1/30/2024

この日も主と共に【985】ペトロの手紙二(12)

力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を・・・加えなさい。(ペトロの手紙二1章5~7節)

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《信仰》を豊かにするものとして、第五に《信心》が挙げられます(参照3節)。《信心》とは神様を畏(おそ)れ敬い、神様の言葉を大切に聴き、神様に従うことです。神様にふさわしい者となることを追い求めることです。それらがお仕着せではなく、自分にとってあたりまえの生き方になることです◆イエス様を信じる者にとって、《忍耐》はそれ自体が目的なのではなく、《神様の本性》にあずからせていただくためという目的があります(4節)。それですから《忍耐》に並んで《信心》も大切です。伝道者パウロも若者テモテを励まします。《信心のために自分を鍛えなさい。・・・信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。》(テモテ一4章7、8節)◆イエス様は今も《命と信心とにかかわるすべてのもの》を教会・小隊に、また、わたしたちに与えてくださいます(3節)。

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天の父なる神様、まことに目指すべき人生の目的に向かって生きるものとならせてください。あなたと共に人生を形づくることができるように助けてください。そのためにイエス様によって、あなたの恵みと力と忍耐をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/27/2024

この日も主と共に【984】ペトロの手紙二(11)

力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を・・・加えなさい。(ペトロの手紙二1章5~7節)

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《信仰》を豊かにするものとして第四に《忍耐》が挙げられます。一つ前に《自制》が挙げられましたが、ときには自分で制することのできない事態にみまわれることもあります。当時、迫害の迫る中にあったペトロもそうであったことでしょう。そのときに《忍耐》が大切になります◆

聖書の言う《忍耐》には、逆境と思われる状況の下でもしっかりと留まり続けるという意味合いがあります。それは困難だけを見つめるというよりも、そこにも《忍耐と慰めの源である神》がおられると信じて立つことです(ローマ15章5節)◆

イエス様はペトロや弟子たちに、《立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ》幸いを教えられ(ルカ8章15節)、《忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい》と励まされました(ルカ21章19節)。そしてわたしたちを救うために、自らも十字架に留まられました。今日、わたしたちも、《聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。》(ローマ15章4節)

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天の父なる神様、

イエス様の忍耐につながる歩みを導いてください。忍耐と共に、約束された慰めと希望をお与えください。

イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

1/26/2024

この日も主と共に【983】ペトロの手紙二(10)

力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を・・・加えなさい。(ペトロの手紙二1章5~7節)

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ペトロは、信仰を豊かにする第三のものとして《自制》を挙げます。《自制》は、英語では「セルフ・コントロール self-control」と言いかえられる言葉で、自分の欲しいと思うままに行動するのではなく、自分の感情と行いを制御できる姿を指しています◆

知識は大切ですが、知ることによってかえって誘惑にさらされる場合や道を誤る場合もあります。あるいはまた、信仰生活についてみても、聖書から教わることがかえって『自分は人よりも真理に近い』という自負になってしまい、神様が望まれる生き方からそれてしまう危うさがあります。《知識》と共に《自制》も大切であることを、聖書は教えてくれます◆

伝道者パウロも《霊の結ぶ実》、すなわち、聖霊の力によって生きる人に与えられる実について語るときに、まず《愛》を挙げ、そのしめくくりに《節制》を挙げています(参照ガラテヤ5章22、23節、元の言葉は《自制》と同じ)。

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天の父なる神様、イエス様はあなたの御心に従い、わたしたちを救うことにご自分のすべてを注がれました。愛に満ちた御子の自制のお姿を仰ぎつつ、わたしたちも自分の思いと言葉と行いとを健全に治めることができるように教え、助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/25/2024

この日も主と共に【982】ペトロの手紙二(9)

力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を・・・加えなさい。(ペトロの手紙二1章5~7節)

