すでに、わたしたちの心と人生を照らしてくださるのです(参照 ヨハネ8:12)。イエス・キリストを見上げて、このお方が開いてくださった人生の道をご一緒に歩みを続けてまいりましょう。

・・・すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。(ヘブライ人への手紙12章1~3節)

この日も主と共に【85】キリストにおいて選ばれたもの

わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。(エフェソの信徒への手紙 1章3、4節)


神さま、
あなたは遠い昔からわたしたちを知り、祝福に満たされる器として選んでくださいました。ご自身の愛と聖さでわたしたちを内側から造り上げてくださることを感謝します。わたしの心と言葉と行いが、周囲の評価や自分の満足にまさって、あなたの祝福につながるようにお守りください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/05/2020

この日も主と共に【84】

神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。
世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
だれが世に打ち勝つか。
イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。 

(ヨハネの手紙一 1章4、5節)

 

神さま、

この世は勝利を求め、他の人よりも優位に立とうとします。

しかし、あなたは、御子イエスを信じるものを永遠の愛をもって固く支え、滅びることがないようにしてくださいます。

この日も、イエス・キリストによって神の子として受け入れられていることを覚え、まことの勝利に続く道、あなたの愛によって命を全うする道を導いてください。

イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/04/2020

この日も主と共に【83】

わたし〔イエス〕の命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。・・・わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
ヨハネによる福音書15章14、15節)

***

神さま、
御子イエスがわたしたちを友と呼び、わたしたちを新しい生き方へ招いてくださることを感謝します。ご自身を打ち開いてわたしたちを受け入れてくださった御子を信頼し、わたしたちも心を開いて安らぎを得させてください。御子の語りかけを通して、あなたの御心を悟るものとならせてください。御子の呼びかけに応えて、あなたの愛のなかで成長するものとならせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/03/2020

この日も主と共に【82】

わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。

(エフェソ信徒への手紙2章10節) 

 

神さま、
あなたは御子イエスによってわたしたちを救い、新しい命を与えくださいました。そして、あなたの作品として大切にしてくださいます。どうか、わたしたちの心と行いが、あなたの善い御心と善い御業を映し出すものとなりますように。家族や友にも、あなたの作品としての輝きをお与えください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

9/02/2020

この日も主と共に【81】

彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。・・・バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。
(使徒言行録11章20、21、23節)
 
***
 
神さま、
あなたは世界の福音(良い知らせ)として主イエスを与え、また、主を信じる新しい人生を共に喜び、励まし合う教会(小隊)を作られました。
どうかわたしたちの祈りと歩みが、自分の枠を越えて、他の人の喜びにつながることができるように導いてください。
あなたの教会(神戸小隊をふくむ地上の一つ一つの教会)とそれぞれに連なる一人一人、各々の家族や友を、これからも主の喜びと励ましに与からせてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン

9/01/2020

ブライアン・ペドル大将によるメッセージ 8月29日付

ブライアン・ペドル大将によるインターネットのメッセージ

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〔主は〕地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。

(創世記6章6節)


わたしたちはしばしば、大きな希望と期待を抱いて新しい冒険を始めます。学生は、良い成績を収めたいと希望をもって新学期を始めます。〔スポーツ〕チームは、優勝決定シリーズで試合をしようと希望をもって競技を始めます。親は、子供たちが栄えある人生を歩み、世界に役立つようにと希望をもって、彼らを育て始めます。初めて取り組む人々は希望に満ちています。しかしながら、わたしたちの誰もがよく知っているように、〔希望をもって始めても、〕自分たちが期待していたものとは違った道を歩むことになるかもしれません。

 

神は、ご自身が創造されたものに対してどのような希望を抱かれたのだろうかと思います。創世記第1章は、神による創造を伝えています。第2章では、神かたどって創造された人間に〔参照1・27〕、神は《境界》を設けられました。
 

主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。
善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。」
(2・16、17)

 

《境界》があるということは、《自由》が意味をなすためには必要不可欠です。神は、男と女を支配しようとはされません。男と女は神にかたどって創造されたからです。ただし、神はご自分と男女との間に信頼関係を築くために、《境界》を設けられました。
 

ところが、神に良いものとして創造された〔はずの〕生き物の一つ、蛇が、男と女を、〔神に対する〕信頼と従順の道からそれさせようと企んだのです。蛇は語りかけました。
 

園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。〔3・1〕

決して死ぬことはない。〔3・4〕

《誤った情報》は、人間社会にとって常に脅威となるものです。とりわけ、新型コロナウイルスに直面している今の時代においては、このことがあてはまります。
 

蛇は次のようにも主張します。
 

それを食べると、目が開け、
神のように善悪を知るものと
なることを神はご存じなのだ。〔3・5〕
 

「神は、あなたがたが知らないことを知っている。そのような神を、あなたがたはほんとうに信頼できるのか。」〔蛇の言葉を聞いた〕男と女は、禁じられていた〔木の〕実を食べたのでした。
 