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ペトロは、《信仰》を豊かにする第二のものとして、《知識》を挙げます。最初に挙げた《徳》は、正しいことや善いことを大切にし、判断とふるまいができる姿を指しています。それは信仰をもつ者にとって、神様が教えてくださる大切なこと(真理)に立って生きることでもあります◆そうすると、神様がどのようなお方か、何を望んでおられるか、この世界や人や私自身をどのように見ておられるかといったことを知ること、すなわち《知識》が役立ちますし、必要です◆もちろん人間が神様について完全に知ることはできません。しかし、神様は、御子イエス・キリストを通して、また聖書の言葉を通して、さらにイエス様につながる教会・小隊を通して、必要十分な真理を今も教えてくださいます。神様といつまでも、どこまでも共に生きるための真理を知ることができます。《永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。》(参照ヨハネ17章3節)

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天の父なる神様、これからもイエス様を知り、それによってあなたを知り、大切なことをわきまえる歩みを導いてください。聖書に聴き、幸いを知る喜びを、わたしたちにお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/24/2024

この日も主と共に【981】ペトロの手紙二(8)

力を尽くして信仰には徳を・・・加えなさい。(ペトロの手紙二1章5節)
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ペトロは《信仰》に七つのものを加えることを勧めます。《信仰》だけでは不十分という意味ではなく、《信仰》を健全に、豊かにするために与えられているものを確かめています◆第一に挙げられるのは《徳》です。《徳》とは正しいことや善いことを大切に追い求め、実行し、品性を身に着けることです。これは当時の教会にとっては、さまざまな思想や価値観が混在する文化や社会において、ときには敵意を向けられる場合があるとしても、神様が大切にしておられることに自分たちの価値観や人生の優先順位を置くことを意味しました。それはまた、神様の言葉に立って勇気をもって生きる姿であるとも言えます◆《徳》の源はイエス様ご自身にあります(参照3節、新共同訳では《力ある業》と訳されている)。イエス様は人々の期待や評価ではなく、神様の御心に従い、十字架に至る道を歩まれました(参照フィリピ2章6~8節)。そして、わたしたちを救い、同じ道を共に歩むようにとわたしたちを招いてくださいます。
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天の父なる神様、《勇気を出しなさい》と語られるイエス様に心を向け、あなたの御心に従って歩まれたイエス様の歩みに続くものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照ヨハネ16章33節)

1/23/2024

この日も主と共に【980】ペトロの手紙二(7)

だから、あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。(ペトロの手紙二1章5~7節)

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イエス様はわたしたちに、《神の力》と《尊い約束》とを与えてくださった(3、4節)。《だから・・・》とペトロは言葉を続け、《信仰》に《徳》、《知識》、《自制》、《忍耐》、《信心》、《兄弟愛》、《愛》の七つを加えなさいと勧めます(5~7節)◆このように何か良いものを一つずつ備えていくという表現は、当時の文学や教えにおいてはよくみられたようです。しかし、ペトロはどこでも聞けるような教訓を述べているのではありません。イエス様が《命と信心とにかかわるすべてのもの》をすでに用意して、与えてくださっているので(3節)、わたしたちはそれらをたしかに受け取り、《神の本性》にあずかるもの、すなわち、聖なる者にしていただこうと呼びかけています◆自力で理想的な人物になる道でははく、イエス様からの贈り物によって、神様に望まれているものとなる道をペトロは示しています。

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天の父なる神様、豊かに実を結ばせてくださると約束してくださるイエス様を信頼し、イエス様につながる歩みができるように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン(参照ヨハネ15章5節)

1/20/2024

この日も主と共に【979】ペトロの手紙二(6)

この栄光と力ある業とによって、わたしたちは尊くすばらしい約束を与えられています。それは、あなたがたがこれらによって、情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただくようになるためです。(ペトロの手紙二1章4節)

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《尊い信仰》を確認するために(1節)、ペトロは、イエス様から《神の力》とならんで(3節)、《尊くすばらしい約束》をもいただいていることを挙げます。

イエス様は人を救うために神様から選ばれた唯一の神の御子で、《尊い、生きた石》と呼ばれます。そして十字架で《尊い血》を流されました(参照ペトロ一1章19節、2章4、6節)。そのイエス様がみずからが保証となって、わたしたちを《天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者》にしてくださいます(ペトロ一1章4節)。

また、イエス様の約束にはわたしたちが《神の本性》にあずかる、すなわち《聖なる者》になるという目的が含まれています(参照ペトロ一1章6節)。

わたしたちは、イエス様を近寄りがたい存在として遠くから信じなければならないのではなく、イエス様に似た者と言っていただけるほどに近づいてよいのです。イエス様がそれを望み、招いてくださいます。

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主イエスよ、あなたの《尊い約束》を受け入れ、この世で尽きることも朽ちることもない、新しい生き方を導いてください。あなたに似た者に成長する喜びを教えてください。アーメン

1/19/2024

この日も主と共に【978】ペトロの手紙二(5)

主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。それは、わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです。(ペトロの手紙二1章3節)

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教会の仲間たちに《恵みと平和が・・・ますます豊かに与えられる》ようにと願い(2節)、お互いの信仰を確認することから手紙の本題が始まります(3~11節)◆ます大切なこととして挙げられているのは、《命と信心とにかかわるすべてのもの》、すなわち、神様と共に生きるために必要な一切をイエス様が与えてくださるということです。人間の真心や敬虔や努力にも大切な意味がありますが、信仰はそれらに留まらない、イエス様によって《神の力》を受け、生かされることです◆イエス様が《神の力》を与えることができるのは、《栄光と力ある業とで召し出してくださった方》、ご自分の十字架の死と復活によって神様の愛と力を現わされ、わたしたちを救うお方だからです。イエス様を知ることが、信じる者の力の源泉です。

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天の父なる神様、あなたはわたしたちの真の必要を満たしてくださるお方です。イエス様を通して、あなたの御力を受け入れて歩むものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/18/2024

この日も主と共に【977】ペトロの手紙二(4)

神とわたしたちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。(ペトロの手紙二1章2節)

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『ペトロの手紙二』は、手紙を送る人の自己紹介、手紙を送る相手への呼びかけから始まり、《恵みと平和》が与えられるように》と続きます◆当時、《恵みと平和》という言葉はふだんの挨拶として使われていたようです。ただし、この手紙においては挨拶以上に重みのある祈りの言葉であると言えます。なぜなら、《神とわたしたちの主イエスを知ることによって》与えられる《恵みと平和》を信じ、願うからです◆神様はわたしたちを愛して、イエス様を遣わされました。イエス様はわたしたちを救うために、十字架でご自身を犠牲にしてくださいました。それですから、神様とイエス様を知ることによって与えられる《恵みと平和》とは、神様の愛を知って生きる人への贈り物であるとも言えます。小隊・教会は、そのような人生の幸いを知り、お互いに祈り合うことを知ったものたちの集まりです。

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天の父なる神様、あなたがわたしたちを愛しておられること、また、御子イエス様がわたしたちの主であることをますます知ることができますように。この世の力では生み出すことのできない、豊かな《恵みと平和》に共にあずからせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/16/2024

この日も主と共に【976】ペトロの手紙二(3)

・・・わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たちへ。(ペトロの手紙二1章1節)

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『ペトロの手紙二』は、手紙を受け取る仲間を《わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たち》と呼びかけます。

その多くはおそらくペトロなど《使徒》より若い世代であり、ユダヤ人だけでなく外国人も含まれていたと思われます。しかし、イエス様を信じる人は、たとえお互いの年齢や生まれ育ちが異なっていても、神様の前に等しいと手紙は最初に確認します。しかも、イエス様に直接お会いし、教えを受けた《使徒》にも等しいと言えるほどにです。

そのように言えるのは、わたしたちにとって《信仰》とは、人の宗教的な考え方や心がまえを指すのではなく、神様が人を信じて生きる者にしてくださるという神様からの贈り物(恵み)だからです。

わたしたちは、今も、《わたしたちの神と救い主イエス・キリスト》によって、神様との正しい関係に入れていただき(義)、信仰を受けることができます。

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天の父なる神様、あなたは《救い主イエス・キリスト》をとおして、あなたと共に生きるものとしてくださいました。イエス・キリストに焦点を合わせてものごとを見つめ、歩むことができるように支え、導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/15/2024