そのときから事態は変わり始めました。男と女は、《責任のなすり合い》を始めました。彼らは、起きてしまった出来事に対して、個人の責任を負うことを拒んだのです。神が被造物に備えられた関係のすべてにわたって、亀裂が生じました。〔一体となったはずの〕男と女は、疎外し合うようになりました。人間と他の被造物は引き離されました。人間と神の間には不信が生まれました。家族、兄弟のなかに対立が生じ、暴力にまで至りました。〔創造された世界に対して抱いておられた〕神の希望は、〔神への信頼を止めた〕人間の現実に突き当たりました。

創世記の冒頭の数章では、神についても学ぶことができます。主なる神は、〔証拠なしに〕決めてかかることはなさいませんでした。そして、「あなたはどこにいるのか」とお尋ねになりました。そして、恵みによって、〔神に背いた男と女の〕恥を覆うための新しい衣を用意されました〔3・20〕。〔人間に〕裁きをくだすことは、神の本意ではなかったかもしれませんが、神はたしかに裁き主として立たれます。しかし、裁きにおいてさえもなお、神は、ご自分にかたどって作られたもの〔である人間〕のために将来を探し求めてくださいました。
 

〔しかし、〕わたしたちは人の営みが砕け散っていくありさまをたどり、ついに創世記が次のように述べる決定的な場面に至ることになります。
 

主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
(創世記6・5、6)
 

重ねて言います。創造者〔である神〕は、わたしたち人間と信頼し合う関係を持とうと希望をもって、この世界を始められたのです。その神が心を痛められた。人間の悪のゆえにです。神の御心は、神にかたどって作られたものたちによって傷つけられたのです。この事実に心を留めましょう。
 

ゴワンズ大将とラーソン大将が作った歌が、わたしたちの理解を助けてくれるでしょう。
 

わたしたちの神は、
遠く離れた、よそよそしい、
感情の無いお方ではない。
わたしたちの孤独や痛みを見落とすお方ではない。
人々の働きを通して、
神はご自分の癒しを与えてくださる。
神に身を献げる人々の手によって、
希望はふたたびもたらされる。
(ジョン・ゴワンズ、英語版 救世軍歌集10番)

〔訳注・日本の救世軍歌集116番
「人に理解してもらえず」2節にあたる〕
 

キリスト教の信仰に関して、もっとも大切な洞察の一つは、神は創造者、救い主でおられますが、人間の行いによって心を動かされるお方でもあるということです。神は、わたしたちとの間に距離を置こうとはなさらないからです。自分の子供たちが誤った道を選んでしまったときに痛みを負う父母のように、神も〔人間のために〕ご自身が痛まれるのです。夢に破れ、心傷つく学生のように、神は夢を失うことがどういうことなのかを理解し、また、感じられます。聖書を通して知る神は、御心を痛めることができる〔ほどに人間と深く関わり、愛そうとされる〕神なのです。
 

しかし、神は御心を痛められてもなお、被造物に心を注ぎ続けられます。人間を愛するために、神はなお危険を冒し続けておられます。イザヤ書に記された御言葉に耳を傾けましょう。


再び地上にノアの洪水を起こすことはないと
あのとき誓い 今またわたしは誓う
再びあなたを怒り、責めることはない、と。
山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみは あなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が 揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。
(イザヤ書54・9、10)

 

創世記の冒頭に描かれる神は、傷つき痛みを負われる神です。この傷を負われる神の姿の極みこそは、ナザレの人、イエスの生涯であり、彼の死と復活でした。神が痛みを覚えるほどに〔わたしたちを〕愛しておられる、どうかその恵みを見出すことができますように。アーメン

 

(訳 立石真崇)

 ※小隊における祈りの資料として、個人で訳出しました。〔 〕は翻訳上、日本語を補った箇所です。

この日も主と共に【80】

偉大な大祭司、神の子イエス・・・

この大祭司は、

わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、

罪を犯されなかったが、

あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。

だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、

時宜にかなった助けをいただくために、

大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。


(ヘブライ人への手紙4章14~16節)


***


神さま、


御子イエスが執り成してくださるので、

わたしたちはどのような状況にあっても、

あなたとの関わりを保たれています。


わたしたちの苦しみや悩みをも御子イエスが知り、

あなたに執り成してくださることを感謝します。


あなたと御子を信頼し、恵みに心を向けます。


どうか必要な助けと力をお与えください。


家族や友も、自分たちに寄り添ってくださる御子を知り、

支えを得ることができますように。


イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。


アーメン