この日も主と共に【975】ペトロの手紙二(2)

イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロ・・・(ペトロの手紙二1章1節)
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『ペトロの手紙二』を書き始めた《シメオン・ペトロ》は、自分が《イエス・キリストの僕であり、使徒》であると名乗ります。それらは彼が自分の立場や使命をどのように受けとめているかを表しています。
①《使徒》とは、イエス様から任命されて、この世に派遣された者という意味です。
②《僕》(しもべ)とは、イエス様にお仕えし、イエス様の命じられることに従う者という意味です。
《使徒》と《僕》という短い二つ言葉に、イエス様から新しい人生へと招かれ、イエス様に応答して生きるという姿が表れています。
今、わたしたちは《使徒》ではありません。しかし、イエス様からの招きとイエス様に対する応答という点では、わたしたちの前にも同じ道のりが開かれています。わたしたちもイエス様を通して無償の救いが与えられ、神の子となるようにと招かれています。それは、神様の恵みを受け入れ、神様に応答し、イエス様に従う者となることです。
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天の父なる神様、あなたはイエス様を通してわたしたちを呼んでくださり、導かれます。イエス様に聴き従い、あなたにお応えする新しい生き方を教えてください。そのために小隊・教会とつながる一人一人を守り、育ててください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

1/13/2024

この日も主と共に【974】ペトロの手紙二(1)

イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロ・・・(ペトロの手紙二1章1節)

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ペトロは手紙の書き出しにあたり自分を《シメオン・ペトロ》と自己紹介します◆ペトロは元の名前を「シモン」といいます(マルコ1章16節)。イエス様が《メシア、生ける神の子》であると告白したことから、イエス様から「ケファ」(岩)という新しい名前をいただきました。「ケファ」をギリシャ語で表したものが「ペトロ」です(マタイ16章16~18節、コリント一15章5節)。また、《シメオン》は「シモン」をギリシャ語で表したものの一つです(使徒15章14節)◆こうしてみると、《シメオン・ペトロ》という自己紹介からは、イエス様に出会い、イエス様を信じたからこそ今の自分があるという思いが伝わります。また、自分の手紙を受け取る人々が自分と同じユダヤ人だけでなく、ギリシャ語を使うユダヤ人以外の人々がいることを心に留めて、あるいはそのような人々にも神様の家族として挨拶しようという思いが伝わります◆ペトロはイエス様との出会いによって、新しい自分を生きるものとなり、また、まわりの人や世界を見るまなざしを新しくされ、広くされました。

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天の父なる神様、イエス様を信じ、イエス様に聞き従い、心が広くされる新しい人生を生きるものとならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


1/12/2024

この日も主と共に【973】ペトロの手紙一(43)

愛の口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストと結ばれているあなたがた一同に、平和があるように。(ペトロの手紙一5章14節)

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ペトロは手紙の結びにおいて、教会の仲間に向けて《愛の口づけ》による挨拶を勧めます。

《口づけ》とは当時、親しい人同士の挨拶として一般的に行われていました。おそらく手紙を回覧した教会にはそれぞれ、ユダヤ人や異邦人(ユダヤ人以外の人々)、あるいは当時の文化から、自由な市民や奴隷など、さまざまな背景や立場を持つ人々が集まっていたと思われます。

しかし、イエス様を信じる者たちにはみな同じ《平和》が与えられているとペトロは語ります。それは、イエス様が十字架の死によって神様と人との間に回復してくださった平和であり、死から復活して弟子たちに告げてくださった平和です(参照ローマ5章1節、ヨハネ20章21、26節)。そしてまた、イエス様が教会に残してくださった平和です(ヨハネ14章27節)。迫害の迫るペトロや当時の教会にとっても、そして、今のわたしたちにとっても、イエス様の平和は変わりません。イエス様ご自身が変わることのないお方だからです。

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主イエスよ、あなたの平和をわたしの心に、生活に、家族や周囲の人たちとの関係に、教会・小隊にお与えください。平和の主であるあなたと共に歩ませてください。アーメン